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千年巫女の代理人  作者: 夕暮パセリ
第二十二章 シャクナゲ舞う南部紀行
1191/1207

サヴォンリンナ神殿への道行き29 港町ネルナン 付録:ヘルコ船舶商会

 オラヴィ王十年七月六日三刻半(午前九時)にソフィアネッテ号は最初の目的地であるオデラナト州ネルナンの埠頭に到着した。

 オデライト州は十州からなる南部州の中で最も豊かな州とされており、人口も三十万人を超える大州である。


 元は過半が中央政界で大きな権勢を振るったイルコミット伯爵家の封土であったが、三百年前に即位した第五十六代リファニア王であるマルナガン王に対してイルミコット伯爵はトランテオン僭称王を押し立てた。

 結果としてイルミコット伯爵は討ち死にして”白狼の乱”と名付けられた二王の争いで、イルミコット伯爵家は滅亡した。

(第七章 ベムリーナ山地、残照の中の道行き ベムリーナ山地の秋霖3  史実グラニダニの戦い 上 参照)


 そしてマルナガン王を早くから支持していた貴族家にイルミコット伯爵家領は細分して与えらられた。

 現在はその貴族家領が本家から独立した家を含めて十家あり、オデライト州を分割統治している。


 その中でネルナンを統治するのは王都タチのあるリファニアの畿内ともいうべきホルメニアにも領地を持っていたことから王都貴族として遇されるエスケリネン子爵家である。


 ただオラヴィ王八年の政変で王都貴族は形式的に領地を王家に奉還して、現在は世襲代官として統治を継続しているのでネルナンを含むエスケリネン子爵領は形の上では王領である。 


 リファニア王の威名が全土に轟かなくなって久しいが、エスケリネン子爵や祐司とパーヴォットとの縁が出来たバーリフェルト男爵家のようにホルメニア以外に領地を持つ王都貴族は多いのでオラヴィ王八年に突如としてリファニア各地に形式的とはいえ王領が出現した。


 そうした地方の王領といえども手を出すことはもちろん軍勢の通過を強行することは王家への敵対行為となることから地方貴族間の力関係にも影響がある。

 王領を犯すことは無論リファニア王による討伐命令の受けることになり、周辺の貴族領主家が大義名分が出来たとして連合して攻め込んでくる恐れがあった。


 すなわち点在する邪魔になり王領が「今年は少しばかり領地拡大の為に戦争をするか」といったことをやりにくくしていた。


 

 さてネルナンはオデライト州では二番目に大きな年でリファニアネ南西岸に面して海路で運ばれる南部の物資の集散地である。



挿絵(By みてみん)




 祐司とパーヴォットがインディフォンド船長以下の船員達に礼と別れを告げてソフィアネッテ号を下船した。

 祐司の馬とラバは荷役終了後にネルナンのヘルコ船舶商会支店に連れて行くとルドヴィグ航海士見習が言うので祐司とパーヴォットは一足先に下船して支店に向かうことにしたのだ。


 埠頭にはヘルコ船舶商会のネルナン支店長はじめ支店の主だった者達が出迎えに来ていた。 


「ジャギール・ユウジ殿ですな。わたしはヘルコ船舶商会支店長のエラファ・ボンデラルドです」


 足首まである長衣を纏った五十年配と思える男が祐司に近づいてきて会釈をした。



挿絵(By みてみん)




「あのう、わざわざ出迎えに来ていただいたのですか」


「ジャギール・ユウジ殿がネルナンに来るという連絡は受けておりました。

 ただヘルコ船舶商会の船が入港した時は、その時に手が離せない仕事をしていない時は埠頭に出向きますのでわざわざということもありませんのでお気遣いなく」


 支店長のボンデラルドは恐縮する祐司に支店長ながら大店の主人のような雰囲気を醸し出して言った。


「ソフィアネッテの出港は今日の六刻(午後二時)です。今日は午前中に荷の積み替えの為の荷役をすまさねばなりませんが、まずジャギール・ユウジ殿の馬とラバを降ろしましょう」


