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千年巫女の代理人  作者: 夕暮パセリ
第二十二章 シャクナゲ舞う南部紀行
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サヴォンリンナ神殿への道行き35 ”白狼城”の霧 二 -二王即位-

 ダレン王の葬儀が終わると宰相ヤスカル伯爵ヘヴァデ・エデュアルドルの手配で、マルナガンはリファニア王としてファラスベム神殿で正式に即位した。


 これに対して宗教都市マルタンのマルヌ神殿にいち早く王太子トランテオンの即位を通知した領主権派は王都からマルタンに至る街道を何箇所かで封鎖した。


 新王はマルタンのマルヌ神殿に即位を自分で報告しにくるか勅使をたてなければならないことを理由に、マルナガンをリファニア王として認めずにトランテオンをリファニア王として領主派はアシアート州の王太子舘で即位させた。


 リファニアの歴史の中で、正規のリファニア王在位中にリファニア王と称した者は何人かいたがいずれも勝手に宣言しただけで、ほとんど何の力も持ってはおらず犯罪者のように捕縛処刑されるかリファニアから逃れ去った。


 しかしここにリファニア史上唯一、実質的に二王が並び立つ状況が出現した。


 七百年前のバシパルニア女王は八方美人的な性格から両統迭立りょうとうてつりつという将来に大きな禍根を残す王位継承を定めた。


 そしてバシパルニア女王の死後、第三十一代リファニア王ヘルトの時代に先代王の嫡子ネルパハナと王族セルチェが自身の方がリファニア王の資格があるとしてネルパハナが南部貴族、セルチェが北部貴族に擁立されて時代があったが、彼等はリファニア王位を要求しただけでリファニア王と名乗りも出来ていない。

(第九章 ミウス神に抱かれし王都タチ 北風と灰色雲27 十二所参り 二十一 晩秋の海辺 -南北分裂時代- 参照)


 それにトランテオンは仮即位とはいえリファニア王として名乗りをあげて南部を拠点にかなりの勢力があった。


 歴史的には勝者となったマルナガンはマルナガン王、敗者となったトランテオンはトランテオン僭称王という名称を使用する。


 この両陣営の間を多くの使者が行き来して、また日和見の貴族領主を引き込もうと調略のための書状が飛び交った。


 敗北したために僭称という名がつくがトランテオン僭称王はリファニア王国の法制上は正式な王太子であり、王位継承に必要な三つの要素、すなわち神官長による仮即位、ファベラス神殿での正式な即位式、宗教都市マルタンへの勅使による報告の三つのうち、マルナガン王がファベラス神殿のあるリファニアの畿内とも言うべきホルメニア全土を掌握していたために、正式な即位式はできなかったが後の二つは履行している。


 それに比べて、ダレン王の末期の遺言という根拠だけで、無理に仮即位をしたマルナガン王の方が疑問符がつく。



挿絵(By みてみん)




マルナガン王は即位はしたが、これは王太子を廃位されていないトランテオンを差し置いてのことで、前王のダレン王のマルナガンを次王とする遺言書があったというだけでそれに疑義が持たれていることから正閏に拘る者からすれば王位簒奪者と見られていた。


 これはマルナガン王側としては時間が経てばトランテオン僭称王側につく者が増加する恐れがあり、それを見込んでトランテオン僭称王側は時間稼ぎを行っていた。


 ただトランテオン僭称王側にも時間は味方である以上に敵でもあった。


 リファニア王国が成立した当初からリファニア王としての即位は王都タチの近傍にある古刹こさつフェラスベム神殿で行うとの慣例があった。

 行幸先や戦場で王が死亡した場合は、王太子が仮即位して一応、空白期間を空けないことになっていた。


 ただし前王が死去してから一年以内にフェラスベム神殿で即位の儀式を行うことが、リファニアの慣習法を編纂したスバックハウ法という法典に定められていた。


 ダレン王の死去はダレン王五十七年(マルナガン王初年)の二月十日であったので、翌年の二月九日までにマルナガン王の支配地域にあるファラスベム神殿に行き着く必要があった。


