サヴォンリンナ神殿への道行き28 エルマニの決断
昼食に祐司とパーヴォットが基幹船員食堂に出向くと、首席航海士のデバラ・ブルクドと巫術師のムガベ・リストッフェルド、そして掌帆長のゲンゼ・ヴァルタルが食事をしていた。
これはメンバーが替わっても今までと同じ光景だが、一つ異なっていたのはエルマニがかいがいしくティーポットでハーブティーを三人の杯に注いでいる姿があったことだ。
「あ、ユウジ様、パーヴォット様、今、食事をお持ちいたします」
エルマニは祐司とパーヴォットに気が付くと厨房に飛ぶようなして入って行った。
「元気な娘さんですね」
祐司は食卓のベンチに座りながら言った。
「わたしも何度か彼女の働く”白鯨亭”に行ったことがありますが、あんな感じで働いていましたよ。
ああして笑顔で働いているのが好きなのでしょう。でも時々、エラファ・オヴィオのように自分に気があるんじゃないかと勘違いする奴が出てくる」
首席航海士のブルクドが落ち着いた大人の口調で言った。
「エルマニさん、可愛いですものね。羨ましいです」
パーヴォットが言う。これにブルクドが何かを言いかけたが、祐司が機先を制して口を開いた。
「パーヴォットは自己評価が低いのです」
エルマニは確かに愛らしい娘ではある。ただエルマニが学校のクラスで可愛いと思われている程度だとすれば、パーヴォットは学年、人によって学校で一番可愛い女の子と評価する程の差がある。
すぐにエルマニが盆に祐司とパーヴォットの食事を載せて戻ってきた。全ての皿を食滞の上に置くと、エルマニはあらたまった様子でパーヴォットに声をかけた。
「パーヴォット様、お願いがあります」
配膳が終わるとエルマニは一歩退いてからあらたまった口調で言った。
「何でしょう。出来る限りのことは受けたいと思ってます」
パーヴォットは笑顔で応じた。
「パーヴォット様はアルシャネル様と親しいのですよね。アルシャネル様にお手紙を書いていただきたいのです」
エルマニはそう言って頭を下げた。
「どんな内容の?」
パーヴォットが優しげに訊いた。
「パーヴォット様はわたしにヘルコ船舶商会総帥のギスムンドル様の奥様であるアルシャネル様の女中でキレナイトで合同見合いをした女の人の話をしてくれました。
わたしキレナイトに行ってお嫁になるのもいいのでは思ったのです。パーヴォット様の話ではキレナイトに花嫁になる為に希望すれば支度金が出るのですよね。
その支度金があればおっとうや弟、妹が助かります。キレナイトで良い人が選んでくれたら仕送りも出来るかもしれません。
それがなることか、また決心に足ることかを、是非、キレナイトの合同見合いをしたという女中さんの話を聞きたいのです。それをアルシャネル様に仲立ちしていただきたいのです」
(第二十二章 シャクナゲ舞う南部紀行 サヴォンリンナ神殿への道行き25 船内探索 二十一 密航者 三 付録:合同見合い 参照)
「それは構いませんが、大変な決心ですね」
パーヴォットは感心したように言った。
「おっとうは働いてますが足が悪いのです。少々蓄えはありましたが、おっかあが病気をして使い果たしました。
それで本当は一人前に働けないのをヘルコ船舶商会が長年船員として働いてくれたとして拾って貰ったのです。
ただお給金は正直そう多くはありません。なんとか家族が食べていくので精一杯です。
弟がしっかり働けるようになるまではわたしが働いて少しでも稼がないとと思ってました。
でも支度金があれば弟が一人前に稼ぐまでの繋ぎに出来ます。わたしも自分の力で新しい生き方が出来ます。
リファニアの田舎町の女が生き方を変えるなんてことは滅多に出来ないと思います。わたしは自分で決めたことで、自分の生き方を変えてみたいのです」
エルマニが発する巫術のエネルギーによる光から相当の決心であると祐司は見て取った。