 ボンデラルドはそう言ってから荷役監督の爲に下船してきたルドヴィグ航海士見習に「今日は多めに荷役を手配しました」と言ってからまず祐司の馬とラバを降ろすように指示した。


 カラシャでソフィアネッテ号は出港の前日に船員が塩漬けニシンの樽を積み込む作業したが、それは急なことで荷役の手配が間に合わなかったのと比較的荷が少なかったので手当を出して船員を動員したからだ。


 通常は積む荷の荷下ろしは順序と場所を指示する以外の仕事は荷役が行う。


 ただ馬は船のデリックを使用して船に積み込み又降ろすことと、その船の構造などから少しばかりコツの必要な作業になるので船員が行う。


 ルドヴィグ航海士見習の指示で祐司の馬二棟とラバ一頭はすぐに埠頭に降ろされた。


「馬とラバはこちらの手で支店の厩舎に運びます。お二人は馬車で支店までご案内いたします。今日は支店の来賓室でお泊まり下さい」


ボンデラルドはそう言って埠頭の根元にある馬車を指差した。


 こうして祐司とパーヴォットはボンデラルドと一緒に馬車に乗り込んだが、五分ほどでヘルコ船舶商会のネルナン支店に到着した。


 祐司とパーヴォットはナデルフェト州イカルイトのヘルコ船舶商会支店で宿泊したことがあった。

 ヘルコ船舶商会イカルイト支店は少し小ぶりな体育館ほどの二階建ての建物で、一階の大部分が倉庫になっておりせわしく人と荷が出入りしていた。


 そして案内してくれた船員が「在の商人以外の建物ではシスネロス商館と並んで一番大きな建物です」と言っていた。

(第二十二章 シャクナゲ舞う南部紀行 南部紀行前章9 イカルイト到着 付録:リファニアの都市労働者  上 参照)


 そのイカルイト支店と比べてネルナン支店は二回り程も大きな三階建ての建物で、倉庫は別棟で隣にあった。

*話末注あり


「立派な建物ですね。カラシャの本店より大きいですね」


 馬車から降りたパーヴォットが開口一番に言った。


「王都の支店が一番大きいです。この支店は二番目です。ネルナンはリファニア南部交易の要みたいな街ですからね」


 ボンデラルドはそう言って祐司とパーヴォットを支店に招き入れた。祐司とパーヴォットが案内されたのは二階の宿泊施設に付属した貴賓室だった。



挿絵(By みてみん)




「今日と明日は船旅のお疲れをおとりください。この紐を引くと女中の待機室の呼び鈴が鳴りますので、御用があるときは遠慮せずにご使用ください」


 ボンデラルドは壁に吊された赤い紐を指差しながら言った。 


「サヴォンリンナ神殿の大祭を参拝してからカルノカック州のヤルヴェン神殿からチャヤヌー神殿への定期船に乗る予定です。


 チャヤヌー神殿には八月上旬までには到着したいのですが、定期船は十日に一度程で特に日にちは決まっていないと聞いています。その為に早い目に出立して余裕を持って出発日の定期船に乗りたいのです。」


 ですからそうのんびりともしていられない気分なので、出来る限り早く出立したいのですが」


 祐司は明日にはネルナンを出発する算段だった。するとホンデラルドは意外な事をしゃべり出した。


「実は今月のヤルヴァン神殿からチャヤヌー神殿への定期船の出発日は、この支店で把握しております。

 実はヤルヴァン神殿の方からチャヤヌー神殿へ届ける物資、具体的には亜麻ですが。その注文が入ったのです。


 定期船は今月は十一日と二十七日を基準にして数日以内に出るでしょう。それは品物が揃えば今月の二十日、遅くとも二十六日までには亜麻を届けて欲しいというヤルヴァン神殿からの要望で類推できます。


