外縁の灯
漂流している民間船は三隻だった。
一隻は採掘作業員用の小型連絡艇。識別名はセミラ号。
もう一隻は補給港と採掘塔を往復する荷役艇で、船体の一部が裂けている。最後の一隻は小さな家族用居住艇だった。居住艇は推進反応がほとんどなく、採掘塔群の陰でゆっくり回転していた。
リオはその三つの反応を、補助航路図の上に固定した。
「艦橋、第三解析区画。民間船三隻、位置確定。うち一隻、居住艇の姿勢制御が失われています」
「艦橋、了解」
通信士官の声に、別の声が重なった。
「艦載機兵隊、救難装備で待機完了」
女性の声だった。低く、少し掠れている。戦闘中に何度も叫んだ後の声だと分かった。
「こちら艦載機兵隊長、マルタ・ケーニヒ大尉。グライフ一番、二番、三番を救難仕様へ切替済み。射出許可を」
オスカーの声が入った。
「許可する。目標は民間船三隻の確保。共和国機へ深入りするな。救助を優先し、戦闘は避けろ」
「了解。救助優先。戦闘回避」
艦内表示に、艦載機兵三機の出撃準備が映った。
グライフ型艦載機兵は、帝国軍の標準的な艦外作業機だ。
戦闘用の装甲と近接防衛灯槍を持つが、本来の強みは腕部の精密作業と推進制御にある。採掘都市の外壁補修、損傷艦の牽引、漂流船の確保。戦艦の砲撃で決まらない細い仕事を、機兵が引き受ける。
今、三機の背には救難装備が追加されていた。
灯索と呼ばれる発光性の牽引用ケーブル、圧着式の船体固定具、簡易空気膜、外壁切断具。人を殺すための装備ではなく、人を連れ戻すための装備だ。
リオは出撃表示を見ながら、障害物密度を更新した。
採掘塔群の外縁には、戦闘で切断された支柱片が流れている。星灯素を含んだ粉塵が一部で濃くなり、探知の精度を落としていた。さらに、共和国の無人機母艦が外縁側で小型反応を広げ始めている。
救助作戦の空間は、狭い。
狭い上に、動いている。
「メルク」
コルネリウスが言った。
「グライフの安全接触ルートを出せ。優先順位は」
「居住艇、荷役艇、連絡艇です。居住艇の回転が一番不安定です。荷役艇は船体裂傷がありますが、まだ姿勢制御が残っています。連絡艇は推進反応が弱いだけで、通信が生きています」
「その順で艦橋へ」
「はい」
リオは三本の線を引いた。
一番機は居住艇へ。二番機は荷役艇へ。三番機は連絡艇を固定し、必要なら一番機の補助に回る。
ただし、採掘塔の旋回腕が問題だった。
リュミナ・ノード外縁の採掘塔は、星灯素を含む岩塊を掴んで切り出すために巨大な作業腕を伸ばしている。戦闘警戒で停止しているはずだったが、そのうち一本だけが低速で動いていた。
停止命令が通っていない。
通信障害か、電源系の損傷か。
理由は分からない。
その作業腕が、居住艇の回転軌道と少しずつ重なっている。
「一番機、接触までに採掘塔四号腕と交差します」とリオは送った。「現行ルートでは二分四十秒後に危険圏です」
「グライフ一番、確認」
ケーニヒ大尉の声が返った。
「代替は」
「上方から入るルートがあります。ただし星灯素粉塵が濃い。探知精度が落ちます」
「下からは」
「採掘塔の基部に近すぎます。機兵の推進炎で居住艇を押し出す恐れがあります」
「なら上だ。目を貸せ、解析」
「了解」
リオは上方ルートの補正を始めた。
画面上の線が、採掘塔群の陰をかすめて曲がる。粉塵の濃い領域に入ると、センサーの線が乱れた。機器は居住艇の位置を数秒ごとにずらして表示する。
そのたびに、リオの背中に小さな力が走った。
痛みというより、細い針が内側から押してくる感覚だった。
「また来た?」
ユーリが横で聞いた。
「少し」
「どこ」
「背中から、腰」
「強さは」
「まだ大丈夫」
「その言葉は採点対象外だ。数で言え」
「六」
ユーリがすぐに補液の量を調整した。
「七になったら止める」
「七になったら言う」
「お前が言う前に俺が止める」
リオは返事をしなかった。
返事をする余裕がなかった。
