表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
千年巫女の代理人  作者: 夕暮パセリ
第二十二章 シャクナゲ舞う南部紀行
1196/1205

サヴォンリンナ神殿への道行き34 ”白狼城”の霧 一 -姉妹の確執-

 この話から数話は「第七章 ベムリーナ山地、残照の中の道行き」の234話”ベムリーナ山地の秋霖3 史実グラニダニの戦い 上”から236話”ベムリーナ山地の秋霖5 史実グラニダニの戦い 下”に記述した”グラニダニの戦い”の裏話になります。祐司とパーヴォットの冒険譚をテンポよく読みたい方はしばらくお待ちください。

挿絵(By みてみん)



 ドナヤン峠の茶屋で昼食を食べ、食後の甘味にカルメ焼きに類似した菓子を食べた祐司とパーヴォットは再び”南国街道”を歩み出した。

 先に進むと”南国街道”はやや左に曲がり少し降ったかと思うと今度は右に曲がって登りになる。


 ドナヤン峠という一点はどこかとするとドナヤン峠茶屋のある辺りだが、ネルナンを含むエスケリネン子爵家領と内陸のオングストレム男爵家領の行政区界はその先の第二の峠とも言う場所になる。


 そこには関所が設けてあった。


その関所は内陸側のオングストレム男爵家が設置したものである。関所は街道整備費の名目で通行料を徴収するとともにエスケリネン子爵家領から入ってくる武器武具、酒類に関税のようなものを課していた。


 南部でも有数の港湾都市ネルナンを有するエスケリネン子爵家領は種々の物資が集散して、それを取り扱う商人が支払う印紙料でかなりの収入がある。

 下手にそれなりの経費がかかる関所を設けて商売の足を引っ張るより、事務手続きだけですむ印紙行だけを収入に頼る方がエスケリネン子爵家にとってはいい。


 反対に内陸のオングストレム男爵家領は祐司とパーヴォットがこれから南北に縦断していくことになるパンシュエット盆地の入り口であり、”南国街道”を通じて盆地に入ってくる品物の一部にでも課税した方がよいという判断である。


 祐司とパーヴォットは巡礼といういうことで、信者証明を確認され関所の中には馬とラバも別個に通行料を徴収する所もあるが二人分の通行料を払うだけで関所を通過した。


 ただ同時に通過した行商人の一行は荷馬車の通行料を払っていた。


 荷馬車はどうしても轍をつくり、街道が傷むので合理的だと思いながら祐司はその様子を見ていた。


 関所を通過するとまた左に”南国街道”はカーブしていた。そしてそのカーブを曲がりきると目の前にパンシュエット盆地北部が俯瞰できる場所に出た。


「盆地と言うより大渓谷ですね。南の果てが見えません」


 パーヴォットが歩きながら言った。


「三百年前の”白狼の乱で滅んだイルミコット子爵家は通過してきたオデライト州の三分の一とこのパンシュエット盆地の過半を領地にしていたそうだ。


 そしてパンシュエット盆地の南端に当面の目的地であるサヴォンリンナ神殿がある。パンシュエット神殿までの五日の道のりのほぼ全てはかつてのイルミコット侯爵家領だ。その栄華を身を持って経験するということだな」


 祐司もパンシュエット盆地を俯瞰しながら言った。



挿絵(By みてみん)




