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葉音を紡ぐ ――世界樹の麓で  作者: 葉森かなで


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8 長女はお姉ちゃんをがんばりたい

 巣が、少し狭くなってきた。


 最初は卵しかなかった一室に、幼虫が増え、蛹が並び、やがて羽化した娘たちが加わる。

 創設室の隅には保温材の山があり、隣室には仁が作ったアブラムシ牧場があり、通路には備蓄用の葉片や繊維束がきちんと積まれている。


 以前は、土の匂いと卵の気配しかなかった巣だ。

 それが今では、寝返りを打つ娘の気配、誰かが笑う声、保温材を運ぶ音、アブラムシの区画を点検する仁の足音まで混ざり合って、ひどくにぎやかになっていた。


「……まあ」


 創設室を見渡して、蜜葉乃はぽつりと呟いた。


「本当に、増えましたねえ」


「はい」


 返事をした仁は、通路の入り口で立ったまま、巣内を静かに見回している。

 いつもの黒い衣はきっちり整えられ、濡れ羽色の髪も乱れない。けれど手元には土の粒度を見るための小さな葉片と、通路の寸法を書き留めたらしい薄い土板がある。


 嫌な予感しかしない。


「仁、その板は何です?」


「増築計画の草案です」


「やっぱり」


「現状、育房区画、蛹区画、牧場区画、女王休養区画が互いに干渉しはじめています。加えて、本日中に蛹がさらに二体羽化する見込みですので、巣の再編成が必要かと」


「再編成」


「簡単に申し上げると、お引っ越しです」


「まあ」


 蜜葉乃は目を瞬かせた。


 巣のお引っ越し。

 といっても地上へ移るわけではない。創設室を中心に、隣接する空間を少しずつ掘り広げて、育房室や備蓄室を分けていく、巣の拡張だ。


 必要なのはわかる。

 実際、最近は娘たちが寝返りを打つたびに隣の妹へぶつかっていたし、一葉が保温材を運ぶたびに「ここ、せまいです!」と叫んでいた。

 それでも、蜜葉乃は少しだけ眉を下げる。


「でも、仁ひとりでは大変ではありませんか」


「はい。ですので、本日からは羽化済みの娘たちにも軽作業を割り振ります」


「まあ」


「もっとも」


 仁の視線が、創設室の中央へ向く。


 そこでは、長女の一葉が、妹たちを前に仁王立ちしていた。


「みんな、いいですか!」


 ぴん、と背筋を伸ばした小さな身体。

 まだ幼さは残るけれど、以前より表情にきりっとしたものが増えた。銀髪は相変わらず少し跳ねていて、蜜葉乃に似た姿はあどけないままだが、その顔には今、強い使命感が宿っている。


「わたしは長女です!」


 元気よく言い放つ。


「なので、きょうから、みんなをちゃんとおせわします!」


 その宣言に、創設室の空気が一瞬止まった。


 妹たちは、つい先日羽化したばかりの子も多い。

 まだ身体つきも小さく、羽化直後のやわらかさが抜けきっていない者もいる。姉の話を聞いているような、いないような顔で、ころんと座ったり、保温材をいじったりしていた。


 そのうちのひとりが、首を傾げる。


「おせわって、なあに?」


「えっとですね」


 一葉はぴしっと胸を張った。


「まず、ころばないようにすることです!」


「一葉」


 仁が静かに口を挟む。


「それは自分への指示では」


「……はい」


 一葉がしゅんとした。

 けれどもすぐに立て直し、こほんと咳払いをする。


「とにかく! わたしがお姉ちゃんとして、みんなにいろいろ教えます!」


「なにを?」


「えっと……」


 そこで一葉は詰まった。


 蜜葉乃は思わず口元を押さえる。

 やる気はあるのだ。とてもある。けれど、勢いだけで走り出してしまうところが、いかにも一葉らしい。


 すると仁が、助け舟を出すように口を開いた。


「では、一葉」


「はいっ」


「本日のあなたの役割は、羽化した妹たちのまとめ役です」


「まとめやく!」


「ええ。新しく目覚めた者に巣内の配置を教え、危険な場所に近づかないよう見ていてください。あとは、保温材の配布補助と、必要に応じて私の作業連絡役を」


「できます!」


「返事は立派です」


「できます!」


「同じことを二度言わなくて結構です」


「……はいっ」


 元気のよさだけは満点だった。


 その日の午前中、巣はひどく慌ただしかった。


 ひとり、またひとりと蛹が羽化しはじめる。

 やわらかな身体を震わせながら目を開ける娘たちを、蜜葉乃はひとりずつ抱き寄せ、名前を呼ぶように優しく声をかける。まだ言葉もおぼつかない娘たちは、蜜葉乃の匂いに触れると安心したように身を寄せ、しばらくすると今度はきょろきょろと巣の中を見回しはじめる。