居住艇の回転が速くなっている。
小さな船体が、採掘塔の陰で白く光った。外壁の一部が剥がれて、内部の居住区が見えかけている。熱源反応は四つ。大人二人、子ども一人、もう一つは弱い。
「居住艇、生命反応四。うち一反応低下」
「通信は」
「弱いですが繋げます」
コルネリウスが頷いた。
「艦橋へ回せ」
短い雑音の後、民間回線が開いた。
「こちら帝国巡航艦クライセンブルク。聞こえるか」
艦橋通信士官の声に、かすれた女性の声が重なった。
「……聞こえます。こちら居住艇。エダ・クライン。子どもがいます。夫が、足を挟まれていて」
背後で子どもの咳が聞こえた。
「救助機を向かわせている。可能なら姿勢制御を切れ」
「切っています。勝手に回ってしまうんです。灯りが、落ちています」
「落ち着いて。救助まで五分以内」
リオは画面を見た。
五分。
今のルートなら四分三十秒で接触できる。
ただし、採掘塔の腕がこのまま動き続けた場合、三分後には居住艇の回転半径に入る。
「四号腕、危険圏まで三分」
「グライフ一番、加速する」
「加速しすぎると粉塵で姿勢を失います」
「どこまでならいい」
リオは計算した。
計算というより、数値の境目を探った。表示板の速度許容値だけなら幅がある。だが粉塵の濃淡と星海流の微細な流れを重ねると、通れる線は一本に近かった。
「現在速度から一二パーセントまで。十五を超えると、粉塵層の中で制動が遅れます」
「一二で行く」
グライフ一番の線が伸びた。
リオはその線に微修正をかけ続けた。
右へ二度。上へ一度。推進を切る時間を半秒早く。灯索射出位置を居住艇の回転軸より外側へ。
ケーニヒ大尉は短く応じながら動いた。
「右二、確認」
「上方補正、確認」
「推進断、確認」
画面の中で、グライフ一番が居住艇へ近づいた。
船体が回っている。
接触できる面は狭い。
「灯索、準備」
「待ってください」
リオは声を上げた。
ケーニヒ大尉が即座に止まった。
「何だ」
「船体右側、外壁の下に空気漏れがあります。そこへ灯索を打つと裂けます。左上、補助梁の根元にしてください」
「見えない」
「今、印を送ります」
リオは居住艇の外壁画像に印を付けた。
数値がぶれた。画像が乱れる。粉塵の影響で輪郭が一瞬消えた。
それでも、リオにはそこだけが妙に浮いて見えた。
壊れている場所ではなく、まだ持っている場所。
「送信」
「見えた」
ケーニヒ大尉が言った。
「灯索、撃つ」
表示板の中で、細い光の線が伸びた。
居住艇の左上に当たる。
一瞬、船体が跳ねた。
リオの心臓も跳ねた。
固定具が遅れて開き、補助梁に噛み合った。灯索が張り、居住艇の回転が少しだけ遅くなる。
「固定成功」
解析室の誰かが息を吐いた。
リオはすぐに次の画面へ移った。
「一番機、引きすぎないでください。内部に挟まれている人がいます。急に止めると負荷がかかる」
「了解。急に止めるな、だな」
「救助です」
「言い方の問題だ」
通信越しのケーニヒ大尉の声に、ほんの少しだけ笑いが混じった。
その一瞬だけ、解析室の空気がわずかに緩んだ。
すぐに別の警告音が鳴った。
「共和国小型反応、外縁側より接近」
艦橋通信士官が告げた。
「無人機か」
「小型偵察機と思われます。救助圏へ接近中」
オスカーの声が来た。
「近接防衛で追い払え。機兵は救助継続。共和国機へ深入りするな」
前方護衛艦の副砲表示が点いた。
射撃線が救助圏の外側をかすめる。小型反応が散った。
しかし、そのうち一つが採掘塔の陰へ入った。
グライフ二番が向かっている荷役艇の近くへ出る。
「二番機、右舷下方に小型反応」
「グライフ二番、確認。迎撃するか」
「しないでください」とリオは言った。「荷役艇の裂傷部に近い。灯槍を使うと破片が飛びます。二秒待ってください」
「二秒」
リオは小型反応の進路を見た。
偵察機は直進していない。採掘塔からの反射を拾って、少しずつ蛇行している。無人機の自動回避だ。