「一度、キレナイトに行くと帰ってくるのは中々大変ですよ」
パーヴォットは心配げに言う。
王領キレナイトはリファニア王直轄地で住民は”王領の民”と自負している。ただしリファニア本土住民からすれば外地である。
最低でも船で十日ほどはかかり、中世段階の船舶としては群を抜いた安全性を持つリファニア船とはいえ現代日本と比べれば海難遭遇率は十倍ではきかない。
そして渡航費用もリファニアの庶民の金銭感覚では現代日本の百万円をかなり超えるほどになる。
「だからわたしキレナイトに行ったら、一緒になると決めた人とリファニアに里帰りしたい時にリファニアに帰ることが出来るほど働きたいと思ってます。それが自分の生き方を変えて、自分を試すことになるんだと思ったのです」
エルマニは迷うこと無く言った。
少々無鉄砲ではあるが十分な情報と助言を受けた上で新しいことに果敢に挑戦するというキレナイトに渡する女性の特性としては真に適していると祐司はエルマニの様子を見て思った。
「パーヴォット、アルシャネルさん宛の手紙を書いてあげなさい」
思わず祐司は口に出した。
「はい、書きます」
パーヴォットがすぐに返した。
新しい環境にすぐに馴染み前向きに生きているパーヴォットは、同じような匂いのするエルマニとは気が合うのだろうと祐司は感じた。
「よくよく自分で納得した上でお父様の許可を取ってくださいね。それが出来ればヘルコ船舶商会でキレナイト行きの世話をしていただけるようにもわたしも手紙をギスムンドル総帥宛に書きます」
「ありがとう御座います」
祐司の思わぬ言葉にエルマニは頭を大きく下げた。
「ただ貴女には軽率なところが一つある。わかっていますか」
祐司は真剣な眼差しをエルマニに向けて言った。
「はい、人の話、噂を根拠なく信じてしまうことです。それでこんな密航騒ぎを起こしてソフィアネッテ号の方々に迷惑をかけました。
カラシャではわたしが居なくなったので、おっとうや弟が心配しているに違いありません。
それから働いている”白鯨亭”にも迷惑をかけていると思います。
誰かの言うことをそのまま信じるのではなく他の人にも確かめます。また話の真偽ははっきりするまで疑うことにします」
エルマニははっきりした口調で言った。
「エルマニさんは同じ失敗をしない人間だと思います。失敗したことは忘れないでいればいいと思います」
パーヴォットがそう言ってからエルマニに笑顔を送った。
エルマニは「一般船員食堂の給仕も頼まれましたので、しばらく失礼します」と言って、一般船員食堂がある船首の方へ去った。
しばらくすると船首から歓声が聞こえてきた。
「あんな別嬪が給仕してくれることになって船員が大喜びをしているのですよ」
掌帆長のゲンゼ・ヴァルタルが言った。
「あの娘は新天地のような場所で一人で運を切り開くには一番適していると感じます。きっと幸せを掴むように思えます」
祐司が締めくくるように言った。
以下はエルマニのその後の話です。
-エルマニのキレナイト渡航-
パーヴォットに書いて貰った手紙には祐司が書いた手紙も添えられて、ヘルコ船舶商会のギスムンドル総帥とその妻アルシャネルに届けられました。
アルシャネルはエルマニを屋敷に招いて、パーヴォットからの要請通りにキレナイト帰りの自分の女中を交えて話をしました。
さらにヘルコ船舶商会で働くキレナイト航路専属という船長と事務長にも引き合わせてキレナイトの様子と心構えをエルマニに言い聞かせました。
そしてアルシャネルはエルマニの父親が承知するなら現在カラシャに駐在している王立水軍を通じて合同見合い参加の手続きをする上に、キレナイトへなヘルコ船舶商会の商船に給仕として乗船させて船賃はいらないとも言いました。
船賃は規定通り王家から出るのでその分はまるまるエルマニが受け取るか、または父親と分ければいいともアルシャネルは言ってくれました。
