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葉音を紡ぐ ――世界樹の麓で  作者: 葉森かなで
一章

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47/130

47 ロマンチックはほどほどに

 最近、女王の間のあたりが少し明るい。


 最初に気付いたのは、蜜葉乃だった。


 夜、子蟻たちを寝かしつけたあと、部屋へ戻ってくると、入口まわりの土壁がふわりと淡く光っている。やさしい緑がかった光で、眩しいというほどではない。けれど、前にはなかった明るさだ。


「……きれい」


 蜜葉乃は思わず足を止めた。


 土壁の隙間に、小さな苔のようなものが張りついている。湿った壁に沿って、ぽつぽつと光の粒が並んでいるようにも見えた。


 ちょうどその時、後ろから仁がやってくる。


「どうかなさいましたか」


「見て、仁。入口のところ、少し光ってるの」


 仁は蜜葉乃の視線の先を見て、ぴたりと止まった。


「……ああ」


 見覚えがある。

 ありすぎるほどある。


 夜灯り苔だ。


 以前、あの神がよこした妙な品のひとつである。

 暗い場所でじんわり光り、湿気があれば壁に張りつく。空気の悪い場所では元気がなくなるので、坑道の調査や空気の流れを見るのに便利――という触れ込みだった。


 ただし、あの神の「大丈夫」はだいたいろくでもない。


 仁はひとまず、そのことを胸の内でだけ呟いた。


「きれいでしょう?入口だけ、ちょっと明るくなっていて」


「……そうですね」


 仁は慎重に答える。


 入口に少し植える程度なら、たしかに悪くない。夜でも部屋の位置がわかりやすいし、雰囲気もやわらかい。問題は、なぜここにあるのかだ。


 女王の間の近くに夜灯り苔を植えるような指示を、仁は出していない。


「誰かが植えたのかしら。親切ねえ」


「ええ……善意ではあると思います」


 たぶん。

 非常にたぶんだが。


 仁は嫌な予感を覚えつつ、光る苔をじっと見た。


 そして翌朝、犯人はあっさり見つかった。


 朝の仕事の確認をしていた時、双葉がたいへん晴れやかな顔で言ったのである。


「女王さまのお部屋、ちょっと素敵にしておきました!」


 仁は無言で双葉を見た。


「……双葉……何をしましたか?」


「えっ、夜灯り苔をちょっと。入口だけだと寂しいかなって思って、壁の近くにも少し!」


「少し」


「少しです!」


 仁は嫌な単語を拾った。


「壁の近くにも?」


「はい! 女王さま、夜に戻ってくること多いじゃないですか。だったらお部屋もほんのり明るい方が素敵かなって!」


 きらきらした目で言い切られて、仁は額を押さえた。


 なるほど。

 善意だ。

 善意ではある。


 だが、善意と被害の大きさは両立する。


「……どのくらい植えました?」


「そんなに多くないですよ?入口の両脇と、寝台の後ろと、壁の角と、その隣の――」


「多いですね」


「えっ」


「十分に多いです」


 双葉がぱちぱちと瞬く。

 そこへ、蜜葉乃がやってきた。


「おはよう、みんな。どうしたの?」


「あっ、女王さま!お部屋、どうでした? 夜灯り苔、きれいでしたよね!」


 蜜葉乃は嬉しそうに笑った。


「ええ、とてもきれいだったわ。双葉がしてくれたのね。ありがとう」


「えへへ!」


 褒められて、双葉は満面の笑みだ。


 仁だけが不穏な顔をしていた。


「……蜜葉乃様。お気に召したのは結構なのですが、あれは増え方が少々読みにくいので、あまり室内に置きすぎるのは」


「でも、やさしい明るさだったわ。寝る前に見ると落ち着くの」


 仁が言葉に詰まる。


 たしかに、蜜葉乃の言うこともわかる。土の壁に淡い光が映る様子は、たしかに綺麗だった。綺麗だったのだが。


 仁が何か言う前に、双葉がぱっと胸を張る。


「大丈夫です! そんなに増えません!」


 その瞬間、仁の背筋に嫌なものが走った。


 その台詞は危険だ。

 とても危険だ。


 なぜなら、「大丈夫です」から始まる双葉の工作は、たいてい何か起こる。


 そして、嫌な予感は数日後に現実になった。


 夜。


 仁が仕事を終えて部屋へ戻ると、女王の間の入口が前よりも明るい。

 嫌な予感に導かれるように中を覗き込んで、仁は沈黙した。


 増えている。


 夜灯り苔が、明らかに増えていた。


 入口の脇だけではない。寝台のそば、壁の継ぎ目、棚の裏、部屋の角。じんわりと光る苔が、しっとりと土壁を這うように広がっている。薄暗い巣の中だというのに、そこだけ妙に雰囲気がある。


 端的に言えば、やたらロマンチックだった。


 仁はその場で目を閉じた。


「……増えましたね」


 寝台の上で本を読んでいた蜜葉乃が、顔を上げる。


「ええ、少し。でも綺麗よ?」


「寝るには明るすぎます」


「そうかしら」


「そうです」


 きっぱり言う仁に、蜜葉乃はくすっと笑った。


「仁、こういうの苦手?」


「苦手というより、落ち着きません」


「どうして?」


「どうしてと言われましても……」


 部屋全体がほんのり光り、土壁にやわらかな影が落ちる。女王の寝台まで妙に雰囲気が出ていて、正直に言えば大変居心地が悪い。執務の報告をするにも、何をするにも、空気が妙にしっとりしているのだ。