 おわかりかと思いますがこのことは口外なされないように。


 流石に天下の武芸者で一願巡礼のジャギール・ユウジ殿でも十一日の定期船に乗るためにサヴォンリンナ神殿を経てヤルヴァン神殿までの百五十リーグ(約270キロ)を五日で走破するのは少々大変でしょう。


 ただ二十七日の定期船なら明後日出立しても二十日程ありますから、途中のサヴォンリンナ神殿の大祭で二日ほど使っても無理なく到着できます」


 このホンデラルドの説明には二つの補足が必要である。


 リファニア東南岸でヘロタイニア人勢力に囲まれて敵中に孤立しているようなチャヤヌー神殿はそれなりに自給自足はしているが、地域内で得られない物資は外部からの補給に頼っており、それを実務的に行うのはヤルヴァン神殿である。


 外部からの物資は夏季に定期船といわれるヤルヴァン神殿が運営する船で行われるが定期船といっても出港日は部外秘である。

それは王立水軍の警備、時には随伴する軍船があるといっても万が一のヘロタイニア人海賊の襲撃を防ぐためである。


 その為にホンデラルドは出港日に関することは「このことは口外なされないように」と言ったのだ。


 次に日程だがホンデラルドの言うように百五十リーグを五日で走破するには一日に三十リーグ(約54キロ)を走破する必要がある。

 これはマラソンを凌駕するほどの距離だが健脚の祐司とパーヴォットは旅で何度か一日でこのような距離を歩いたことがある。


 ただそれは道の状況がいい平坦地の場合であり毎日このような距離を歩いたことはない。よしんば祐司とパーヴォットが頑張れてとしても馬とラバが持たなくなるだろう。


 これが二十日で走破するとすれば一日が七リーグ半(約14キロ)進めばいいことになる。

 祐司とパーヴォットは平地なら一刻(二時間)で五リーグ(約9キロ)は歩くので、一日に一刻半(三時間)ほど歩けばいいことになる。


 ただ祐司は一願巡礼という建前があるので、大祭を行っているサヴォンリンナ神殿の参拝の為には一泊以上はする必要がある上に道中の神殿も巡礼する。


 またギリギリの日程でヤルヴァン神殿に到着はしたくないので、二十日ではなく十数日の日程を組むとすれば移動する日には一日で十リーグ(約18キロ)ほどという無理のない都合のいい移動距離ということになる。



「亜麻ってソフィアネッテ号が運んでいた亜麻ですか」


 パーヴォットが訊いた。


「そうです。ソフィアネッテ号が運んで来た亜麻はこれからオデラナト州の問屋に売り込む算段でしたが、数日前にヤルヴァン神殿を通じてチャヤヌー神殿から注文が入ってソフィアネッテ号が運んで来た分の三分の二は右から左へと売れました」


 こう言ったホンデラルドが発する巫術のエネルギーによる光が少しばかり揺らいでいることを祐司は見て取った。


 嘘は言ってはいないが何かを隠していると祐司は判断した。


 恐らくソフィアネッテ号が運んでいた亜麻は最初からチャヤヌー神殿の分が入っており、それをヘルコ船舶商会はソフィアネッテ号で運んだのだろうと祐司は思った。

 チャヤヌー神殿は十七世紀のドイツから来たエリーアスを祖とする一族の影響下にあることを祐司は知っていた。


 そして今年になってリファニアの”宗教組織”を陰から統括するエリーアス一族は、十九世紀アメリカ合衆国から来たサラエリザベスを祖とする一族と同盟関係になった。


 二つの一族が裏で物資面でも都合をつけ合うことは十分に考えられるが、”宗教組織”が一商会と通じていることが公になっても拙いので急にチャヤヌー神殿から注文が入ったという体裁にしたのだろうと祐司は思った。