 無論、偽王マルナガンの妨害で即位式が出来ないとトランテオン僭称王は言い立てることは出来る。

 しかし歴代のリファニア王が遵守してきた前王の死去から一年以内にファラスベム神殿で即位式を行うという形式を欠いた継承方法に疑念がある王となってしまう。


 この爲に領主派のトランテオン僭称王としては出来るだけ味方を増やして、なおかつ軍の行動が困難になる十一月までに武威を持ってファラスベム神殿に辿り着く必要がありそれ以外の方策はなかった。


 これに対して王権派のマルナガン王の戦略は複数あった。


 一つ目は王都タチと、フェラスベム神殿周辺を確保し続けることで、トランテオンの王位に疑義が出たりして領主権派の足並みが乱れてくるのを気長に待つという消極的で現実的な案である。


 しかし王都周辺の肥沃で商業の盛んな地域が戦火により荒れることを覚悟しなければならない。それに対して王都周辺住民の民意乖離などが起こる可能性もある。

 また領主権派が本当に覚悟を決めて、数年単位の長期戦で新王朝樹立を目指してきた場合は反対にじり貧になる可能性がある。


 ただイルミコット侯爵を筆頭に世代を跨ぐことになるかも知れない新王朝を立てるなどという発想も覚悟もなかった。

彼等は自分達に都合のいい王の下で既存の利益を守り、より上位の官職を得ることが目的だった。


 二つ目は王都近郊で領主権派軍を迎撃する方法である。


 ただこれは相手が王都に向かって攻め込んでくるということが前提であり、こちらから主導権を持って行える選択ではない。

 しかし前述したように領主派は王都近郊のファヴェラス神殿でダレン王の死後一年以内で即位式をしようとしているので、現実的には最も起こりやすい状況であった。


 マルナガン王にしても決戦によって一気に事態の収集が図ることも可能である。しかし決戦はやってみないとわからない。

 ホームグランドで戦う有利さはあるが決戦に賭けたいのは領主権派である。王権派が積極的に決戦を行う理由はない。


 三つ目は積極的に相手の本拠地を制圧する方策である。 


 マルナガン王が自ら官軍としての武威を示して討伐軍を率いるようなことになれば中立的な領主の多くは、マルナガン王に跪く可能性も高かった。


 概して勝算の高いのは一案、二案、三案の順で、勝利した時の成果が大きく戦後処理が容易なのは三案、二案、一案の順である。


 ここで王権派は積極的な討伐軍の編成を主張するマルナガン王の意向を踏まえた二案と三案の中間的な戦略を採用した。


 マルナガン王が一番投機的な策に拘ったのはそれなりの背景があった。



 この時期の領主間で書簡に記載されている日付はトランテオン僭称王を自室的に擁立しているイルミコット侯爵家とそれに与する南部の大領主家ではトランテオン王初年と記載されている。


 マルナガン王支持の領主とトランテオン僭称王支持の領主間ではマルナガン王支持領主がマルナガン王初年、トランテオン僭称王支持領主はダレン王五十七年、中立領主間ではマルナガン王初年が過半でダレン王五十七年、マルナガン王初年の併記が四分の一、ダレン王五十七年が残りの四分の一であった。


 書簡の中身も需要だが日付の記載に領主の本心が出ている。


 当時はこうした日付がどれほど使用されるかをマルナガン王は正確には知りようがなかったが、中立領主が全体として自分を支持しているが万が一をおもんばかってその態度を曖昧にしていると正しく判断していた。


 当時、マルナガン王は即位時には満年齢二十七歳でリファニアの感覚ではそろそろ青年期から壮年期に入ったという感じである。

 マルナガン王は成人してからは王都貴族と連日のように会合や会食を行い、また地方貴族が王都を訪れた時は必ず顔を出していた。


 また自ら願って勅使になりしばしば地方貴族の舘にも出入りしていた。


 貴族の目から見てもマルナガン王は王族の威厳が備わっており、温厚な性格で才気が感じられた。

 