その蛇行の終点に、採掘塔の切断支柱があった。
「今、左へ」
「左」
「推進を一瞬だけ吹かしてください。強く。反応を支柱側へ押し出す」
「救助機でそんな使い方をするのか」
「戦闘しないで済みます」
「採用」
グライフ二番が横へ流れた。
推進炎が短く噴く。直接当てるほどではない。圧だけが小型偵察機の進路をずらした。
小型反応は支柱に引っかかり、そこで回転した。破裂はしなかったが、動きが止まる。
「無力化確認」
コルネリウスが短く言った。
「次」
次。
まだ次がある。
リオは荷役艇の裂傷部を拡大した。
船体内に二つの生命反応がある。一つは入口近く。もう一つは奥。奥の反応が弱い。
「荷役艇、奥に負傷者。外壁を切るなら、上面の薄い区画から。側面は裂傷が広がります」
「グライフ二番、了解。上面切開」
火花が散った。
切断具の光が、荷役艇の外壁に細い円を描く。
その時、リオの視界が少し暗くなった。
表示板の端が黒く沈む。
目を閉じていないのに、光が遠ざかる。
「リオ」
ユーリの声が近くで聞こえた。
「聞こえるか」
「聞こえる」
「目の焦点がずれた。交代しろ」
「まだ」
「まだじゃない。交代しろ」
リオは画面を見た。
居住艇は固定されたが、まだ中の人を出せていない。荷役艇は切開中。連絡艇は三番機が灯索をかけようとしている。
全部、途中だった。
「あと少し」
「お前のあと少しは、俺の悪夢だ」
ユーリの声が荒くなった。
「リオ、今ここで倒れたら、次の補正は誰が出す」
それは脅しではなかった。
事実だった。
倒れれば終わる。
リオは歯を噛んだ。
「座席の固定を強めて。画面を二枚に減らす。僕が読むのは居住艇と荷役艇だけ。連絡艇は班に回す」
ユーリが一瞬黙った。
「それなら三分だ」
「五分」
「三分」
「四分」
「三分半」
「わかった」
「今のわかったは記録する」
ユーリは補助具の設定を変えた。
背当てがリオの体を少し強く支える。腰にかかる重さが分散した。楽になったわけではない。ただ、崩れにくくなった。
コルネリウスが隣の解析員へ指示を飛ばした。
「連絡艇はお前が見る。三番機への誘導を引き継げ。メルクの表示を二隻に絞る」
「はい」
リオの画面から、連絡艇の情報が外れた。
自分の手から離れることに、少しだけ抵抗があった。
でも、離れたからこそ、残り二つが見えた。
支えられるとは、こういうことなのかもしれない。
全部を握らないこと。
握れないところを、誰かに渡すこと。
「一番機、居住艇の回転が止まります。止めきる直前に、内部負荷が上がる。二段階で」
「二段階、了解」
「二番機、切開後すぐに簡易空気膜を張ってください。荷役艇の内圧が落ちます」
「二番、了解」
画面の中で、二つの作業が同時に進んだ。
グライフ一番が灯索を緩め、締め、また緩める。居住艇の回転がゆっくり止まっていく。
グライフ二番が荷役艇の上面を切り、開いた穴に透明な光の膜を張る。内圧の低下が止まった。
「居住艇、救助口確保」
ケーニヒ大尉の声が言った。
「中へ入る。子どもを先に出す」
民間回線が開いたままだった。
「ニコ、こっち。目を閉じて。大丈夫、光の人が来た」
エダ・クラインの声が震えていた。
子どもが泣いている。
光の人。
リオは一瞬、その言葉に手を止めかけた。
画面の中では、グライフ一番の腕が居住艇の救助口に伸びている。機械の腕だ。装甲のついた、戦場で動く大きな腕だ。
それでも、中の子どもには、光の人に見えたのかもしれない。
「子ども一名、収容」
ケーニヒ大尉の声が来た。
「続いて女性一名。負傷男性、脚部挟まれ。切断具使用」
「固定具を先に」とリオは言った。「居住艇の床が歪んでいます。切ると反動で挟まれた部分が動く」
「固定具、了解」
グライフ一番の作業腕が、床の歪んだ部分を押さえた。
リオは息をするたびに、胸の奥が少し痛くなっていることに気づいた。
ユーリが時間を見ている。
三分半はとっくに過ぎている。
