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葉音を紡ぐ ――世界樹の麓で  作者: 葉森かなで


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5 はじめての娘

 卵が動いたその日から、巣の空気は目に見えないかたちで変わった。


 もちろん部屋そのものが広くなったわけではないし、備蓄が急に増えたわけでもない。通気孔から流れ込む風は相変わらず細く、部屋の隅に積まれた葉片も繊維も、創設巣らしいささやかな量しかない。


 それでも、何かが違った。


 白い卵のひとつが時折かすかに震えるたび、蜜葉乃は手を止めてそちらを見る。

 仁もまた、巣の補強や保温材の調整をしながら、意識の一端を常にそちらへ向けていた。


 まるで巣の中心に、小さな鐘が吊るされたみたいだった。

 鳴るか鳴らないかもわからないほどかすかな揺れなのに、二人の意識は自然とそこへ引き寄せられてしまう。


「仁」


「はい」


「今日も動きました」


「確認しております」


「昨日より元気な気がします」


「殻の張りも良好です。内部活動は順調かと」


「まあ……」


 蜜葉乃は卵のそばへ膝を寄せ、そっと指先を添える。

 その表情はひどくやわらかい。まだ眠たげな面差しの奥に、隠しきれない期待と、ほんの少しの緊張が混ざっている。


「なんだか、不思議ですねえ」


「何がでしょう」


「まだ姿も見えていないのに、もう“娘”だと思えるのです」


 卵の表面を撫でる手つきは、触れるというより包み込むようだった。


「早く会いたいような、でも、もう少しこのまま見ていたいような……そんな気持ちです」


「……」


 仁は答えなかった。

 ただ静かに卵の位置を見直し、乾きすぎている繊維を一枚抜いて、代わりにしっとりした葉片を差し入れる。


 蜜葉乃はその横顔を見上げて、ふわりと笑った。


「仁も緊張しています?」


「していない、と申し上げると嘘になります」


「まあ、正直」


「初めてのことですので」


「わたしもです」


 そう言って、蜜葉乃は卵を見つめる。

 女王でありながら、初めて母になる娘の顔だった。


 その夜、卵はまた動いた。


 昨日までよりも、ずっとはっきりと。

 殻の表面がぴくりと歪み、内側から押し返すような力が、白い膜の向こうに確かに見えた。


「仁」


「はい」


「いま……」


「ええ」


 二人はほとんど同時に卵のそばへ寄る。


 創設室の中はしんと静まり返っていた。

 通気孔から入り込む風の音も、土の粒がこすれる小さな気配も、今はどこか遠く感じる。


 卵が、もう一度震える。


 蜜葉乃は思わず息を止めた。

 腹の奥がきゅうと縮む。痛みではなく、緊張と期待が一緒になった、妙な感覚だった。


「大丈夫でしょうか」


「殻の状態に異常は見られません。おそらく正常な孵化の範囲内です」


「そう、ですか」


「はい。どうか落ち着いて」


「……はい」


 返事をしながらも、蜜葉乃の指先は落ち着かない。

 卵を助けてやりたいのに、手を出すわけにはいかない。見守ることしかできないもどかしさに、触角の先がそわそわと揺れている。


 やがて、白い殻にごく小さな裂け目が入った。


「あ……」


 蜜葉乃の喉から、ほとんど吐息のような声が漏れる。


 裂け目はまだ糸のように細い。

 けれどもそこから、内側のやわらかな色がほんの少しのぞいた。乳白色に近い、まだ輪郭のあいまいな命の色。


 仁はすぐに卵の周囲の繊維を払う。

 蜜葉乃は両手を胸元で組み、ただひたすら見つめた。


 殻が、少しずつ開いていく。


 押し広げるように現れたのは、小さな、小さな幼虫だった。


 透けるように白く、やわらかな身体。

 まだ形もおぼつかず、丸まったまま微かに身じろぐその姿は、あまりに頼りなくて、あまりに愛おしかった。


「……生まれた」


 蜜葉乃は、呆然としたように呟いた。


「生まれました、仁。この子、生まれました」


「はい」


「ほんとうに……」


 卵から出てきたばかりの幼虫には、目も手脚もない。

 けれども蜜葉乃には、これで十分だった。自分が産み、守ってきた命が、いま確かにここにある。


 胸の奥がいっぱいになって、うまく息ができない。

 笑いたいのに泣きそうで、泣きたいのに笑ってしまいそうで、どうしたらいいのかわからない。


「おめでとうございます、女王さま」


 仁の低い声が、静かに耳へ届く。


 その言葉でようやく現実へ引き戻されたように、蜜葉乃は何度も瞬いた。

 それから、壊れものに触れるよりも慎重な手つきで、幼虫のそばへ指先を寄せる。


「この子が、うちの最初の子……」


 幼虫は小さく身を丸め、外気に戸惑うようにわずかに震えていた。


「寒くないでしょうか。乾いていませんか。仁、保温材をもう少し……いえ、でも重すぎると苦しいかもしれませんし、ああでも」


「落ち着いてください、女王さま」


「はい、でも」


 仁は静かに幼虫の周囲を片付け、割れた殻を取り除き、湿り気の均一な繊維を薄く敷く。

 蜜葉乃はその横で、じっと幼虫から目を離せない。


 やわらかな身体が、ぴくりと動く。

 それだけで胸が締めつけられるほど愛おしかった。


「小さいですねえ」


「はい」


「こんなに小さいのに、ちゃんと生きているのですね」


「生きています」


「うちの子です」


 その言い方があまりにもまっすぐで、仁は一瞬だけ言葉を失った。


 蜜葉乃は、幼虫のそばへそっと両手を添える。

 まるで寒がりな雛を囲うみたいに、慎重に、やさしく。


「ようこそ」


 その声はひどく小さかった。

 

