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星海の灯火 〜英雄は星を救わない〜  作者: セルヴォア


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20/25

夜の食事

目が覚めた時、医療区画の白い光は少し柔らかくなっていた。


さっきまでの痛みが消えたわけではない。腰の奥はまだ重いし、胸の奥にも鈍い名残がある。


それでも、頭ははっきりしていた。


医療区画の奥から聞こえる器具の音も、搬送具の車輪も、もう遠いものとして聞ける。


「起きたか」


ユーリが、今度は毛布ではなく食事盆を持って戻ってきた。


「食うか」


「医療食?」


「一応な」


盆の上には、薄いスープと柔らかいパン、それに妙に色の薄い煮物が乗っていた。


見ただけで元気が出る類いではない。


だが、匂いは悪くなかった。


「顔に出るな」


「出てた?」


「食欲があるだけましだ」


ユーリは盆を簡易卓に置いた。


「食えるなら食え。食えないなら俺が怒る」


「怒る以外の選択肢は」


「ない」


リオは少しだけ笑ってから、スープを口に運んだ。


薄い。


薄いけれど、空っぽだった体にはちゃんと落ちていく感じがした。


「民間船の人たちは」


「お前、そればっかりだな」


「気になるから」


「落ち着いてる。エダもニコも一緒だ。オットーは縫った傷より文句の方が元気だ」


「よかった」


「だから自分の飯を食え」


ユーリはそう言いながら、隣の椅子に腰を下ろした。


その顔はまだ完全に気が抜けていない。医療区画から人を出すタイミングを考えている顔だった。


「食べ終わったら、士官食堂までなら行っていい」


「本当に?」


「本当に。ただし条件付き」


「聞く前から嫌な予感がする」


「歩くのはゆっくり。補助具をつける。途中で顔色が悪くなったら戻る。無理なら俺が運ぶ」


「最後が一番嫌だ」


「ならちゃんと歩け」


リオはパンをちぎりながら、少し考えた。


士官食堂。


戦闘のあとに、そこへ行けると思っていなかった。


「ミナは?」


ユーリが肩をすくめた。


「機関部の報告終わり待ちだ。移動許可は取ったらしい。お前より先に、俺に『絶対に起こして』って言ってきた」


リオはパンを持ったまま止まった。


「怒ってた?」


「心配してた」


ユーリはそこで一度だけ、リオの顔を見た。


「たぶん両方だ」


それはそうだろう、とリオは思った。


戦闘中、ミナの声は硬かった。


それでも艦を向けると言った。


その後、自分は倒れた。


怒られないはずがない。


「大丈夫って言うなよ」


ユーリが先に言った。


「あいつの前でそれをやると、余計に長引く」


「でも、一応は」


「大丈夫じゃないだろ」


リオはスープを見た。


その通りだった。


少なくとも今の自分は、平気そうな顔をして通せる状態ではない。


「わかった」


「よし」


ユーリは立ち上がった。


「じゃあ、そのわかったが本物のうちに出るぞ」




士官食堂は、戦闘のあとでも明るかった。


艦橋の冷たい光とも、医療区画の白い明かりとも違う。


少し黄みのある照明が長い机を照らし、遅い食事を取る士官たちの影を柔らかくしていた。誰も大声では話していない。だが、沈黙ばかりでもない。


生き残った夜の食堂だった。


リオは入口で少し立ち止まった。


補助具をつけていても、ここまで歩くと腰に疲れが集まる。だが、医療区画のベッドの上にいるより、ここへ来られたことの方が大きかった。


窓際から少し離れた席で、ミナ・クラウゼがこちらを見つけた。


すぐに立ち上がる。


早足で来ようとして、リオの歩幅に合わせるみたいに途中で速さを落とした。


それだけで、怒っているわけではなく、心配しているのだと分かった。


「顔色」


ミナの第一声はそれだった。


「思ったよりまし」


「思ったより、で答える時点で怪しいのよ」


ミナはリオの前まで来て、ほんの少しだけ眉を寄せた。


