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葉音を紡ぐ ――世界樹の麓で  作者: 葉森かなで


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9 葉っぱ係はひみつの練習中

 巣の朝は、少しずつ賑やかになってきていた。


 部屋の隅では、一葉が妹たちの寝床を整えている。

 反対側では、生まれたばかりの子たちが、ころころと転がるように身を寄せ合い、時々「おなかすいた」「ねむい」「おねえちゃあ」と思い思いに鳴いていた。

 そのさらに向こうでは仁がいつもの無駄のない手つきで、何やら細い枝と葉片を選り分けている。


 以前なら静まり返っていた巣は、いまやすっかり“家”らしい音で満ちていた。


 蜜葉乃はその様子を眺めながら、卵ではなく娘たちを抱えて眠る朝にも、少しずつ慣れてきた自分に気づく。


「ふふ……にぎやかですねえ」


「えへへ……にぎやかです……」


 すぐそばで返事をしたのは一葉だった。

 もうすっかりお姉さんの顔で妹たちの世話を焼き、巣の外へも出て、働き手として一人前になろうとしている。


 とはいえ、まだ幼さは残っている。

 今日も髪の片側に葉っぱの切れ端をくっつけたまま、本人だけが気づいていない。


「一葉、髪に葉っぱがついていますよ」


「えっ」


 一葉が慌てて頭に手をやる。

 その様子があまりに素直で、蜜葉乃は思わずくすりと笑った。


「女王さま、笑いましたね……」


「少しだけです」


「いま絶対いっぱい笑いました……」


「いいえ、ほんのりです」


「ほんのりって何ですか……」


 そんなやり取りをしていると、通路の向こうから、ぱたぱたと小さな足音が近づいてきた。


 現れたのは、妹のひとりだった。


 一葉より少し小柄で、ふわりと丸い雰囲気のある子だ。普段はおとなしいが、一度何かに興味を持つと、その瞳の奥にぱっと火が灯るような集中が宿るところは、この子だけのものだった。