「よく来てくれましたねえ」


 幼虫は返事の代わりのように、またかすかに身体を動かした。


 それだけで、蜜葉乃の目元がふっと緩む。


「仁」


「はい」


「名前をつけてもよいでしょうか」


「もちろんです」


 蜜葉乃は幼虫を見つめたまま、少しだけ考える。

 白く小さなその姿は、まだ葉の芽よりも頼りない。けれど、この巣に初めて芽吹いた命であることだけは、誰よりも確かだった。


「一葉」


 蜜葉乃は、そっとその名を口にした。


「この子、一葉にします」


「一葉、ですか」


「はい。最初の葉のように、小さくても、これからたくさんの命を支える子になりますように」


 仁は静かに目を伏せる。


「……良いお名前かと」


「ほんとうに?」


「はい。女王さまらしい」


「まあ」


 褒められてうれしかったのか、それとも一葉という名がしっくりきたのか、蜜葉乃はふわりと微笑んだ。


「一葉」


 もう一度、今度は呼びかけるように。

 すると幼虫が、ほんの少しだけ身じろいだ気がした。


「お返事をしたのでしょうか」


「偶然かと」


「そういうところ、仁は夢がありません」


「夢ではなく事実を申し上げております」


「でも、今のはお返事だったことにしませんか」


「女王さまがそうお望みなら」


「では、お返事です」


「承知しました」


 仁は真顔のまま頷いた。

 蜜葉乃はくすくす笑って、それからすぐに幼虫へ視線を戻す。


 一葉はまだ本当に小さい。

 この巣にある何よりも壊れやすく、何よりも守られなければならない存在だ。

 だからこそ、ここからが始まりだった。


 孵化したばかりの幼虫は、自力で餌を取りに行けない。

 働き蟻もまだいないこの巣では、女王である蜜葉乃が栄養を与え、育てなければならない。


 それを理解しているからこそ、仁の声はいつもより慎重だった。


「女王さま」


「はい」


「育児に入る前に、ひとつ確認を」


「確認」


「現在の女王さまの栄養状態は、正直に申し上げて芳しくありません」


 言われなくても、薄々はわかっていた。襲撃の後、体力は戻りきっていない。食糧の備蓄もないまま、卵を守り、産み、ここまで来た。


 けれども一葉が生まれた今、立ち止まっている余裕などない。


「……それでも、育てます」


 やわらかな声だった。

 でも、芯は揺らがない。


「この子は、うちの娘ですから」


 仁は少し黙ってから、深く頷いた。


「承知しました。でしたら可能な限り負担の少ない形を整えます」


「お願いします、執事さん」


「お任せください」


 それからの巣は、一葉を中心に時間が回り始める。

 蜜葉乃は一葉のそばを離れず、体内に蓄えた栄養を少しずつ与える。

 