 それをどう説明すればいいのか。


 仁が言い淀んでいると、蜜葉乃が面白そうに目を細めた。


「もしかして、照れてるの?」


「違います」


「即答ね」


「寝室としての機能性の問題です」


「ふふ」


 蜜葉乃は楽しそうに光る壁を見上げている。仁は頭を抱えたくなった。これでは眠るたびに部屋がやわらかく光る。落ち着かないにもほどがある。


 だが、さらに追い打ちがあった。


 翌日の昼、子蟻たちが部屋の前で大騒ぎを始めたのである。


「みてー!」

「じんさんのおへや、きらきらー!」

「ひかってる!」

「すごーい!」


 仁が駆けつけた時には、寝台の前に子蟻たちがわらわら集まっていた。

 結葉が壁を指さし、結音が「ほしみたい!」と跳ねている。さらに小さい子たちまで真似して、部屋の入口でぴょこぴょこしていた。


「……皆さん……人の寝室を見学場所にしないでいただけますか」


「でもきれいだよ!」


「ひかるー!」


「じんさん、これおへやにずっとあるの?」


「……できれば、ずっとは遠慮したいところです」


 仁が真顔で答えると、子蟻たちはきょとんとした。


 そこへ双葉が現れ、壁を見て「あっ」と声を上げた。


「広がってる!」


「広がっていますね」


「えへへ、元気でよかったです!」


「よくありません」


 仁の即答に、双葉がしゅんと肩を落とす。


 けれど蜜葉乃が後ろからやってきて、光る部屋を見回し、楽しそうに笑った。


「ずいぶん賑やかねえ」


「女王さま! じんさんのおへや、ぴかぴか!」


「ほんとねえ」


「蜜葉乃様。笑っている場合ではありません」


「でも、少し綺麗でしょう?」


「少しどころではありません」


 仁が低く言うと、蜜葉乃は子蟻たちと一緒になって壁を見上げた。


「うーん……たしかに、ちょっと増えすぎたかしら。入口だけの時はちょうどよかったのだけれど」


 その言葉に、仁はようやく希望を見出した。


「では減らしましょう」


「全部?」


「全部です」


「ええー」


 子蟻たちから不満の声が上がる。


「きれいなのにー」

「のこしてー」


 蜜葉乃も少し考え込むように壁を見たあと、仁へ視線を向けた。


「中は減らしてもいいけれど、入口のところだけ残したらだめ?」


「蜜葉乃様」


「だって、夜に戻る時わかりやすいし、少し可愛いもの」


 可愛い。

 その一言に、子蟻たちが一斉に頷く。


「かわいい!」

「のこそう!」

「きらきらいる!」


 多数決が始まりそうな気配に、仁は静かに息を吐いた。


 この巣では、女王と子蟻たちが同じ方向を向くと、だいたい勝ち目がない。


 結局その日の午後、仁、双葉、護葉、それに子蟻たちまで動員して、夜灯り苔の整理が行われた。


 部屋の中に広がりすぎた分はそっと削り取り、寝るのに支障がない程度まで減らす。代わりに、女王の間の入口と脇だけは少し残した。