無論エルマニの父親のマーヌ・ハンネストは最初は反対しました。
しかしアルシャネルが直接、ハンエスト にもしエルマニがリファニアに帰りたくなったら格安でしかも後払いでヘルコ船舶商会の船に乗れるという証書を与えましょうと言いました。
慈悲の女神と慕われる街の有名人で雇用先に奥方であるアルシャネルに言われるとハンネストはエルマニの言い出したらきかない性格を知っていましたのでとうとう了承しました。
そしてハンネストは恥ずかしいのだが、船賃は弟の稼ぎが十分になるまでの繋ぎで貰いたいがエルマニが別途出る王家からの支度金はそのままエルマニが使えばいいと言いました。
この支度金に加えて”白鯨亭”で客から釣り銭を”心付け”として貰って貯めていた金を加えて、密航騒ぎがあった翌年の四月にエルマニはキレナイト総督府があるヴァスラムに渡航しました。
そしてヘルコ船舶商会のヴァスラム支店で雑用をしながら、現地の様子や立ち振る舞いについて教えて貰った後にいよいよ合同見合いに参加しました。
元々、エルマニは可愛い上に人好きのする家庭的な容姿でもあり見合いには必ず複数の男性が最初から選んでくれる要素がありました。
その上に多少は金があり、堅気の居酒屋での仕事をしており家事が一通り出来るという大きなアドバテージもありました。
こうしてエルマニは早い段階で伴侶を見つけることが出来ました。
伴侶となる男性はクトルフという三十代半ばで懸命に働いて貯めた金で立地する地名をとって”アーカム亭”と名付けた旅籠兼用の居酒屋をヴァスラムで営み始めた男性でした。
上層階級では男性は二十代前半、女性で十代後半、庶民階級で男女とも二十代半ばで初婚を迎えるのが平均的なリファニア社会で結婚当時満年齢十九歳のエルマニに対してクツルフが三十代半ばというのは珍しい組み合わせになります。
しかし独身男性がキレナイトに渡りひとかどの生活が出来て、それなりの資産を得られるとなるとそれくらいの年齢になります。
反対にいえば人柄が調査された上でその年齢で合同見合いに参加するということは、手堅い性格で資産があるということになりまたそれなりに女性を見る目が出来た男性だということになりますから女性からすれば優良物件です。
エルマニは居酒屋の”看板娘”から”若い女将”という立場に替わりましたが、矢張り愛想の良い接客と内地生まれの気っ風のいい女将がいるという評判で”アーカム亭”は繁盛しました。
そして十二年という月日はかかりましたが、エルマニは夫のクトルフと三人の子供を連れてかなり値引きして貰った上で、キレナイトに来る切っ掛けとなったヘルコ船舶商会のソフィアネッテ号に本当の乗客として乗り込んで里帰りしました。
エルマニの夫クトルフは王都の近郊にある古都アンマサリクの出身で、実家は旅籠で彼は三男だったので自分の旅籠が持ちたくてキレナイトに渡りました。
エルマニは夫の実家に挨拶をして半月ほど滞在しましたが、その間に義母に気に入られて旅籠の女将としての心構えを教えて貰えました。
またその間に王都見物もして、今度はエルマニの実家のあるカラシャに王都から船で向かいました。
幸いなことに父親のマーヌ・ハンネストはまだ健在で弟と妹も既に結婚し家庭を持っていました。
エルマニが驚いたのはカラシャの変貌でした。
すでにリファニア統一戦争は終結しており、カラシャを含むロカチコンド子爵家領はロカチコンド子爵家当主が総督を務める王領となり、父親達はエルマニと同じく自分らも王領の民だと言いました。
カラシャはヘルコ州第一の港湾としてさらに発展してエルマニが知らない埠頭が二つも建設されて城壁街にも街があふれるように広がっていました。
そしてエルマニがキレナイトに渡る時にはまだ建設中だった王立水軍基地は完成しており、街中では王立水軍の関係者らしい人々が歩き回っていました。
