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葉音を紡ぐ ――世界樹の麓で  作者: 葉森かなで
二章

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80/130

80 すれちがう想い

 クモの襲撃から一年以上が経ち、蜜葉乃はすっかり回復した。

 小さかった巣は、本当に大きくなった。

 娘たちも次々に才能を発揮して、それぞれの役目を果たしてくれる。

 みんな健康で大きな事故もない。

 仁もいつも側で支えてくれる。


 蜜葉乃は、しみじみと幸せをかみしめていた。




 その知らせを持ってきたのは、一葉だった。


「蜜葉乃さまを襲撃したクモの怪我を見て欲しいだって?」

 仁は思わず バンッと机を叩きつけた。

「あのクモ、生きていたのか……」

 そう言って憎々しげに呟いた。


 仁の大きな声など聞いた事がない。

 その凄まじい怒りに、周りのものたちは、その場から動けなかった。


 最初に口を開いたのは蜜葉乃だった。

「仁、怒りを抑えてちょうだい。皆が怖がっているわ」

 そう言って仁の手をそっと握ったあと、毅然として顔を上げた。

「一葉、事情を説明してちょうだい」




 今日の一葉は、タマムシ夫婦と一緒に、青い池の様子を見に行った。

 そこで偶然、工事の時に仲良くなったカエルに会った。


 タマムシ夫婦の羽の模様を見たカエルが不思議そうに言った。

「長年色んなタマムシを見てきたが、そんなに美しい模様を見たことはない。夫婦揃って素晴らしい。発色も他とは違う」

 気をよくしたタマムシが答えた。

「羽と脚が折れかけたのを、蟻人の薬で治して貰ったんだ」

「私の羽の擦り傷もよ。あの薬を塗ってから、艶が良くなったのよ」

 夫婦は誇らしげに羽を広げた。

「薬と言えるかどうかはわからないけど、硬い部分の補強には向いてるみたいだね」

 一葉の答えに、カエルは少し考えていたが、やがてゆっくりと話し始めた。


 自分は長く生きている。

 水路を遡った、少し上流の鍾乳洞で生活してきた。

 そこには昔から、一匹のクモが住んでいる。

 彼の一族は遠い遠い昔からこの地の門番だ。


 一年ほど前、脚を折る大怪我をして、ずっと療養している。

 彼の怪我を見てやってくれないか。

 とても無口なクモで、カエルにしかあまり話をしない偏屈者だが、真面目ないい奴なんだと。

「いつもオレが一方的に話すだけなんだけど、青い池の工事の話をしたら急に興味を示したんだ。蟻人と仲良くなった話をしたら、『まだいるのか』って言ってたけど、知り合いなのか?」