艦内勤務用の整備服の袖口に、まだ機関油の薄い跡が残っている。戦闘後、すぐ来たのではなく、最後まで機関部に残っていたのだろう。


「座って」


命令みたいな言い方だった。


リオは素直に従った。


向かいにミナ、横にユーリが座る。


机の上には、すでに食事が三人分並んでいた。医療区画の食事よりはずっとまともで、温かい湯気もある。


ユーリが椅子にどかりと腰を下ろした。


「ほら。約束どおり三人だ」


「約束してたの?」


「してない。でも結果的にそうなった」


ミナはリオから目を離さないまま言った。


「倒れたって聞いた時、本当に心臓に悪かったのよ」


「ごめん」


「謝ってほしいんじゃないの」


即答だった。


「本当のことを言ってほしいの」


ユーリが横から、ほらな、という顔をした。


リオは息を吐いた。


今日は何度もそうしてきた気がする。


「痛かったし、きつかった」


言葉を選ぶ。


「でも、止まれなかった」


ミナは少しだけ視線を落とした。


怒りというより、痛みを受け止めている顔だった。


「うん」


それから顔を上げる。


「それなら最初からそう言って」


「大丈夫って言いそうになった」


「でしょうね」


ミナは小さく息を吐いた。


「あなた、そういう時ほど大丈夫って言うもの」


ユーリがパンをちぎりながら口を挟んだ。


「だから先に釘を刺しといた」


「珍しく役に立つじゃない」


「珍しくは余計だ」


二人のやり取りが始まると、食堂の空気が少しだけ普通の夜に近づく。


リオはそれを聞きながら、出された皿に手を伸ばした。


肉と根菜の煮込みだった。


温かかった。


一口飲み込むと、ようやく本当に生きた方へ戻ってきた気がした。


「機関部は」


リオが聞くと、ミナが少しだけ表情を変えた。


仕事の顔に近い方へ戻る。


「忙しかったわ。でも、最後にちゃんと確認できた」


「何が?」


ミナは食堂卓の端末を引き寄せ、簡単な波形図を表示した。


「星灯素炉の揺らぎ。あなたが感じてたものと、本当に一致してたの。最後に数値で確認できた」


リオは身を乗り出しかけて、腰の重さを思い出して少しだけ止まった。


ミナが気づいて、端末をこちらへ寄せる。


「共和国三番艦が粉塵裏の細流へ入る前、炉の揺らぎが先に跳ねてるの」


波形の一つを指でなぞる。


「通常の誤差なら、ここまで規則的には出ない。しかも、あなたが予測点を送ってきた直後に、こっちの出力変動とぴったり噛み合ってる」


「つまり」


ユーリがスープを飲みながら言った。


「こいつの勘は勘だけじゃなかったってことか」


「勘って言い方は雑だけど、そういうこと」


ミナは頷いた。


「少なくとも、機関部から見ても無視できない揺れだった」


リオは端末の波形を見た。


自分が感じたものが、全部ではなくても、数字の端に残っている。


それだけで胸の奥が少し軽くなる。


「よかった」


「よかった、で終わらせないの」


ミナは柔らかく言った。


「次に繋げるのよ。あなたが倒れなくても済む形に」


その言い方は、責めているのではなかった。


自分の夢を、戦場の中でも諦めていない人間の声だった。


人を助けるために機械を使いたい。


第八話で聞いたその言葉が、今のミナの声の中にもそのままあった。


「俺も思った」とリオは言った。「感覚で終わらせたくない。倒れたら消えるものじゃ足りないって、艦長にも言われた」


ミナが少しだけ目を細める。


「珍しいこと言うのね、あの人」


「現場の人だぞ」とユーリが言った。「言う時は言う」


「あなたは毎回言うでしょう」


「俺は親切だからな」


「口が悪い親切って損ね」


ユーリは肩をすくめて、肉を一口食べた。


「損でもいいさ。二人とも生きてりゃな」


その一言のあと、少しだけ沈黙が入った。


重い沈黙ではない。


食事の湯気があって、食器の触れる音があって、その上に落ちる短い静けさだった。


リオは皿の中を見た。


今日、自分は何を返せたのだろうと考える。


ミナは機関部で無理をして、ユーリは医療区画と戦場の間を走って、自分を支えた。オスカーもコルネリウスも、形は違っても受け止めた。


