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星海の灯火 〜英雄は星を救わない〜  作者: セルヴォア


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19/25

煙の先に

艦橋に残る光は、戦闘中よりも冷たかった。


警報音は止み、代わりに損害報告と照会応答が絶えず流れている。砲撃のような分かりやすい音ではない。数字と確認と責任の押し付けが、別の種類の圧を作っていた。


オスカー・ライナーは艦長席に立ったまま、前方表示板ではなく戦況整理卓を見ていた。


共和国機動艦隊は外縁側へ離脱した。


輸送艦四隻は全て健在。


前方護衛艦は中程度の損傷。灯殻防壁の表層焼損、左舷外板の一部剥離、近接防衛灯槍二基が沈黙。


グライフ二番と三番は帰還したが、膝関節部と推進器をやられて、当面は出せない。


民間船七名、全員生存。


数字として並べれば、勝ちだった。


綺麗な勝ち方ではない。だが、輸送船団を守り、通行枠境界を押さえ、民間人も死なせなかった。現場の艦長としては十分に胸を張っていい結果だった。


それでも、オスカーの気分は晴れなかった。


「財閥警備艦隊へ照会は」


副長が端末を確認した。


「送っています。ルメン共同管理評議会経由と直接回線の両方です」


「返答は」


「直接回線は無応答。評議会経由は文面作成中とのことです」


オスカーは鼻で息を吐いた。


文面作成中。


現場で艦が撃たれている間、あちらは文面を作る。


「前方護衛艦から追加報告」と通信士官が言った。「損傷区画の封鎖完了。死傷者なし。砲術長より、共和国二番艦の射角は財閥巡察艦の旧保安位置が空いていなければ成立しなかった、との所見が上がっています」


「記録しろ」


オスカーは言った。


「所見として残せ。断定はするな」


「了解」


断定できる材料はまだ足りない。


だが、空いていたから撃てた。


その事実だけは消えない。


通信卓の一つが短く鳴った。


「評議会経由、財閥警備艦隊より返信」


艦橋の空気が少しだけ尖った。


「読め」


通信士官が文面を開く。


声は平板だったが、それがかえって内容の冷たさを強めた。


「アルデンハイム聖灯財閥警備艦隊は、当該時刻において共同保安協定第十七条の裁量範囲内で保安位置を再設定した。これは中立民間区域の安全確保を優先した判断であり、いずれの国家軍への加担も意図しない」


副長が顔をしかめた。


通信士官は続きを読んだ。


「なお、共和国軍の侵攻と帝国軍の交戦により中立宙域の安全が損なわれた責任は、交戦当事者双方の作戦行動に帰する。財閥警備艦隊は救難と資産保全のため必要な措置のみを行った」


