予測線の先
救助が終わった直後、戦場の音が戻ってきた。
それは一つの音ではなかった。
艦橋からの命令。護衛艦の応答。輸送艦の炉出力報告。機関部の警告。共和国艦隊の再加速を告げる探知音。
全部が重なって、解析室の空気を押し潰していた。
「共和国機動戦艦、三隻とも加速」
コルネリウスが主力表示を見た。
「進路は」
リオは画面へ視線を戻した。
目の奥が痛い。さっきより光が少し滲む。それでも、線は見えた。
共和国艦隊の三本の進路線が、採掘帯の内側へ向かって収束している。
輸送船団ではない。
その先にあるのは、リュミナ・ノード外縁の評議会管轄宙域境界だった。
「来ます」
リオの声は、自分で思ったより低かった。
「予測した位置です。機動戦艦三隻、通行枠境界へ向けて展開します」
コルネリウスが無言で表示を拡大した。
前方護衛艦が、すでに補助航路側へ入っている。クライセンブルクも角度を変えていた。輸送艦一番から三番はその後ろで隊列を組み直し、後方護衛艦と輸送艦四番は第二変針点へ向かっている。
共和国艦隊の先頭艦が、このまま境界へ入ろうとすれば、クライセンブルクと前方護衛艦が横から押さえられる。
間に合っている。
ぎりぎりだった。
「艦橋へ」とコルネリウスが言った。
リオは送信した。
「第三解析区画より艦橋。共和国機動戦艦三隻、予測線どおり通行枠境界へ展開中。先回り位置、クライセンブルクおよび前方護衛艦の射界内です」
返答はすぐだった。
「艦橋、受信」
オスカーの声が続いた。
「全艦、戦闘再開。主砲照準、共和国先頭艦。副砲は無人機圏を抑えろ。輸送艦は速度を落とすな」
警報が鳴った。
今度の警報は、救助ではない。
艦隊戦の警報だった。
クライセンブルクの灯導砲が、採掘帯の光を裂いた。
白金色の星雲の中に、圧縮された星灯素の光が一本、太く走る。共和国先頭艦の前方で灯殻防壁が開き、光が弾けた。
直撃ではない。
だが、進路を塞ぐには十分だった。
共和国先頭艦がわずかに艦首を振った。
その瞬間、前方護衛艦の砲撃が横から入る。
「命中ではありません。防壁表層で拡散」
解析員の声が飛んだ。
「でも速度が落ちた」
リオは言った。
画面上の速度線が、ほんの少しだけ沈んでいる。
共和国艦隊は強い。速い。判断も早い。
それでも、先にいる艦を無視して、通行枠境界へ一直線に入ることはできない。
「先回りが効いています」
コルネリウスが艦橋へ送った。
「共和国先頭艦、進路修正。境界線への直進を中止」
「よし」
艦橋から副長の声が漏れた。
すぐに別の警告が重なる。
「共和国二番艦、側面へ展開。無人機母艦、群れを出します」
表示板の上で、小さな点が広がった。
無人機の群れだった。
一つ一つは小さい。だが数が多い。採掘帯の粉塵と岩塊に紛れて、護衛艦の射界の隙間へ入り込もうとしている。
「無人機、輸送艦一番と二番の間へ」
「副砲で落とせ」
「味方機兵帰還線と重なります」
マルタ・ケーニヒ大尉の声が入った。
「グライフ隊、帰還中。無人機群と交差する」
オスカーはすぐに答えた。
「機兵隊は低軌道側へ退け。副砲、上方限定。近接防衛灯槍は輸送艦側を守れ」
「了解」
リオは無人機の動きを追った。
共和国の無人機は、ただ突っ込んでいるのではない。クライセンブルクの射撃を引き出し、輸送艦を右へ寄せようとしている。
右へ寄れば、通行枠境界に近づく。
まだ本命は変わっていない。
「無人機群は誘導です」