 その娘は、胸に大事そうにしおれかけた葉を抱えていた。


「あら」


 蜜葉乃は首を傾げる。


「その葉っぱ、どうしたのです?」


 娘はぴたりと足を止めた。

 まるで見つかると思っていなかった子どもの顔で、しばらく固まる。


「……えっと」


「はい」


「これは、その……ひみつ、です……」


「まあ」


 蜜葉乃が目を丸くすると、娘は葉っぱをぎゅっと抱え直した。

 その様子がいかにも怪しい。怪しいのに、本人は隠すのがあまり上手ではないので、だいたい全部顔に出ている。


「ひみつなのですか」


「はい……」


「わたしにも?」


「女王様にも……」


「それは大変です」


「だ、大変ですか……?」


「ええ。だって、ひみつにされると気になりますもの」


 蜜葉乃が困ったように笑うと、娘は「うぅ」と小さく唸った。

 ちょうどその時、奥から仁がこちらへ視線を向ける。


「何か問題でも」


「ひみつがあるそうです」


「なるほど」


 仁はすぐに頷いた。


「でしたら見守りましょう」


「仁、そういう時だけ理解が早くありませんか」


「秘密は自発的に明かされるからこそ価値がございますので」


「執事さんらしいような、違うような……」


 蜜葉乃がそう言う横で、娘はこそこそと後ずさった。


「双葉」


 蜜葉乃は思わず呼びかけた。

 逃げかけていた脚がぴたりと止まる。

 通路の途中で娘――双葉は、なんともいえない顔でこちらを見た。


 蜜葉乃はやわらかく微笑む。


「あなたのお名前、双葉にしましょう」


「……ふたば」


「ええ。あなたにぴったりだと思うのです。やわらかくて、やさしくて、でもこれからすくすく育っていく、芽吹いたばかりの葉っぱみたいでしょう?」


 双葉はきょとんとした。

 それから、自分の胸に抱えたしおれた葉と、蜜葉乃の顔とを見比べて、やがてぱあっと頬を明るくする。


「……双葉、ですか」


「はい」


「わたし、双葉……」


「お気に召しませんか?」


「い、いえ……!」


 双葉はぶんぶんと首を振った。


「すき、です……! すごく、すき……!」


「まあ、よかった」


 蜜葉乃が嬉しそうに笑うと、双葉は葉っぱを抱えたまま、ぱたぱたと駆けてきた。

 その勢いのまま蜜葉乃の膝にぴとっとくっつく。


「女王さま、ありがとうございます……!」


「どういたしまして」


「ふたば……ふたばです……」


 何度も自分の名前を確かめるように呟く姿が愛らしくて、一葉も隣で頬を緩めた。


「双葉、よかったね」


「うん……!」


「すごく似合ってる」


「ほんと……?」


「ほんと」


 双葉はえへへ、と笑った。

 そのまま少しだけ、抱えていた葉を後ろに隠す。


 蜜葉乃はその動きに気づいて、目を瞬いた。


「そういえば、そのひみつの葉っぱは何でしょう」


「…………」


「双葉?」


「…………まだ、ひみつです……」


 どうやら名前をもらっても、秘密は秘密らしい。


 仁が静かに口を開く。


「秘密の保持に対する意志が強いようで何よりです」


「仁、そういう褒め方で合っていますか?」


「少なくとも目的意識は明確です」


「目的が“しおれた葉を隠すこと”でもですか?」


「現時点では」


「現時点とは」


 そんな会話のあいだに、双葉はそろそろと蜜葉乃の膝から離れ、また通路の奥へ向かっていった。自分の名前をもらって少し勇気が出たのか、背中がほんの少しだけ得意げに見える。


 一葉はその後ろ姿を見送ってから、そっと首を傾げた。


「……双葉、最近ああなんです」


「最近?」


「葉っぱとか、茎とか、ちいさい根っことかを、こっそり集めてて」


「まあ」


「でも、隠すんです。『まだだめなの』って」


 蜜葉乃はおや、と思った。

 双葉はもともと、巣に持ち込まれた葉や繊維に興味を示すことが多い子だった。仁がアブラムシのために運び込んだ植物の切れ端をじっと見ていたり、しおれた葉をひっくり返して観察していたり。おっとりしているのに、植物が絡むと妙に執念深い。


「何をしているのでしょうねえ」


「私も気になってるんですけど……」


 一葉は少し困ったように眉を下げる。


「見つかると、すぐ隠しちゃうんです」


「では、本当にひみつなのですね」


「たぶん……」


 仁は少し考えるように目を伏せた。


「植物関連の行動が増えているのであれば、観察対象としては興味深いですが」


「観察対象」


「双葉は以前から、植物の状態変化に対する反応が顕著でした。枯れかけた葉の水分保持率が、双葉が触れた後だけわずかに改善していた事例もあります」


 蜜葉乃と仁が話している頃、通路の奥では双葉がひとり、小さな物置き部屋の隅にしゃがみこんでいた。


 そこはもともと、仁が余った葉片や繊維を一時的に保管している場所だ。

 双葉はその隅に、こっそり自分だけの“実験場”を作っていた。


 丸い小石で囲った小さな区画。

 しおれかけた葉っぱが三枚。

 細い茎が二本。

 少しだけ湿らせた土。

 そして、仁に見つからないように隠しておいた、小さな水滴のたまった葉殻。


「……よし」


 双葉は小さく呟く。

 誰に聞かせるでもない、けれど本人なりにずいぶん真剣な声だった。


「げんきに、なる……げんきに、なるの……」


 両手で葉を包むようにそっと触れる。

 しおれた葉脈をなぞるように指先を滑らせて、双葉は目を閉じた。


 こうすると、なんとなくわかるのだ。

 この葉っぱがどれくらい喉を渇かせているか。どこが弱っていて、どこにまだ元気が残っているか。どんなふうに土を湿らせれば、少し楽になるのか。


 もちろん、双葉にもまだ理屈はわからない。

 ただ、やってみたいと思った。

 この葉っぱを元気にできたら、巣の中の植物ももっと長持ちするかもしれないし、アブラムシたちのごはんも増えるかもしれない。そうしたらおかあさまも、妹たちも、もっと困らなくて済むかもしれない。