何も言わないのは、言わないと決めたからではないように見えた。言うタイミングを測っている顔だった。
「荷役艇、負傷者一名収容」
グライフ二番の声が入った。
「老人です。意識あり。出血あり」
別の通信が開いた。
「……オットー・ヴェルナー。採掘塔の整備を、三十年やった。まだ死ぬ予定はない」
掠れた声だった。
誰かが通信の向こうで「喋らないで」と言っている。
ユーリが小さく息を吐いた。
「元気な怪我人は面倒だ」
「助かる?」
リオが聞いた。
「ここまで来れば助ける。俺たちがな」
ユーリの答えは短かった。
その言葉は、リオの中に少しだけ残った。
俺たちが。
一人ではない形の言葉だった。
「居住艇、男性一名収容」
ケーニヒ大尉の声が来た。
「家族三名確保。残り一反応、ペットか荷物か判別不能」
「生命反応は弱いですが、人ではありません」とリオは言った。「小型の保温箱か、医療機器の灯導反応です」
「回収する余裕は」
リオは周囲を見た。
共和国艦隊の予測線が近い。無人機の小型反応も増えている。採掘塔四号腕は、居住艇のあった位置を今まさに横切ろうとしていた。
余裕はない。
でも、居住艇の中で反応しているそれが、ただの荷物ではない可能性もあった。
「形状が小さい。救助口から二メートル以内。十秒で取れます」
「十秒」
ケーニヒ大尉が言った。
「艦長、許可を」
オスカーの声が来た。
「十秒だけ許可する。それ以上は切れ」
「了解」
グライフ一番の腕がもう一度伸びた。
救助口の中から、小さな箱を掴み出す。
その瞬間、採掘塔四号腕が居住艇のすぐ外を通過した。
船体の外壁が触れ、破片が散った。
「一番機、退避!」
リオの声が出た。
グライフ一番が灯索を切り、後方へ跳んだ。
居住艇の残った船体が、採掘塔の腕に押されてゆっくり崩れていく。
中には、もう誰もいなかった。
解析室に、誰も声を出さない時間が落ちた。
十秒だった。
たった十秒で、助かったものと失われたものが分かれた。
「箱の中身は」
艦橋通信士官が聞いた。
ケーニヒ大尉の声が少し遅れて返った。
「子どもの薬です。灯導吸入器と予備薬」
ユーリが目を閉じた。
「取って正解だ」
リオは返事ができなかった。
喉が詰まっていた。
「民間船三隻、救助対象確保」
艦橋から報告が流れた。
「連絡艇乗員二名、荷役艇乗員二名、居住艇家族三名。負傷者二。全員、クライセンブルク医療区画へ搬送準備」
「グライフ隊、帰還コースへ」
オスカーの声が続いた。
「第三解析区画、帰還誘導を」
リオは返事をしようとした。
声が出なかった。
画面がまた暗くなる。
指先が冷たい。
「もう十分だ」
ユーリが言った。
今度は小声ではなかった。
「交代」
リオは首を振ろうとした。
その前に、コルネリウスが言った。
「帰還誘導は班で引き継ぐ。メルク、手を離せ」
リオは画面を見た。
グライフ三機の帰還線が引かれている。
別の解析員が、すでに補正を入れていた。線は悪くない。安全圏に入っている。
自分がいなくても、続いている。
そのことに、安堵と悔しさが同時に来た。
リオはゆっくり手を離した。
ユーリがすぐに肩を支えた。
「倒れるな。倒れるならこっちに倒れろ。床は硬い」
「……助かった?」
「助かった」
「全員?」
「今の報告では全員だ」
リオは目を閉じた。
まぶたの裏に、居住艇の小さな反応が残っていた。
子どもの咳。
光の人、という声。
採掘塔の腕が船体を押し潰す直前の、十秒。
「この人たちのためにも」
声に出ていた。
ユーリが少しだけ顔を近づけた。
「何だ」
リオは目を開けた。
表示板の向こうで、クライセンブルクの針路線がまだ曲がり続けている。共和国艦隊はその先を追っている。救助は終わったが、戦闘は終わっていない。
「やり遂げないと」
ユーリは何も言わなかった。
ただ、リオの肩を支える手に少しだけ力を込めた。
その力で、リオはまだ椅子に座っていられた。