 ドナヤン峠の関所を越えると、道は緩やかに下り坂になった。そして祐司とパーヴォットは四半刻(三十分)もしないうちに降りきるとパンシュエット盆地の平坦部に到着した。


 そして峠からは山陰に隠れて見えなかった今日の宿泊地であるナルサスの街が見えてきた。


 パンシュエット盆地の中央にはパンシュエット川が北から南に流れている。

 すなわちパンシュエット盆地を南に向かう祐司とパーヴォットは少しずつではあるが降る道のりとなる。


 ナルサスの街の手前二リーグ(約3.6キロ)ほどの場所に比高が二百尋(約60メートル)ほどの周囲から突出したような残丘がある。


 そしてその残丘の上には僅かの建物と城壁の残骸、そして天から鉞を叩きつけられたように割れて崩壊してしまった城の規模にしては巨大な塔の残骸が見えた。


「あれが”白狼城”の城跡だ。別名が”狼の巣城”だ」


 祐司がやや見上げるような感じでパーヴォットに言った。


「反逆者の城ですね。見せしめであのような無残な姿を後世に残しているのでしょうか」


 パーヴォットが少々感慨深げに言う。



 ”白狼城”は数百年にわたり南部に覇を唱えたイルミコット侯爵家の本城である。ただイルミコット侯爵家はその歴史の過半で王家の藩屏として過ごしてきた。


 リファニア南東部を侵食して一時は南部東部や中央盆地まで侵攻する勢いがあったヘロタイニア人勢力に対抗する爲にイルコミット侯爵家は南部防衛の家とされ、当時まだ南部に多くあった王家の荘園の管理を行い実質的に封土とすることで軍事力を増強されて南部鎮台家という称号を与えられた。


 そして南部地域の統括者であるとされる家柄であった。


 南部鎮台家は南部地域の領主に対して、軍事的動員を要請できる権限があった。また、南部防衛のために、南部領主から年貢の一部を兵糧として徴収する権限も与えられていた。


 日本の歴史で言えば、室町時代の関東管領のような存在である。それだけに、代替わりを行うたびに、イルコトミット侯爵家はリファニア王からの独立心が嵩じて南部全体を領国のように扱う所行が見られたが王家に反旗を示すようなとはなかった。


 しかし最後のイルミコット侯爵家の当主であるムブザ・デェウポウナ・リンハルトはトランテオン僭称王を押し立ててマルナガン王に抗した希代の反逆者という汚名を受けている。


 ただリファニアには”勝てば王旗が掲げられる”という”勝てば官軍、負ければ賊軍”といったのと同義の慣用句があるが、もしイルミコット侯爵ムブザ・デェウポウナ・リンハルトが勝利を得れば王位継承に疑義があった偽王マルナガンを討伐して正統なトランテオン王の王位奪回に尽くした忠臣という評価だっただろう。


イルミコット侯爵家が南部を自分の領国のように扱っていることを第五十五代リファニア王ダレンは快く思っていなかった。


 それでもダレン王は当時実質的な宰相という立場であったヤスカル伯爵イエルセンの勧めもありイルコトミット侯爵家を王家に引き寄せるために実子ワセナルが王太子として逝去してしまった爲に次期リファニア王として急遽王太子に立てた甥カオヤルにイルコトミット侯爵家から嫁を得ていた。


 ところが長寿王という異名があるダレン王の治世中に再び王太子カイヤルが嫡男バルガネンを残して逝去してしまう。


 そうなるとイルコトミット侯爵の血筋を引いたバルガネンが次期のリファニア王になる。

 しかしそれは王の外戚としてイルコトミット侯爵の勢力を中央政界までにも引き込むことにしかならない。


 ダレン王の孫に亡き王太子であった自分の嫡男ワセナルの子であるゲルグレット、マニーシャリネという姉妹がいた。


 このうち妹のマニーシャリネは王族のベルバラントと結婚していたが、まだ独身であった姉のゲルグレットを王太子バルガネンの妃としてイルミコット侯爵の勢力が幾分でも中央政界に及ばないようにした。


 このゲルグレットとマニーシャリネの姉妹は仲が悪かったと複数の同時代の記録に残っている。

 その爲に二人は嫁いでから相手の婚家より自分の婚家を盛り立てることで張り合ったとされる。


 彼女達が生きていた時代から数十年後に書かれた”白狼伝”というイルミコット侯爵家の歴史を物語風にした疑似歴史書に次の様な話が出てくる。


 二人の姉妹がまだ十代前半だった頃に、占いがよく当たるという”流れ巫女”を夏の別宅で過ごしていた彼女達の両親が余興がてらに招いたことがあった。

 ”流れ巫女”は両親に対しては当たり障りのないような予言をした。”流れ巫女”が褒美を貰って帰ろうとすると、母親が「我が娘達の将来も占って欲しい」と言った。


 ”流れ巫女”は姉妹の前で占いの儀式をすると、しばらく黙り込んでしまった。


 不審に思った母親が「悪いことでも教えて欲しい。それがわかれば対策も出来ようJと言った。


 ”流れ巫女”は決断したかのように姉妹の前で座り込んで頭を下げ「王母様、偉大な王のご母堂となられます」と言った。

 母親が「どちらが」と問うと、”流れ巫女”は「どちらがと申せません。光が強ければ陰は深くなりましょう。才覚次第でございます」と返事した。



挿絵(By みてみん)