 そこへ一葉が、得意げに現れるのだ。


「わたしは長女の一葉です!」


「いちよう?」


「はい! お姉ちゃんです!」


「おねえちゃん……」


「なので、わからないことがあったら聞いてください!」


 胸を張る姿はなかなか立派だった。

 ただし、その十分後には。


「仁ー! この子がどこで寝ればいいのかわかりません!」


「右奥の保温区画です」


「右ってどっちでしたっけ!」


「一葉」


「はい」


「まず自分が覚えてください」


「はい……」


 こうなる。


 あるいは、妹に水気を含ませた繊維を渡そうとして、自分が足を滑らせかける。


 あるいは、妹たちに「ここから先は牧場区画なので入ってはいけません」と説明しながら、自分が半歩ほど牧場区画へ足を踏み入れる。


「一葉」


「はいっ」


「いま誰が入ってはいけない区画に入りましたか」


「……わたしです」


「模範を示してください」


「はい……」


 蜜葉乃はそのたびに笑ってしまいそうになるのを堪えながら、羽化したばかりの娘たちを順番に落ち着かせていった。


 もちろん、一葉は手を抜いているわけではない。

 むしろ逆だった。


 妹が不安そうにしていればすぐに駆け寄る。

 保温材が足りなければ自分で運ぶ。

 誰かが転びそうになれば「だいじょうぶですか!?」と真っ先に声をかける。


 失敗はする。

 空回りもする。

 でも、妹たちのために頑張りたいという気持ちだけは、誰よりもまっすぐだった。


 だからこそ、昼前のその出来事に、一葉はひどく落ち込んだ。


 羽化したばかりの妹のひとりが、足元の繊維に引っかかってころんと転んだのだ。

 一葉はちょうどその子に「こっちです!」と手招きしていたところだった。


「ご、ごめんなさい……!」


 慌てて駆け寄り、抱き起こす。

 妹は泣かなかった。少しびっくりしただけらしく、きょとんとしている。

 けれど一葉の顔はみるみる曇った。


「わたし、ちゃんと見てなかった……」


 ぽつりと落ちた声に、蜜葉乃はそっと顔を上げる。


 一葉は妹を抱えたまま、耳――ではなく触角をしょんぼりと垂れていた。


「お姉ちゃんなのに……」


 その声は、朝の元気な宣言とは別人みたいに小さかった。


「わたし、長女なのに、ぜんぜんちゃんとできてないです……」


 蜜葉乃は、少しだけ目を細めた。


 一葉はずっと張り切っていた。

 妹たちが増えて、うれしくて、頼もしくありたくて、きっと一生懸命背伸びをしていたのだろう。

 だからこそ、たったひとつの失敗が、思っていたより深く刺さってしまった。


 蜜葉乃が声をかけようとした、その前に。


「一葉」


 仁が静かに呼んだ。


 一葉はびくりと肩を揺らし、顔を上げる。

 叱られると思ったのかもしれない。実際、今までの流れだけ見れば、仁はまず「足元の確認を」とか「誘導時の距離を」とか言いそうだった。


 けれど仁は、妹を抱えた一葉の前で膝を折ると、淡々とした声のまま告げた。


「報告を」


「……ほうこく?」


「はい。妹が転倒した原因は何ですか」


 一葉は目をぱちぱちさせた。


「えっと……わたしが、ちゃんと前を見てなくて」


「それだけでしょうか」


「あと、保温材が、ちょっと通路にはみ出してて……」


「ええ」


「わたしが急いで呼んじゃったから、この子があわてたかも、です……」


 仁は頷く。


「概ねその通りです。では次回の対策は」


 一葉は少し考え込んだ。

 しょんぼりしたまま、それでも真面目に答えを探す。


「……保温材を、もっとはしに寄せます」


「はい」


「それから、呼ぶときは、そんなに急がせないようにします」


「はい」


「あと……わたしも、ちゃんと足元を見ます」


「結構です」


 仁はそこで初めて、ほんの少しだけ声を和らげた。


「失敗をした時に大事なのは、落ち込むことではなく、次に同じ失敗を減らすことです」


 一葉が、はっとしたように顔を上げる。


「……はい」


「そして、転んだ妹をすぐに抱き起こしたことは適切でした」


「え」


