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葉音を紡ぐ ――世界樹の麓で  作者: 葉森かなで
一章

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52/130

52  神様の大丈夫はだいたい大丈夫じゃない

1章最終話です。読んでいただきありがとうございました。

2章は数日休んでから、再開予定です

 仁が最初に見たのは、にこにこしている神様の顔だった。


「うん、いい感じ」


 そう言って、神様は出来たばかりの仁をぐるりと眺める。


「やっぱりイケメン蟻人がいいよねえ。羽のつやもいいし、色も悪くないし」

「……はあ」


 仁は自分が何者なのかもよくわかっていなかった。気づいたらここにいて、目の前には妙に軽い口調の神様がいる。自分の体は羽のある雄蟻人のものらしい、とわかるくらいだ。


 神様は満足そうにうなずいて、ぽんと手を打った。


「名前もつけよう。仁。かっこいいから仁って名前ねー」

「……今、決めたのですか」

「決めたよ」

「そうですか……」


 仁がなんとも言えない顔をしていると、神様は気にした様子もなく、さらに続けた。


「じゃあ仁くん、ちょっと行ってきて」

「どこへですか」

「婚姻飛行」

「……はい?」

「大丈夫大丈夫。ちょっと混ざって、近くの様子を見てきてくれればいいから」


 説明が雑だった。


 仁は一度黙ってから、できるだけ冷静に聞き返した。


「何を見ればいいのですか」

「そのへん」

「そのへん、とは」

「いろいろ?」

「いろいろ、では困ります」

「大丈夫大丈夫、行けばわかるよ」


 わからないから聞いているのだが、神様はまったく気にしていない。


「必要なら、こっちから声をかけるし」

「では、現地で指示を?」

「うん、そんな感じ」


 そんな感じ、で済ませていい話なのだろうか。


 仁は不安になったが、目の前の相手は神様である。問い詰めたところで、ふわっとした返事しか返ってこないことは、すでに薄々わかり始めていた。


「……わかりました。では、行ってまいります」

「うん、いってらっしゃーい」


 神様は軽く手を振った。

 仁はその姿を見ながら、この時点ですでに少しだけ思っていた。


 本当に大丈夫なのだろうか。




 婚姻飛行は、思った以上に騒がしかった。


 蟻人がいっせいに飛び立ち、空気はざわめき、土の匂いも風の流れも落ち着かない。仁はその群れに混ざりながら、言われたとおり周囲を見ようとした。


 近くの様子を見てくる。


 それが役目だ。

 たぶん。


 だが、何をどう見ればいいのかは、やはりよくわからない。

 神様は「行けばわかる」と言ったが、来てもわからないものはわからない。


 地形を見るべきなのか。

 虫の流れを見るべきなのか。

 何か異変があれば神様が指示を飛ばしてくるのか。


 いまのところ、それらしい気配はない。

 だから仁は、自分なりにできることをしようとした。


 その時だった。


 視界の端に、一匹の女王蟻人が映った。


 なぜ気づいたのかは、自分でもわからない。

 ただ、目が向いた。

 そして、一度見たら目が離せなくなった。


 小柄で、まだ若い女王蟻人だった。

 風に煽られながらも、必死に羽ばたいている。その姿が、妙に気にかかった。


「……あれは」


 思わず見てしまう。

 また見る。

 気づけば目で追っている。


 おかしい、と仁は思った。

 自分は様子見に来たのであって、一匹の女王蟻人を眺めに来たわけではない。なのに、どうしても視線がそちらへ引っ張られる。


 さらに、彼女がふらりと体勢を崩した瞬間には、考えるより先に体が動いていた。


 気づけば助けていた。

 助けたあとで、自分が何をしたのか理解して、仁は一瞬固まった。


 彼女ーー蜜葉乃は、驚いたように仁を見る。

 その目がまっすぐこちらを向いた瞬間、胸の奥がひどくざわついた。


 近い。

 匂いがする。

 温かい。


 それだけで、妙に落ち着かない。


「……大丈夫ですか?」

「は、はい……」


 答えた蜜葉乃の声に、なぜかほっとする。

 無事でよかった、と心の底から思った。


 おかしい。

 やはり、おかしい。


 そう思うのに、仁は蜜葉乃から離れがたかった。


 結局そのまま、仁は蜜葉乃と結ばれた。


 何がどうしてそうなったのか、自分でも説明しきれない。

 ただ、そうしたかったし、そうするべきだと疑いなく思ったのだ。


 そして、結ばれたその瞬間。


 それまでどこか遠くに感じていた神様の気配が、ふっと消えた。


「……?」


 一瞬、妙な感覚が走る。

 何かが切れたような、急に静かになったような、不思議な感覚だった。


 だが、その時の仁には、それを考える余裕がなかった。

 目の前にいる蜜葉乃の方が、ずっと大事だったからだ。


 蜜葉乃はこの先、大丈夫だろうか。

 ちゃんと巣を作れるだろうか。

 ひとりでやっていけるだろうか。


 頭の中に、そんなことばかり浮かんでくる。


 別れたあとも、それは消えなかった。




 神様のもとへ戻るなり、仁は言った。


「……大丈夫ではありませんでした」

「え、そう?」


 神様はきょとんとした顔をした。

 その時点で、仁は少し腹が立った。


「何も説明されないまま送り出されました」

「うん」

「途中で妙な感覚の変化もありました」

「へえ」

「へえ、ではありません」


 神様は「そっかそっか」とうなずいているが、どう見ても真面目に受け止めている顔ではない。


