17.第二閲覧室3
ミミはゆっくりと階段を登っていった。
第二閲覧室、二階。ミミは周囲を確かめた。様相は一階と殆ど変わらない。
「……よし」
近くに虫はいない。
ミミはまた、ゆっくりと歩き出した。
「30-410」
ミミは雷を撃った。いつものように。
怯んだ虫へ走り寄る。その、途中。
ぎちっ!
ぶぶ……ぶううううう!!
「……えっ!?」
ミミは横を向いた。三つの通路を挟んだ、本棚の上。
鍬形が、飛ぼうとしていた。
「うっわ!?」
ぶうううん!
どがっ!!
ミミは体を低くした。その背中を掠めるように、大顎は本棚を打った。
前方には少し遠く。背後にはすぐ近くに。ミミは銃剣を抜いた。
そうそうやられて、たまるか!
「……ええいっ!」
ミミは体を捻り、片手で銃撃をした。弾丸は虫の腹を引き裂く。無理な方向へ跳ね上がる腕。
ぎいい!!
「ぅっ、ぐ……!」
肩と肘に痛み。ミミは前へ振り向く。既に鍬形が迫っていた。
杖剣を突き付ける。
「30-410っ!」
ぎい!
「09106-3-0!」
刃が電熱を帯び、甲殻を焼き切る。鍬形は頭を割られ、息絶えた。
ミミは後ろを振り返った。二匹目の鍬形は、腹からインクを零し、死んでいた。
「……」
ミミは周囲に目を配った。
動くものは、ない。
「……ふぅ……痛っ」
ミミは顔を顰めた。銃剣を持つ腕を、摩ったり揉んだりした。
「……はあぁ……」
羽ペンを取り出し、なぞる。
痛みはすぐに消えていく。
「……糞……痛かったな……」
一匹目の腹を、杖剣で切り裂く。流れ出るインク。
「……はあ。しんどい」
ミミはゆっくりと、歩き出した。
「ん……」
ミミは見つけた。インクも滴る、鍬形の死骸。それに集る虫達を。
「……またか」
ミミは周囲を見回した。足音を忍ばせ、本棚の陰を確かめて回った。
天井も見上げた。他に敵はいない。
「よし」
三匹の鍬形を、ミミは処理した。四匹分のインクが宙を滑った。
ミミは死骸を検めた。二階に上がってから、同じものを何度も見つけた。
その共通する特徴をも。
「これも、同じか」
鍬形は打撃されていた。甲殻を割られ、腹を潰されて。
インクは放置されていた。黒血は、板張りの床に染みを残して。
死骸は、点々と転がっていた。ミミはいつからか、それを辿って。
着いた先は、扉。
二階、写本室の扉だった。
「……」
ミミは二つの武器を携えて、ゆっくりと扉を開けた。
むっと、インクが臭った。
「ぅわ!?」
ミミが部屋に入るなり、多量のインクが舞い上がった。驟雨か、濁流のようなインクは、全て床から湧き上がったものだった。
床に転がる、夥しい数の死骸から。
「……」
インクが全て、インク壺に収まる。
暗闇は静けさを取り戻す。
二階写本室。灯りは、一つもない。
ミミはゆっくりと、一歩を踏み出した。
二歩。
三歩。
扉から入る、微かな光と濃い闇の中で。
ミミは、見つけた。
「……っ」
壁際。
寄りかかるように座り込む。
質感と色のない、輪郭のぶれた。
線描画のような人影を。
「……」
ミミは一歩、二歩と後退った。剣を握り締めた。
それから、人影に声を掛けた。
「……お、おい。聞こえるか?」
沈黙。
「なあ……おい!」
人影は、動かない。
「……そっちに行くからな……。あんたが何もしない限り、こっちには害意はないぞ。聞こえてるなら何とか言ってくれ」
反応はない。
ミミはゆっくりと近づいた。乏しい光量の中で、小さな呼吸だけは見て取った。
「……寝てるのか?おい、大丈夫か?」
ミミは片膝をつき、ゆっくりと手を伸ばした。
触れる。
「な……!」
ぬるり、と。
インクが、ミミの手を濡らした。
怪我をしているのか。
ミミが羽ペンを取り出そうとした、瞬間。
『触るな虫螻蛄っ!!』
ミミの手が、大きく払われた。
ミミは尻餅をついた。
「おいっ!僕は虫じゃない!人間だ!」
ふわりと、ミミのフードが。そして前髪が揺れる。
「……ぁ」
硬い、棍棒の先端が、ミミの額に据えられていた。
少し。戸惑うような間を置いてから、棍棒は引かれた。ミミはただ、見送った。
人影はミミを見下ろした。すっと手を伸ばした。ミミには何もできないほど、素早く。
細い首に、添えた。
声ならぬ声が、ミミの脳裏に響いた。
『痛い。あんたが誰か知らないけど、あたしに何の用があるの?あたしって誰?ここはどこ?あんたは誰?痛い。不便でごめんね。あたしは声が出せないの。こうすれば、心の中が伝わるみたい。そういう呪いなの。痛い。呪いってなんだっけ?ああ、何かだるいな。痛い。あんたが何者かは知らないけど、あたしを殺す気なら今すぐ殺すから。痛い。首細いなあ。女の子かな。脅かしてごめんね。伝わったかな?ここはどこなんだろう。あたしは何でここにいるのかな。虫螻蛄どもは近くにはいないか。殺しまくってやったからね。痛いなぁ。次見たら殺してやる。痛い。やばいな、くらくらしてきた。こいつも殺しておいたほうがいいかな?痛い。もういいか、多分。伝わったよね。ねえ、助けて』
「……ぅわ!」
それは、ミミに流れ込むようだった。たった数秒。音ではなく、言葉ではなく。
散らかり放題の、思念だった。
人影はミミから手を離した。一歩、二歩、よろめくと、壁に背をつけた。
小さく、細い呼吸。
ミミは人影を見上げた。ゆっくりと立ち上がった。
「……これを使って」
ミミは人影に、紙の栞を手渡した。人影は戸惑うような間を置いて、受け取った。
「それを破れば、僕が拠点にしている『安全な場所』に行ける。僕もすぐに行く。君が大人しくしていれば、治療もしてあげる。どう?」
人影は小さく頷くと、栞を破り捨てた。インクが宙を取り巻く。
人影はもう、いなかった。
「……ふぅ」
ミミは栞を取り出した。周囲を見回した。
暗闇に転がる、死骸。それらは全て、同じように。
甲殻を打ち割られていた。
ミミは栞を破った。インクが舞って、写本室は無人になった。
花の栞
可愛らしい押し花の栞。使用者を任意の書見台へ転送する。汎用永久自動人形、備品のアリエルにより作られた便利な道具、その一つ。
栞は中途の記録であり、手に取ることでその位置を思い出す。本来は、栞を挟む直前まで行っていたことや考えていたことを保存し、想起するものだった。
本のどこに差し挟もうと、根のない花はいつまでも咲いている。綴じられた時の中で、それは不変の標となるものだ。




