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葉音を紡ぐ ――世界樹の麓で  作者: 葉森かなで
一章

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51 神様はだいたい予定どおりにいかない

 仁たちの巣を出たあと、神様は冬の土の上をふらふら歩いていた。


 朝ごはんのあとの巣は、しばらく大騒ぎだった。突然現れて、好き勝手しゃべって、好き勝手帰ってきたのだから当然である。


神様は悪びれもせず、鼻歌まじりに世界樹の方へ向かっていた。


「いやあ、びっくりしてたねえ。まあ、朝ごはんのあとに神様が出てきたらそうなるか」


 他人事みたいに言ってから、神様はひとりで笑う。


「でも仁くんが呼んだんだし。説明はちゃんとしたし、あれで十分だよね、うん」


 そう言っておきながら、少しだけ首をかしげる。


「……いや、十分ではないか。仁くん、納得してないだろうなぁ。

『前回のご説明では不十分です』とか言うんだよ、たぶん。やだなぁ」


 ぜんぜん嫌そうではない声でそう言ってから、神様は歩みを止めた。


 目の前には、大きな木がある。あまり知られていないが、世界樹である。

 しっかりと根を張り、幹は太く、空へ伸びた枝はどこまでも高い。

 神様は、しばらくその木を見上げたまま黙った。


 さっき、仁に聞かれたことを思い出したのだ。


 何のために、私を結婚飛行へ送り込んだのですか?


 あの場では、神様は笑ってごまかした。

 肝心の「なぜ送り込んだのか」はふわっと濁したままにした。


「いやあ、あれは言えないでしょ」


 神様は誰にともなく呟き、世界樹を見上げて、ふっと息を吐く。


「……まあ、そもそも元は、きみだったんだけどねえ」




 最近、神様はこの木のことが気になっていた。


 昔、このあたりはもっと賑やかだった。


 世界樹の周りには、地上にも地下にもいろんな生き物がいて、巣があり、通り道があり、勝手に増えて、勝手に騒いで、それでも不思議とうまく回っていた。木の上にも根元にも地下にも、ちゃんと“暮らし”があったのだ。