艦橋の誰かが小さく舌打ちした。


オスカーは止めなかった。


そのくらいはしていいと思った。


「中立民間区域の安全確保、か」


副長が低く言った。


「その割に、民間船の救助はうちの機兵隊がやった」


「書くこととやることが一致するなら、世の中はもう少し楽だ」


オスカーは答えた。


感情を乗せないようにしたつもりだったが、少し硬くなった。


「返信文を作る。保安位置再設定の開始時刻、根拠、具体的な救難措置、巡察艦の位置履歴を要求しろ。評議会と帝国艦隊本部にも同報」


「強く出ますか」


「事実だけで十分強い」


副長が頷いた。


その時、別の回線が入った。


今度は財閥ではなく、ルメン共同管理評議会だった。


「こちら評議会事務局」と、少し乾いた女の声がした。


「本件に関し、責任の所在を整理するため、帝国側艦隊旗艦として状況報告の提出を求めます。また、評議会管轄宙域境界付近における砲撃記録の有無についても確認したい」


オスカーは通信卓へ向いた。


「帝国巡航艦クライセンブルク艦長オスカー・ライナー大佐だ。状況報告は提出する。境界内へ意図的に砲撃は入れていない」


「意図的に、という表現は記録上曖昧です」


即座に返ってきた。


評議会の言い方だった。


「では記録上の表現に合わせる」とオスカーは言った。「我が艦隊の砲術記録上、評議会管轄宙域内に着弾した主砲・副砲は確認されていない」


少し間があった。


「承知しました」


声は承知していなかった。


「なお、共和国側および財閥警備艦隊側からは、帝国艦隊の針路変更が中立秩序を不安定化させたとの意見も出ています」


副長が小さく息を吐く。


オスカーは平板に返した。


「意見は報告に添えておけ。こちらも、財閥警備艦隊の位置再設定が共和国軍の侵攻を容易にした疑義を添える」


今度は、評議会側が黙った。


「……承知しました」


通信が切れる。


艦橋には、短い静けさが落ちた。


戦闘が終わった後の静けさではない。


次の戦いが、言葉の形で始まった静けさだった。


「損害記録と照会文をまとめろ」


オスカーは言った。


「解析班の戦闘ログも優先で確保する。メルク少尉の予測点、機関部の出力変更、境界外砲撃の射角記録。全部残せ」


「了解」


「それと」


オスカーは一度だけ、医療区画のある方向へ視線を向けた。


「医療区画へ行く。十分で戻る」


副長が短く敬礼した。


「艦橋、預かります」




医療区画の空気は、艦橋と違って遅かった。


焦りがないわけではない。


ただ、ここでは命令の速さより、呼吸の数と脈の揺れのほうが優先される。


リオが目を覚ました時、天井の白はさっきより柔らかく見えた。


体の重さは残っている。


胸の奥の痛みも、完全には引いていない。


それでも、頭は少しだけはっきりしていた。


隣の簡易隔離台には誰もいなかった。


あの子どもは別の区画へ移されたのだろうと、リオは思った。


ベッド脇の椅子には、ユーリの代わりに毛布だけが置かれていた。たぶん、どこか別の患者を見に行っている。


医療区画の奥では、負傷者の低い声と器具の音が混ざっている。


戦闘の後で、まだ艦全体が働いていた。


扉が開き、ユーリが戻ってきた。


片手に端末、もう片手に薄い紙コップを持っている。


「起きたか」


「うん」


「いい返事だ。さっきより人間らしい」


リオは少しだけ身じろぎした。


腰の奥に重さが残る。


「動くな。動けるなら後でいくらでも動かす」


ユーリはコップを差し出した。


「水分」


「さっきも入れた」


「あれは補液だ。これは飲むやつ」


リオは受け取って少し飲んだ。


冷たくはない。医療区画らしい、ちょうど変な温度だった。


「民間船の人たちは」


「落ち着いてきた。エダ・クラインは疲労と擦過傷だけ。夫は脚の圧挫だが切断はしなくて済みそう。オットー・ヴェルナーは縫合して寝かせた。寝ながら文句を言ってる」


「よかった」


「ニコは吸入が効いた。今は母親の横だ」


その報告で、リオの肩から少しだけ力が抜けた。


ユーリはその変化に気づいた顔をしたが、何も言わなかった。


代わりに端末を見て、別の声に切り替える。


「艦全体の損害もまとまってきた。前方護衛艦がいちばんひどい。死者はなし。骨折二、熱傷四、打撲多数。グライフ二番と三番は当分工廠行き。輸送艦は外板の擦過と炉温上昇だけで済んだ」


