表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星海の灯火 〜英雄は星を救わない〜  作者: セルヴォア


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

23/25

重なる書類

アルデンハイム・クラウンは、星灯素の採掘、精製、輸送、保険、軍需金融までを抱え込むアルデンハイム聖灯財閥の移動金融要塞だ。


そこは国家の首都みたいに人を住まわせるための場所ではない。


金と契約と記録を握るために、必要な機能だけを積み上げた鋼の都市だった。


外の星海も、移動要塞の装甲外殻を流れる保守灯も、そこからは見えない。


あるのは暗い壁と、卓上に浮かぶ数十枚の表示板と、冷えすぎた空気だけだった。


灯りは落としてある。


完全な闇ではないが、人の顔色より数値の色が目につくように調整された部屋だった。


フリーダ・アルデンハイムは、窓のない情報管理室にある中央卓の前に立ったまま表示板を見ていた。


財閥老人総帥ゲオルグ・アルデンハイムの孫娘であり、実務総裁補として現場の数字と判断を束ねる女だった。


白金の長い髪を背で流し、宝飾をほとんどつけない暗色の礼服を着ている。


祖父の威圧感とは違う。


冷たく若い刃物みたいな印象が先に立つ。


祖父のように椅子へ深く腰を沈める癖はない。


数字を見る時ほど、身体を起こしていた方が頭が冷えると知っている。


壁際には補助解析官が二人、少し離れて警備担当が一人、そして正面には財閥警備艦隊司令バルト・クライスが立っていた。


採掘都市と精製要塞を守る私設軍の司令で、国家軍より契約を信じる男だ。


褐色の肌に剃った頭、片腕には義手めいた艦隊指揮補助具を巻きつけている。


分厚い肩と、私設軍人らしい実用一点張りの黒い軍装が、この部屋だけ少し狭く見せる。


彼は前線で帰還したばかりではない。


だが、ルメン中立採掘帯で自分の艦隊が一歩引いた、その判断がどう処理されるかを見届けるためにここへ呼ばれていた。


表示板の一枚には、ルメン戦域の航路図が開いている。


星海流の筋、共和国機動艦隊の侵入軌道、帝国輸送艦隊の防衛転回、財閥警備艦隊の後退時刻。


別の板には、星灯素濃度の推移。


さらに別の板には、帝国側で記録された機関出力の揺らぎ。


そして一番手前には、わずか数行の要約が浮いていた。


帝国航路解析士官一名。


通常観測機器が明確な偏位を捉える前に、航路異常を進言。


進言後、帝国艦隊は局所的な隊形修正を実施。


結果として共和国艦隊の本命進路を押さえる。


フリーダは、そこだけをしばらく見ていた。


「再確認します」


横の補助解析官が言った。


「帝国側観測機器の一次記録では、明確な偏位判定は艦隊転回の直前まで出ていません。財閥標準観測網でも同様です」


「その前に動いたのね」


「はい」


「艦長の勘ではなく」


補助解析官は一度だけ表示板を切り替えた。


そこに、クライセンブルク艦内の通信要約が抜き出される。


全文ではない。


財閥が横から掠め取った断片だけだ。


『証明できる数値が全部ではないですが、確信があります』


『本命は航路通行枠です』


『星灯素炉の揺らぎが共和国艦隊の展開と連動しています』


フリーダの目が、二つ目の行ではなく三つ目の行で止まる。


機関側の補助証明が後から乗っている。


つまり、最初に異常へ触れたのは解析士官の方だ。


後追いで炉の揺らぎが数値化された。


順番が逆だった。


通常なら、ありえない。


「帝国軍は何と説明している」


「付記では『即時の数値説明が困難』『本人の身体負荷を伴う観測』『再現手順の整理を要する』です」


補助解析官は少しだけ言いにくそうに口を止めた。


「ずいぶん親切ね」


フリーダは淡々と言った。


「現場の艦長が正直か、あるいは脇が甘い」


「両方かもしれません」


その答えには反応せず、フリーダは指先で表示を拡大した。


航路図の一点が大きくなり、共和国艦隊が本命進路へ切り込もうとした時刻と、帝国艦隊がわずかに転回した時刻が並ぶ。


差は短い。


ほんの数分。


数分だが、艦隊戦では生死より重いことがある。


「機器より先に分かった」


誰に向けるでもなく、フリーダは言った。


部屋の空気が少しだけ固くなる。


バルトが腕を組んだまま低く返す。


「偶然の可能性は」