「あなたは、ちゃんと見ていました。だからすぐに動けたのでしょう」


 その一言に、一葉の目が大きく揺れた。


 褒められるとは思っていなかった顔だった。

 仁はいつもの無表情のままなのに、言葉だけが思ったよりずっとやさしい。


「完璧である必要はありません」


「……でも、長女です」


「ええ。ですから、なおさらです」


 仁は静かに続ける。


「長女は、最初から何でもできる者ではなく、妹たちより少しだけ先に失敗して、少しだけ先に覚えていく者かと」


 一葉は、黙った。


 その言葉を、自分の中にそっと落としているようだった。


 蜜葉乃は、その横顔を見ながら、胸の奥がじんわり温かくなるのを感じていた。

 仁は相変わらず言い方が堅い。

 けれどこういう時、欲しい言葉をちゃんとくれる。


 少しして、一葉は抱えていた妹をそっと下ろし、こくりと頷いた。


「……じゃあ、わたし」


「はい」


「もうちょっと、上手に失敗します」


 仁が黙りこむ。

 蜜葉乃は耐えきれず、ふっと吹き出した。


「一葉、それは少し違うかもしれませんねえ」


「ちがいますか?」


「方向性としては、惜しいです」


 仁はこめかみを押さえたいような顔を一瞬だけして、すぐに戻した。


「正確には、失敗から学んでください」


「はい! 学びます!」


 返事は、朝より少しだけ落ち着いていた。


 それからの一葉は、ほんの少し変わった。


 相変わらず元気だし、時々走りそうになるし、妹たちに話しかける声はちょっと大きい。

 でも何かをする前に、一度立ち止まって周りを見るようになった。


「こっちですよー……あ、まってください。そこ、すべります」


「保温材、わたしが持ちます。半分こにしましょう」


「仁、通路に置くなら、こっちの方がぶつからないと思います!」


 拙いながらも、ちゃんと周りを見て、考えて、動こうとしているのがわかる。

 妹たちも少しずつ一葉に懐いてきて、「いちねえ」「これなあに」とあとをついて回るようになった。


 そして午後。

 巣の手狭さはいよいよ無視できない段階に達していた。


 羽化した妹が増えたことで、育房区画はぎゅうぎゅうだ。

 蛹を置く場所と幼虫の保温場所が近すぎて、仁は朝から何度も眉を寄せている。アブラムシ区画も分家を進めているとはいえ、通路を圧迫しはじめていた。


 仁はついに、土板を持って蜜葉乃の前に膝をついた。


「女王さま」


「はい」


「増築のご許可をいただけますか」


「許可、ですか」


「はい。創設室の左側へ育房室を一室、牧場区画の奥へ備蓄室を半室。通路は現状よりやや広めに取り、娘たちの往来を確保します」


「まあ……本格的ですねえ」


「本格的です」


「わたしも少しお手伝いしてよろしいですか?」


「だめです」


 即答だった。


 蜜葉乃はむっとした顔になる。


「まだ何も言っていませんよ」


「掘るおつもりだったでしょう」


「少しだけです」


「だめです」


「少しだけでも?」


「少しだけでもです」


 きっぱりしている。


 とはいえ、以前のように完全に安静を命じられるわけではなかった。

 蜜葉乃もだいぶ回復してきている。今では娘たちの世話もできるし、短い距離なら巣内を歩ける。

 だから仁は少し考えてから、折衷案を出した。


「……では、増築の監督をお願いします」


「監督」


「はい。どの娘をどの区画へ移すか、育房室の保温優先順位、休養区画の位置調整。女王であるあなたに決めていただきたいことは多々あります」


「まあ」


「それに」


 仁はほんのわずかに視線を和らげる。


「娘たちも、女王さまが見ていてくださる方が落ち着くかと」


 蜜葉乃はぱちりと瞬いて、それからふわりと笑った。


「……それなら、がんばれそうです」


「お願いします」


 こうして、巣の増築が始まった。


 もちろん主力は仁だ。

 土の硬さを見て掘る位置を決め、崩れないよう補強しながら、少しずつ新しい空間を広げていく。その手際は相変わらず恐ろしくよく、娘たちが「わあ」と見上げている間にも壁は削られ、通路は整えられ、床は均されていく。