「これなら、帰ってきた時にわかりやすいわね」


 蜜葉乃は満足そうだ。


 子蟻たちも「きらきらのこった!」と喜んでいる。


 双葉はというと、削り取った苔を前にしょんぼりしていた。


「すみません……。素敵かなと思ったんですけど……」


「気持ちはわかります」

 仁はそう言って、削った苔を小さな葉箱へ移しながら続けた。

「ただ、今後は植える前に一言相談してください」


「はい……」


「特に、“大丈夫です”と思った時ほど」


「うっ」


 心当たりがありすぎたのだろう。双葉はぎくりと肩を揺らした。


 蜜葉乃がそれを見て、くすくす笑う。


「でも、本当に綺麗だったわ。ありがとう、双葉」


「女王さま……!」


 双葉はぱっと顔を上げた。


「じゃあ、また別の場所なら植えてもいいですか?」


「仁が許可したらね」


「先に私のところへ報告に来てください」


「はい!」


 返事だけはたいへん元気だった。


 その夜。


 整理されてほどよく暗くなった部屋で、蜜葉乃は入口の脇に残った夜灯り苔を見て微笑んだ。

 ふたつ並んだ小さな光は、昼間ほど賑やかではないけれど、やっぱり少しだけ綺麗だ。


「これくらいなら、ちょうどいいわね」


「……そうですね」


 仁も不承不承うなずく。


 完全に消し去るよりは、たしかにこのくらいがちょうどいいのかもしれない。帰り道の目印にもなるし、雰囲気も悪くない。悪くないのだが。


 蜜葉乃は寝台の上から仁を見上げた。


「仁」


「はい」


「少し残してくれてありがとう」


 その顔が嬉しそうだったので、仁は何も言えなくなる。


「……蜜葉乃様が気に入られたのであれば、それで」


「やさしいのね」


「双葉の後始末をしただけです」


「そういうことにしておくわ」


 からかうように笑われ、仁は小さく咳払いした。


 入口の脇で、夜灯り苔が淡く光る。

 明るすぎず、暗すぎず、ほんの少しだけロマンチックな光だった。


 仁はその光を一瞥して、心の中でだけ呟く。


 ……やはり、あの方の「大丈夫」は信用しすぎるべきではありませんね。


 もっとも。

 少しだけ残ったその光を、蜜葉乃が嬉しそうに見つめているのを見ると、全部なくさなくてよかったのかもしれない、とも思うのだった。


ーーーーーーーーーーーーーーー


仁の日誌


 夜灯り苔、女王の間へ侵食。原因は双葉の善意。

 蜜葉乃さまは「きれい」と好意的。子蟻たちも概ね同意。私のみ安眠妨害を主張。

 最終的に、室内の過剰分は除去。入口付近のみ残留。

 教訓――「少しだけ植えました」は信用してはならない。特に双葉さんの場合。

 なお、入口に残した分については、蜜葉乃さまが満足そうだったため不問とする。完全敗北ではない。たぶん。

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