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星海の灯火 〜英雄は星を救わない〜  作者: セルヴォア


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艦長の夜

オスカー・ライナーは報告書を三度読んだ。


一度目は流し読み。二度目は数字の確認。三度目は、引っかかった箇所を止まりながら。


艦長室の机には今夜の戦闘記録が積んである。被弾報告、各艦の損傷状況、弾薬消費量、燃料収支、乗員の負傷報告。これだけの紙が一晩で出る。戦闘というのはそういうものだ。


艦長室の時計は深夜の二時を示していた。


今夜の交戦で、クライセンブルクが受けた直接被弾は一発だった。艦首外装への接触で、構造損傷はない。輸送艦四隻は無傷で航路を維持した。護衛艦ライゲルとダインスレイフは軽微な損傷で翌日には回復見込みだった。


数字だけ見れば、帝国の勝ちと言える。


ただ、オスカーには引っかかりがあった。




三回目に止まったのは、航路解析班の提出報告書だった。


コルネリウス・ズール少佐の署名がある。書式は正確で、数字は揃っていた。コルネリウスはいつもそうだ。二十年近く一緒に仕事をしてきて、報告書の品質にぶれがない。


ただ、最後の一枚だけ少し違う感触があった。


「添付:参考情報。精度不足のため正式記録には含まない」という注釈が付いていた。


内容を読んだ。


共和国艦隊の行動目的についての推論だった。今夜の攻撃が情報収集を本来の目的とした陽動作戦であった可能性、右舷の情報巡航艦が戦闘記録を収集するために他の三隻が囮として機能した可能性、財閥巡察艦の事前後退と今夜の共和国の動きが連動している可能性。


証明する数値はない。根拠として使える記録もない。


推論だけが並んでいた。


オスカーは差出人の名前を確認した。


メルク少尉。入隊半年の新任分析官で、今夜が最初の実戦だったはずだ。




オスカーは立ち上がって、艦長室の窓に歩いた。


採掘帯の星雲が見えた。白と金の光が静かに漂っている。共和国艦隊の姿はもうない。戦闘の跡もない。宙域は何事もなかったように続いていた。


財閥の巡察艦が三隻、一時間早く後退していたことは、オスカーも把握していた。


今夜の動きがあった後でその事実を見ると、重なる部分がある。しかし「重なる」と「証明できる」の間には、大きな距離がある。


財閥の艦隊行動には保安協定の範囲内という説明がある。採掘帯を守るための配置変更に、事前の報告義務はない。財閥が自分たちの艦を守るために動かした、それだけのことだという説明は、反論しにくい。


それでも、一時間という数字は気になった。


オスカーは端末を取った。


「艦隊本部へ。クライセンブルクより照会。本日交戦時における財閥警備艦隊の配置変更について、経緯を確認したい」


応答は三十分後に来た。


「照会に対する回答。財閥警備艦隊の配置変更は共同保安協定の範囲内の行動であり、事前通知義務の対象外。詳細は財閥の内部管理事項のため開示対象外」


それだけだった。


オスカーは端末を置いた。


来ると思っていた回答だった。驚きはない。ただ、来ることが分かっていても、確認しないよりはいい。




椅子に戻って、添付の推論ページをもう一度読んだ。


文章の書き方が正確だった。断言している部分と、「可能性がある」と書いている部分が明確に分けてある。推論を事実として書いていない。証明できないことを証明できるように見せかけていない。


新任の分析官にしては、書き方が落ち着いていた。


今夜の戦闘中に、側面の穴を報告した時の動きも見ていた。


あの判断は速かった。根拠が薄い状態で声を上げるのは、経験のある者でも躊躇する。新任がやることではない。しかし実際に護衛艦が動いて、輸送艦が守られた。


「新人の感覚に根拠があるとは言えない」とオスカーは思った。「しかし根拠がないとも言えない」


二十年以上の現場で、似たようなことを何度か見た。


数字より先に動きを読む者がいる。それが経験から来ているのか、他の何かから来ているのかは、外からは判断できない。判断できないが、動きを読む者が現場にいることは、いないよりはるかにいい。


問題は、そういう者をどう使うかだ。


身体に制約がある者を、艦の中核に置くことを是とするかどうか。帝国軍の人事は、それを是としていない。正確に言えば、明文化した規則があるわけではないが、慣例として前線の中核には置かない。


オスカー自身も、長くそれに従ってきた。


今夜初めて、少し揺れた。


揺れた理由は感情ではなく、今夜の判断が現場で有効に機能したという事実だった。感情で判断を変えるつもりはないが、事実は事実だ。




「不滅の灯守ならどう動くか」


声に出た。


独り言だった。


不滅の灯守。国の創立以来在り続けているとされる、帝国軍のもっとも古い伝説的役職だ。一人の人間が何百年も生きているはずはないから、実際には継承されているのだろうとオスカーは思っていた。それが本当のところかどうかは知らない。


ただ、その名の下に下ろされてきた命令が、過去に幾度か戦場の流れを変えたことは記録に残っている。


記録の言葉を一つ覚えている。


「数字が見えない時でも、現場の者が見ているものを見ろ」


どの戦場で下ろされた命令だったかは覚えていないが、言葉だけが残っていた。若い頃に読んで、妙に頭に残った。


現場の者が見ているもの。


今夜、メルク少尉が見ていたものが何かを、オスカーはまだ判断していない。証明もできない。


ただ、見ていたことは確かだった。




オスカーは積んだ報告書をまとめて棚に置いた。


今夜のうちに決断できることは何もない。財閥への照会は回答が来た。リオの推論報告は添付として保管する。それ以上今夜できることはない。


明日以降、情報として積み上げていく。


それが今できる判断だ。


灯を落として、寝台に横になった。


目を閉じた。


眠れなかった。


採掘帯の星海流の音が、微かに艦体を通して聞こえる気がした。実際には音ではなく振動だが、長く艦に乗っていると、それが聞こえるような気になることがある。


今夜の戦闘は終わった。次があるかどうかは、まだわからない。


財閥の巡察艦は、一時間早く動いていた。


その事実だけが、暗い中に残っていた。

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