 その間に仁は、巣の補修と保温に加え、女王の消耗を少しでも抑えるための環境作りに奔走した。

 柔らかな繊維を集めて育房の床を厚くする。

 乾きすぎないよう通気の向きを調整する。

 蜜葉乃が一葉へ栄養を与えやすいよう見守り、身体を預ける位置や角度まで整える。


「仁」


「はい」


「もう少し、こちら側を高くしていただけますか」


「このくらいで」


「はい、ちょうどいいです」


「他には」


「一葉の下の繊維を少しだけ薄く。熱がこもりすぎると寝苦しそうです」


「承知しました」


 蜜葉乃は仁を見て、少しだけ笑う。


「仁、ずいぶん手慣れていませんか」


「女王補佐の業務範囲内です」


「育児もですか」


「必要に応じて」


「便利なお方ですねえ」


「恐縮です」


 いつものやり取りだった。

 けれども一葉が生まれてからの巣には、その会話の合間にもうひとつ、小さな息づかいが 増えた。


 一葉は少しずつ育っていった。


 最初は白く頼りなかった身体が、日を追うごとにふっくらとしていく。

 身じろぎの回数が増え、蜜葉乃の気配に反応するように身体を寄せることもある。

 蜜葉乃にとっては、どんな小さな動きも全部が愛おしかった。


「見てください、仁」


「はい」


「いま、こちらへ来ようとしました」


「体勢を変えただけかと」


「もう少し夢を見てください」


「善処します」


「努力目標ではなく?」


「本件に関しては前向きに検討いたします」


「まあ、えらい」


 そうやって笑う蜜葉乃の顔色は、日によって少しずつ違った。


 一葉が順調に育つほど、蜜葉乃の消耗もまた進んでいく。

 栄養を与えるたび、腹の奥が空っぽになるような感覚があった。脚に力が入りづらい日もある。朝起きた時から身体が重く、触角の先まで鈍くしびれることもあった。


 それでも一葉が身を寄せてくると、蜜葉乃は全部忘れたように微笑んでしまう。


「お腹が空いたのですか、一葉」


 小さな幼虫を包む声は、どこまでもやわらかい。


「はいはい、すぐですよ。たくさん食べて、大きくなりましょうねえ」


 その姿を見ていると、仁は何度か言葉を飲み込んだ。


 休んでくださいと言うのは簡単だ。

 けれども今の蜜葉乃から、一葉を引き離すような真似はできない。

 女王としてではなく、母として育てている。そういう熱が、彼女にはあった。


 だから仁にできるのは、それ以外の負担をすべて引き受けることだけだった。


「女王さま、こちらを」


「……なんでしょう」


「水分を含ませた葉です。少量ですが、口にしてください」


「あとで……」


「今です」


「仁」


「今です」


 真顔で差し出されて、蜜葉乃は少しだけ困った顔をした。

 それから一葉を腕の内に収めたまま、差し出された葉片へ口をつける。


「えらいです」


「子ども扱いしないでくださいな」


「でしたら、倒れないでくださいね」


「う……」


 言い返せなくなって、蜜葉乃はしおしおと肩を落とした。

 その姿に、仁はため息ともつかない小さな息をつく。



 一葉が育つにつれ、巣の時間はさらに早く流れ始めた。


 そしてある日、仁は一葉の様子を見て静かに言った。


「そろそろ、かもしれません」


「何がです?」


「蛹化です」


 蜜葉乃は目を丸くした。

 目の前の一葉は、最初に比べればずいぶん大きくなったとはいえ、蜜葉乃から見ればまだまだ小さい娘だ。


「もう、そんな時期ですか」


「順調に育っています」


「そう、ですか」


 うれしいはずなのに、その返事は少しだけ寂しそうだった。

