70 世界が広がっても
今日も仁は、執務室で書類に埋もれていた。
最近、次から次へと不測の事態が起こる。
結葉からの報告を聞き、巣を見回り、牧場を見回り、一日が終わる。
特に、昨日の報告はひどかった。
大きな木を訪ねた五人全員の言ってることが、仁には理解出来なかったのだ。
ため息をついて書類を読んでいると、不意に後ろから手が伸びてきた。
「蜜葉乃さま、何かありましたか?」
「仁、お疲れね」
そう言いながら、蜜葉乃様は優しく肩を揉み始めた。
「大丈夫ですよ。ちょっと考えごとをしていただけです」
そう答えた仁の顔色を見て、蜜葉乃は仁の腕を引っ張った。
「ちょっと休憩しましょう。こっちに座って」
そう言いながら隣の女王室に入った。
女王室の中央には、一脚の木の椅子が静かに置かれていた。
春に拾った枝から作った、女王さまの椅子。
背もたれも肘掛けも、枝の形をそのまま活かした柔らかな曲線を描いている。
座面には、柔らかい苔の座布団。
そして木肌は、仁が毎日磨き続けたおかげで、ますます白銀色の艶を帯びていた。
初めて見た頃より、どこか落ち着いた風格さえ感じられる。
蜜葉乃は、自慢げだった。
「この椅子に座ったら、とっても疲れが取れるんだから」
仁は言われるがままに椅子に座った。
確かに気持ちが解れ、疲れが吸い取られていく気がした。
「昨日は大変だったんです……」
話し始めた言葉は途中で途切れた。
うとうと眠り始めたのだ。
蜜葉乃は柔らかく微笑み、仁にひざ掛けをそっと掛けると静かにソファに座り、報告書を読み始めた。
今朝の仁は早起きだった。
「大きな木に枝を貰った」 も
「カラスが枝を運んでくれた」 も
「泉の広場に第二の入口を掘った」も、
「あの木、ちょっとお疲れみたい」 も、
全く理解ができず、眠りが浅かったのだ。
気になりすぎて、結局は自分で泉の広場に脚を運んだところ……
泉の広場に坑道班が勢揃いしていたのだ。
階段を整えたり、出入り口を補強したり、門をつけたり。護衛室も完備。
さらに、キャンプの時に掘った部屋を整えて、倉庫も作って、道を整えて。
さらにさらに……仁が目を丸くした。
「……昨日の今日ですよね?」
そこで見たものは……
カンカンカンカン……
「絵葉、後どれくらい?」
「あと少し右上を削れば真っ直ぐになります」
「双葉ー、これくらいの大きさでいいのかなー?」
「実験室はそれでいいけど、こっち側に大きな栽培場が欲しい」
「泉の水はどこに引くんだー?」
「葉月の後ろの通路辺りがいいかなぁ」
なぜか実験室と栽培場まで作っているらしい。
もちろん許可を出した覚えなどない。
仁は大きくため息をついた。
「これくらいは想定内」と自分に言い聞かせて。
新しい出入り口から地上に出てみると、そこには本当に大きな太い枝があった。
しかもその上には、カラスやタマムシが止まっている。
その脇では、一葉が小さな黄金虫の傷を手当てをしていた。
「あ、仁。おはよう」
「おはようではありません。状況報告を」
「いやー、泉の広場を見にきていたら、タマムシが怪我人みてくれって連れてきたから」
そう言われて目をむけると、タマムシがぺこりと仁に挨拶したようだ。
「タマムシがお礼言ってるよ」
一葉の通訳に、仁も「どういたしまして」 と返して、カラスや黄金虫とも挨拶したが、頭の中は混乱の極みだった。
仁は空を見上げた。
枝。鳥。虫。そして子どもたち。
みんな楽しそうだった。
……邪魔をするのも野暮ですね。
仁はそっと地下に戻り、執務室に戻って来たのだった。
いつの間に眠ってしまったのだろう。
そっと目を開けると、ソファに座る蜜葉乃と目があった。
「すみません」
「大丈夫よ。その椅子、とっても疲れが取れるでしょう」
蜜葉乃がいたずらっ子のように笑って言った。
「お茶でも淹れましょう」
と立ち上がりかけた仁の肩を抑えて、蜜葉乃が言った。
「たまには私が淹れるわね」
蜜葉乃とお茶を飲みながら、仁は今日の光景を報告した。
「みんなどんどん大きくなるわね」
「双葉だけでなく、葉月まで暴走を始めて……」
「でも、みんな王国のことを考えてくれている」
「そうですね」
「みんな、自分の道を歩き出したんだわ」
「ええ、少し寂しいですが」
「まだまだ小さい子蟻たちもいるわ。一緒に見守りましょう」
「まだまだ目は離せませんが、任せてみます」
「そうね。なんだか、これは上手くいく予感がするの」
そうやって二人でゆったりとした時間を過ごしていたところ、葉月がやってきた。
「仁、探したよ。ここにいたんだ」
後ろから結葉も入ってきた。
「仁がその椅子に座ってるのは珍しいですね。いつも磨いてはいますけど」
「今日は、蜜葉乃様に勧めていただいたので。何か御用でしたか?」
「葉月が、泉の広場の工事計画を持ってきたんですけど」
そう言いながら、結葉が工事計画書を広げた。
計画書には、第二出入り口、護衛室、倉庫、通路などが書き込まれていた。
「よくできた計画だと思うんですが、どうでしょう?」
結葉の言葉に、仁は葉月に視線を向けた。
葉月がそっと目を逸らす。
「葉月。計画も何も、今朝の視察ですでに、作り始めていたように思うのですが……出入り口なんて昨日ほぼ完成済みですよね?」
「えっ?どういうこと、葉月。私は聞いていないんだけど?」
「いや、ちょっと勢いで……でも出入り口以外完成はしていないから大丈夫!」
「大丈夫!じゃないでしょう。勝手に作ったの?どおりで朝から、坑道係の子蟻たちを見ないと思ってたのよ。計画書出してから工事するって約束でしょ!」
結葉の怒りに葉月がタジタジだった。
「私たちが叱らなくても、結葉に任せておけば安心ね」
蜜葉乃が笑いながらお茶飲んでいた。
仁もカップを傾けながら言った。
「この計画書には書かれていないようですが、双葉に頼まれて実験室とキノコ栽培場も。それに水路も引いていましたよね?」
「あ、いや、あれは双葉に頼まれたから……そう、計画書は双葉が書くはず!」
葉月の目が明らかに泳いでいた。
「その工事を進めたのは誰ですか!」
結葉のお説教は続いた。
「蜜葉乃さま、助けて!そうだ。女王室も泉の広場にどう?
広いし、泉もあって気持ちいいよ!」
蜜葉乃は笑いながら言った。
「そうね。たまには気分転換に行こうかしら。
でも、女王室は、ここね。
ここがみんなの家だから」
その言葉に、みんな頷いた。
巣は発展していく。
子どもたちも大きく成長していく。
でも、ここがみんなの家なのは変わらない。
そう確認できた一日だった。
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仁の日誌
泉の広場はすでに第二出入り口として稼働し始めた。
外部との交流も増えてきた。
ある程度、子どもたちの裁量に任せてもいい時期なのかもしれない。
まだまだ不安もあるが、見守っていこうと思う