 リファニアは男尊女卑の世界であるが、男性の王という立場でも敬意を払わなければならない存在がある。

 それは先王と前王妃、そしてそれは大概は自分の母である。自分の子が即位すると女性は国母という称号を贈られる。


 例え王であっても公式の場では国母に一歩譲らなければならない。


 リファニア王が王宮に置いて公式な謁見や国内外の使節を迎える場合は王座の向かって左奥にやや高くなった場所がありそこに国母の席がある。

現在では実際に国母がそのような場所に出てくることはないが、それでも王座の向かって左のやや高くなった場所に国母の椅子だけは置かれている。


 リファニアにおいては女王でも国母には上座を譲るので、リファニア女性としてリファニアの頂点にあるのは国母ということになる。


 ”流れ巫女”がゲルグレット、マニーシャリネの姉妹のいずれかが王母になるという予言を得ても、それを口にするのは畏れ多いことであるので彼女は沈黙したのだ。


 そして姉妹は”流れ巫女”がおそらく苦し紛れに言った「才覚次第」という言葉に捕らわれてそれぞれが自分の子を王位につけるために奔走したと”白狼伝”には書かれている。


 ”白狼伝”はイルミコット子爵家の縁戚に当たる聖職者が著者であり、最後の当主ムブザ・デェウポウナ・リンハルトをして反逆者という表現を使っているがリファニア王の忠実な藩屏として歴代の当主を顕彰し、またイルミコット侯爵ムブザ・デェウポウナ・リンハルトも情勢から心ならずも叛逆ととられても致し方ない行動を取らざるを得なかったというような記述になっている。


 そうした構成の中でゲルグレット、マニーシャリネの姉妹対立を殊更取り上げて、イルミコット侯爵ムブザ・デェウポウナ・リンハルトはこれに巻き込まれたというような記述になっている。


 ただ姉のゲルグレットは我が子ベルンハルトを王位に就けるために積極的に関わり、またベルンハルトに対しても事細かに指示をしていた。

 それに対して妹のマニーシャリネは表に出ることなく息子のマルナガン王に「困った時には力になりましょう」とだけ言うのが常だった。



挿絵(By みてみん)




 さて自身の長寿の爲に在位中に二人の王太子に先立たれたダレン王は晩年に三人目の王太子のバルガネンにも先立たれる。


 成人になっていたバルガネルは王太子として正式に立太子されており、次期リファニア王とされていた。

 そして当時、まだまとまった王領があったリファニア南部のアシアート州の太守を務めていた。


 これは当時の王位継承者はアシアート州が領地とされてその経営を行うことでリファニア王としての資質を磨くという習慣があったためである。

 ただそれは形式的なことが過半で王太子は普段は王都に住んで、一年のうち二・三ヵ月ほどアシアート州に視察に赴くというのが常態だった。


 ところがバルガネンはそれと真逆でアシアート州で一年の過半を過ごした。


 これは内向的な性格であったバルガネンが王太子として王都で窮屈な生活を送ることを嫌ったことによる。


 問題は王都なら人目を考慮して幾ら主家の外孫だとしてもイルミコット侯爵家の者が頻繁にバルガネンを訪問することはなかっただろうが、アシアート州の王太子の屋敷には常にイルミコット侯爵家の血縁者や家臣が出入りしていたことである。


 特に王太子バルガネンの母親である先代イルミコット侯爵の長女パヴァレントを通じてイルミコット侯爵家の息のかかった複数の人間が王太子の家臣として召し抱えられいたことである。