「輸送船団は」


「守った」


ユーリは端末を閉じた。


「お前が気にしてるところだけ先に言ってやる。守ったよ」


リオはコップを持ったまま、少しだけ目を伏せた。


守った。


その言葉を、今日は何度か聞いた。


まだ半分しか信じられないのに、聞くたび少しずつ中へ入ってくる。


「艦長は」


「さっきまで来てた。今は艦橋だろ。財閥と評議会が早速うるさい」


リオは顔を上げた。


「何か来た?」


「来た。中身まで聞きたいなら起き上がるな」


ユーリはそう言ってから、自分で少しだけ笑った。


「共同保安協定第十七条の裁量範囲内だってさ。便利な言葉だな」


リオは眉を寄せた。


「あれだけ早く引いたのに」


「そういうのは、早かった人間ほど言い訳も早い」


ユーリが肩をすくめる。


「評議会も責任の所在を整理したいんだと。綺麗な言い方だよな。要するに、誰のせいにするかって話だ」


艦橋の外でも戦いは続いている。


砲撃ではなく、文面と記録と語尾で。


リオはそのことを考えた。


自分が感じた違和感も、ミナの出力記録も、砲術班の射角も、全部が誰かの言い分に使われる。


「だからログを残してる」とユーリが言った。


リオが口に出す前に、先を読んだみたいだった。


「オスカー艦長もコルネリウスも、そのへんはちゃんとしてる。お前の予測点も、機関部の出力変更も、砲術記録も保存済み」


「コルネリウス少佐が?」


「意外そうな顔をするな」


「少しだけ」


「少しじゃないだろ」


ユーリは毛布をずらして、リオの足元を見た。


「あの人は嫌な言い方をする時はあるが、仕事を雑にはしない」


リオは頷いた。


それは、もう知っている気もした。


認めたくない時も、認めるべき時は見ていた。


そこへ、医療区画の入口から軍靴の音が近づいた。


リオがそちらを見る前に、声がした。


「起きているか」


コルネリウス・ズール少佐だった。


ユーリがあからさまに眉をひそめた。


「患者は患者です」


「承知している。長居はしない」


コルネリウスはベッドから少し離れた位置で止まった。


艦橋や解析室で見る時より、医療区画では肩の角が少しだけ固く見える。ここが自分の場所ではないと分かっている人間の立ち方だった。


「体調は」


リオは少し迷ってから答えた。


「まだ重いです。でも、さっきよりは」


「そうか」


そこで会話が終わりそうになった。


コルネリウスらしい間だった。


ユーリが横から助ける気配はない。


リオも、何を待っているのか自分で分からなかった。


結局、コルネリウスが先に口を開いた。


「戦闘ログは保存した」


短かった。


「お前の予測点も、三番艦の出現位置も、境界外の射角記録も残っている。機関部との連動も後で照合する」


「ありがとうございます」


コルネリウスは頷かなかった。


ただ、視線を少しだけ外してから、元に戻した。


「次回からは解析報告に手順を踏め」


それだけだった。


謝罪でもなかった。


賞賛でもなかった。


だが、前までと違って、その言葉の中に「報告する前提」が入っていた。


リオはそれを聞いた。


聞いてしまった。


「はい」


答える声が、自分でも少しだけ変わったのが分かった。


コルネリウスはもう一度だけリオを見た。


「倒れる前に言え」


今度は本当に、それだけだった。


踵を返し、入口へ向かう。


ユーリがぼそりと言った。


「あれで気を遣ってるつもりなんだろうな」


コルネリウスは振り返らなかった。


「医療区画で長話をする趣味はない」


そう返して、そのまま出ていった。


扉が閉まる。


少し間を置いて、ユーリが鼻で笑った。


「不器用にも程がある」


リオはコップを持ったまま、扉の方を見ていた。


「でも」


「でも?」


「前よりは、話せる気がする」


ユーリは一瞬だけ黙った。


それから、毛布の端を整えながら言った。


「それなら今日の戦果は一個増えたな」


リオは少しだけ笑った。


今度は胸の痛みが前ほど強くなかった。


「財閥の返答も評議会の言い方も、全部気に食わないけど」とユーリが続ける。「それでも、お前が役に立ったのは変わらない」


役に立った。


その言葉を、今日はもう何度も聞いている。


まだ大きくは信じられない。


でも、完全に疑うこともできなくなってきた。


医療区画の外で、搬送具の車輪が静かに転がる。


どこか遠くで、輸送艦の接続作業を告げる短い合図が鳴る。


戦後処理は続いていた。


艦はまだ動いている。


人もまだ動いている。


戦場は終わっても、その後を片付ける時間の方が長いのだと、リオはぼんやり思った。


「少し寝ます」


「最初からそうしろ」


ユーリが椅子に深く座り直す。


「何かあったら起こす。何もなくても、そのうち起こす」


「ひどい」


「優しいだろ」


リオは目を閉じた。


白い明かりの向こうに、採掘帯の光がまだ薄く残っている。


財閥の文面も、評議会の言い回しも、前方護衛艦の損傷も、全部消えてはいない。


それでも、胸の奥には別のものも残っていた。


救助した人たちの生きている音。


艦橋から戻ってきた呼吸。


機関部と解析室と医療区画がつながって、ひとつの艦を動かしていた感覚。


今日、自分一人で勝ったわけではない。


支えられて、支え返して、どうにか守った。


その静かな実感を抱いたまま、リオはようやく眠りへ落ちていった。

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