リオは言った。
「輸送艦を右舷側へ押し出そうとしています。右へ避けると、共和国三番艦の進路に乗ります」
コルネリウスが即座に画面を重ねた。
「確認」
短い一言だった。
それから、艦橋へ送る。
「第三解析区画より。無人機群は輸送艦の右舷回避を誘導する動き。右舷回避不可。左舷低速回避を推奨」
艦橋で、オスカーが命令した。
「輸送艦一番、二番、右へ逃げるな。左舷へ二度、速度を維持。前方護衛艦、穴を塞げ」
「輸送艦一番、了解」
「二番、了解」
輸送艦の針路線が震えるように曲がった。
巨大な貨物を抱えた輸送艦は、巡航艦ほど速く曲がれない。ゆっくり、重く、しかし確かに左へ流れる。
その右側を、無人機群が抜けた。
もし右へ逃げていたら、輸送艦の腹に食いついていただろう。
リオは息を吐く暇もなく、次の線を見た。
共和国二番艦が砲撃姿勢に入る。
「二番艦、灯導砲準備」
艦橋から砲術班の声が来た。
「標的は」
「クライセンブルクではありません。前方護衛艦です」
リオは言った。
「護衛艦を退かせて、境界へ穴を開けるつもりです」
「艦橋、聞いたな」とコルネリウスが送った。
「聞いている」
オスカーの声は近かった。
「前方護衛艦、灯殻防壁を厚くしろ。クライセンブルクは左舷砲列で共和国二番艦を牽制。撃たせるな」
「前方護衛艦、了解。防壁厚上げます」
「クライセンブルク砲術、左舷砲列準備」
灯導砲の表示が赤く灯る。
次の瞬間、共和国二番艦が撃った。
光が採掘帯を貫いた。
前方護衛艦の灯殻防壁が受ける。防壁の表面が揺れ、波紋のように光が広がる。
「前方護衛艦、防壁負荷七割」
「まだ持つ」
「二射目来ます」
「クライセンブルク、撃て」
オスカーの命令で、左舷砲列が火を噴いた。
共和国二番艦は二射目の前に艦首をずらした。砲撃は逸れ、前方護衛艦の外側で拡散する。
解析室の誰かが短く息を吐いた。
その直後、リオの身体に強い揺れが来た。
背中から腰ではない。
胸の奥だった。
星海流の線が、画面より先に動いたように感じた。
「リオ」
ユーリの声がした。
リオは返事をしなかった。
表示板を見た。
共和国三番艦が、まだ動いていない。
動いていないことが、おかしい。
先頭艦と二番艦がこちらの射界を引き受けている間、三番艦は採掘帯の粉塵の奥に沈んでいる。
なぜ動かない。
どこへ出る。
リオは星海流の強度図を重ねた。
粉塵の裏に、細い流れがある。
通常の航路図では小さすぎて使わない流れだ。大型艦が乗るには不安定で、燃料効率も悪い。だが、共和国の機動戦艦なら短時間だけ乗れる。
乗れば、クライセンブルクと前方護衛艦の射界の裏へ出られる。
そこは、通行枠境界のすぐ手前だった。
「三番艦が裏へ出ます」
声が掠れた。
コルネリウスが振り向いた。
「表示には出ていない」
「細い星海流に乗るはずです。粉塵の奥。通常航路ではありません。三十秒以内に出ます」
「根拠は」
「流れが変わった」
言ってから、足りないと分かった。
それだけでは足りない。
リオはすぐに手を動かした。
三番艦の直近速度。無人機母艦の位置。先頭艦と二番艦がこちらの砲撃を引き受けている角度。粉塵の濃度。細い星海流。
全部を重ねる。
三番艦が消えた場所から、一本の線が浮かんだ。
「ここです」
リオは印を付けた。
「ここへ出る」
コルネリウスは一秒だけ画面を見た。
その一秒が、長かった。
「艦橋へ送れ」
「はい」
送信。
コルネリウスが続けた。