自分はその全部に、何を返せているのか。


「難しい顔しないで」


ミナが言った。


「してた?」


「してるわ」


「こいつ、今たぶん『自分は何を返せてるんだろう』って考えてるぞ」


ユーリが勝手に言った。


リオは顔を上げた。


「なんで分かるんだよ」


「長い付き合いだ」


ユーリは得意そうでもなく、ただ当然みたいに言った。


ミナが少し笑う。


「返せてるわよ」


その言葉はあまりにもあっさりしていた。


リオは思わず聞き返した。


「何を」


「今日、守ったでしょう」


ミナは皿に視線を落としながら、でも言葉はまっすぐだった。


「輸送船団も、民間船も、私たちも。あなた一人じゃないけど、あなたがいたから守れたものは確かにあった」


ユーリも頷く。


「それに、お前がちゃんと助けを受けるのも返し方の一つだ」


「それ、返してることになるのか」


「なる」


「なるわ」


二人が同時に言った。


リオは少しだけ笑った。


今度は胸の痛みより先に、温かさが来た。


「お前ら、早く結婚しろ」


ユーリが急に言った。


リオがむせかける。


ミナが目を丸くしたあと、すぐに睨んだ。


「急に何」


「何じゃない。今日みたいな日が続くなら、先延ばしにする理由が減るだろ。俺が証人になってやる」


「頼んでない」


「頼まれなくてもやる」


「強引」


「お前が言うな」


ミナの頬が少しだけ赤くなった。


リオはそれを見て、食堂の温度がまた少し上がった気がした。


「でも」


ミナが視線を逸らしてから、小さく言った。


「本当に、そのうちにはしたいと思ってる」


ユーリがすぐに乗る。


「ほら見ろ」


「あなたは黙って食べて」


「はいはい」


リオは皿の湯気の向こうにいる二人を見た。


この場所が好きだと思った。


派手な英雄の席ではない。


戦闘が終わった後の、少し遅い食堂の席だ。


疲れていて、体も痛くて、言い返せないことも多い。


でも、ここには自分が戻ってこられる場所がある。


支えてくれる人がいる。


そのことが、何より大きかった。


「ありがとう」


リオが言うと、二人とも少しだけ止まった。


ユーリが先に顔をしかめる。


「素直すぎて気味が悪い」


「さっきも同じこと言ったな」


「本当に思ってるからな」


ミナは笑った。


それから、リオの皿の脇へパンを一つ寄せる。


「感謝は受け取るから、まずこれ食べて」


「命令?」


「そう」


「機関部の権限で?」


「婚約者の権限で」


ユーリがそこで吹き出した。


「強いな」


「当然でしょ」


リオはパンを手に取った。


温かかった。


その温かさが、さっきまでの白い医療区画とも、赤い警報の艦橋とも違う場所へ自分を連れ戻してくれる。


食堂の外では、たぶんまだ報告書が走り、損害記録が積まれ、財閥と評議会が言葉を磨いている。


でも、この机の上には別のものがあった。


スープの湯気。


パンの温度。


ミナのまっすぐな声。


ユーリの雑な優しさ。


この全部を、自分はどこまで返せるのだろう。


答えはまだ出ない。


それでも、今日ひとつだけ分かったことがある。


返す前に、受け取っていい。


受け取った上で、次に少しでも返せばいい。


「大丈夫?」


ミナがまた聞いた。


さっきまでなら、反射で大丈夫と言ったかもしれない。


リオは少し考えてから答えた。


「まだ少し痛い。でも、ここに来られてよかった」


ミナの表情が、ほんの少しだけやわらいだ。


「それなら、今夜はそれで十分」


ユーリがコップを持ち上げた。


「じゃあ、十分ってことで」


「何の乾杯よ」


「生き残った夜の飯だ」


雑だった。


でも、悪くない言い方だった。


ミナもリオも小さくコップを上げた。


かすかに触れた音は、艦隊戦のどんな音より小さい。


それでも、その小ささが今は心地よかった。

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