「がんばれ……」


 双葉が真剣に念じていると、背後からふいに声がした。


「双葉」


「ひゃあっ!?」


 飛び上がるように振り返ると、そこにいたのは一葉だった。


「い、一葉……!」


「ごめんね、驚かせちゃった」


 一葉はしゃがみこんで、双葉の前に並んだ葉っぱを見た。

 しおれた葉、湿らせた土、小さな区画。どう見ても、何かを育てようとしている。


「これ、練習してたの?」


 双葉は少しだけ迷ってから、こくんと頷いた。


「……葉っぱ、元気にしたくて」


「元気に?」


「うん。あぶらむしたちの葉っぱ、すぐしょんぼりしちゃうでしょ……。だから、もっと長く食べられるようにしたくて」


 一葉は目を丸くした。

 それからすぐに、やわらかく笑う。


「双葉、すごいね」


「すごくないよ……まだぜんぜん、うまくいかなくて……」


「でも、やってみようって思ったんでしょう?」


「……うん」


「それって、すごいことだよ」


 双葉は照れたように目を伏せた。

 けれども、一葉に否定されなかったことが嬉しかったのか、しおれた葉を包む手に少しだけ力がこもる。


「ねえ、見ててくれる?」


「もちろん」


 一葉が隣に座る。

 双葉は小さく息を吸って、もう一度葉に手を添えた。


「……みず、もうちょっと」

「こっちは、あったかいほうがいい」

「でも、じめじめしすぎると、だめ……」


 ぶつぶつと独り言のように呟きながら、土を少し寄せ、水滴をひとしずくだけ落とし、葉の向きを変える。

 すると、しばらくして。

 くたりと折れていた葉先が、ほんの少しだけ持ち上がった。


 一葉が息を呑む。


「双葉……!」


「えっ、えっ」


「いま、動いた!」


 双葉も目を丸くした。

 しおれた葉が、ほんのわずかに、けれどたしかに元気を取り戻している。葉脈に水が戻るみたいに、表面の張りが少しだけ変わっていた。


「……ほんとだ」


「すごいよ双葉!」


「わ、わたし、できた……?」


「できたよ!」


 一葉は自分のことみたいに嬉しそうだった。

 双葉はしばらく呆然としていたが、やがてじわじわと頬が赤くなる。


「……できたぁ」


 その声があんまり嬉しそうで、一葉までつられて笑った。


「女王さまと仁にも見せよう!」


「えっ、だめ、まだだめ……!」


「どうして?」


「だって、ひとつだけだもん……! もっとちゃんと、いっぱいできるようになってから……!」


 双葉は慌てて葉を抱え込む。

 一葉は少し考えて、それからうん、と頷いた。


「じゃあ、私も秘密にする」


「ほんと?」


「ほんと。双葉が“もういいよ”って言うまで、内緒」


 双葉はほっとしたように息をついた。

 そして少しだけ、一葉に身を寄せる。


「いちよう……」


「なあに?」


「応援、してくれる?」


「するよ」


「失敗しても?」


「する」


「へんなの生えてきても?」


 一葉はそこで一瞬だけ首を傾げた。


「……へんなの?」


「わかんないけど、なんか、たまに予想とちがうのが出るの……」


「それはちょっと気になるなあ」


「でも、だめって言わない?」


「危なくなければ、たぶん」


 双葉はようやく笑った。


「じゃあ、がんばる……!」


 それから数日、双葉の“ひみつの練習”は続いた。


 一葉は本当に秘密を守った。

 その代わり、こっそり双葉の実験場に水を運んだり、葉っぱの切れ端を拾ってきたり、仁に怪しまれないように双葉の不自然な挙動をさりげなく誤魔化したりした。


 けれど、誤魔化しには限界がある。


 ある日の昼過ぎ、仁は創設室に戻るなり、静かに言った。


「一葉、先ほどから第三通路に、用途不明の小石区画が三つ増えておりますが」


「……えっと」


「さらに葉片保管庫の在庫が、記録上より二割ほど減っております」


「……えっと」


「加えて、双葉がここ数日、やたらと土の湿度を気にしておられます」


「…………」


「何かご存じですか」


 一葉は観念した。


「……少しだけ」


「少し」


「双葉が、葉っぱを元気にしようとしてて……」


 仁の目が、すっと細くなる。


「なるほど」


 その声色に怒りはない。

 だが、何かを把握した執事の顔をしている。