そしてエルマニは何となく昔の知人と話をしていると、王都なまりが広がっているように感じました。
エルマニがそれを指摘すると、知人達は異口同音に王立水軍の関係者をはじめ王都からの来る者が多く彼等と話していると何となく王都言葉に寄ってしまうのだということでした。
リファニアは日本の五倍ほどの面積がある広大な国ですが、リファニアの”言葉”は宗教組織が標準化を長年継続して行っていることから、方言と言っても関東圏内、或いは関西圏内の差程度しかありません。
それでも同じ関西弁といっても京都弁(京言葉)、大阪弁、神戸弁が関西の人間であれば明らかに異なった方言だと認識するようにリファニア人もその程度の相違で方言であると意識していますが、差が少ないので別の方言、とくに標準語化されている王都言葉を頻繁に使う場面があると日常の言葉も王都言葉になっていきます。
エルマニはこの時の里帰りを含めて生涯で四度リファニア本土に里帰りをしています。
キレナイトへ移住した人間でリファニア本土に一度でも里帰りする人間より、一度も里帰りが出来ない人間の方が何倍も多いことからするとエルマニが恵まれた生活をキレナイトで手にしたことがわかります。
これはアーカム亭を始めて五年後にアルシャネルとその母サラエリザベスがヴァスラムを訪れたさいにアーカム亭に宿泊して、気に入ったので無担保低利の融資を受けて欲しいと頼まれてアーカム亭を改装したことが切っ掛けでした。
アルシャネルは金を出すが口も多少出すとして、王都の名のある旅籠で番頭をしていた男を新装アーカム亭の番頭として送り込んできました。
番頭はリファニア本土やキレナイト各地から訪れる商用客、富裕な物見遊山の客などんび選んで貰える旅籠という基本方針を定めてアーカム亭の高級化を図りました。
また番頭はエルマニと夫クトルフに旅籠経営の基本を教え込みました。そして前段としてしっかり読み書きが出来ることと、帳簿の付けを伝授して金銭管理は人任せには絶対にしないで二人で行うことを徹底させました。
この番頭はいよいよ引退するとして三年で王都に帰りましたが、その頃にはアルシャネルに融資して貰った金額の半分以上が返済できており、さらに二年後に全額返済しました。
アーカム亭は順調に発展してエルマニの子が”アーカム亭”を継ぐ頃には、”アーカム亭”は貴族家の当主が使ってもおかしくない貴賓室を含めて四十室ほどの客室と、地域の人間が一度は宴会で利用したいという思う宴会場を備えた旅籠になっていました。
”アーカム亭”はヴァスラム第一の旅籠ではありませんがヴァスラムの住民なら場所と名を知らない者はいない高級旅籠で、エルマニが亡くなった時にはヴァスラムの市参事会はじめヴァスラムの有力者から多くの弔文が届けられました。
アーカム亭はヴァスラムの老舗旅籠としてクトルフとエルマニの子孫によって代々経営が続いています。
注:両親の表現
日本語には自分から見て父親を表現する言葉は複数あります。英語でも「father」「dad」「daddy」「papa」「pop」といった表現があります。
リファニアの”言葉”も父親を示す言葉が複数ありますが、身分社会なのでその階層で呼び方が異なります。
日本語の相当した言葉を当てはめると上の身分階層から貴族と上位郷士階級が使うのは「父君」「父上」「お父様」、郷士階級と上層平民階級では「父上」「お父様」「父さん」、上位中層階級では「父さん」「親父」、下位中層階級では「父さん」「おとっさん」「とうちゃん」「おっとう」、人口比では一番多い上位下層階級では「とうちゃん」「おっとう」「ちゃん」、下位下層階級では「ちゃん」「おとー」「とー」となります。
エルマニは父親のことをおっとうと呼んでいますので、それだけで彼女がリファニアで人口比率の半分以上を占める上位下層階級だと判断出来ます。




