サヴォンリンナ神殿への道行き31 南国街道とシャクナゲ
七月八日、祐司とパーヴォットはオデライト州ネルナンを旅立った。
ネルナン支店の前では支店長エラファ・ボンデラルド、そしてその妻と娘マニュベ・オレリアが見送ってくれた。
祐司がボンデラルドと話をして、彼が連れて来た三人の女性と関係した日は、パーヴォットはオレリアに誘いでネルナンの背後にあるオルネル山と呼ばれる大きな丘陵に馬車を、使って昼食用の弁当持参で行き、そこからネルナンの眺望を見た。
そして夜は支店長ボンデラルドの自宅でパーヴォットとオレリアは夜が更けるまで歓談した。
パーヴォットは同年配の同性と何度か親しくなったが、商家のお嬢様という立場の人間と親しく話をするのは始めてであり互いに知らない話に興味が尽きなかったのだ。
この話をパーヴォットは翌日に蕩々と祐司に話したが、パーヴォットは祐司がその間に何をしていたのかを訊くことはなかった。
ただ祐司はその出来事を墓に持って行ったワケではなくパーヴォットに話すことになるがそれはまだ先の話である。
ネルナンは半島にある街でその半島の根元に城壁がある。これは王都と同じ構造である。
ただし王都の城壁は急斜面の盛り土の上に平均の高さが九尋(約17メートル)、厚みが四~五間(約7.2~9メートル)で延長四リーグ半(約8キロ)にわたり築かれているのに対して、ネルナンの城壁は高さは精々四尋半(約8メートル)、厚みもそれに比例して薄く二間(約3.6メートル)で総延長はようやく一リーグ(約1.8キロ)ほどである。
これは千年以上の歳月をかけて増築改修され続けた王都の城壁が、適切な兵力を配備した城壁に対する現在のリファニアの攻城技術からすればオーバースペックであることと、王命がリファニア全土に行き届かないとはいえ王家が掌握するリファニアの畿内といえるホルメニアの経済力の賜である。
ネルナンの城壁は王都の城壁を見慣れた祐司とパーヴォットからすれば、幾多の地方都市で見てきたささやかな城壁ではあるが万余の軍勢にも対抗することが出来る城壁である。
ネルナンは領主エスケリネン子爵家の統治地域であるが、自治が認められた特許都市であり市政はネルナン市参事会によって治安面も含めて統括されており、エスケリネン子爵家は市参事会法務処の審判に不服がある場合の裁判権があるだけで限りなく領主から独立した自治都市に近い。
祐司とパーヴォットは市門で通過の手続きをしたが、リファニアの都市は入市するさいは目的を問われて荷をあらためられて入市の税を徴収されるが出るときは大概は信者証明を確認される程度である。
パーヴォットは祐司と陸路を旅する時は少年従者とい建前で男装をしていたが流石に男と偽るのは無理になってきていた。
そこで祐司はパーヴォットを説得して、膝下まである長めの女性用ワンピースにスラックスという姿で女性ということを隠すことのない旅装にした。
そうした旅装は山歩きが続く”マルタン十霊山巡り”や北極海に面したワウナキト神殿の周辺を散策して時にしていた服装と同じであったので、パーヴォットも強く抵抗はしなかった。
(第二十章 マツユキソウの溢れる小径 マルタンの春7 霊峰巡り 一 -①ヘルデ山- 参照)
(第二十一章 極北紀行 極北水道復路9 イデンニクル別院 付録:神殿組織その他 参照)
市門を出ると耕作地が広がっていた。七月ともなると春小麦の穂が大きくなっているのが目に付いた。
「ここは小麦ばかりですね。道理でネルナデは小麦パンだけだったのですね」
パーヴォットが少しばかり感心したように言った。
パーヴォットの故郷北クルトは冷涼な地域であるので、小麦は余程条件のいい場所でしか栽培されない。
「やはり南部は温暖だということだな。小麦の方が大麦やライ麦と比べて二・三割は収量がいいから小麦が栽培出来るなら小麦を選ぶだろう」
祐司がパーヴォットの発言に反応するように言った。