「第三解析区画より緊急。共和国三番艦、粉塵裏の細流を利用し、境界手前へ抜ける可能性。予測点送信」
艦橋が一瞬、沈黙した。
それからオスカーが言った。
「機関部、今の予測点へ艦首を振れるか」
ミナの声が入った。
「できます。ただし、星灯素炉の出力を一時的に上げます。防壁と推進の配分を変える必要があります」
「危険は」
「防壁が薄くなります。共和国先頭艦の砲撃を受けると厳しいです」
「時間は」
「十五秒ください」
「十秒でやれ」
「……やります」
ミナの声が、いつもより硬かった。
リオは通信に向かって言いかけた。
無理しないで。
口にする前に、飲み込んだ。
今は、誰も無理をしていない人間などいない。
「ミナ」
それでも名前だけが漏れた。
通信は繋がっている。
ミナが少しだけ息を吸った。
「見えてるのね、リオ」
「うん」
「じゃあ、そこへ艦を向けるわ」
短い会話だった。
それ以上は言えなかった。
機関部の表示が跳ね上がる。
星灯素炉の出力線が上昇し、防壁配分が一段落ちる。艦内補助網の一部が待機に入り、推進側へ星灯素が回された。
クライセンブルクが軋んだ。
艦内の床を通して、重い震動が来る。
灯導補助具がリオの体を支え直した。
「防壁配分、八割から六割へ」
機関部の報告。
「推進、上げます」
船体が曲がった。
ゆっくりではない。
星鋼巡航艦としては無理な角度で、クライセンブルクが艦首を振った。
解析室の表示が一瞬乱れる。
ユーリがリオの肩を掴んだ。
「落ちるな」
「落ちない」
「落ちそうな声で言うな」
リオは画面を見続けた。
予測点。
粉塵の奥。
細い星海流の出口。
そこに、共和国三番艦が現れた。
本当に、現れた。
解析室の空気が止まった。
「共和国三番艦、予測点に出現!」
通信士官の声が弾けた。
「クライセンブルク、射界内!」
オスカーの命令が落ちた。
「主砲、撃て」
灯導主砲が発射された。
共和国三番艦の艦首前方に、光が炸裂した。
直撃ではない。だが、三番艦の進路を完全に潰した。境界線へ入るための細い出口が、クライセンブルクの砲撃で塞がれた。
三番艦が急制動をかける。
その瞬間、前方護衛艦が横から副砲を重ねた。
共和国三番艦の灯殻防壁が白く震える。
「三番艦、進路喪失」
「境界線到達、失敗」
誰かがそう言った。
リオは画面を見ていた。
自分の予測線の上に、共和国三番艦が止まっている。
当たった。
喜びではなかった。
体の奥から力が抜けそうになった。
「メルク」
コルネリウスの声が来た。
リオは返事をしたつもりだった。
声になったかは分からなかった。
コルネリウスは画面から目を離さずに言った。
「お前の言った通りだった」
短い言葉だった。
それだけだった。
謝罪ではない。
褒め言葉でもない。
それでも、リオの胸の奥に残った。
「……次を見ます」
リオは言った。
「そうしろ」
コルネリウスが答えた。
共和国艦隊は、まだ諦めていなかった。
先頭艦が再加速する。
二番艦が前方護衛艦へ圧力をかけ、三番艦は制動から立て直そうとしている。無人機母艦は残った小型機を散らし、帝国側の照準を乱す。
採掘帯の光が、砲撃のたびに白く弾けた。
灯導砲の光。
灯殻防壁の波紋。
無人機が破裂する小さな閃光。
艦載機兵が帰還しながら、輸送艦の外縁で近接防衛灯槍を構える。
大きな艦と小さな機械と、人間の声が、同じ一つの戦場にいた。
「前方護衛艦、防壁負荷八割」
「輸送艦二番、炉温上昇」
