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葉音を紡ぐ ――世界樹の麓で  作者: 葉森かなで
二章

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81 伝わらなかった言葉

 それからの一週間は怒涛のようにすぎた。

 会談に向けて、仁と子どもたちが、巣の持てる力を結集して準備に勤しんだのだ。


 話し合いでは仁を宥めたが、娘たちにもクモに思うことはあるのだ。


 紬葉は彩葉と指揮をとり、クモの糸を真紅に染めて女王のドレスを。

 黒に染めた糸は、仁と護衛の衣装を誂えた。


 双葉と本葉は「後少しで菌糸マットが……」と文句を言いながらも、女王の乗る御車を開発した。


 葉月と絵葉は、少しでも御車が走りやすいように、第二出入り口から世界樹への道路整備の指揮をとった。


 一葉と風葉は、皆の望む材料を集めるのに大忙しで走り回った。


 護葉は当日の護衛班を教育し、鍛えるのに余念がない。


 千葉夜は、いい匂いのオイルで、毎日蜜葉乃を磨きあげた。


 仁と結葉は忙しい皆の予定を調整しつつ、巣の運営を続けた。




 そうして迎えた会談当日の早朝。

 最終準備は泉の広場で行われ、皆は第二出入り口に集まった。


 そこに女王がゆっくりと姿を現した。

 隣には艶やかな黒の衣装を纏った仁が連れ添っている。


 女王の身を包むのは、クモの巣から紡がれた真紅のドレス。


 幾重にも織り重ねられた糸は、花弁から抽き出した深紅を宿し、朝の光を受けるたび絹にも似た艶を返した。見る角度によっては鮮やかに、またあるときは落ち着いた赤へと移ろい、その繊細な布地は、歩みに合わせて水面のさざ波のような光を揺らした。


 肩から裾へ流れるラインは驚くほど軽く、一枚一枚の布が風を抱くように重なっている。縁には銀色の細かな刺繍が施され、胸元には朝露を湛えた野薔薇の花が飾られていた。

 それは、丁寧に纏められた蜜葉乃の銀色の髪によく映えた。


 女王が歩を進めるたび、ドレスは音もなく揺れた。


「留守をお願いしますね」

 そう言うと、ゆっくりと御車に乗り込んだ。


 女王の御車は、幾人もの子蟻によって曳かれた。


 先頭の者たちが蔓を編んだ曳き綱を肩に掛け、歩調を揃えてゆっくりと進む。後方では仁が車体に手を添え、坂や曲がり角で進路を整える。左右には護衛が列をなし、行列全体を包むように付き従う。


 車輪は硬い木の実や種子を削り出したもので、磨き上げられた樹脂を軸に塗り込めてあるため、滑るように静かに回る。車体は若枝をしなやかに組み、草の繊維で固く縛り上げられ、その上を織布や花、若葉で飾り立ててある。

 仁の強い要望で、ブレーキも開発された。

 もちろん、乗り心地にも気を配った。

 実験室自慢の苔や菌糸の素材を総動員して、座り心地の良い座面を誂え、美しく染めあげた織布を張り巡らせた。


 送迎に来たカラスやタマムシも、その小さいが荘厳な姿に見惚れて、空中からそっと道中を見守っていた。




 一行は順調に進み、やがて世界樹に到着した。


 世界樹には周辺の生き物たちが、集まっていた。

 一番奥には怪我をしたクモと、付き添いのカエルが見えた。


 女王は静かに微笑み、仁の手を取ると、真紅の裾を曳いて進んだ。

 集まっていた生き物の群れは自然と二手に分かれ、女王の進む道を開けた。

 朝靄の中、陽光に照らされた二人は、まるで祝福を浴びているようだった。


 クモの元に着いた時、最初に口を開いたのは、カエルだった。

「よ、ようこそお越しくださいました。さあこちらへお座りください」


 世界樹のそばには、椅子と机が用意されていた。

 いや、正確には紬葉が事前に準備に来たものだった。

 蜜葉乃はクスっと微笑んで、仁のエスコートで優雅に腰掛けた。

 仁は蜜葉乃を護るように、その後ろに連れ添っている。


 聴衆は、気が散るからとカラスに追い払われ、世界樹の上に登った。

 静かに気配を消して見守るようだ。


 クモとカエルも席に座り、話し合いが始まった。

「初めまして。私はこの地に長く住むカエルです。こちらがお話ししたクモです」

「そうですか。こちらが我らが女王さまです」


「今日はお日柄もよく、暑さも随分と和らぎましたな。秋も近くなりこれからは過ごしやすくなるでしょうな」

「そうですね」


 話しているのは、ほとんどカエルで、仁が短く答えるだけだった。


 蜜葉乃は、微笑みを浮かべているものの、内心は動悸が止まらなかった。

 クモの姿を見て、否が応でも襲撃の日の記憶が蘇ってくる。

 震えて叫び出しそうになるのを支えているのは、後ろの仁の存在だった。


 会話は全く進まず、膠着状態がしばらく続いた後、見かねて世界樹の上から降りてきたのは、タマムシの背に乗った一葉だった。

「もう、挨拶はいい加減にして、大事な話を進めてよ」

 カエルが、ホッとした顔をして一葉を見た。


 やっとクモが口を開いた。

「あの時あんなに言ったのに、なぜ言うことを聞かずに住み続けているんだ?」

 蜜葉乃は目をぱちくりとさせた。

「あの時……何かおっしゃったんですか?」

「ここはダメだ。他へ引っ越せと言っただろう!ここは本当に危険なんだ」


 蜜葉乃は混乱していた。襲撃の時、何か言われた?

