暗い部屋の声
移動金融要塞アルデンハイム・クラウンは、常に動いている。
特定の惑星に係留せず、星海流のあいだを一定の速度で移動し続ける。それがこの要塞の原則だった。どこかに停まれば、そこが弱点になる。どこにもいなければ、誰も手が届かない。
要塞の外装は艦隊色ではなく、深みのある銀灰色だった。武装はあるが目立たせない設計になっている。近づく者には商用要塞の顔を見せ、内側では別の種類の計算が動いている。
夜の会議室に、三人がいた。
窓に背を向けて座っていたのは、ゲオルグ・アルデンハイムだった。
七十代前半の老人だが、姿勢は崩れていない。白銀の髪が均一に整えられ、胸元の刺繍入りの服は上等で、指先だけが少し乾いていた。長年の習慣で、会議の間は手を卓上に置いている。
「数字を聞かせてくれ」
声は低く、穏やかだった。
「今夜の帝国輸送艦隊の通過量と、リュミナ・ノードの通行枠。出てるな」
卓の反対側に座っていたフリーダが、薄い端末の画面に視線を落とした。
黒縁の眼鏡をかけた三十代前半の女性だった。アルデンハイム家の孫娘で、会計と情報を担当している。声は小さいが、数字は正確だった。
「帝国輸送艦隊の積載量は通常枠の百十二パーセントです。この時期の季節通行量の上限が百十五ですので、記録上は正常範囲内です」
「保安協定上の手数料収入は」
「今夜の通過分で、四百二十万イーサル相当です」
ゲオルグは少し間を置いた。
「帝国はよく稼いでくれる」と言ったが、それが賞賛なのか皮肉なのか、声からは判断できなかった。
部屋の奥に立っていたのは、警備艦隊司令のバルト・クライスだった。
五十代の大柄な男で、胸に勲章ではなく階級章だけをつけている。財閥の軍事部門を長く担当してきた人間で、感情の起伏が外に出ない。
「報告を」とゲオルグが言った。
「共和国艦隊は採掘帯の外縁で動き始めています」とバルトが答えた。「帝国輸送艦隊の通過ルートと交差する位置です。機動戦艦を中心にした構成で、今夜の帝国の輸送艦隊は挟まれる形になります」
「規模は」
「三隻から五隻。偵察ではなく攻撃態勢です」
「帝国側の対応は」
「輸送護衛艦が応戦を開始しています。旗艦格に練習巡洋艦クライセンブルクが含まれています」
練習巡洋艦という言葉に、フリーダが少し顔を上げた。
「新兵乗艦が護衛についているのですか」
「今期の実地演習航路と重なった形です」
ゲオルグはそれを聞いて、端末の端を指先で軽くたたいた。特に感情は乗らない、考える時の癖のようなものだった。
「財閥の巡察艦は動かすな」
ゲオルグが言った。
「リュミナ・ノード周辺の通常配置を変えないように指示してある。今夜は現状を維持する」
「了解です」とバルトが答えた。
バルトはそれ以上何も聞かなかった。
ゲオルグが「財閥の巡察艦を動かすな」と言う時の意味を、長年の仕事の中で学んでいた。動かないことが関与しないことではない。動かないことにすることで、起きたことへの責任が財閥に向かない。結果は同じだが、書類の上では違う。
フリーダは端末に何かを入力していた。
「帝国の損失見積もりを出しておきます」
「後でいい」
「すでに試算しています。輸送艦が三割損耗すると仮定した場合、今期の帝国の星灯素輸入量は九十七万ケル減少します。価格換算で八千万から一億二千万イーサル」
ゲオルグは少し考えた。
「共和国が動けば、帝国は損をする。帝国が損をするなら、それでいい」
それだけ言った。
追加の感想はなかった。追加の指示もなかった。八千万から一億二千万という数字が、今夜何隻の艦が撃たれるかということを意味しているが、その計算はゲオルグの思考の中では別の処理ルートを通っている。
輸送量の変動と価格変動は連動する。
星灯素の価格が上がれば、精製事業の利益率が改善する。
精製拠点を抑えているのはアルデンハイム財閥だ。
だから今夜、帝国が損をするならそれでいい。
「一つ確認させてください」
フリーダが言った。
「リュミナ・ノードの通行申請について、教会系の申請が一件、三週間処理待ちになっています。巡礼医療修道女の区画申請です」
「資材部の管轄か」
「はい。財閥資材部の受理が保留されています」
「それはなぜ保留されている」
「担当者の判断で、申請書類の添付が不足しているという扱いになっています。書類上は手続きの問題です」
ゲオルグは少し間を置いた。
「急ぐ理由があるか」
「施療を行っている診療所です。采掘労働者の相手をしています。急ぐ必要があるかどうかは、そちらの判断次第です」
「急ぐ必要はない」とゲオルグは言った。
「了解です」
フリーダは端末に一行入力した。
保留継続。それだけだった。
会議室の窓の外に、星海流の暗い光が見えていた。
アルデンハイム・クラウンが移動している星域は、主要な航路から外れた場所だ。その分、観測は難しい。要塞がどこにいるか、外部から正確に把握できる者はほとんどいない。
「報告は以上か」とゲオルグが聞いた。
「以上です」とバルトが答えた。
「では一点だけ」
ゲオルグは卓の上の端末を引き寄せて、日付を確認した。
「今夜の帝国輸送艦の通行記録を、後で届けてくれ。損耗量の確認が取れたら、来週の精製価格の改定に使う」
「いつ頃届ければよいですか」
「朝までに揃えば十分だ」
バルトが頷いた。
ゲオルグは端末を閉じた。
それ以上の議題はなかった。採掘帯の外縁で光が走っていることは、ここでは数字の動きとして処理される。どの艦が撃たれているか、誰が乗っているかは、計算式の中では係数のひとつだ。
フリーダが静かに端末を閉じた。
バルトが部屋を出た。
ゲオルグは一人で窓の外の星海流を少しだけ見てから、書類に視線を戻した。