リファニアの中部が小麦の栽培北限に近いので、僅かな気候の差が小麦の収穫量に大きな差を出すので小麦が栽培出来ても大麦やライ麦を必ず並行して栽培することが一般的である。
ただリファニア西岸南部はリファニア全土で最も安定して温暖な地域であるので、小麦を主体としても安定した収量が見込めるのだろうと祐司は思った。
さらに南部に行くとさらに温暖になるかといえばそうではなく、リファニア西岸を下がれる暖流の影響が減少して、反対にリファニア東岸の貫流の影響を受け始まるのでやや冷涼になる。
早緑の小麦畑を左右に見ながら一リーグ(約1.8キロ)ほど歩くと”南国街道”に出会った。
ネルナンから”南国街道”に至る道のある部分は小麦畑の広がる平野だったが、”南国街道”の向こう側は丘陵となっていた。
”南国街道”はその丘陵に沿うように続いていた。
「あの作物はなんですか」
パーヴォットは丘陵の直下の緩斜面になった場所にあるトウモロコシ畑を指差して言った。
「あれはトウモロコシ畑がもう穂がでて実をつけている」
「えー、トウモロコシってあんなふうになるんだ。ぶら下がってなるんだと思ってました。突き立つようになるんですね」
初めて畑で栽培中のトウモロコシを見たパーヴォットが感心したように言った。
ネルナンからの道を”南国街道”が交わるT字路には、一抱えほどの自然石が置かれて多少表面を平滑に削った部分に”ネルナンへ”と刻まれているだけである。
これは祐司とパーヴォットが去年走破した王都から北に延びる”北国街道”なら、マイルストーンが置かれて王都まで〇〇リーグと刻まれていただろう。
リファニア王国の全盛期である七百年前のバシパルニア女王の時代にリファニアの主要街道にはマイルストーンが置かれて王都までの距離が刻まれていた。
ところが四百年前ほどからリファニア東南部を占拠して住み着きだしたヘロタイニア人勢力が侵攻してきた場合に地理的な情報を与えないという理由で、ヘロタイニア人の侵入経路とはならない”北国街道”以外のマイルストーンは全て撤去されて付近の神殿に再び有用なモノとして復活するまで保管されている。
ヘロタイニア人が本格的にリファニア南東部に地歩を築いて独自に勢力を拡大し始めたのは五百数十年ほど前で、その脅威が最も高かったのは四百年前から三百年前の百年間で東南部以外にも南部地域も侵食されていた。
ただそのような時もヘロタイニアの軍勢が一時的に侵入したことはあってもオデライト州の一部でもヘロタイニア人に奪われたことはない。
それでも南部の都市は万が一のヘロタイニア人の侵攻に備えてこの時代に城壁を強化した。
祐司とパーヴォットが見たネルナンの城壁もその時代に建造されたものである。
「”南国街道”ってどんな街道かと思っていましたが、しっかりした街道ですね」
”南国街道”を歩み出したパーヴォットが言った。
「リファニアで最初に整備された街道だからな」
祐司も思っていた以上によい道だと感じながら言った。
リファニアで意図的に道というものが造られ出したのは、第五代リファニア王リブラレルの時代からだとされている。
それまでの道は人の行き来でできた”踏み分け道”にすぎなかった。それをルートを定めて人の手を加えた道として最初に造られたのが”南国街道”である。
リブラレル王は現王都であるタチに遷都したおりに、その当時人口が多かった南部との連絡交通を重視して王都から南部ケダララ州に至る道を整備させたが、これが”南国街道”の始まりである。
その後、延伸やルートの変更などがあったが現在の最南部のルノカック州カヤルに至る”南国街道”がほぼ完成したのは第九代リファニア王ファスの治世である。
祐司とパーヴォットが去年歩いた王都から北に伸びる”北国街道”は、ほぼ沿岸に沿っている。
現在ではやや内陸部を通過する場所もあるが、そのような場所でも沿岸にを脇街道が並行しておりこれが本来の”北国街道”である。
”北国街道”が沿岸に沿っているのは、軍事道路として整備されてきた歴史的背景がある。
