58 春の野に出でて若菜つむ
朝の研究室は今日も散らかっていた。
昨日の夕方には片付けたはずなのに、机の上には植物の葉や花、小瓶が所狭しと並んでいる。床にも葉っぱやキノコが落ちていて、紬葉はため息を一つついた。
「双葉! この花、いい匂い!」
本葉が嬉しそうに花を掲げる。
「本当だ!」
双葉は受け取ると、迷うことなく別の葉と、すり鉢へ放り込んだ。
「えっ、双葉、それ昨日の……」
紬葉が止めようとした時には、もう遅い。
「混ぜたらどうなるかな?」
「……それ、まだ記録してない試料なんだけど」
「えへへ」と双葉は悪びれる様子もなく笑った。
紬葉は小さなため息をつきながら、紙へ実験経過を書き込んだ。
「本葉、次はこれ順番に入れてってー」
「使った材料はここへまとめてね」
紬葉の注意に、
「うん!」
と本葉は元気よく返事をしたが、すでに一生懸命混ぜ始めている。
また小さなため息をついて、紬葉は散らかった机を少しずつ片付け、小瓶を棚へ戻し、床へ落ちた葉を拾う。
その間にも、双葉は次の実験を始め、本葉はその隣で目を輝かせていた。
「紬葉ー」
「前に採った赤い実、どこ?」
「左の棚、二段目です。」
「ありがとう!」
「紬葉!」
「この瓶は?」
「それは触らないで」
「はーい」
研究室は今日も賑やかだった。
その様子を見にきていた仁は、少し考えるような仕草のあと、紬葉に言った。
「紬葉、研究室が回っているのは、本当にあなたのおかげですね」
紬葉は少し照れたように笑った。
「そんなことないですよ。双葉の発想はすごいですし、本葉も覚えるのが早いですから。……でも、私も前はもっと、結葉たちと一緒に採集へ行くことが多かったんですけどね」
そういって懐かしそうに目を細めた。
「最近は研究室が、私の居場所になっちゃいました」
仁は優しく頷いた。
「本葉が入って、ますます目が離せなくなっていますね」
「研究が進んでいるのは確かなんですけど……」
「皆さんが紬葉を頼りにしていますからね」
二人が静かに思いに耽っている、ちょうどその時だった。
「紬葉ー!」
研究室へ一葉が顔を出した。
その後ろからは、風葉も付いてきていた。
「今日は採集に行こうよ」
「急にどうしたの?」
「春は採集の季節だよ。紬葉も一緒だと、きっと楽しいよ」
紬葉がきょとんとしていると、さらに結葉もやってきた。何も言わず、ただ小さく頷いてみせる。
戸惑う紬葉の前に、サッと風葉が傅いた。
「美しいお嬢さん、僕と一緒に、外の空気を吸わないかい?」
普段ぶっきらぼうな風葉の、ふざけた口調。紬葉は笑いながらも、研究室を見回した。
「でも……。双葉もいますし、本葉もまだ慣れてないし……」
すかさず仁が一歩前へ出ると、まるで本物の執事のように請け負った。
「今日は私が二人を見ております」
「え?仁が?」
「息抜きも仕事のうちです。お任せを」
「大丈夫、大丈夫!ちゃんとやるから!」
双葉の言葉に、仁は思わず苦笑した。
「その大丈夫が、一番心配なんですが」
それには、みんなも同意だった。
本葉が小さく手を振る。
「行ってらっしゃい!今日は任せて!」
紬葉は少し迷ったあと、小さく笑う。
「……じゃあ。お言葉に甘えます」
「よーし、決まり!」
一葉が嬉しそうに先頭を歩き始め、風葉と結葉が紬葉の腕を組んで続く。
久しぶりの採集。
紬葉の足取りは、少しだけ軽く見えた。
なんだか今日は楽しくなりそうだ。
三人を送り出すと、研究室は急に静かになった。
仁は双葉と本葉の方へ向き直って切り出した。
「さて。……紬葉が戻るまで、何をしましょうか」
その言葉の意味が分からず、双葉は首を傾げる。
「研究の続き?」
「もちろん、それも大切です」
仁は机いっぱいに広がった、植物や道具を見渡した。
「ですが、その前に。この部屋を見て何か思いませんか?」
双葉と本葉も周りを見回す。
床には葉っぱ。
机には、たくさんの小瓶。
棚の前には、道具が積み重なっていた。
本葉が小さく呟く。
「……散らかってる」
仁は深く頷いた。
「紬葉は、いつも皆さんが気持ちよく研究できるよう、片付けてくれています。けれども本来ならそれは、紬葉一人の仕事ではありません」
双葉は少し俯いた。
「私……散らかしてばっかりだった」
本葉も申し訳なさそうに俯いた。
仁は穏やかに微笑む。
「手伝いますので、二人も一緒に片付けてみませんか?」
双葉と本葉は顔を見合わせ、そして同時に大きく頷いた。
「うん!」
「やってみる!」
仁も笑顔で頷いた。
「では、まずは使い終わった道具を棚へ戻すところから始めましょう」
研究室には実験ではなく、片付けの音が静かに響き始めた。
春の森は暖かな風が草花を揺らし、小鳥たちのさえずりが聞こえる。
「やっぱり春はいいね」
一葉が伸びをし、風葉も頷いた。
「巣の中とは匂いが全然違う」
紬葉は深く息を吸い込んだ。
いろいろな花の香り。
生まれたばかりの若葉の香り。
湿った土の、こもったような匂い。
「……気持ちいい。しばらく忘れてたよ」
思わず笑みがこぼれる。
「紬葉のその顔。やっぱり外もいいでしょ」
一葉が嬉しそうに笑い、紬葉は少し照れた。
しばらく実験室に籠りきりで、気持ちがささくれだっていたのかもしれない。