 それをホンデラルドが知っているということは、彼がサラエリザベス一族の一員である可能性が高いとも祐司は思った。



「ヘルコ船舶商会が亜麻を販売するのですか?」


 パーヴォットは疑義を持って訊いた。


 リファニアでは王家や領主から個人ないし一つの事業体には一業種の営業認可証しか出ない。


 その為に多角経営を行うヘルコ船舶商会は基礎事業の水運をヘルコ船舶商会が行い、亜麻をはじめ農産物の生産販売はヘルコ商会、ヴァンナータ島の物流はヴァンナータ振興商会というようにヘルコ船舶商会を中心にした企業体をなしている。


 そうした事情があるのでパーヴォットがヘルコ船舶商会ネルナン支店長が亜麻の売買の話をすることに違和感を持ったのだ。


「このネルナンがあるオデライト州をはじめ南部の州は、あまりうるさいことは問わないのです。

 このヘルコ船舶商会ネルナン支店は農産物の販売をするヘルコ商会の代理店という鑑札を御領主、いや現在は代官のエスケリネン子爵スガジ・ハッテンド・メルギス様からいただいています。


 規制をして多くの人間に分散させて商売や事業をさせるより鑑札料を出すことの出来る者に積極的に複数の鑑札を出す方がいいおいう考えに変わってきているようです」


 ホンデラルドがすぐにパーヴォットに説明をしてくれた。


 祐司はリファニアは貴族領主が封土を統治する地方分権の中世世界だと判断しているが、ただ実際の中世ヨーロッパの中世世界そのままではない。

 また王家の復権が進んでいることから絶対王政が出現間近な中世末期という判断である。


 そして経済的には共同体重視のギルド的な形態から資本がある者が多角的な事業を展開する資本主義的な方向へ転換しつつあると感じていた。



 その時、扉を叩く音がして外から「バンガ・ナルドルです」と声がした。


 ホンデラルドが「入れ」というと三十年配の見るからに旅装束という姿の男が入って来て祐司とパーヴォットに一礼をした。


「サヴォンリンナ神殿までは整備された”南国街道”です。天候が悪くとも五日もあれば到着します。

 それから御宿を決める手間を省く為に今日からこの手代のナルドルを派遣して行く先々の宿屋の予約をいたします。


 この後すぐにナルドルと直接打ち合わせをして宿泊する集落を決めて下さい」


 ホンデラルドがにこやかな顔で言った。


 中世世界リファニアではネットや電話での宿泊予約など出来ないので、まずは宿泊する予定地の宿屋を巡り空き部屋があるのかを毎日自分で確認しなければならない。

 万が一に空きがなければさらに先の宿泊施設まで足を伸ばすか最悪は野宿というこおになってしまう。


 何とか宿泊場所を確保しようとすればかなり明るいうちに空き部屋がある宿屋を見つめてることを心がけて、空きがなくとも更に明るいうちに先の宿泊施設に辿り着けるるような行程を考えなければならない。


 その為に一日の予定する行程は精一杯移動出来る距離からするとかなり控えめな距離となり必然的に日程も増大する。


 ただ行く先々の宿屋がすでに確保されているとなると、一日に進むことが出来る距離が長くなり宿屋を探す時間も節約できて休息時間が確保される。


「それは有り難いですが、手代さんも仕事があるのでは?そこまでしていただくにはおよびません。却って心苦しいです」


 祐司は思ったことをそのまま口にした」


「それはお気になされずに。手代のナルドルもヤルヴァン神殿に先程言った亜麻の商用がありますからついでということです。

亜麻をネルナンからヤルヴァン神殿に運ぶ船は配船の都合で十一日後に出ますから、ナルドルには陸路で先にヤルヴァン神殿に入って正式な契約書の交換と荷がヤルヴァン神殿に到着した時点での積み替えの確認をします」


「それでも内陸のサヴォンリンナ神殿を経由してヤルヴァン神殿に向かうルートは遠回りでしょう。浜沿いの街道の方が近いのでは」


 パーヴォットがすまなそうに言った。


「精々、一日の違いです。それに内陸を通過する”南国街道”は整備されています。何よりヘルコ船舶商会のギスムンドル総帥に代わってサヴォンリンナ神殿に代参をなされるジャギール・ユウジ殿の手助けをするのは当たり前のことです。