「ご案内いただけますか」


「怒らないでくださいね……!」


「内容によります」


「こわい……!」


 結局、一葉に連れられて、蜜葉乃と仁は双葉の“実験場”を見ることになった。


 物置き部屋の隅に作られた小さな区画は、最初より少しだけ立派になっていた。

 葉っぱが数枚、茎が数本、小さな土の山が二つ。そして――


「あら」


 蜜葉乃が目を瞬く。


「なんだか、元気ですねえ」


 しおれていたはずの葉が、思ったよりずっとしゃんとしている。

 茎の切り口もまだ新しく、葉色も悪くない。


 双葉は実験場の前で、しゅんと縮こまっていた。


「ご、ごめんなさい……勝手に葉っぱつかって……」


「叱っているわけではありませんよ」


 蜜葉乃がしゃがみこんで目線を合わせる。

 双葉はおずおずと顔を上げた。


「双葉が育てたのですか?」


「……うん」


「まあ、すごい」


「で、でも、まだちゃんとできたりできなかったりで……へんなふうになることもあるの……」


「へんなふう?」


 物置き部屋のさらに奥、通路の壁際。

 そこには、見覚えのない白っぽいものが、ぽこぽこと三つほど生えていた。


 蜜葉乃はしばらくそれを見つめ、それから静かに言った。


「……きのこですね」


「きのこです」


 一葉がそっと呟く。


「これが、双葉の言ってた“へんなの”……」


 双葉は真っ赤になった。


「ち、ちがうの……! 葉っぱを元気にしたかっただけなのに、なんか、こっちに出てきちゃって……!」


「通路脇の湿度と胞子環境がたまたま噛み合ったものと思われます」


「仁、そんな冷静に分析しないであげてください」


「現状把握は重要ですので」


 とはいえ、仁の目は少しだけ真剣だった。

 彼はしゃがみこんで、きのこの傘をじっと観察する。


「……無害種と思われます」


「食べられますか?」


 蜜葉乃が聞くと、仁は数秒考えた。


「慎重を期すなら、試食は私が先に」


「食べる気なのですか」


「食料問題の改善に繋がる可能性があります」


「執事さん、最近なんでも食料候補に見えていませんか」


「否定はいたしかねます」


 双葉はおろおろと二人を見比べた。


「お、おこってない……?」


 蜜葉乃はふっと笑って、双葉の頭を撫でた。


「怒っていませんよ」


「ほんと……?」


「ええ。むしろ、とても立派です。みんなのために、こっそり頑張っていたのでしょう?」


 双葉は目を丸くする。

 そして、こくんと小さく頷いた。


「……女王さまが、もっと元気になれるようにしたかったの。あぶらむしたちが、いっぱい蜜をくれたら、みんなおなかすかないかなって」


 その言葉に、蜜葉乃の胸がじんわりと熱くなる。


 この子たちは、自分が思っているよりずっと、巣のことを見ている。

 家族のことを考えている。

 まだこんなに小さいのに。


「ありがとう、双葉」


 蜜葉乃は双葉をそっと抱き寄せた。


「そんなふうに考えてくれて、とても嬉しいです」


「……うん」


「ただ、ひとりで抱え込まなくても大丈夫ですよ。困ったら、一葉にも、仁にも、わたしにも言ってくださいね」


「……はい」


 双葉はこくりと頷いてから、そっと仁を見上げた。

 仁は少しだけ考えるように沈黙し、やがて静かに口を開く。


「双葉」


「は、はい……」


「実験は継続してください」


 全員が、ぱちりと瞬いた。


「……よろしいのですか?」


 蜜葉乃が尋ねると、仁は頷く。


「植物の維持能力が事実であれば、巣にとって極めて有益です。アブラムシの飼料確保、食用植物の保存、将来的な栽培区画の設計にも応用可能かと」


「まあ」


「加えて、きのこが再現性を持って栽培可能であれば、これも新たな食料資源になります」


「もうすっかり農園計画になっていますねえ」


「執事の守備範囲ですので」


「本当に?」


「少なくとも、いまから含めます」


 仁は真顔だった。

 双葉はおそるおそる目を瞬く。


「……じゃあ、やっていいの?」


「はい。ただし条件があります」


「条件……」


「勝手に保管庫の葉片を持ち出さないこと。使用量を申告すること。湿度の高い区画を増やす場合は事前相談すること。そして、きのこが増えた場合は通路ではなく専用区画に誘導すること」