 現在の王家ではたとえリファニア王であっても個人で直接家臣を召し抱える事は出来ない。

 新家臣の仕官はリファニア王に直結した独立性の高い人事処だけが窓口であり、人物の考察、採用の可否を決定している。


 また一旦仕官が叶っても一年はいわゆる試用期間であり、配属された部署の所属長さが最終的な仕官を決定する。

リファニアは中世世界だが少なくとも王家に関してはリファニア王であっても情実や気まぐれによる人物登用は出来ず、法令に基づいた人事が行われている。


 情実が絡むのは同じような能力ならば他者に押しが利く名家の者を選ぶという程度である。

 王家でも独自に人を得られるのは内廷費から給与を出費する王族付きの執事、奥女中、女中頭以下の雇員、馬丁、下男、女中などの使用人だけである。


 しかし三百年前はリファニア王だけでなく王族が自ら俸禄を負担するならば王家直参と同様の身分で家臣を別個に得ることが容認されていた。

 

 王太子バルガネンがアシアート州の王太子舘で召し抱えた家臣の俸禄をイルミコット侯爵家が肩代わりしたこともあり、その人数は数十人に及んだとされる。


 人数が正確にわからないのはバルガネンの子トランテオン僭称王が反逆者の汚名を着て没落したために、その家臣であったことを隠匿するために元家臣により家臣名簿や記録が破棄されたことによる。

 

 さてバルガネルの死去によりその嫡男トランテオンが王太子として立つ仮儀式が行われた。


 リファニア王として正式に即位するためには即位後一年以内に王都の近傍にある古刹こさつフェラスベム神殿で即位式をする必要があるが、王太子もフェラスベム神殿で立太子の儀式を行うことで正式な王太子となる。


 ところがこの立太子の儀式を行う前にダレン王が逝去した。


 そしてダレン王はマニーシャリネの息子で王族のマルナガンに王位を譲るという遺言だけを残した。

 この遺言はダレン王が口頭で伝えた内容を文章にしたものにリファニア王のサインがあった。


 マルナガンは第五十三代リファニア王バナバミルの五世孫で王族としては一番末端である。


 その父ベルバラントは目立たないようにしていたが、王族の中では一番聡明であり可愛がっていた孫娘のマニーシャリネを妻としていたことからダレン王は個人的な相談役として頼っていた。


 そして息子のマルナガンも聡明でお飾りではなく文官として若いながらも名を成していた。

マルナガンは幼い頃から王宮に出入りしておりダレン王はマニーシャリネの子ということもありやはり可愛がっていた。


 またダレン王の妃アステリアはヤスカル伯爵家の前当主の妹である。さらに孫の婿ベルンハルトの母親はその前当主の次女である。


 ヤスカル伯爵家の当主はダレン王の下で間を置きながらではあるが三代に渡り実質的な宰相を務めていた。


 そしてベルンハルトとマニーシャリネの息子マルナガンの妻は現ヤスカル伯爵当主の長女マルグレトである。


 三代に渡りヤスカル伯爵家は王族に多くの女性を嫁がせており、ダレン王は個人的に先代。そして現在のヤスカル伯爵家当主と親しいことから確実にマルナガンに身内の情があった。


 そしてマルナガンが長じるに及んでバルガネンに万が一のことがあれば聡明でイルミコット侯爵家の血筋が入っていないマルナガンに王位を継がせたいと考えるようになったことは同時代の複数の証言や私的な手紙から確かなことである。


 バルガネンの子トランテオンとは数回しか会ったことはなく、ダレン王はマルナガンのような愛着をトランテオンに持っていなかった。


 ただダレン王が本気でマルナガンを王太子にしようと考え出した時は皮肉な事にその工作を行う時間がダレン王には残されていなかった。


 ダレン王は三十二歳でリファニア王に即位して、在位五十九年目の二月十日に満九十二歳で崩御した。



挿絵(By みてみん)




 死因はまず老衰で間違いないとされている。前年の秋から急激に体力が衰えだして、年が明けると寝たきりの状態になった。

 ただ崩御の数時間前に一時的に意識が明瞭なり、親しい者達と言葉を交わしてこの時に件の遺言書に署名したとされる。


 ダレン王の臨終に立ち会った者は、マルナガンの母で王の孫娘マニーシャリ、そして、その夫のベルバラント、マルナガンの岳父にあたる宰相ヤスカル伯爵以下、三名の貴族にしか過ぎず最初から疑惑の目で見られていた。