 仁が視線を向けると、蜜葉乃は一葉を見つめたまま、そっと笑う。


「だって、ついこのあいだ生まれたばかりなのに。もう次の姿になるのだと思うと、早いですねえ」


「成長が良い証拠です」


「そうですね」


 そう言いながら、一葉のそばへ手を添える。

 その指先には、誇らしさと、少しの名残惜しさが混ざっていた。


 蛹化の準備が始まると、巣の中はまた少し忙しくなった。

 蜜葉乃は一葉のそばをほとんど離れなかった。


 そして、その夜。


 一葉は静かに身を丸め、幼虫の姿から次の段階へ移ろうとしていた。


 蜜葉乃はそのそばで膝を抱え、息をひそめて見守る。

 仁もまた少し後ろに控え、何かあればすぐ動けるように待機している。


 巣の中は驚くほど静かだった。

 土の匂い。葉の匂い。部屋にこもるぬくもり。

 その中心で、一葉だけがゆっくりと変わっていく。


「がんばっているのですねえ……」


 蜜葉乃の声は、祈るように小さい。


 やがて一葉の身体は、やわらかな繭のような薄い膜に包まれ、幼虫の輪郭を内側へしまい込んでいく。

 それは卵から生まれた時とはまた違う、静かな変化だった。命が外へ出てくる瞬間ではなく、内側で次の姿を準備するための眠り。


「蛹化、完了です」


 仁が低く告げる。


 蜜葉乃は、ほっとしたように息を吐いた。

 それから蛹になった一葉を見つめ、ゆっくりと笑う。


「えらいですねえ、一葉」


 返事はない。

 けれど今はそれでいい。ちゃんと次へ進めたことが、何より大事だった。


「すごいです。生まれて、食べて、こんなに大きくなって……」


 言いながら、蜜葉乃はそっと蛹のそばへ指を寄せる。

 壊れないよう、触れないぎりぎりの距離で止めて、ただ見守る。


「次に目を覚ます時は、もう今の一葉ではないのですね」


「はい。働き蟻としての形を得ます」


「……少し寂しいです」


 ぽつりと零れた本音に、仁はわずかに目を細めた。


「でも、楽しみでもあります。どんな子になるのでしょう」


「きっと、女王さまに似たお優しい方かと」


「まあ」


「あるいは、女王さまに似て、少々無理をしがちな」


「仁」


「事実かと」


「いまはそういうことを言う場面ではないでしょう」


「失礼いたしました」


 謝っているのに、あまり謝っているように聞こえない。

 蜜葉乃は少しだけ頬を膨らませたものの、結局は笑ってしまった。


 笑って、それから。


 ふ、と身体が揺れた。


「女王さま」


 仁の声が一段低くなる。


 蜜葉乃自身も、何が起きたのか一瞬わからなかった。

 ただ急に視界の端が暗くなった。巣の壁が遠のき、地面がふわりと浮くような感覚がする。腹の奥は空っぽで、脚には力が入らない。


「あら……」


 その声は、ひどく小さかった。


 仁はすぐに駆け寄り、崩れかけた身体を支える。

 抱き留められた蜜葉乃は、しばらく瞬きを繰り返してから、ようやく自分がふらついたのだと気づいたらしい。


「ごめんなさい。少し立ちくらみのような」


「少しではありません」


 仁の声音は静かだったが、いつもよりずっと硬かった。


「女王さま、限界です」


「でも、一葉が……」


「一葉は蛹化を終えました。心配はありません」


「そう、ですけれど……」


「これ以上は、巣の存続に関わります」


 きっぱりと言い切られて、蜜葉乃は言葉を失う。


 仁はそのまま彼女を壁際へ移し、負担の少ない角度でもたれさせる。

 手つきは相変わらず正確でやさしい。けれどもその奥に抑えた焦りがあることを、蜜葉乃はなんとなく感じ取った。


「……仁」


「はい」