 リファニア王であっても自分の領地には不干渉であって欲しい領主ならリファニア王は無能な方が都合がいいのだが、リファニアには損得を越えた尚武の気質が勝る文化がある。


 自分の上位に立つ人間は武勇が感じられて頼もしいと思える人間であって欲しいと願うのだ。

こうしたことを理解していたマルナガン王は積極的に王都貴族地方貴族の隔たりなく親交を重ねていたのだ。


 それに対して父親の王太子バルガネンがそうであったようにトランテオン僭称王は満年齢十五歳の少年で内向的な性格もあいまってほぼアシアート州の王太子舘に籠もりっきりであった。


 そしてこの少年王はイルミコット侯爵の傀儡であることは周知の事実であった。


 マルナガン王は自分が軍勢を率いれば進路上の領主はすぐに自軍に参加するか、少なくとも行軍の手助けをすると踏んでいた。

 そしてイルミコット侯爵の手前トランテオン僭称王側についた南部領主からの内密の書簡には大概マルナガン王に直接弓を向けることはしたくないと記述してあった。



 マルナガン王支持の貴族家は家中全体がマルナガン王支持でまとまっていたが、トランテオン僭称王側の領主家ではイルミコット侯爵家などの例外を除いて家中は親戚衆を含めてマルナガン王派、トランテオン僭称王派、日和見派で分裂していた。


 こうした状況をマルナガン王は王家お得意の情報収集で知っていた。


 マルナガン王とその父ベルバラントはダレン王の補佐役として、王家の情報収集組織の中枢人物を押さえていたからである。


 これに対してまだ何の官職もない少年に過ぎないトランテオン僭称王はおろかその父王太子バルガネンもアシアート州に引きこもった状態で王都との繋がりは薄く個人的に情報を教えてくれるような人物もほとんでいなかった。


 マルナガン王にすれば自分がで出陣することで相手側の戦意を挫いて短期決戦で事態を打破しようとしたのだ。  


 すなわち王都のあるホルメニア地域の防衛を固めながら、マルナガン王が率いる軍勢で領主派の地盤である南部に沿岸部の平野を通過するのではなく内陸部のベムリーナ山地を通過して奇襲侵攻するというものである。



 それに対して領主派も防備が固い沿岸部を北上するのではなく、ベムリーナ山地を突破してホルメニアに侵攻するという策を採用した。

 領主派にすれば沿岸部はマルナガン王支持の領主が多くのそれに比例して突破すべき防衛拠点も数多くあって冬がくる前にファラスベム神殿に辿りつける確信がなかった。


 そこで防備が薄いベムリーナ山地中の迂回路から一気にマルナガン王の主力が南に移動してるホルメニアに飛び込むという算段だった。


 こうして互いに相手の裏をかくという策によりリファニア史上で唯一の山岳地帯での大軍同士による不羈遭遇戦が起こることになる。


 マルナガン王軍とトランテオン僭称王軍はベムリーナ山地のほぼ中央部であるグラニダニ山付近で衝突した。


マルナガン王率いる王権派軍は一万七千、トランテオン僭称王を形式的な総大将にして、外祖父イルコミット侯爵と生母ゲルグレットが率いる領主権派軍は軍記物では十万などという数字が書かれているが実際は三万二千と推定されている。このうち王権派軍の数は記録が完全に残っておりほぼ確実である。

*ここからは王権派軍をマルナガン王軍、領主権派銀をトランテオン僭称王軍と表記します。



挿絵(By みてみん)