 今はそこまでではない。


 もちろん、何もいないわけじゃない。仁たちの巣だってあるし、小さな虫や獣だっている。けれども昔に比べると静かだ。


 そのせいなのかどうかはわからないけれど、世界樹もなんとなく前より元気がない気がする。


 枯れそう、というほどではない。

 今すぐどうこうなる感じでもない。

 ただ、なんとなく元気がない。


 神様にも、その“なんとなく”の正体はまだよくわからない。


 寂しいのか。

 周りが静かになりすぎたせいなのか。

 何か別の理由があるのか。

 そもそも神様の気のせいなのか。


「うーん、そこがはっきりしないんだよねえ」


 幹を軽く指で叩きながら、神様はぼやく。


「でも、こう、前よりしょんぼりしてる感じがするんだよなあ。

しょんぼり世界樹。困る」


 もちろん、世界樹は返事をしない。


 だから神様は自分でこっそり様子を見ることにしたのだ。


 大げさに「世界樹が大変です」なんて触れ回る気はない。

 うっかり話せば、御神託になってしまうかもしれない。

 そうなれば皆、今の暮らしより世界樹を優先しかねない。


 それは面倒だし、たぶん違う。


 だから、こっそり見る。

 必要なら、ちょっとだけ手を貸す。

 そのくらいがちょうどいい。


 そう思って選んだのが、婚姻飛行の日だった。




 蟻人がいっせいに飛ぶあの日なら、余計な雄蟻人が混じっていても、そう目立ちはしない。皆それどころではない。世界樹の近くの様子を見に行くには、ちょうどよかった。


 そこで神様は、自分の分身をひとつ作った。


 それが仁だ。


 知識と判断力はそれなりに持たせた。

 作ったばかりで記憶はほとんどない。

 少し動けるくらいにしておいて、あとは様子を見て、帰ってくればいい。


 そんな、ほんの軽い役目のつもりだった。


 分身には制約がある。その一つが


 誰かに本気で恋をしたら、神様から切り離されて独立してしまう。


 もっとも、神様としては、それがそんなに早く起きるとは思っていなかった。


「だって、恋だよ?。そうぽんぽん落ちないでしょ、普通」


 神様は自分で言ってから、すぐに顔をしかめた。


「いや、普通じゃなかったなあ」


 思い出す。


 婚姻飛行の日のことを。




 最初は順調だった。


 仁はちゃんと雄蟻人の群れに混ざっていたし、ふらふらしながらも、それなりに周囲を見ていた。神様も天から「うんうん、いい感じ」とのんきに眺めていた。


 問題は、蜜葉乃が視界に入ってからだった。


「……おや?」


 と神様が思った時には、もう怪しかった。


 仁が見ている。

 妙に気にしている。

 目で追っている。

 本人はたぶん、それに気づいていない。


 さらに、蜜葉乃が危なそうになると迷わず助けに行った。

 庇われれば動揺していた。

 近くにいるだけで様子がおかしい。


 神様はそのあたりで、だんだん笑えてきた。


「えっ、ちょっと待って」

「まだ何もしてないよね?」

「世界樹は?」

「様子見は?」

「というか任務開始前じゃない?」


 ひとりで叫んでいた。


 でも仁には届かない。届いたところで意味もない。

 なにしろあの時の仁は、もう蜜葉乃しか見えてなかった。


「早すぎだよなあ……」


 神様はしみじみ呟く。


「せめてひと仕事してからにしてくれない?

いや、恋は仕事のあとにしましょうっていうのも変だけど。

でも、ほんとに早かったんだよなあ」


 仁はあっという間に恋に落ちた。

 つまりその時点で、仁はもう“神様の手足”ではなく、仁そのものになってしまった。


 世界樹の様子見係は、一瞬で終わった。


 代わりに何が始まったかというと……


「女王蟻見守り係、爆誕」


 神様は自分で言って、自分で笑った。




 その後も、仁はまったく元の任務に戻らなかった。


 神様のもとに戻ってきて、気にするのは蜜葉乃のことばかりだ。


 巣はちゃんとできただろうか。

 食べ物は足りているだろうか。

 冬は越せるだろうか。

 危ない目に遭っていないだろうか。


 心配する内容だけ見れば、だいぶ真面目である。

 しかも、ただ見守るだけでは済まない。


 巣が危なそうだとそわそわするし、蜜葉乃が困りそうだと落ち着かないし、まだ何も起き  ていないのに真顔であれこれ心配し始める。


「いや、見守り係っていうか、もう夫の顔してたよね、あれ」


 神様は肩をすくめる。


「本人はそのへん、ぜんぜんわかってなかったけど」


 だから蜘蛛の襲撃の時も、神様は「行くだろうな」と思っていた。


 止めても行く。

 止めなくても行く。

 むしろ考える前に飛び込む。


 そういう確信があった。


 そして実際、その通りになった。


「まあ、行くとは思ってたよ?」

「思ってたけど、ほんとに迷いがなかったよねえ」




 神様は回想から戻って、目の前の世界樹を見上げた。


 今の蜜葉乃の巣を思い出す。


 巣はずいぶん大きくなった。

 子蟻たちも増えた。

 仁はすっかり巣の一員で、しかもかなり中心にいる。


 本来の予定からすると、仁はだいぶ寄り道した。

 けれども、その結果として、世界樹の近くに元気な巣がひとつ増えたのも事実だった。


「まあ、結果オーライってやつかなあ」


 神様はくすっと笑う。


「仁くん本人は聞いたら怒るだろうけど」


 たぶん、ものすごく真面目な顔で怒る。


 どうしてそんな大事なことを黙っていたのですか。

 なぜ最初に説明しなかったのですか。

 私は様子見係だったのですか。

 世界樹のことはどうするのですか。


 そのへんを一気に問い詰めてくる姿が目に浮かぶ。神様は想像しただけで少しだけ遠い目になった。


「いやあ、話さないわ。仁くん、絶対すぐ背負い込むし」


 世界樹のことは、まだはっきりしていない。

 神様が気にしていると知れば、仁はたぶん本気で、どうにかしようと考えるだろう。

 蜜葉乃たちだって、必要以上に“世界樹のために”動こうとするかもしれない。


 そういうのは違う。


 まずはあの巣が、あの巣として元気にやっていけばいい。

 その結果、世界樹のまわりが少し賑やかになるなら、それで十分だ。


 神様は世界樹の幹を、ぽんと軽く叩いた。


「もうちょっと賑やかになるといいねえ」


 それから少し考えて、くすりと笑う。


「でも次は、もう少し仕事してくれる子にしようかな……

いや、でもあれはあれで面白かったしなあ」


 結局どっちなんだ、という独り言を残して、神様の姿はふっと消えた。


 冬の風が、世界樹の枝をかすかに揺らす。


 それが返事だったのかどうかは、たぶん神様しか知らない。

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