「私は何をしに行ったのですか」

「様子見?」

「疑問形で言わないでください」

「でも、ちゃんと行ってきたじゃない」

「それは行きましたが」


 仁は深く息を吸った。

 神様相手に怒っても仕方がない、と理性ではわかっている。だが、理性だけでどうにかなるなら、そもそもこんな会話にはなっていない。


「少なくとも、“大丈夫”という説明は不十分です」

「不十分だった?」

「かなり」

「でも、無事だったでしょ」

「結果の話ではありません」


 神様は「難しいなあ」とでも言いたげに首をかしげる。


 仁はその顔を見て、はっきり理解した。


 この方は、細かな不安や疑問をひとつひとつ説明する気がない。


 大きな意味では本当に「大丈夫」なのかもしれない。

 だが、こちらが知りたいことと、神様が大丈夫だと思う範囲は、たぶん全然違う。


 この時、仁は神様の「大丈夫」に対して、最初の不信を抱いた。



 それからしばらく、仁は妙に落ち着かなかった。


 理由は明白だった。


 蜜葉乃のことが、気になって仕方がないのだ。


 ちゃんと巣はできただろうか。

 食べ物は足りているだろうか。

 雨や風をしのげる場所は確保できているだろうか。

 寒くなったら、冬は越せるのだろうか。


 仁自身は、それを恋だとは思っていなかった。

 ともかく心配だった。

 だから仁は、神様に尋ねるようになった。


「あの巣は無事でしょうか」

「たぶん平気平気」

「たぶんですか」

「女王蟻って案外たくましいよ」


 数日後には、また別のことを聞いた。


「食べ物は足りるのでしょうか」

「何とかなるんじゃない?」

「何とかならなかった場合は」

「その時は困るねえ」


 困るねえ、ではない。


 さらに別の日。


「外敵が入った場合、どうなりますか」

「入らないかもしれないし」

「入った場合です」

「仁くん、心配性だなあ」


 仁は真顔で神様を見た。


「心配するでしょう」

「え、そんなに?」

「当然です」

「へえー」


 神様は面白そうに笑っている。

 仁は笑い事ではないと思った。


 巣はちゃんとできただろうか。

 食べ物は足りているだろうか。

 冬は越せるだろうか。

 危ない目に遭っていないだろうか。


 仁にとっては、どれも大真面目な心配だった。

 気になって地上の様子を何度も伺った。

 なのに神様は、毎回ふわふわした返事しかしない。


「そんなに気になるなら、もう好きなんじゃない?」

「違います」

「即答だ」

「心配しているだけです」

「それを好きって言う場合もあるんだけどなあ」

「違います」


 仁はきっぱり言い切った。

 言い切ってから、なぜか少しだけ胸がざわついたが、気のせいということにした。


 とにかく、神様は真面目に相手をしてくれない。


 仁が本気で尋ねれば尋ねるほど、神様は軽く笑う。

 からかう。

 ごまかす。

 肝心なところは言わない。


 そのたびに、仁の中に同じ結論が積み重なっていった。


 この方の「大丈夫」は、信用してはいけない。


 言葉そのものが嘘というわけではないのだろう。

 神様にとっては、本当に「まあ何とかなる」範囲なのだ。

 けれども、こちらが知りたい細かな危険や、見通しや、不安については、同じ重さで考えてはくれない。


 だから、相談しても仕方がない。

 そう思う。


 それなのに、結局また聞いてしまう。

 蜜葉乃のことが気になるからだ。


 聞いては軽く流され、聞いては腹を立てる。

 そんなことを何度も繰り返すうちに、仁の神様に対する態度は、自然と少しずつ厳しくなっていった。



 ある時、神様がふいに「あ」と声を上げた。


 その声が、妙に軽かったのを仁は覚えている。


「……どうしました?」

「んー、ちょっと蜘蛛」

「ちょっと、ではありません」


 嫌な予感がして、慌てて地上を確認する。

 蜜葉乃の巣に危険が迫っていた。

 蜘蛛だ。

 見間違いようもなく、まずい状況だった。


 仁はその瞬間、もう動いていた。


「え、行くの?」

「行きます」

「早いなあ」

「止めるのですか」

「いや、止めても行くでしょ」

「当然です」


 言い切ってから、仁はもう振り返らなかった。


 神様が何か言っていた気もする。

 だが、耳に入らない。


 頭にあるのは、ひとつだけだった。


 このまま神様の大丈夫を信じていたら、間に合わない。


 だから行く。

 自分の足で、蜜葉乃のもとへ行く。

 助けなければならない。

 放っておけない。


 その時になってようやく、仁は思い知った。


 自分がどれほど蜜葉乃を気にかけていたのか。

 どれほど、彼女を失いたくないと思っていたのか。


 それはもう、ただの心配ではなかったのだろう。

 けれども、それを仁が認めるのは、もう少し先の話である。



 そして今でも、仁は神様に対して、つい口調が厳しくなる。


 悪意がないことはわかっている。

 助けてもらったこともある。

 便利なものを渡されて、実際に役立っていることも多い。


 それでも、あの方の「大丈夫」は信用しない。


 大丈夫と言いながら説明を省き、

 心配して尋ねても、だいたい笑って流す。


 だから仁は、神様が軽い調子で何か言い出すたび、反射的に眉をひそめるのだ。


「……まず、説明をしてください」


 それが、仁なりの精一杯の対策だった。

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