”北国街道”の整備は第九代リファニア王ファスの時代に始まったが、その目的は往時まだまつろわなかった北部のイス人勢力討伐の為に軍勢を容易に移動させることだった。
そして海路を利用してその軍勢への兵糧の補給を行い易くする為に”北国街道”は沿岸にそって整備が進んだ。
これに対して”南国街道”は経済的な理由でルートが選定されており、当時の人口集中地域を結んである。
その為にオデライト州ネルナンまでは沿岸に近い場所を通過するが、そこからは内陸部に大きく入り込んで行く。
祐司とパーヴォットが”南国街道”を歩き出すと前後の視界には複数の通行人や荷馬車が見えており数分を経ずして対向してくる者達とすれ違うので、物資の集積する港町ネルナン近郊とはいいながらかなりの通行量があることがわかった。
道幅は三間(約5.4メートル)ほどで、荷馬車が楽にすれ違えた。そして道は舗装されてはいないが千年以上の重みからか踏み固められており雨天でもすぐに泥濘になるようなことはなさそうだった。
そして道の中央には荷馬車の車輪幅に合わせたように二条の平石がレールのように並べられており車輪で轍ができないようにしてあった。
しかしその平石の中央部が凹んでいることから、年に万を遙かに越える荷馬車が通過することがわかった。
祐司とパーヴォットが”南国街道”を一リーグ(約1.8キロ)程進むと左に向かう分岐路に行き当たった。
”南国街道”との分岐路には腰の高さほどの石碑が置かれており、”南国街道、南国浜街道の分岐”と刻まれていた。
時代を経て”南国街道”が完成して当時と比べて沿岸部の人口が増えたので”南国浜街道”が整備された。
”南国浜街道”は”南国街道”の脇街道という位置づけではあるが、分岐点付近の”南国浜街道”は”南国街道”と遜色のない道だった。
”南国浜街道”は目的地であるカルノカック州のヤルヴェン神殿へは最短コースとなる。しかし祐司は一願巡礼という看板があるので、”南国街道”の進路にある十七年に一度の大祭が行われるサヴォンリンナ神殿に立ち寄る必要があった。
また祐司の行程を指示してくれたサンデクト神殿のナルレント神官長は「南部沿岸の行程よりも一旦内陸に入り遠回りという感じがしますが実は実距離にそう大きな差が無いうえにケダダラ州経由の街道の方が整備されており道行きがはかどります」と言っていった。
”南国浜街道”への分岐点を過ぎると、”南国街道”は緩やかな登りになってきた。そして街道の両側は耕作地から放牧地、そして森林へとかわっていった。
ただ森林地帯に入るとそれまで日差しが遮るモノがない状態で歩いていたよりも道行きは心地よくなった。
現代日本で北海道や高原地帯以外で七月の前半に晴天の野外で半刻(一時間)も歩けば汗まみれになるだろうが、南部とはいえ冷涼なリファニアでは、祐司は腕まくりをして軽く額に汗が出る程度である。
気温はおそらく二十度代の前半で湿度もかなり低く、常に海側から心地よい風が吹いていた。
「ずっとこんな道だといいですね」
パーヴォットは軽く汗をかいているのか左手で額にかかった前髪をかきあげながら言った。
「ネルナンに近い場所は整備がされているだろうが、この先はどうだろうか」
何となくパーヴォットの仕草が妙に色っぽくなったと見惚れていた祐司はすこし間をずらして懐疑的に返した
祐司はリファニア各地を旅したことでその道の劣悪さを知っている。
ただリファニアの道が劣悪なのは気候上やむを得ない理由もある。リファニアは高緯度地帯で冬季は降雪があるが一部の山岳地帯を除いては豪雪地帯ではない。
多雪と言われる地域でも降雪量は三ピス(約90センチ)ほどで、多くの地域では根雪の深さは一ピス(約30センチ)ほどであるが地面はそれ以上の深さまで凍り付く。
それが融雪期になると凍った地面も融解して泥濘となる。こうして攪乱された表土は今度は降雨によっても容易に泥濘状態になる。
こうした状態はロシアやウクライナで見られる泥濘期すなわちラスプティツァ(распу́тица)と同じ現象である。