「そんなにひどい顔をしていますか、わたし」


「ええ」


「ふふっ、まあ!」


「笑いごとではありません」


「はい……」


 しおらしく頷きながらも、蜜葉乃の視線は蛹になった一葉へ向いている。

 その横顔には安堵があった。やり遂げた者の、静かな満足があった。


 仁は一度だけ目をキツく閉じ、短く息をつく。


「本日はもう、何もなさらないでください」


「でも」


「だめです」


「……はい」


 今度ばかりは素直だった。

 それだけ、身体が限界を訴えているのだろう。


 蜜葉乃は壁にもたれたまま、蛹の一葉を見つめる。

 目元は疲れている。頬の色も薄い。それでも、その表情はひどくやわらかかった。


「仁」


「はい」


「一葉、きれいですねえ」


「はい」


「この子、ちゃんとここまで来られました」


「女王さまが育てられたからです」


「……そうでしょうか」


「そうです」


 即答だった。


「女王さまがご自身を削ってでも、守り育てられたからこそです」


 その言葉に、蜜葉乃は少しだけ目を丸くする。

 それから、困ったように微笑んだ。


「そんな言い方をされると、褒められているのか叱られているのか、よくわかりません」


「両方です」


「まあ」


「ですから、次は叱られない範囲で褒められてください」


 珍しく回りくどい物言いに、蜜葉乃はくすりと笑った。

 でもその笑みはすぐに小さくなり、代わりにまぶたが重たげに伏せられる。


 眠気ではない。

 消耗しきった身体が、休息を求めているのだ。


「少しだけ、休みますね」


「はい。どうかそのまま」


「一葉が起きたら、教えてください」


「承知しました」


「仁」


「はい」


「この子が目を覚ましたら……きっと、巣がまた少し変わりますねえ」


 薄く笑いながら、蜜葉乃は囁いた。


 蛹の一葉。

 眠る娘。

 その成長を見届けた女王は、ようやく糸眠りについた。


 仁はその姿を見つめ、静かに視線を落とした。


 一葉は無事に蛹化した。

 それは喜ばしいことだ。巣にとって大きな前進であり、初めての娘が次の段階へ進んだ証でもある。


 だがその代償として、蜜葉乃の消耗は、もはや見過ごせないところまで来ていた。


 このままでは、一葉が成虫になる前に女王の方が倒れかねない。


 仁は蛹の一葉と、眠る蜜葉乃とを順に見た。


 守るべきものが、また増えた。

 けれど同時に、急がなければならない理由も増えている。


 食糧。

 栄養。

 女王を支える手段。


 蛹となった一葉が目を覚ますまでに、整えなければならないことがある。


 仁は音もなく立ち上がり、育房の温度をもう一度確かめた。

 蛹のそばへ保温材を寄せ、眠る蜜葉乃の肩に乾いた繊維をかける。


「お休みください、女王さま」


 返事はない。


 代わりに、壁にもたれた蜜葉乃の指先が、眠りながらも一葉の方へ、かすかに伸びていた。

 無意識にでも娘を探してしまうのだろう。その仕草があまりにも彼女らしくて、仁はほんの少しだけ目を細める。


 一葉が目を覚ます時までに。

 この王国が、次の一歩を踏み出せるように。

 今、歩みを止めるわけにはいかない。


 仁は再び、静かな執事の顔に戻った。


 やるべきことは、山ほどあるのだから。



仁の日誌


•第一子、無事孵化

•名は「一葉」

•幼虫期の成長は順調、蛹化まで完了

•女王の育児適性は極めて高い

•ただし栄養消耗が深刻

•早急に女王の回復手段を確保する必要あり


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