 わたしもこうした機会がなければ七年に一度のサヴォンリンナ神殿の大祭を見ることが出来ませんでしたから、むしろ喜んでおります」


 日本では東海道をはじめ山陽道(西国街道)、北国道(京から越後)などの古来からの主要街道は海が見えるほどの海沿いに設定された場合が多い。

 しかしリファニアの主要街道は沿岸部に添っていても海が見えない内陸を通過することの方が多い。


 これはリファニアの海岸の多くが断崖であり、海沿いでありながら人が疎らにしか住んでいない為である。

 その為に浜街道と呼ばれるような街道は”本街道”より距離は短いが整備の手があまり及んでいない”脇街道”であることが多い。


 ナルドルはそうしたリファニアの常識を上書きするようなことを言った。


「では、ナルドルと打ち合わせをして下さい。終わりましたら会っていただきたい方がいます」


 そう言ってホンデラルドは一礼をして部屋を出て行った。


 祐司とパーヴォットは四半刻(三十分)ほど手代のナルドルと彼が持って来た宿泊施設がある街や集落を書き込んだ地図をもとに話し合って予約して貰う旅籠や宿泊施設のある居酒屋を決めた。 


 祐司が懸念していたのは、サヴォンリンナ神殿の大祭で神殿がある都市であるメルゼンの宿泊が困難かもしれないということだった。


 しかし祐司はカラシャを出発した時にエリーアス一族に属するワウナキト神殿のデンザ・エドヴァル神官長からサヴォンリンナ神殿の懇意な神官長宛の手紙を持たされており神殿の付属の宿泊施設を利用出来る手筈になっていた。   


 一番の難関が最初から解決されているので、ナルドルとの話ははかどった。


 結局、祐司とパーヴォットは二日後の七月八日にネルナンを出立して、出立してから四日後にサヴォンリンナ神殿のあるメルゼンに到着、さらに二日後の七月十四日にメルゼンを出立して六日後の七月二十日にヤルヴァン神殿に到着する日程を組んだ。



付録:ヘルコ船舶商会

 ヘルコ船舶商会はリファニア西岸沿岸航路を中心に活動するリファニア有数の船問屋です。

 創始者は十九世紀アメリカ合衆国からきたサラエリザベスのリファニアでの夫となったブッディ・オリベルドです。


 ブッディ・オリベルドはオーナー船長でリファニア世界に移転して救命ボートで漂流していたサラエリザベスを救助しました。

(第十三章 喉赤き燕の鳴く季節 ヴァンナータ島周遊記18 カヴァス岬の異邦人 六 加齢について 参照)


 ブッディ・オリベルドはサラエリザベスのもたらしたクロノメーターや六分儀などの精密な機器、航海年鑑と天体位置測定のハンドブック、そして彼女が乗ってた救命艇、さらにサラエリザベスの知識を研究してリファニア風の六分儀と十九世紀の知識による帆船を作りだしてかなりの資金を得ました。

(第十三章 喉赤き燕の鳴く季節 ヴァンナータ島周遊記19 カヴァス岬の異邦人 七 長寿一族 ① 参照)