リファニアの街道を維持することは冬季でも地面が深く凍結しない温暖な地域と比べると遙かに困難なのだ。
この状況を解決するのは一度街道を深く掘り下げて、砕石を投入して表土付近が凍結することを防ぎながら水はけを良くした上で砂で覆いをしてから石畳を敷いていくしかない。
こうした技術はリファニアにも存在する。路地裏までは手が回っていないが王都などの経済力のある都市部の道は基本的にこのような造りになっている。
また王都付近のチェコト街道などリファニアの畿内であるホルメニアの重要街道もかなりの部分がこのような構造になっている。
このような工事を全土の主要街道に施すには現在の地方分権体制では難しい。
これは経済的な問題もあるが全土を結ぶ合理的なルートの街道整備は強力な中央政府の仕事である。
日本でも高速道に代表される幹線道路や鉄道網は国家の主導によっている。これを地方自治体だけに任せると各自治体が自分の利ばかり追い求めて支離滅裂なルートになってしまう。
さらにリファニアの中小領主の意識では街道を整備せずに、特定の期間だけでも軍勢の侵入が困難な状態にする。
日本でも地方分権体制ながら強力な幕府の威名が全土に及んだ江戸時代になって”五街道”をはじめとした街道整備が進んでいる。
「今日の宿泊地はメルゼム村ですよね。どんな所か聞いていますか」
パーヴォットが思いついたように訊いた。
「特には聞いてない。何も注意されなかったから普通の村だろう」
祐司はそう言ってから少しばかり素っ気ない言い方だったかなと後悔した。
今日は船を下りて徒歩での旅の初日ということで、ネルナンから八リーグ(約14キロ)の距離にある。
これは東京駅から中央本線沿いに歩くと中野駅に到着するほどの距離である。
一日に平気で十五リーグ(約27キロ)ほどは歩く祐司とパーヴォットからすればかなり控えめな距離である。
これは祐司とパーヴォットの体力回復という意味合いでは無く、長く船に乗っていた馬とラバの状態をおもんばかってのことである。
その開豁地に面した街道には二台の荷馬車とその持ち主らしい行商人と思える姿の男が三人、それに数人の巡礼姿の旅人が立ち止まっていた。
祐司とパーヴォットが何事かと思いながらその場所にさしかかると、街道脇にシャクナゲの群生があり見事な紅紫色といえる色合いの花を今を盛りと咲かしていた。
「あんた達は巡礼かい」
シャクナゲの花を見るために立ち止まった祐司とパーヴォットに行商人らしい男が祝ナゲの見物かと声をかけてきた。二人がそれを肯定すると男は自慢げに言った。
「なかなか見事だろう。街道に沿って十五間(約27メートル)、奥行きが十間(約18メートル)だ。このシャクナゲが凄いのは一本の株だということだ」
「これって群生ではなくて一本の株ですか」
パーヴォットが驚いた。
「もう何百年も前からあるんだ。話ではスバックハウ王が”モカレルの戦い”で負けて逃げ帰る時にこのシャクナゲの下に潜んで追っ手をやり過ごしたということだ。
”アッシヤの森のシャクナゲ”ってこの近在じゃ有名だよ。盛りの季節になるとわざわ見に来る者も多い」
男が言ったスバックハウ王は千年前の王で、叛乱軍に南部の”モカレルの戦い”で敗れて、僅かの家臣と追っ手を避けながら最愛の王妃カリニカが待つ王都を目指して逃避行をしたのは歴史的事実である。
(第九章 ミウス神に抱かれし王都タチ 北風と灰色雲11 十二所参り 五 スバックハウ王と王妃カリニカ ② 参照)
しかし幾ら巨大な姿のシャクナゲといえども千年前からあったというのは少々考えずらいが、祐司はあえて「そうなんだ」と頷いた。
「見るのはいいが、花や枝は折らないようにな。”アッシヤの森”の精霊が大切に育てているんだ」
男は今度は真剣な声で言った。
リファニアでは自然林は精霊の住処であり、精霊は自分の住処に手を出されると必ず報復するが、適切な利用であれば人に恩恵を分け与えてくれると信じられている。
この素朴な信仰によって無定型な森林の伐採が抑制され、古木が人々によって守られてきた。