「共和国先頭艦、再度境界へ」
「無人機群、左舷下方」
リオは一つずつ見た。
全部は見られない。
だから、見られるものを選ぶ。
通行枠境界へ向かう線。共和国艦隊が作りたい記録。帝国艦隊が塞ぐべき穴。
その一点に絞れば、戦場の意味が少しだけ見える。
「共和国先頭艦は、境界そのものへ入る気ではありません」
リオは言った。
「境界手前で帝国艦を撃たせるつもりです。こちらが先に評議会管轄宙域へ砲撃した記録を作る」
コルネリウスが目を細めた。
「撃たせて、帝国の協定違反にするのか」
「はい。直接入れないなら、こちらを撃たせる」
「艦橋へ」
リオは送った。
オスカーの反応は早かった。
「砲術、境界線内へ弾を入れるな。共和国先頭艦が誘っている。射角を絞れ」
「射角を絞ると命中率が落ちます」
「構わん。記録を取られるな」
共和国先頭艦が、境界手前で艦首をさらした。
撃てと言っているような動きだった。
クライセンブルクの主砲照準が一瞬、迷う。
オスカーが短く言った。
「待て」
砲撃しない。
その数秒が、戦場では長かった。
共和国先頭艦がさらに踏み込む。
境界線の手前で、艦体を斜めに滑らせた。
「今です」
リオは言った。
「境界外、艦尾側。そこなら記録に残りません」
「撃て」
主砲ではなく、副砲が撃った。
細い光が共和国先頭艦の艦尾側をかすめる。
防壁が歪み、共和国先頭艦の姿勢が乱れた。
その隙に、前方護衛艦が通行枠境界の外側へ艦首を入れ、道を塞ぐ。
共和国先頭艦はもう入れない。
二番艦も三番艦も、射界を失った。
「共和国艦隊、再編信号」
通信士官の声が変わった。
「後退準備と思われます」
まだ油断はできない。
だが、戦場の圧力が少しだけ変わった。
押し込まれていたものが、押し返した。
「追撃するか」
副長の声が艦橋から漏れた。
オスカーはすぐに答えた。
「しない。輸送船団を守る。前方護衛艦、深追いするな。後方護衛艦と四番輸送艦を第二変針点で回収する」
「了解」
共和国艦隊の線が、少しずつ外へ離れ始めた。
無人機群が散り、情報巡航艦が後退する。
機動戦艦三隻は、まだこちらへ砲を向けている。だが、通行枠境界へ入る線は消えていた。
リオはその線が消えるまで見ていた。
完全に消えるまで。
「境界線、保持」
コルネリウスが言った。
「共和国艦隊、航路通行枠への実効進入に失敗」
艦橋から、短い沈黙が返った。
それからオスカーの声が来た。
「全艦、現隊形を維持。損害確認。救助者搬送を継続。戦闘警戒は解くな」
通信が続く。
命令が続く。
戦場はまだ終わっていない。
それでも、解析室の中の張り詰めたものが、一瞬だけ緩んだ。
誰かが椅子に背を預けた。
誰かが小さく息を吐いた。
ユーリがリオの肩から手を離さないまま、低い声で言った。
「聞いたか」
「何を」
「失敗してない」
リオは返事をしようとした。
声が出なかった。
画面の端で、ミナから機関部報告が入った。
「星灯素炉、出力を通常配分へ戻します。防壁配分、回復中」
その声も、少し疲れていた。
でも、生きている声だった。
リオは目を閉じかけて、すぐに開いた。
まだ終わっていない。
でも、今だけは、ほんの一瞬だけ。
クライセンブルクの艦橋から流れてくる通信の密度が、わずかに下がった。
警報は鳴っている。
表示板は赤い。
共和国艦隊はまだ視界の中にいる。
それでも、張り詰めていた艦橋の呼吸が、少しだけ戻ったように聞こえた。