「一度ならある」


フリーダは航路図から目を離さない。


「でも、財閥側の監視網が拾っていた事前の揺らぎと照らすと、偶然で済ませるには合いすぎている」


バルトは黙った。


彼は数字で詰めるタイプではないが、戦場の匂いには敏い。


だからこそ今の沈黙は、納得に近いものだった。


「帝国軍にこういう人間が他にもいるのか」


フリーダが問う。


補助解析官は即答できなかった。


表示板を二枚切り替え、古い監視記録を呼び出す。


前線で起きた小さな不整合。


説明しきれない航路修正。


帝国側が先に引いた区画。


通常観測より早かった回避。


数としては少ない。


だが、ゼロではない。


「断定はできません。ただ、灯守府が絡んだとみられる戦域では、類似の挙動があります」


そこでバルトが鼻で笑った。


「何でも灯守のせいにするな。あっちは戦場を盤面みたいに動かす化け物だ。似た挙動が出ても不思議じゃない」


「だからこそ、です」


フリーダが初めてバルトの方を見た。


「化け物が一人いるだけなら管理は簡単。でも、似たものが別の場所から生えてくるなら、話は変わる」


バルトの眉がわずかに動く。


その表情は、反論というより警戒だった。


フリーダはそこでようやく、手前に置いていた紙の報告書を一枚だけめくった。


紙を使うのは祖父の癖の影響でもあるが、画面より改ざん痕が残りやすいからでもある。


そこには帝国軍の人事記録から抜かれた最低限の情報が載っていた。


リオ・メルク少尉。


帝国軍令府所属、航路解析官。


身体制約申告あり。


年齢、出身階層、士官学校の成績、配置履歴。


目立つ華やかさはない。


むしろ、どこにでも埋もれそうな経歴だった。


だからこそ、フリーダは一層気になった。


こういう人間は、記録の海に沈んでいなければならない。


浮き上がるなら、浮き上がるだけの理由がある。


「身体制約者」


バルトが紙面を見て言った。


その声に露骨な嫌悪はない。


だが、軍人がリスク評価をする時の温度は含まれていた。


「人事局が嫌いそうだ」


「ええ」


フリーダは短く答えた。


「だから財閥としては助かる。帝国が自分で潰してくれるなら手間が省ける」


「なら、放っておくか」


「それが普通」


フリーダは紙を置いた。


「でも、普通のままで困る場合がある」


バルトが腕を解く。


部屋の端で警備担当が視線だけを動かした。


誰も口を挟まない。


フリーダが続きを言うと分かっているからだ。


「機器より先に航路異常を読む人間は、扱いを間違えると面倒。でも、こちらより先に誰かに拾われるともっと面倒」


「共和国か」


「共和国も。教会も。灯守府も」


最後の一語だけ、部屋の空気が少し沈んだ。


財閥の実務室でさえ、その名は軽く扱わない。


星海の灯守が直接財閥へ刃を向けることは稀だ。


だが、一度向いた時の損失が大きすぎる。


フリーダは視線を落とし、帝国側通信の断片をもう一度読む。


『証明できる数値が全部ではないですが、確信があります』


この言い方には、思い込みだけではない苦さがある。


証明できないことを責められてきた人間の言葉だ。


それでも言わなければならなかった時の言葉でもある。


フリーダは感傷で人を評価しない。


だが、記録の向こうにいる人間の癖を読むことはある。


この少尉は、英雄になりたい類ではない。


むしろ、英雄として扱われる前に消耗する類だ。


だからこそ危うい。


他人が使いやすい。


「候補があります」


補助解析官が、おそるおそる言った。


「何の」


「この種の先行感知に関する古い呼称です。非正規医療記録と、工廠局の封印資料に、数は少ないですが」


フリーダは顔を上げた。


「出して」


表示板が切り替わる。


古い書式の記録断片。


消されかけた脚注。


教会系医療記録から削られた頁番号。


共和国の棄却論文。


どれにも共通して、一つの語が残っていた。


星海共鳴回路症。


部屋の誰も、すぐには口を開かなかった。


意味が分からないからではない。


むしろ、意味が分からないまま放置されてきた語だと分かるからだった。


医学名のようで、技術名のようで、病名のようでもある。


定義が揺れたまま消された言葉。


フリーダはその文字を静かに見た。


「かもしれないわね」


補助解析官が息を止める。


バルトが低く尋ねた。