 一葉はその補助についた。


「仁、こっちの土、運びます!」


「ありがとうございます。通路の左端へ」


「はいっ」


 今度は走らない。

 ちゃんと周囲を見て、妹が通るのを待ってから運ぶ。


「一葉、そちらの繊維束を新しい育房室へ」


「わかりました。……あ、そこは危ないので、こっちにいましょうね」


 声の調子まで、少しだけお姉ちゃんらしくなっていた。


 そんな中、ふと妙なことが起きた。


 新しい部屋へ運ぶために、仁が牧場区画の脇へ仮置きしていた植物の茎がある。

 アブラムシのために持ち込んだ、若い葉のついた細い茎だ。

 そのうち一本が、なぜか朝よりしゃんとして見えた。


 蜜葉乃は最初、気のせいかと思った。

 けれど、よく見ると違う。少し萎れかけていたはずの葉先が、うっすら張りを取り戻している。


「……あら?」


 思わず声を漏らすと、近くにいた小さな娘がびくりと顔を上げた。


 羽化したばかりの娘のひとりだった。

 まだ他の子より少し口数が少なく、いつもおとなしく周りを見ている子だ。蜜葉乃によく似た蜂蜜色のやさしい瞳をしている。


 その子は、仮置きされていた茎のそばに、ちょこんと座っていた。


「どうしたのです?」


 蜜葉乃がやわらかく尋ねると、おずおずと答える。


「……この葉っぱ、元気ないなって思って」


「まあ」


「だから、さわってたら……ちょっと、しゃんとした、気がします」


 その言葉に、近くで土を運んでいた一葉が「えっ」と振り向いた。

 仁も手を止め、静かにその茎を見る。


 たしかに、変化はある。

 ただの見間違いではなさそうだった。


「もう一度できますか?」


 仁に言われ、娘は少しだけ緊張した顔で頷く。

 それから両手でそっと茎を包むように触れた。


 しばらく、何も起きない。

 巣の中に静かな間が落ちる。


 ……と。


 葉先が、ほんの少しだけ持ち上がった。


「わあ!」


 一葉が声を上げる。


「すごいですねえ……」


 蜜葉乃が呟く。

 仁はしゃがみ込み、葉の状態を慎重に確かめる。


「水分の巡りが改善していますね……」


「それって、どういうことですか?」


 一葉が身を乗り出す。


「まだ断定はできませんが」


 仁は静かに答えた。


「この子には、植物の状態を整える素質があるのかもしれません」


「しょくぶつ!」


 一葉の目がきらきらする。

 当の娘は、褒められているのかどうかもよくわからない顔で、きょとんとしていた。


「わたし、なにかしたんでしょうか……」


 蜜葉乃はその子をそっと抱き寄せた。


「とても素敵なことをしたのだと思いますよ」


 妹は頬を赤くして、蜜葉乃に寄り添う。

 一葉はすぐにその横へしゃがみ込み、きらきらした顔で言った。


「すごいです! じゃあ、この子は葉っぱ係さんです!」


「判断が早すぎます。まずは経過観察を」


仁の訂正が即座にとぶ。


「えー」


「能力の発現条件、持続時間、対象範囲が不明です」


「じぞくじかん」


「難しい言葉は後にしましょう」


「はい!」


 返事をしつつ、一葉はもうその妹の手を取っていた。


「でも、すごいです! わたし、妹にすごい子がいるの、うれしいです!」


 そう言われて、娘はようやく少しだけ笑った。

 その笑顔は控えめだったけれど、葉の先に宿る新芽みたいにやさしい。


 蜜葉乃はその光景を見つめながら、胸の奥があたたかく満ちていくのを感じていた。


 ひとりだった巣が、家族になっていく。

 娘たちはそれぞれ違って、それぞれにできることがあって、まだ小さいのに少しずつ巣の一部になっていく。


 そして一葉もまた、その中でちゃんと育っている。


 その日の夕方、新しく掘られた育児室へ保温材を運び終えて、一葉は蜜葉乃のそばへやってきた。


「かあさま」


「はい、一葉」


「きょう、わたし……ちょっとは、お姉ちゃんできてましたか?」


 その問いに、蜜葉乃はふっと目を細めた。