 答えたのは一葉だ。

「蟻人は最近まで、周囲の皆とは違う言葉しか使わなかった。クモの言葉は、女王さまに伝わっていないんだと思うよ」

「言葉がわからないだって?そんなはずはない。過去の蟻人たちとは…」


 クモの反論を遮ったのはタマムシだ。

「それは間違いないな。この前まで会話できたのは、そこの一葉だけだった」

 その言葉に、樹上から同意の声が上がった。


「言葉が通じていなかったとは……」

「ええ、私の記憶では急に巣に侵入してきた貴方が、掴みかかってきた記憶しか……」

 蜜葉乃は震える声を抑えて続けた。

「必死で卵を護ろうと抵抗しましたが、敵わなくて。そのうちに水が流れ込んできて。あの時、仁が助けに来てくれなかったら……」

 仁がそっと蜜葉乃の肩に手を置いた。


 クモは絶句していた。

 今まで、無法者たちが自分の忠告を聞かずに、この地に住み着いたのだとばかり思っていた。今の話を聞くと、自分の方が無法者ではないか。

 クモは不自由な脚を庇いながら立ち上がると、深く頭を下げた。

「知らぬこととは言え、巣に侵入して怖い思いをさせてしまったこと、深く謝罪いたします。いかような罰も受けましょう」


「お座りください。その謝罪受け入れる前に、事情を聞かせていただけますか?」

 蜜葉乃は初めてクモの目を見て言った。


 クモは静かに語り始めた。

「その昔、この地下に住んでいた虫たちに奇病が発生しました。体から綿のようなものが出たかと思うと数日のうちに死んでしまうのです。蟻人も例外ではなかった」


「その話は聞いたことがある。この辺の虫たちは非常時以外、地下に行かないよう言われて育つよ」

 木の上からてんとう虫が言った。

 カエルは知らないと首を捻った。

「カエルには発症しない。硬い外殻を持つ虫に多く見られた。私たちの先祖は、この地下を封印して、私たちクモを門番として残した。誰も地下に入らないように。入っても長居しないように見守ってきたんだ」


 皆、初めて聞く話に、静かに耳を傾けていた。

「そもそも、この地域には地下生物は入れないように、神様が結界を張ったと聞いている。

 貴方はどうやって入ったんだ?」

「どうって言われても……あの時は風に飛ばされて、仁と出会って。二人で大空に上がって……その後、地面に降りて巣を作っただけです」

 蜜葉乃はキョトンとしながら答えた。

 仁が、

「神様……結界……?」

 と呟いていたが、やがて何かに気づいたように、空を見上げて遠い目になった。


 それから蜜葉乃にだけ聞こえるように耳元で囁いた。

「結界を抜けてしまったのは、私のせいかも知れません」

「どう言うこと?仁」

「婚姻飛行の時の私は、途中まで神の分身でした。『行きなさい、女王』と地面を示した記憶があります。その時に通してしまったのかも知れません。あるいは、私と一緒に飛んで結界を抜けてしまったのか……」

 ヒソヒソ話しながら、二人は記憶を思い出して小さくため息をついた。

 ここで公表するような事ではない。


 蜜葉乃は気持ちを立て直して、クモに答えた。

「神様のご意向はよくわかりませんが、貴方との行き違いは理解しました。謝罪を受け入れましょう」

 カエルを始め、周りの者たちのホッとする様子が伝わってきた。


 クモが続けた。

「貴方たちは、体に異常はないのか?死人は出ていないのか?」

「いいえ、全く。白い綿にも、全く心当たりがありません」

「なぜ平気なのだ? 皆が移住した後も、地下に潜った者たちが時々発症していたようなのに……」

「なぜでしょう?今まで病気の存在も知らなかったので、なんとも答えようがありませんが。その病気になって移住したのはいつのお話ですか?」

 蜜葉乃の質問にクモは考えていたが、やがて答えた。

「遠い遠い昔の話だ……私も病気を見たことはない」


 結局、安全なのかどうかは、誰にもわからなかった。

 話し合った結果、十分に注意を払いながら、蟻人たちが住み続ける事で話はついた。


 それから、一葉がクモに近寄ると、固め苔で脚の治療をした。

 今まで折れてほとんど動かなかった脚が、しっかりと固定され動くようになった。

 時間が経てば、元のように歩けるだろう。


「女王さまに怪我をさせたにもかかわらず、治療までしていただいたお慈悲に感謝する。

 我が眷属の衣を纏いし美しき女王よ。

 蟻人がお困りの際には、我が眷属が末代まで手を貸すこと約束しよう」



 こうして話し合いは無事に終わり、それぞれの巣に帰って行った。

 一葉がカエルに、こっそりと言った。

「クモの末代って、ちょっと怖いよね。一体何百年だろう」

「俺たちカエル族も長寿だが、ここのクモ族はそれよりも長生きなんだよな。しかも多い」



 後日、大量の真っ白なクモの糸が、巣に届けられたのは別のお話。


 ーーーーーーーーー

 仁の日誌


 本日クモとの話し合いが持たれた。

 赤いドレスに身を包んだ蜜葉乃さまは、この世のものとは思えない美しさであった。


 話し合いでは、こちらの把握していた事実とは違う事実が発覚。

 行き違いがあった模様。

 クモは忠実な門番の一族であった。


 神様、何か隠していることがあるのですか?

 結界とは何ですか?

 次回いらした折には、ゆっくりとお話ししましょう













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