 そしてブッディ・オリベルドはおよそ百年前に故郷であるヘルコ州カラシャにヘルコ船舶商会を設立しました。


 ブッディ・オリベルドがヘルコ船舶商会を運営していたのは二十八年でした。その後をブッディ・オリベルドとサラエリザベスの子であるアーサーが引き継ぎました。


 アーサーという名はサラエリザベスがアメリカ合衆国に残してきた長男と同名で、もう二度だと会えないと覚悟したアーサーを投影しながらリファニアのアーサーを育てました。


 サラエリザベスの子であるアーサーは長命族であり、ヘルコ船舶商会を三十二年にわたり運営しました。

 このアーサーはそれまで荷荷主から頼まれた荷を運ぶだけであったヘルコ船舶商会で旅客を中心にした定期船を運航させました。


 アーサーは死んだことになり、アーサーの甥のヘマンドとして三代目のヘルコ船舶商会長になります。

 ヘマンドは二十三年にわたりヘルコ船舶商会を運営して、アーサー時代に五隻の持ち船だったのを十二隻にまで増やしてヘルコ州第一の船問屋に成長させました。


 その後を継いだのが長寿族の第四世代になるギスムンドルです。現在、ギスムンドルがヘルコ船舶商会を率いだして二十七年ですが、オリベルド、アーサーがリファニアにとっての未来知識による技術的優位を背景にしました。


 それに対してギスムンドルはサラエリザベスから得た十九世紀後半のアメリカ合衆国の社会、経済の知識を利用します。


 南北戦争後の十九世紀後半のアメリカ合衆国は”金ぴか時代(Gilded Age)”と呼ばれてむきだしの資本主義が跋扈した時代です。

肯定的に捕らえればアメリカ合衆国が農業的社会から工業や都市を特徴とする社会へと大きく変貌して世界の表舞台へと躍り出た時期でもありました。


 急成長をとげたアメリカ資本主義は独占資本の形成が進み1894年には工業生産が世界一となります。


 この時期にアメリカ合衆国の経済は史上最速の成長を遂げます。


 実質賃金、富、GDP、資本形成が急速に増加します。1865年から1898年にかけて小麦の生産量は256%、トウモロコシは222%、石炭は800%、鉄道線路の総延長距離は567%に増加しました。


 二十世紀初頭までに、アメリカ合衆国のGDPと工業生産は世界をリードすることになります。


 1914年のアメリカ合衆国の国民所得は、一人当たり377ドルで、2位の英国は244ドル、ドイツは184ドル、フランスは153ドル、イタリアは108ドル、ロシアは41ドル、日本は36ドルであり如何に富んだ国へと変貌したかがわかります。


 この時代を象徴する人物は鉄鋼王アンドリュー・カーネギー、石油王ジョン・ロックフェラー、銀行家ジョン・モルガン、最初の大陸横断鉄道を完成させカリフォルニア州にスタンフォード大学を創立したリーランド・スタンフォード、南満州鉄道の日米共同経営を提案したことで日本史では必ず登場するエドワード・ヘンリー・ハリマンなどがいます。


 こうした富豪以外にも多くの人びとが高度成長と成功の夢に自身の運命を託して「アメリカンドリーム」と称される成功物語や立身出世物語がもてはやされた時代でもありました。


 そして企業合同であるトラストやコンツェルンが成立します。そして政府と大資本家が着して汚職や政治への介入が平気で行われて、独占資本の弊害があらわになってきました。


 熱心なプロテスタント信者であるサラエリザベスは当時の社会に懐疑的ではありましたが、彼の夫ベンジャミン・ブリッグスは勤勉と努力、そして投資によって海洋ミステリーの代表格になった貨物船メアリー・セレスト号の共同オーナーでサラエリザベスと子供達にそこそこの裕福な生活を保障するこの時代の成功者でした。

(第十三章 喉赤き燕の鳴く季節 ヴァンナータ島周遊記14 カヴァス岬の異邦人 二 海洋ミステリー 参照)


 ギスムンドルはサラエリザベスからの知識で多角経営とその各種事業を統括することで安定させながらヘルコ船舶商会を大きくすることにしました。

 

 本文では触れていませんが、祐司はヘルコ船舶商会についてギスムンドルに「総合商社のようですね」と不用意に言ったためにギスムンドルから総合商社とは何かと根掘り葉掘り聞かれました。


 本来ヘルコ船舶商会のような船問屋は荷主からの依頼で荷を運び対価を得ます。業績は荷主からの依頼次第で配船が間に合わない繁忙期と、遊休船が発生する閑散期を繰り返すことになります。