「専用区画」


「本日中に整備します」


「早い」


 一葉が思わず呟くと、仁は当然のように続けた。


「植物栽培区画を一つ、菌類養殖区画を一つ。アブラムシ飼育区画との動線も見直しましょう。双葉には葉の維持と栽培試験を担当していただきます」


「え、え、え」


 双葉は完全に目を回していた。

 自分のひみつの練習が、急に正式な役割になってしまったので無理もない。


 一葉はおかしそうに笑う。


「双葉は葉っぱ係さんだね」


「葉っぱ係……」


 双葉はぽかんとしたあと、じわじわと頬を赤くした。


「……すてき」


「ええ」


「葉っぱ係……わたし、葉っぱ係……」


 よほど気に入ったらしい。

 さっきまでしゅんとしていたのが嘘みたいに、目がきらきらしている。


 一葉が隣で笑う。


「よかったね、双葉」


「うん……! わたし、がんばる……!」


「私も手伝うよ」


「一葉も?」


「もちろん。葉っぱ運ぶの、得意だし」


「じゃあ、わたしは区画設計を」


 仁が言い出し、蜜葉乃がすかさず首を傾げた。


「仁、それは手伝うのではなく、ほとんど主導ではありませんか」


「最適化です」


「便利な言葉ですねえ」


 その日のうちに、巣の一角はまた少し様子を変えた。


 仁が通路の脇を拡張し、湿度の異なる小部屋を二つ増やす。

 一つは葉物や茎を保つための栽培区画。もう一つは、問題のきのこを隔離して様子を見るための菌類区画である。


「執事さん、増築の理由が『きのこが勝手に生えたから』になる日が来るとは思いませんでした」


 蜜葉乃が感心したように言うと、仁は淡々と返した。


「巣の発展には柔軟な対応が必要です」


「きのこにも?」


「きのこにも」


「立派ですねえ」


「恐縮です」


 たぶんあまり恐縮していない声音だった。


 双葉はというと、新しくできた栽培区画の前で、きらきらした目をしていた。

 しおれた葉、細い茎、小さな根。今までこっそり集めていたものが、ちゃんと並べられている。しかも、ただ置かれているだけではない。湿り気の違う土、日持ちのしやすい葉の保管場所、水滴を集めるための小さな窪みまで作られていた。