 その言葉を聞いて、一葉は気づいたらしい。

 一年前、怪我、蟻人。

 彼は以前に蜜葉乃を襲ったクモではないかと。


「とりあえず、今日は固め苔を持っていないって言って帰ってきたんだけど、どうしようか……?」


 皆が沈黙した。


 蜜葉乃を襲った犯人を治すなんてとんでもない。

 また襲われるかもしれないではないか。

 どうやって断ろうか。

 いや、そもそもクモが住むという『上流の鍾乳洞』は、もしかして巣の近所ではないのか。

 警備計画を見直さなければ。

 いや、討伐に出るべきなのでは。


 仁の頭の中では考えがぐるぐる回っていた。

 先に蜜葉乃が口を開いた。

「この地の門番って、どういうことかしら?何の門を守っているの?」

 ……誰も答えを知るものはいない。


 長い長い沈黙のあと、仁が重い口を開いた。

「私がクモに会って事情を聞いてきましょう」


 すると、いつもは仁の意見に賛同する蜜葉乃が言った。

「いいえ、これは私も行きましょう。巣の存続に関わる問題です」



 そこからの仁の猛烈な反対と、意見を曲げない蜜葉乃の争い。

 お互い一歩も引かず、議論は平行線のまま終わった。

 今は静かな冷戦を継続中だ。


 お昼の食堂では、娘たちがどんよりとした空気で食事中だった。

「夫婦喧嘩って初めて見たよ」

 一葉の言葉にみんなが頷いた。

「どっちも頑固だからね…」

「いつもなら仁が折れるだろうけど、今回は……」

 過保護な仁が、蜜葉乃を敵の元に連れて行くはずがない。

 娘たちは揃ってため息をついた。

「どうしたらいいのか……」



 結局、先に動いたのは蜜葉乃でも仁でもなかった。

「私がしっかりしなくっちゃ」

 責任を感じた一葉は、護葉を護衛にタマムシ夫婦に仲介を頼んだ。

 そして再度、カエルに会いに行ったのだった。


 カエルに会ったまではよかったが、結局この前以上のクモの情報は得られなかった。

 ただ一つ 「クモが治療ではなく、女王との面会を求めている」らしい。


「そもそも、クモは突然襲いかかるような奴じゃないんだが……蟻人を餌にはしないぞ」

 カエルがそういうが、納得できるはずもない。


「クモは、なんの門番なのですか?」

 護葉の問いにも、

「この地の門番としか聞いてない……そういわれると、なんの門番なんだ?」

 カエルも首を傾げるから、もうお手上げだった。


 タマムシが言った。

「なんかお互いに誤解があるんじゃないのか?当人同士会わせてみるしかないだろう」

「でも、そんな危険なクモに、女王さまを合わせるなんて……」

 一葉が尻込みしていると、カエルが言った。

「クモだって怪我したんだから、危険はお互い様だろう。心配ならタマムシやオレが立ち合いの元、話し合ってみるのはどうだろう?」


 たしかに、皆の前なら危険が少ないかもしれない。

「クモは動けるの?」

「オレが責任を持って連れて行くよ。世界樹で会うのがいいんじゃないかな?」

 カエルの提案に、一葉と護葉が頷いた。


 一週間後の早朝、世界樹で話し合おうと決まった。




 巣に帰った一葉は、姉妹たちに協力を求めた。

 このまま夫婦が冷戦状態なのは良くないことを。

 カエルとタマムシが間に入ってくれるので、蜜葉乃とクモを会わせたいことを。

「問題は仁よね。説得できる人なんかいる?」

「……神様とか?」

「仁の方が強いでしょ。余計に拗れそう」

 悲観的な意見しか出なかったが、

「夕飯の後で、みんなで話しましょう。小さな妹たちを部屋に帰した後に」

 結葉がそう決めた。



 夫婦が冷戦中の夕飯は、ギスギスした空気が漂う。

 なんとなく、みんな会話が弾まない。


 仁は定期的にチラチラと蜜葉乃の様子を伺い、蜜葉乃もソワソワしているのだが、最低限の短い会話しか交わさない。


 心配で堪らない仁と、絶対に自分が行くと譲らない蜜葉乃。

 そんな二人のフェロモンが、辺りに充満している。


 いつもは騒がしい小さな子蟻までもが、しょんぼりとしていて、そそくさと食事を済ませると、世話役の子蟻に連れられて部屋に引き上げていった。


 部屋に帰ろうとした女王を引き止めたのは千葉夜。

 口を開いたのは、結葉だった。

「女王さま、巣の雰囲気が最悪です。仁ときちんと話し合ってください。フェロモンの会話では、細かい気持ちは伝わりませんよ」

「フェロモンって、そんなつもりはないんですが……」

「いいえ、現に小さな子蟻たちまで元気がありませんでした」

 そう言われて、蜜葉乃の触覚がへにょんと下がった。


 結葉が今度は仁の方を向いた。

「いつもの仁らしくありません。女王さまの意見ももっともですよ。仁がすべきことは、女王さまを閉じ込めることではなく、安全確保です」

 仁の触覚がそわそわ揺れた。


 今度は風葉が口を開いた。

「仁の心配もわかるよ。私たちだって、女王さまの苦しむ姿を見てきたからね。でも今日はちゃんと話し合おう」


 そうして一葉が今日のカエルとの約束を説明し始めた。

 カエルに会いに行ったこと。

 カエルは詳しい事情をしらなかったこと。

 世界樹で立会人の元、話し合おうと決めたこと。

「カエルの言うことは、もっともだと思う。お互いに大怪我をしているんだから、危険はお互い様だと言われて、その通りだと思ったよ」


 仁は、黙って聞いていたが、目を閉じて項垂れた。

「つい感情的になってしまい、申し訳ありませんでした。私がすべきことを、一葉が代わりに……」

「いいですよ。外交は私の得意分野ですからね」


「いつのまにか立派に育って……」

「女王さままでやめてください。話を戻して、世界樹での話し合いはいかがですか?」


 蜜葉乃と仁はしばらく二人で話しあっていたが、やがて頷いた。

「一葉の決めた通りにいたしましょう」


 こうして夫婦喧嘩は終わったのだった。


 ーーーーーーーーーーーーー

 仁の日誌


 一週間後に、世界樹にてクモとの会談が決定した。

 一葉の外交調整能力に感服した。

 蜜葉乃さまを襲ったクモは危険との認識は変わらないが、たしかに事情の確認は必須だ。

 執事として、反省するばかりである。


 それにしても「この地の門番」とは何を示しているのだろうか……
















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