「そんなに、くすぶった顔してた?」
「してたよ」
「ちょっと、ひどくない?」
おしゃべりしながらも、四人は春の野を進み、まずは頼まれていた植物を手際よく集めていく。
しばらくすると、風葉が思い出したように口を開いた。
「そういえば。この前も葉月が、地下探索に行く気満々だったらしいよ」
「いつも通り。安定の葉月だね」
「絵葉の地図、すごかったよ。そりゃ、あれ見たら行きたくなるでしょ」
現場で地図を見た一葉が笑う。
「一度見ただけの景色を、覚えてるなんてびっくりよね」
結葉も頷いた。
「新しい地図係って、秋に採集で寝ちゃった子蟻だよね」
紬葉は当時の苦労を思い出し、クスッと笑う。
風葉は嬉しそうに話を続けた。
「新規経路は荷車が使えないから、みんな荷物を抱えて歩くんだよな」
「荷物あると結構不便よね」
「大きな石を登る時とか、手が塞がると危ないからなあ」
紬葉の足が止まった。
「……荷車が使えない」
小さく繰り返す。
「だったら」
みんなが振り返った。
「背負えばいい」
「え?」
「背負子よ!」
紬葉の頭の中では、もう形が組み上がり始めていた。
「荷物を背中へ。
両手が空けば、安全だし。
葉っぱ箱も固定できる。
地図板も折れない。
目盛り紐も取り出しやすく……」
独り言が止まらない。
みんなは顔を見合わせて笑った。
「始まった」
「紬葉のスイッチ入った」
紬葉はもう周囲を見回していた。
「この植物、繊維が丈夫そう。
巾着草も使えるかも。
でも強化する素材も必要よね。
何か使えそうなものがあったかな……」
一葉も辺りを見回し使えそうなものを探し始める。
「古い蜘蛛の巣があるよ。もう使われてない」
風葉は植物樹脂を採りながら声を掛ける。
「これもいる?使えそうかな?」
「うん!」
紬葉は嬉しそうに頷く。
「あと植物繊維も」
「今日は材料集めだね」
結葉が笑う。
「でも、こういうのも楽しい!」
気付けば四人とも夢中になっていた。
巣へ戻ると四人と別れて、紬葉は足早に研究室へ向かった。
まずは植物繊維を丁寧に編む。
「このままじゃダメ。もっと丈夫さが重要。
でも可愛さも忘れない」
一人で呟きながら、黙々と作業を続ける。
巾着草の繊維をそっと重ね、さらに蜘蛛の糸で補強してから、植物樹脂で形を整えていく。
一針ずつ、でも着実に背負子の形になっていく。
いつのまにか葉月がやってきて、興味深そうに作業を眺めていた。
「そこまでこだわらなくとも、荷物が入れば十分では?」
紬葉は首を横に振る。
「違います。葉っぱ箱は、ここ。地図板は背中側。水筒は揺れない位置。目盛り紐は横からすぐ取れるように」
葉月は感心したように頷く。
「あいかわらず紬葉は、細部までこだわってるな」
紬葉は少し照れながら笑う。
「中身を探してる時間が、一番もったいないですから」
「なるほど。使いやすさか」
そうして、背負子は完成した。
葉月が背負ってみると、その軽さに驚いた。
少しその場を歩き、とび跳ねて言った。
「ずれないし、これは動きやすい!地下探索が楽になる!」
紬葉はほっと息をついた。
「よかった」
それから、ふと周りを見回して目を大きく見開いた。
「……あれ?」
机の上が、朝よりもきれいだった。
棚には小瓶が綺麗に並び、床には葉っぱ一枚落ちていない。
少し離れて双葉と本葉が、なんだか緊張した様子で立っていた。
作業の間、紬葉の邪魔をしないようにと、ずっと静かにしていたのだ。
「ちゃんと片付けたから」
双葉が胸を張る。
「わたしも頑張った!」
本葉も笑顔で言う。
紬葉は棚を見回した。
少しだけ置き場所が違う。
でも、一生懸命考えながら、片付けたことが伝わってくる。
「ありがとう」
その一言に、双葉も本葉も嬉しそうに笑った。
その時。仁が一つの棚を見て苦笑する。
「双葉さん」
「はい?」
「標本と、おやつは別の棚です」
「……あ」
本葉が慌てて覗き込む。
「あっ、本当だ!」
三人は思わず吹き出した。
「それは、こっち」
紬葉は笑いながら棚を直していく。
双葉が照れくさそうに頭をかいた。
「難しいね」
「うん」
本葉も頷く。
「でも、これからは私も片付ける」
双葉も続けた。
「私も散らかしっぱなし、やめる」
紬葉は二人の顔を見て、優しく微笑んだ。
「少しずつでいいよ。一緒に覚えていこう」
双葉は完成した背負子を見つめる。
「紬葉。これ、本当にいいね」
本葉も何度も頷く。
「すごく使いやすそう!」
紬葉は少し照れながら背負子を撫でた。
「使う人が困らないように。それだけ考えて作ったから」
巣の外では春風が巣の入口を優しく吹き抜ける。
その風に思いを馳せながら紬葉は思った。
(……やっぱりモノ作りもやめられない。また、明日からも頑張ろう)
研究室には、今日も穏やかな笑い声が響いていた。
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仁の日誌
新しいものを思いつく者がいる。
それを形にする者がいる。
そして、その仕事を支える者もいる。
王国は、一人の力ではできていない。
支え合う仲間がいるからこそ、誰もが安心して前へ進めるのだ。