「すごい……」


「双葉の作業効率を上げるためです」


「わたしの……?」


「はい。葉っぱ係の職場環境整備は、執事の担当かと」


「職場環境」


「双葉が葉を元気にし、アブラムシの餌を維持し、場合によっては食用植物や菌類まで育ててくださるなら、それはもはや巣の重要業務です」


 双葉は目をぱちぱちさせた。

 それから、ふにゃりと嬉しそうに笑う。


「……がんばる」


「期待しております」


「はいっ」


 一葉も横から身を乗り出した。


「ねえ双葉、私、水運ぶよ。あと葉っぱも集める」


「ありがとう、一葉……!」


「でも、また通路にきのこ生やしたら教えてね」


「う、うん……たぶん……」


「“たぶん”なんだ」


 姉妹のやり取りに、蜜葉乃はまた笑う。

 妹たちも何事かと寄ってきて、栽培区画の前はあっという間に小さな人だかりになった。


「なにこれー」

「おへやふえた!」

「きのこ?」

「きのこだ!」

「たべもの?」

「まだ観察対象です」


 仁が即答する。


「観察対象なのですねえ」


「試食は段階を踏みます」


「段階を踏む前提なのですね」


 蜜葉乃はすっかり呆れ半分で笑っていた。

 けれど胸の奥には、確かなあたたかさが広がっている。


 少し前まで、この巣には何もなかった。

 卵と、自分ひとりだけだった。

 それが今では、娘たちがいて、笑い声があって、アブラムシの牧場があって、葉っぱ係がいて、執事がきのこ部屋を増築している。


 どう考えても賑やかすぎるし、少しおかしい。

 でも、とても愛おしい。


 その夜、栽培区画の様子を見に行った蜜葉乃は、小さく目を見張った。


 昼間しおれていた葉が、いくぶんしゃんとしている。

 双葉がそっと触れていた茎には、ほんのわずかだが新しい芽のような膨らみも見えた。

 そして――菌類区画では、朝より確実にきのこが増えていた。


「……まあ」


 蜜葉乃が呟くと、隣にいた仁も静かに頷いた。


「増えておりますね」


「増えていますねえ」


「予定より早い増殖です」


「そんな予定を立てていたのですか」


「一応」


「きのこにも一応があるのですね……」


 すると、後ろからぱたぱたと足音がした。

 双葉と一葉だ。どうやら二人とも、気になって眠れなかったらしい。


「女王さま、どうでした……?」


 双葉が不安そうに尋ねる。

 蜜葉乃は振り返って、やわらかく笑った。


「大成功ですよ、双葉」


「……ほんと?」


「ええ。葉っぱも元気になっていますし、きのこも増えています」


「きのこも……」


 双葉は少し複雑そうな顔をした。

 葉っぱを元気にしたいのに、なぜかきのこまで育つのは、本人にもまだ納得がいかないらしい。


 一葉がその肩をぽんと叩く。


「双葉、すごいよ」


「でも、きのこ……」


「うん、きのこだけど」


「葉っぱ係なのに……」


「きのこも葉っぱの仲間みたいなものだと思えば」


「だいぶ違うかと」


 仁が冷静に訂正する。

 けれどその直後には、ほんのわずかに口元を和らげた。


「とはいえ、区画管理上は同系統業務として扱って差し支えありません」


「つまり?」


 蜜葉乃が尋ねると、仁は一礼した。


「双葉には、本日付で“葉っぱ係兼きのこ係”を兼任していただきます」


 双葉はぽかんとした。

 一葉は吹き出した。

 蜜葉乃は肩を震わせ、妹たちは「きのこ係!」「きのこ係だー!」と大喜びしている。


「仁」


「はい」


「それは少し肩書きが増えすぎではありませんか」


「人材は多機能であるほど有用ですので」


「双葉はまだ小さいのですよ」


「承知しております。ですので補佐体制を整えます」


「具体的には?」


「私が栽培区画と菌類区画の維持管理を担当し、一葉には資材運搬と双葉さまの監督補助をお願いしたく」


「いつのまにそんな立派な部署に」


「本日付で発足しました」


「早いですねえ……」


 双葉はまだ状況についていけていない様子だったけれど、やがておそるおそる言った。


「……じゃあ、わたし、もっと葉っぱ元気にする」


「はい」


「きのこも、ちゃんとおへやで育てる」


「助かります」


「女王さまと、みんなのおなか、すかないようにする」


 その言葉に、蜜葉乃はふっと目を細めた。

 双葉の頭をそっと撫でる。


「ありがとう、双葉」


「えへへ……」


「でも、無理はしなくていいのですよ。あなたはまだ小さいのですから」


「うん……でも、やりたいの」


 おっとりした声なのに、その芯だけは不思議なくらい揺らがなかった。

 植物のことになると、この子はちゃんと前へ進もうとする。


 蜜葉乃はそのことが、誇らしかった。


 通路の向こうでは、また妹たちが騒いでいる。

 アブラムシの世話を見に行きたい子、きのこを数えたい子、双葉の新しい係名を面白がって何度も呼ぶ子。


 一葉はその輪の中心で、「押さないでー」「順番だよー」と早くも姉らしく立ち回っていた。

 仁はそんな娘たちの横をすり抜けながら、すでに次の増築計画を頭の中で組み立てているらしい。


 巣は、また少し広くなるだろう。

 食べるための部屋が増え、育てるための部屋が増え、家族が暮らすための場所が増えていく。


 土の下の小さな王国は、まだ頼りなくて、まだ何もかも足りない。

 それでも少しずつ、ちゃんと“暮らし”の形になっていく。


「ふふ」


「どうかなさいましたか、女王さま」


「いえ。葉っぱ係さんがいて、きのこ係さんまでいて、ずいぶん賑やかな巣になったなあと思いまして」


「訂正いたします」


「まあ、何でしょう」


「葉っぱ係兼きのこ係、です」


「そこは大事なのですね」


「職掌は明確にすべきかと」


 仁が真顔で言うので、蜜葉乃はとうとう声を上げて笑ってしまった。


 その笑い声につられて、双葉も、一葉も、妹たちも笑う。

 巣の中に、やわらかな声がいくつも重なっていく。


 葉っぱが育つ。

 きのこが増える。

 娘たちが笑う。

 仁が部屋を増やす。


 そんな、少しおかしくて、とても愛しい日々の中で。

 双葉は今日、自分の名前と、自分の役目をひとつ手に入れたのだった。



仁の日誌


•双葉の植物維持能力、継続観察対象

•栽培区画および菌類養殖区画を新設

•通路でのきのこ栽培は衛生管理上よろしくないため、以後は禁止

•ただし収穫効率は高い。再発時は速やかに区画移送すること

•一葉、秘密保持は得意だが挙動に出やすい

•巣が日に日に賑やかである


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