 ただダレン王の遺言が偽造されたものならば、形式をより整えて後々の展開を容易にするはずである。

 外せないのはすでに仮とはいえ王太子になっている故王太子バルガネンの嫡男トランテオンの王太子廃位をダレン王が命じたという一文である。


 それがないことから当代の歴史家の多くはマルナガン王の血統である現在の王家に忖度することもあるが、遺言はダレン王の口頭による遺言を正確に伝えている可能性の方が高いと判断している。


 さらに未来のリファニアでは王室に密かに保存されていたダレン王の遺言書のサインに関する科学的な筆跡鑑定が密かに行われた。


 また本文の記述は三人いたダレン王の祐筆の中で当時私的な手紙を担当していた者の筆跡であることも判明した。

 祐筆は出来るだけ自分の特徴を消して定型的な文字を書くが、この遺言書はかなり崩れた字体で短時間で書かれた口述筆記だったことがうかがえた。


 このことから遺言賞はまだ通常の意志疎通が可能だった時の前の晩秋までに作成されたが、衰弱したダレン王はトランテオンの王太子廃位までは気が回らなかったので不完全な遺言になったと推測されている。


 そして死の直前にダレン王がそれをマルナガン王の父ベルバラントらに渡したとみるのが自然とみられている。


 遺言書の著名が真筆である可能性が極めて高いと判定されたことで、数百年を経てマルナガン王の即位がダレン王の意志であり、マルナガン王は正統な後継者であったことが公表されるが、これは神々ではない祐司とパーヴォットの知るところではない。



 しかし当時はここからリファニア全土の領主、貴族を巻き込んだ継承問題が起こる。問題は亡くなったバルガネンの王太子廃嫡が行われていなかったことである。


 王太子が亡くなるとその嫡子が王太子となるというのが慣例であり、嫡子を王太子としないのであれば亡くなった王太子を廃嫡したという王命が必要である。

 この廃嫡の王命は出ずに前述したように略式ながらバルガネンの子であるトランテオンは王太子としての内々の儀式はすんでいた。


 実質的な宰相であるヤスカル伯爵家は代々地方に定住した貴族の王都への帰還を策定しており、かつてのように、リファニア王が期限を区切って貴族を太守に任命する形にもどそうとしていた。


 大領主の頭目格であるイルミコット侯爵の影響下にあるバルガネンやその嫡男トランテオンがリファニア王になればその構想を実現させることは難しい。


 ヤスカル伯爵はその想いの道半ばでこの世を去ったので正確な真意は不明だが、恐らく地方の大貴族領主家を掣肘して、国土の過半をかつてそうであったようにリファニア王家の直轄地にすることを企図していたのは間違いない。


 そしてヤスカル伯爵家はその強大な力を回復したリファニア王家を中心にした政治体制の中でヤスカル伯爵家を世襲の宰相家として存続させようとしたのだろうと思われる。


 当時ヤスカル伯爵家は三代に渡り王家との婚姻関係を深めており、リファニアの神話的な人物であるリファニア初代ホーコン王以下三代に渡る宰相を務めて、王の代理人とも言われる執政になりリファニア王に変わりリファニアの政治を牛耳ったというザマフェーデル侯爵に比肩される立場に立ちたいというヤスカル伯爵自身の野望があったのも確かである。


 ただヤスカル伯爵は聡明でそれなりに自重という言葉を知っている人物であるから、恐らく宰相という初号をヤスカル伯爵家が手放さなくとも当代の当主に能力がなければ宰相代をリファニア王が任命する体制を考えていたようである。


 さて半ば強引にマルナガン王が即位したことで、リファニア貴族はマルナガン王を支持するグループ、前王太子バルガネンの嫡男トランテオンが正統なリファニア王であるとするグループ、そして日和見の三つに分裂した。


 王都とリファニアの畿内であるホルメニアを地盤にする宮廷貴族は、マルナガンを支持し、トランテオンの母方である、当時、地方貴族第一のイルコミット侯爵を中心とした地方貴族、特に南部の貴族家はトランテオンを支持した。


 マルナガンをリファニア王として中央集権を進めようとする王都の貴族は王権派、反対に、トランテオンを支持する地方貴族は、領主としての権限強化を画策していたので領主権派と呼ばれる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