 トランテオン僭称王軍の数が多く表されるのは、精鋭な王の軍勢が少数で烏合の衆である賊軍を打ち破ったことを強調したいからである。


 トランテオン僭称王軍の数はいまだに定説がない。推定ではイルコミット侯爵以下の四大領主はすべてベムリーナ山地踏破の軍勢の中におり、四大領主の兵力は一万である。


 そしてその親戚衆、家臣に近いような領主勢で一万八千までは確実に期待出来る兵力を構成していた。


 東部の中央盆地と王都を繋ぐベムリーナ山地を通過する街道は現在は”シスネロス街道”と呼ばれるが、当時はこの街道は”ベムリーナ街道”と呼ばれていた。


 グラニダニ山付近は草原地帯となっており、ベムリーナ山地の中では大軍同士が真面目の合戦を行える数少ない場所だった。


 数ではトランテオン僭称王軍が凌駕しているが、問題はその質にあった。


マルナガン王は王直属の近衛軍を押さえており、当時五千という規模を誇ったリファニア第一の精鋭部隊だった。


 リファニア王国における近衛隊は戦国時代の旗本衆に近い存在である。近衛隊はすべて世襲の王家直参家臣で構成されていた。

 この近衛隊が欠けることなくマルナガン王に従ったということは、政治的にマルナガン王の大きなアドバンテージであった。


 これに対してトランテオン僭称王が直卒出来るのは、百人にも満たない供回りだけでトランテオン僭称王の警護以上の存在意義はなかった。


 マルナガン王軍の各貴族が率いる軍勢は、宰相ヤスカル伯爵ヘヴァデ・エデュアルドルの子飼い二千を除けば王権派貴族が小規模な領主が大半であったために数百人規模の軍勢が数多く集まった使い勝手の悪い軍勢だった。


 トランテオン僭称王軍はイルコミット侯爵以下の南部の四大領主と呼ばれた領主の軍勢はすべてベムリーナ山地踏破の軍勢の中におり四大領主の兵力は一万である。

 そして、その親戚衆、家臣に近いような領主勢で一万八千までは確実に期待出来る兵力を構成していた。


 その他におそらく一万四千程度の他領主軍が混じっていた。


 総兵力ではマルナガン王軍が五千の近衛隊と規模は小さいがマルナガン王に忠実な王都貴族軍一万二千の合計一万七千、トランテオン僭称王軍は合戦で確実に動く貴族家軍が一万八千に、その他動員された貴族家軍が一万四千の合計三万二千とマルナガン王軍の倍ほどの兵力があった。

*話末注あり


 しかしトランテオン僭称王軍の実質的な指揮官のイルコミット侯爵が直接動かすことが出来るのは自家と親戚衆の三千数百だけで、他の貴族家軍に関してはトランテオン僭称王の命という煩わしいクッションが必要であった。


 またイルミコット侯爵の命でしぶしぶ出てきた貴族家軍が一万四千については、マルナガン王が率いている軍勢相手に合戦をするかどうかははなはだ怪しかった。


 マルナガン王が率いるマルナガン王軍は近衛隊以外は比較的小ぶりな集団になった貴族軍に別個に命令を出して動かす必要があったが、それでも指揮系統は単純でマルナガン王の命令で全ての軍勢が動いた。


 そして何より自分達はリファニア王の率いる官軍であり、反逆者の軍勢を打ち破ればそれなりの恩賞も期待できるので戦意が高かった。


 すなわち戦意が高い人数で見ると両軍は拮抗していた。



注:実際の兵力

 マルナガン王軍一万七千、トランテオン僭称王軍三万二千と記述しましたが、これは軍勢を構成する人数になります。


 近衛隊は指揮官の従卒を除いてほぼ全員が戦闘要員で五千はかわりませんが、両軍の貴族軍は軽輩の家臣以外は戦闘員である家臣に一人から数人の従者がおり彼等は合戦に参加しません。


 戦闘員の人数で見るとマルナガン王軍が一万一千程度、トランテオン僭称王軍は一万八千程度だったと思われます。


 このうちトランテオン僭称王軍で戦意が期待できるのは一万程度でマルナガン王軍が優位に立ちますが、両軍が激突する真面目の合戦の場合は、マルナガン王軍は戦意が低いと思われる軍勢にもそれなりの人数を割かなければなりませんのでトランテオン僭称王軍は数的な優位を得ます。



挿絵(By みてみん)

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