「知っているのか」


「断片だけ」


フリーダは正直に言った。


「祖父の保留箱に、似た語を見たことがある。建国期の航路事故と、灯守府の古い観測記録に紐づいていた」


「それが病名か」


「まだ分からない。病名として消された可能性もあるし、病名の顔をした別の何かかもしれない」


財閥は、価値の分からないものを嫌う。


だが、本当に危険なのは、価値がないものではない。


価値があるのに、誰にも値札を貼られていないものだ。


それは必ず、別の場所で暴れる。


バルトが卓へ一歩近づいた。


「で、どうする」


彼の問いは実務的だった。


保護するのか、排除するのか、買うのか、脅すのか。


財閥の軍人は、結局そのどれかで物事を整理する。


フリーダは少しだけ考えた。


考えるというより、順番を整えた。


まだ情報が少ない。


帝国軍内部でどう扱われるかも見えていない。


灯守府がすでに気づいているかも不明。


共和国側に類例があるかも調べ切れていない。


ここで早く動けば、かえって痕が残る。


痕は、祖父が嫌う。


無駄な波は、もっと嫌う。


「まだどちらも早い」


フリーダは言った。


「潰すのも、使うのも」


バルトの目が細くなる。


まさに今、自分が聞こうとしていた二語を先に置かれたからだろう。


「なら」


「調べる」


フリーダは即座に返した。


「帝国側人事処理、医療記録の流れ、士官学校時代の成績、家族構成、婚約関係、配置転換の可能性、同種事例の有無。全部」


補助解析官が慌てて入力に移る。


表示板の端で、新しい監視対象欄が開く。


識別番号。


監視強度。


接触優先度。


横断参照先。


フリーダは、その空欄を見ながら言った。


「名前は」


補助解析官が一度、紙の方へ視線を落とした。


確認はできているのに、読み上げる時だけ少し慎重になる。


「リオ・メルク少尉です」


フリーダは頷いた。


「監視対象に入れて」


入力音は小さい。


だが、その小ささがかえって冷たかった。


名が一つ、個人の履歴から管理の棚へ移される。


部屋の中では、それはただの事務処理だ。


戦場で誰かが息を切らして得た功績も、ここでは一行の増減にしかならない。


フリーダは、それを残酷だとは思わない。


残酷かどうかで仕事をしていないからだ。


必要か不要か。


使えるか使えないか。


管理できるかできないか。


その順で考える。


だが、そのどれにもまだ収まりきらない時、人は少しだけ恐ろしく見える。


リオ・メルクという名は、今の彼女にはそう見えていた。


「司令」


フリーダはバルトを見た。


「ルメン戦域で帝国が見せた転回について、表の報告は予定通りでいい。協定遵守、現場混乱、責任分散。余計な釈明はいらない」


「了解」


「でも裏では、帝国艦隊の解析官記録に今後も触れて。類似挙動が出たら、戦術報告より先にこちらへ回して」


バルトは少しだけ不満そうに口を曲げた。


艦と砲で済む話ではない時、彼はいつもそういう顔をする。


それでも従う。


財閥の私設軍人として、命令系統の利益計算は理解しているからだ。


「了解した」


返答を確認すると、フリーダは最後の表示板を一枚だけ開いた。


送信先は一つ。


最上位優先。


ゲオルグ・アルデンハイム。


本文欄は長くいらない。


祖父は長文の言い訳を嫌う。


必要なのは、何が起きたか、どこまで確かか、何を保留するかだけだ。


フリーダは短く打ち込んだ。


ルメン戦の解析士官に星海共鳴の可能性あり。


送信。


数秒後、音声だけの応答が返る。


映像は出ない。


祖父は、自分が見せる必要を感じた時しか姿を出さない。


低く、乾いた声だった。


「分かった」


それだけだった。


だが、それで十分でもある。


部屋の全員が、その一言の意味を知っていた。


保留。


継続監視。


必要になれば回収。


必要になれば切断。


判断はまだ先だが、視界には入った。


フリーダは応答記録を閉じた。


窓のない情報管理室に、再び数値の光だけが残る。


外では、移動金融要塞アルデンハイム・クラウンが、誰にも気づかれない軌道修正を続けている。


戦争に勝つためではない。


灯の流れを握り続けるために。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