 そこでギスムンドルは自分で荷を作りだして一定数の水運を維持することを考えて農地開拓から農業生産、そして生産物を販売するヘルコ商会や、リファニア唯一の島嶼州で小規模領主の集合体であるために強力な統制がないあヴァンナータ島の物産を取り扱うヴァンナータ振興商会を創始しました。


 祐司によって総合商社のことを説明されたギスムンドルは未来の異世界に自分の考える形態の事業体があり成功していることを知り喜びました。



挿絵(By みてみん)




 ギスムンドルに妻のアルシャネルが現王であるオラヴィ王が即して間もなくリファニアが近い将来に再び統一王国になることを幾つかの根拠をあげて説明しました。

 ギスムンドルも思うところがあって王都の商人との繋がりを深めそこから幾つかの王と貴族や王族との知己を得ます。


 さらにサラエリザベスに次ぐ一族の重鎮であるサラエリザベスのリファニアでの長子アーサー(現代はヘマンドと名乗る)は現在では王都に住み着いています。

 アーサーは貴族や高位郷士を相手に不動産の斡旋をしてることからそのルートでもギスムンドルは情報を集めました。


 最終的には王都のお得意様への挨拶回りという名目で王都で毎年一・二ヶ月ほどギスムンドルは過ごすことにしました。

 そして伝聞情報では得られない、庶民にまで伝播している尊王攘夷の気風を肌で感じています。


 こうしてギスムンドルはヘルコ船舶商会の体制を地域間の人や物資の移動の制約がなくなり、全土が統一した法体系で統治される社会を予想して再構築しています。


 そして現在のように商人階級が強大化することを押さえかつ認可税の徴収を簡便かつ完璧にする為に個人あるいは一事業体に一業種の運営しか認めずにいることよりも、経済の発達を促すために各種の規制は緩和されるとギスムンドルは見込んでいます。


 さらにリファニア王国が一人の王の下に統一されればその集合したエネルギーは外部に向かうと予想し王領キレナイトとの関係を強化しています。


 そして統一リファニア王国が出現する前提で、王家に憶えがめでたくなるように領主ロカチコンド子爵を説得してカラシャに王立水軍基地の建設をかなりの自己資金を投入して実施しています。



挿絵(By みてみん)




 最後に現在のヘルコ船舶商会の支店網について説明します。


 ギスムンドルは前述のような社会情勢の大変化が十年以内に起こると仮定して支店網を設けており、主要な支店の支店長はサラエリザベス一族の者が就任しています。


 図でわかるようにヘルコ船舶商会の支店はリファニア西岸に南北に並んでいます。そして支店があるのは当然港湾都市でその地域の物資集団地です。


 一番南のペルテガスはリファニア最大の河川であるリヴォン川を八リーグ(約11キロ)ほど遡った位置にありますが、リヴォン川河口付近は川幅が一リーグ半(約2.7キロ)ほどもあるので大型外洋船でも問題なく遡上できます。


 このペルテガスはリヴォン川を通じてリファニア内陸部の物資が集積するので、ヘルコ船舶商会はリファニア内陸部の物資も取り扱います。


 最も重要な支店は王都支店で石造りの三階建ての建物です。


 それに次ぐのが現在祐司とパーヴォットが世話になっているネルナン支店と王領キレナイトのキレナイト総督府のあるヴェスラム支店です。


 この二つも三階建てですが大きさは王都支店と比べるとやや小ぶりです。


 この三つが大きいのはヘルコ船舶商会がヘルコ商会の代理店をしているという形を取って、実際にはヘルコ商会の仕事をしており、それなりの人手が必要だからです。


 本店はヘルコ州カラシャにありますが、実は本店は木造の二階建てで先にあげた三支店より小ぶりです。

 これはカラシャがロカンチコド子爵家傘下のエルバシティ士爵家の統治下にあるのでエルバシティ士爵家の屋敷より立派な建物にしないという配慮からです。



挿絵(By みてみん)



挿絵(By みてみん)

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