機関部からの声
通信が入ったのは、夜の一時を過ぎた頃だった。
非公式の回線だった。艦内の公式通信ではなく、個人端末同士をつなぐ内部ネットワーク経由の呼び出しだ。士官学校時代から使っているやり方で、夜中に課題の相談をする時も、試験前日に確認しあう時も、これを使っていた。
送信者の番号を見た。
ミナだった。
リオは端末を取った。
「起きてた?」
「起きてたよ」
「良かった。仕事してた?」
「少しね。もう終わったけど」
ミナの声は静かだった。疲れている時の声ではなく、考え事をしながら話している時の声だ。同じ静かさでも種類がある。リオにはその違いがわかった。
「何かあった?」とリオは聞いた。
「あったかどうか、よくわからないから電話したの」とミナは言った。「公式で報告するほどかどうかわからなくて。でも誰かに話しておきたくて」
「聞くよ」
ミナが担当しているのは艦の機関部だった。
星灯素炉の管理、灯導回路の点検、艦内電力の配分調整が主な仕事で、ミナはその中の炉管理班に属している。入って半年足らずの若い技術者だが、数字を読む速度と正確さは班の中でも上のほうだと聞いていた。
「炉の揺らぎが続いてる」とミナは言った。
「揺らぎ」
「星灯素炉の出力変動。ずっと微細な揺れが記録されてて、誤差の範囲ではあるんだけど、揺れ方が規則的すぎるの」
「規則的、というのは」
「ランダムじゃないのよ。周期がある。一定の間隔で同じ幅だけ揺れる。誤差が規則的に並ぶっていうのが、技術的にはおかしいんだよね」
リオは少し考えた。
「いつから?」
「気づいたのは十日前。でも記録を遡ったら、もっと前からある。一ヶ月くらい前から、少しずつ始まってた」
「班長には報告した?」
「した。炉の調整をかけてみて、変化がなければ次の整備日まで様子見、って言われたの。それはそうなんだけど」
「それはそうだけど、気になる?」
「うん」
ミナはそれだけ言った。
リオは自分のデータを開いた。画面の端に、昨日まで見ていた共和国の行動記録がある。そこに目を向けながら、ミナの言葉を聞いていた。
「周期はどのくらい?」とリオは聞いた。
「七十二分と少し。ほぼ三時間に一回くらいのペースで揺れてる」
「揺れの幅は?」
「炉の定格出力の〇・三パーセント未満。数字だけ見たら誤差と区別がつかない」
「でも周期が揃ってる」
「揃いすぎてる、って感じがする」
リオは端末で星海流の記録を開いた。昨夜のデータだ。
「ミナ、一個だけ聞いていい?」
「なに?」
「星海流の振動と連動してる可能性は?」
ミナが少し黙った。
「……考えたこともなかった」と彼女は言った。「でも、そうかもしれない」
「星海流にも周期がある。それと炉の揺れが同じリズムで動いてたとしたら、炉の問題じゃなくて、外側から入ってくる何かが原因かもしれない」
「それって、普通は起きないことよね」
「起きないと思われてる、かな。でも昨日、少し変なデータを見た。誤差として処理されたんだけど、星海流の形がおかしかった。一瞬だけ、通常じゃあり得ない揺れ方をした」
「それ、記録には残ってるの?」
「残ってない。自動補正で消えた」
「そっか」
「ミナ側の記録は?」
「手元のログには残ってる。でも公式の記録には誤差として分類されてる」
二人は少しの間黙った。
「これを報告したら」とミナが言いかけた。
「うん」
「どうなると思う?」
「……証明できないと思う。今の段階だと」
「そうよね」
「炉の話はミナの担当だからまだ話の筋があるけど、星海流の歪みと連動してるっていうのは、今の記録だと根拠が薄すぎる。誤差の記録が二つ並んでる、っていうだけで」
「でも根拠がないと報告できないし、報告できないと証拠を集める機会もないし」
「そう」
リオは画面を見た。折れ線で引いた共和国の軌道変化が、画面の端に出ていた。これも同じだ。数字の上では誤差の範囲内で、証明できる根拠にはならない。
「僕も同じものを感じてる」
言葉が出た。
自分でも少し驚いた。はっきり口にしたのは初めてだった。
「どういうこと?」とミナが聞いた。
「共和国の行動記録を見てた。哨戒の軌道が少しずつ変わってる。数字には出ないんだけど、体で何かが引っかかってた。で、今ミナの話を聞いてたら、同じ感じがした」
「体で、っていうのは」
「うまく説明できないんだけど。調子が悪い時と、データに違和感がある時が、なんか重なるんだよね。気のせいかもしれないけど」
ミナはまた少し黙った。
「気のせいじゃないと思う」と彼女は言った。
