49 わたしはだれでしょう
大変遅くなりました。
冬が深まるにつれて、巣の中にも少しずつ「冬用の置き方」が増えていった。
巣が広がったぶん、物も増えた。どこに何を置くか、改めて整えた方がいいだろうという話になり、その役を引き受けたのは仁だった。
「濡れると困るものは上へ。採集用の袋は入口側、補修道具は詰所に近い方がいいですね」
「巣印札は、待機・危険・撤退・巣印で束を分けておきます」
「灯り粒は子どもの手の届かない場所へ。双葉も取りにくように」
「ひどい信頼だなあ」
横で箱を抱えていた双葉が口を尖らせる。
「信頼ではなく実績です」
「否定できない!」
双葉はあっさり負けを認め、そのまま葉札の束を運んでいった。
少し離れたところでは葉月が棚の高さを見ていて、紬葉は運搬紐をまとめ直している。皆それぞれ手を動かしていたが、全体の配置を決めているのは仁だった。
「仁って、こういうの本当に手慣れてるよね」
棚板の具合を確かめながら、葉月が感心したように言った。
「必要な物が必要な時に取り出せるようにしているだけです」
そう答えながら、仁は細い紐をひと束にまとめた。
余りを内側へ折り込み、引けばすぐほどけるように結ぶ。ついでに石刃の小箱を並べ替え、欠けた刃とまだ使える刃を分ける。湿気を避けた方がいい物は奥へ、すぐ使う物は手前へ。
手は迷わなかった。
考えるより先に、どう置けばいいかがわかる。
そのことに気づいて、仁はほんの一瞬だけ動きを止めた。
紐のまとめ方も、刃物のしまい方も、予備の置き方も。
何度もやったことがあるみたいに、自然にわかる。
けれど……どこで覚えたのかは、わからない。
「仁、どうかした?」
葉月の声に、仁はすぐ顔を上げた。
「いえ。続けましょう」
「その箱は、上段ではなく右の棚へ。子どもたちが引っ張り出しそうなので」
「了解」
葉月は素直に頷いて箱を運んでいく。
仁もまた何事もなかったように手を動かしたが、胸の奥には小さな引っかかりが残ったままだった。
知っている。
けれども覚えていない。
その妙な感覚は、最近ときどき顔を出す。
蜜葉乃を見守っていた頃のことは覚えている。蜘蛛に襲われた彼女を助けた時のことも、その後この巣へ来てからの日々も覚えている。
だが、その前がない。
婚姻飛行より前の自分を、ほとんど知らない。
考えかけたところで、横を結葉が通りかかった。
抱えていた葉束を置こうとして、ふと足を止める。仁は視線を上げたが、結葉は何も言わなかった。ただ少しだけ仁の顔を見た。
「それ、こちらに置けばいいですか?」
「……ええ。ありがとうございます」
結葉は頷いて、言われた場所へ葉束を運ぶ。
それだけだ。問いかけも、詮索もない。
だが、仁が箱を持ち上げようとした時には、いつの間にか結葉が隣に来ていた。
「それ、運びます」
「重くはありませんが」
「今日は少し、手が足りない気がしたので」
やわらかな口調だった。
「……助かります」
仁がそう返すと、結葉は小さく会釈した。
それきりだった。
午後になっても、道具の整理は続いた。
双葉が「これは試作品だから別枠で!」とよくわからない小箱を持ち込めば、仁が「まず中身を説明してください」と差し戻す。紬葉が古い運搬紐を見つけて「まだ使えます」と主張し、仁が「三本に一本は切れそうですが」と眉を寄せる。葉月は棚の増設位置を考え、護葉は詰所に持っていく分を仕分ける。
巣の中は、いつも通りに賑やかだった。
仁もまた、いつも通りに動いた。
子蟻に呼ばれれば返事をし、双葉の暴走を止め、足りない物を数え、冬の間に必要になりそうな備品を頭の中で組み直す。
外から見れば、普段と変わらない一日だっただろう。
結葉だけは、時々ちらりと仁の方に目を配っていた。
話しかけるわけではない。手伝いが必要そうならそっと運ぶ物を受け取り、子蟻が一度に押し寄せたら別の遊びに誘って少し引き取る。ただそれだけの、控えめな気遣いだった。
どうしてこんなに手が覚えているのか。
どうして知っているのに、出どころだけが空っぽなのか。
答えのないまま、日が暮れた。
夜。
巣の中が静まり返ってから、仁は整理し終えた棚の前にひとりで立っていた。
今日並べた箱や紐は、どれも使いやすい場所に収まっている。緊急時に必要な物は手前、普段あまり使わない物は奥。補修道具は詰所に近く、採集用の袋は第二の出入口へ向かいやすい場所へ。
きっとこれでいい。
たぶん、かなり使いやすくなったはずだ。
それがわかること自体が、今は少し不気味だった。
「……私は、どこで覚えたんでしょうね」
ぽつりと零れた声は、誰にも届かない。
婚姻飛行の前を知らない。
どこで生まれ、何をしていたのかもわからない。
それなのに、こういう時だけは、昔から何度もやってきたように手が動く。
もし今後も、知らない知識や経験が自分の中から出てきたら。
もしそれが、この巣にとって厄介な何かだったら。
蜜葉乃や子どもたちに、説明のつかないものを背負わせることになるのではないか。
仁は小さく息をついた。
考えたところで答えが出るわけではない。けれども考えずにいられるほど、お気楽な性格でもなかった。
やがて執務机に向かい、いつもの日誌を開く。
道具整理の進捗。備品の配置変更。詰所へ移す物の一覧。冬支度の補足。
そこまでは、いつも通り事務的に書き進めた。
最後の一行を書く前に、仁の手が止まる。
少しだけ迷ってから、静かに書き足した。
神様へ。
もし説明する気があるなら、私が何者なのか、そろそろきちんと教えていただきたいのですが。
書き終えて、仁はその一文をしばらく見つめた。
返事が来るとは思っていない。
ただ、どこにも向けられない問いを、そこに置いておきたかった。
やがて仁は日誌を閉じ、灯りを見上げた。
巣の中は静かで、何も変わらないように見える。
けれど仁の中では、ずっとぼやけていた空白が、少しだけはっきりと輪郭を持ち始めていた。
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仁の日誌
巣内備品の整理を実施。採集用具、補修道具、巣印札、灯り粒予備等の配置を見直し。
緊急時に使用する物品は入口側へ、湿気を避ける物は上段へ移動。子蟻が触れて困る物は別保管。
詰所へ移す備品の選別も概ね完了。残りは後日確認予定。
双葉様の「試作品箱」は中身不明のため一旦保留。まず説明を求める必要あり。
婚姻飛行以前の記憶について、相変わらず空白のままです。知識や手際の出どころが不明なのは、あまり気分の良いものではありません。
神様へ。もし説明する気があるなら、私が何者なのか、そろそろきちんと教えていただきたいのですが。




