56 研究班へようこそ
次の朝
今日も育房室では子蟻たちが元気よく走り回っていた。
千葉夜はそんな子蟻たちを愛しそうに見回し
「みんな、集まって」
と小さく手を鳴らした。
子蟻たちが一斉に駆け寄って来た。
「昨日は勝手に見学へ行っちゃった子もいたけれど」
少し困ったように笑う。
「今日はちゃんとお願いして、お仕事を体験してみましょう」
「ほんと!?」
「やったー!」
「双葉のところへ行きたい!」
一匹の子蟻が勢いよく手を挙げる。
千葉夜は優しく頷いた。
「じゃああなたは、双葉にお願いしましょう」
研究室では体験に来た子蟻を、双葉と紬葉が笑いながら迎えてくれた。
「来たな。脱走犯」
紬葉が背中をそっと押した。
双葉が机いっぱいに材料を並べていた。
「今日は匂い玉を作るよ!」
「匂い玉?」
「うん!」
双葉は丸い植物油を見せる。
「これにお花や香草の香りを閉じ込めると、いい匂いが長持ちするんだよ」
子蟻の目がきらきら輝きはじめた。
「やりたい!」
「もちろん!」
紬葉は少し離れた場所で道具を整えながら、静かに見守っていた。
双葉が花の蜜を数滴。
香草を刻んで混ぜる。
「ここまでは順調」
「いい匂い!」
子蟻も嬉しそうに鼻を近付ける。
その時だった。
棚の隅に別の小さな瓶が一本。
子蟻は、なんとなく手に取った。
くんくん。
「甘い匂い!」
子蟻はにっこり笑った。
「これも蜜だから、きっと合う!」
そう言うや否や『ぽちゃん』
「あっ!」
双葉が手を伸ばした時には、もう遅かった。
小さな泡がぷくぷくと浮かび始める。
「……あれ?」
一瞬だけ、甘い香りが広がったが……
次の瞬間。
「くっさぁぁぁーーー!!」
研究室から強烈な悪臭が噴き出した。
そのころ、探索から戻ったばかりの風葉は、巣の入り口で片づけをしているところだった。今日は遠出の予定だったが、曇天をみて引きあげてきたのだ。
「今日は、なんだかいやな胸騒ぎがする。また脱走子蟻でもいるのか?」
と言いながら鼻をひくつかせたその時。
「えっ……」
一歩。
また一歩。
「くさっ!!」
後退って、思わず外へ飛び出した。
周りにいた者たちも、大急ぎで避難をはじめた。
一体何が起こったのか、蜂の巣ならぬ、蟻の巣を突いたような大騒ぎになった。
同じ頃、巣の反対側では、仁と結葉が会議中だった。
遠くに聞こえる異変に、先に気づいたのは、もちろん結葉だった。
人差し指を口の前にたてて、結葉が触角をぴくりと動かした。
「……。双葉ですね。昨日の脱走犯の子蟻もいるような?危なくはなさそうです」
まだ現場も見ていない。
けれども二人には、それだけで十分だった。
「またですか……」
仁は額に手を当てた。すぐに走り始めると、何とも言えない悪臭がこちらにも漂ってきた。
慌てて二人は、スピードをあげた。
二人で悪臭の元へ急ぐと、研究室では双葉と子蟻が並んでしょんぼりしていた。
「ご、ごめんなさい……」
「私も止められなかった……」
反省している風の二人だったが、結局、興味は抑えられなかった。
子蟻は恐る恐る、もう一度匂い玉に近付いた。
くん。
くんくん。
「……甘い匂いもする」
その言葉に双葉の目が輝いた。似たもの同士なのだろう。
思考回路がそっくりだ。
「ほんと? 甘いの? まだ改良の余地があるかも」
「うん!」
そんな二人を、仁は慌てて止めるが、全く話を聞いていない。
いや、聞きたくないのだろう。
「うかつに近付かないでください」
仁の叫びが空しく部屋にこだました。
その様子を見て、少し考え込んでいた紬葉が静かに立ち上がった。
植物樹脂を溶かし、それで、ころりと玉を包み込む。
悪臭はぴたりと止まった。
「封印完了です」
全員が大きく息を吐いた。
「助かった……」
机の上には、小さな茶色い樹脂の玉だけが残っていた。
双葉がじっと見つめた。
「匂い玉……じゃないね」
仁が苦笑して答えた。
「臭い玉ですね」
さすがの双葉も苦笑い。
「そうかも」
「処分しますか?」
仁が尋ねると、
「だめ!」
双葉は即答した。
「失敗も大事な研究資料だから!」
子蟻も元気よく頷いた。全く反省していない。
「また作れるかな?」
「作らなくて結構です」
仁の返事は早かった。
夕飯前の食堂にて、みんなで今日の事件を振り返っていた。
「ものすごい刺激臭だった」
風葉はまだ少し鼻を押さえている。
「この子……研究班、大丈夫かな?」
結葉も苦笑する。
「研究初日で巣中が大騒ぎでした」
仁も腕を組んで考え込んだ。
「少し刺激が強すぎる気もします」
みんな、この子蟻の配属には慎重だった。
その時、双葉がおもむろに立ち上がった。
「でも!この子、すごく筋がいいんだよ!この才能はすごいよ」
子蟻も負けずに言った。
「研究したい!双葉と一緒がいいの!お願い」
みんな無言だった。時間だけが静かに流れていった。
そして、護葉がぽつりと言った。
「問題児は、一か所にまとまっていた方が見守りやすい」
双葉が口を尖らせる。
「えー! 問題児って誰?」
子蟻も一緒に、
「えー!私は問題児じゃないよ」
紬葉だけが遠くを見るような目をした後、同意した。
「……私も、その方がいいと思います」
誰よりも、苦労が増える未来が見えているようだった。
そして食堂に笑いが広がった。
護葉が言った一言に、2人以外は深く頷いた。
「混ぜるな危険、だな」
お似合いの二人かもしれない。
それは誰も口には出さなかった
あとからやって来た蜜葉乃は、双葉の後ろをちょこちょこと付いて歩く子蟻を見つめた。
「双葉ちゃんの後ろを、一生懸命追いかけていましたね。まるで、双葉の次に育つ葉みたい」
仁も静かに頷く。
「それなら。今日から、この子の名は……本葉」
子蟻は目を丸くした。
「……本葉、本葉……」
嬉しそうに何度も口にする。
「本葉!」
双葉は満面の笑みでその手を握った。
「よろしくね、本葉!」
本葉は力いっぱい頷いた。
「うん!」
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仁の日誌
失敗を恐れず、興味を持ち続けること。
それは研究者にとって、一番大切な才能なのかもしれない。
今日、新しい葉が一枚、王国に芽吹いた。
面倒を一手に引き受ける紬葉には、お礼が必要かもしれない。