「……なんで?」
「リオが気のせいじゃないかって言う時は、たいてい気のせいじゃないから」
ミナと出会ったのは、士官学校の二年目だった。
機関学の実習の時間が同じで、隣の班だった。最初に声をかけてきたのはミナの方だった。実習の手順で迷っているリオに、「そこ、順番が逆よ」と言った。
それが最初の言葉だった。
後で話すようになってから、なぜ機関学を選んだのかを聞いた。
「人を助けるために機械を使いたいの」とミナは言った。「戦艦じゃなくて、誰かの生活が少し楽になるように」
リオは少しの間、何も言えなかった。
戦艦の機関を学ぶ人間が、戦艦じゃなくて生活のためと言った。それが正直に口から出てきた。
「どうして機関部に来たの」と聞いた。
「一番技術を磨けるから。戦艦の炉を動かせれば、補助具の動力もインフラの炉も動かせる。技術として持っておきたくて」
「目的は戦艦じゃないのに、一番難しいところに来た、ってこと?」
「そう」
ミナは当然のことのように言った。
リオは言葉を失ったまま、しばらく実習の手を動かしていた。機械を通して誰かを助けたいという話を、こんなにさらっと言う人間に会ったのは初めてだった。
「心配してる」とミナが言った。
「何を?」
「リオのことよ。夜に一人で解析してるって、ユーリから聞いた」
「あいつ言ったのか」
「心配だから言ったんでしょ。私もそう思う」
「大丈夫だよ、ちゃんと休んでるし」
「本当に?」
「……まあ、わりと」
「わりと、ね」
ミナの声に笑いが混じった。笑っているが見透かしているという笑いだった。誤魔化しが通らないとわかっている。
「体の調子はどう?」
「今週は普通。先週の終わりが少し辛かったけど、今は落ち着いてる」
「ちゃんと補助具は使ってる?」
「使ってるよ」
「椅子の調整は?」
「してる。してるって」
「よかった」
ミナは短くそう言った。
リオは少し止まった。よかった、という言葉が静かだったので、少し心に引っかかった。
「ミナは?」とリオは聞いた。
「私は元気よ」
「心配してる」
「私のこと?」
「うん。機関部の夜番、きついって聞いた」
「きついけど大丈夫。慣れてきたし」
「慣れてきたっていうのが、また心配なんだよね」
「リオに言われたくないわ」
「それはそうだけど」
「逆でしょ、っていうのはわかってるの」とミナは言った。「でもリオが心配してくれるのは、ちゃんと嬉しい」
「炉のログ、手元に残してる?」とリオは聞いた。
「残してる」
「消えないようにしておいて。証明できないかもしれないけど、手元のログが後で必要になるかもしれないから」
「そうする。リオも昨夜のデータ、何か記録しておけた?」
「消えた後で手書きでメモしておいた。数字は正確じゃないかもしれないけど、形は覚えてるから」
「手書き、か」
「うん。デジタルで記録できなかったから」
ミナが少し笑った。
「地味だけど、それが一番残るかもしれないね」
「かもしれない」
「二人でおかしなことに気づいてる人間になってる気がするけど」
「そうだね」とリオは言った。「でも、気のせいじゃないと思う」
「私も思わない」
二人はまた少し黙った。
報告できない理由と、報告しなければならない理由が、同じ重さで並んでいた。今夜それを決める答えはない。それでも、同じことを見ている人間がいるというのは、少し違う感じだった。
「今夜はもう休んで」とミナが言った。
「うん。ミナも」
「もう少ししたら。炉のログをもう一回確認したら休む」
「もう少しが一番信用できないって、さっきユーリが言ってた」
「本当のことよ」
「みんな同じことを言う」
「みんな心配してるから」
リオはそれに答えなかった。
答えようとして、うまい言葉が出てこなかった。心配されることを受け取るのがまだ少し苦手で、素直にありがとうと言えばいいのにとわかっていても、言葉が遅れる。
「……ありがとう」
「おやすみ」とミナは言った。「また明日」
通信が切れた。
リオは端末を置いて、天井を見た。
居室の照明は落としていた。画面の光だけが少し残って、天井の端に薄く反射している。
ミナが見ている炉の揺らぎと、自分が見ている軌道の変化が、星海流の異常として繋がっているかもしれない。それはまだ感覚に過ぎない。証明できない。
ただ、一人で感じていたことが、もう一人の感覚と重なった。
それがどういう意味を持つかは、まだわからない。でも、重なったことは本当だった。
リオは手書きのメモを引き出しに入れて、目を閉じた。