 朝ならきっと、「長女ですから!」と胸を張っていたはずだ。

 でも今の一葉は、少しだけ不安そうで、でも前よりずっと落ち着いた目をしている。


 蜜葉乃は両腕を広げた。


「こちらへいらっしゃい」


 一葉が素直に近づいてくる。

 その小さな身体を抱きしめて、蜜葉乃は髪を撫でた。


「とても立派でしたよ」


「ほんとうに?」


「ええ。妹たちを見て、困っていたら助けて、失敗してもちゃんと考えて。そういうのは、立派なお姉ちゃんです」


 一葉は、しばらく何も言わなかった。

 それから蜜葉乃の肩に額をくっつけて、ぽそりと呟く。


「……よかったあ」


 その声があまりに正直で、蜜葉乃はくすりと笑った。


「でも、完璧じゃなくても大丈夫ですからね」


「はい」


「一葉は、一葉のままでいてください。元気で、がんばり屋さんで、時々ちょっと転びそうで」


「最後のはなくてもよくないですか?」


 横から、仁の冷静な声が入る。


「残念ながら現状の特徴かと」


「仁!」


「事実です」


「でも今日はあんまり転んでません!」


「それは評価します」


「ほんとうですか」


「ええ。午前中に比べ、足元確認の頻度が上がりました」


「やったあ!」


 単純である。

 けれどその喜び方が、今はもう朝より少し落ち着いて見えるから不思議だ。


 新しい育児室では、羽化した妹たちが並んで眠りはじめていた。

 仮置きの茎は、あの植物好きの妹のおかげか、朝よりも青さを取り戻している。牧場区画ではアブラムシたちが相変わらずのんびり増え続け、仁はすでに「第二育成棚」の構想を頭の中で組み始めている顔をしていた。


 巣はまだ小さい。

 土壁は薄く、備蓄も十分とは言えない。

 でも、少しずつ部屋が増えて、少しずつ娘が増えて、少しずつ役割が生まれていく。


「……にぎやかですねえ」


 蜜葉乃が呟くと、仁は新しい育児室の入口を整えながら頷いた。


「はい」


「前より、ずっと」


「ええ」


「でも、悪くありませんね」


 その言葉に、仁は手を止める。

 振り向いた横顔は相変わらず整っていて、感情も薄い。けれど、ほんの少しだけ目元がやわらいで見えた。


「同感です」


 一葉は蜜葉乃の腕の中で、その返事を聞いてにこにこと笑った。


「わたしもです!」


 元気な声が、新しい育児室にやわらかく響く。

 眠っていた妹のひとりが、むにゃむにゃと寝返りを打った。


 その光景を見ながら、蜜葉乃は思う。


 この巣は、まだ始まったばかりだ。

 娘たちはこれからもっと増えるだろうし、きっとまた大変なこともある。足りないものも、心配なことも、数え始めればきりがない。


 それでも。


 長女がいて、妹たちがいて、植物に触れるだけで葉をしゃんとさせる小さな子がいて、執事兼牧場主がいて。

 その全部を抱えたこの巣は、たしかに“家”になりつつあった。


 蜜葉乃は一葉の頭を撫でながら、静かに微笑む。


「明日も忙しくなりそうですねえ」


「はい!」


 一葉が元気よく返事をし、仁は少しだけ間を置いてから、


「その前に、本日の作業報告と明日の区画再編案をまとめます」


 と真顔で言った。


「まあ、もう始まっているのですねえ」


「執事ですので」


「牧場主でもありますしね」


「兼任です」


 一葉がくすくす笑い、蜜葉乃も笑う。

 新しい育児室の壁に、その笑い声がやわらかく反響した。


 土の下の小さな王国は、今日もまた、少しだけ広くなった。



仁の日誌


•羽化個体増加に伴い、創設室左側へ育房室を増設

•長女・一葉、監督補助および妹の誘導役として一定の成長を確認

•転倒事案一件。再発防止策は共有済み

•羽化個体のひとりに、植物状態の改善と思われる反応あり。継続観察対象

•女王の体調は安定。増築への参加意欲は高いが、掘削作業は引き続き制限する


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