39 よいこはマネしちゃいけません
その日の育房室は、いつもよりにぎやかだった。
子蟻たちが床いっぱいに葉っぱや小枝を広げて、なにやらごっこ遊びをしているのである。丸めた葉を冠みたいに頭に乗せた子、細い枝を槍のつもりで持っている子、ちいさな葉切れを胸に貼って「これはおしごとのしるし!」と得意げにしている子までいる。
「今日は何をしてるの?」
蜜葉乃がそう声をかけると、子蟻たちはいっせいに振り返って、きゃっとはしゃいだ。
「じょおうさまごっこ!」
「たんけんたいごっこ!」
「あと、じんさんごっこ!」
「……最後のは聞き捨てなりませんね」
すぐ隣に控えていた仁が、わずかに眉をひそめる。
けれどその声音は、いつものようにきっちりしているくせに、どこか力が抜けていた。最近は子蟻たちにもすっかり慣れたらしく、こういう遊びに巻き込まれても、昔ほど本気で止めには入らない。
育房室の壁際には、一葉、双葉、紬葉、千葉夜、そしてまだ療養中の結葉が座っていた。結葉は葉を何枚も重ねた寝台の上に半身を起こし、巻き葉帯の巻かれた脚を投げ出している。
「だって似てるんだもん」
「仁さん、いっつもこうだよねーって」
「今日は再現度が高いの」
双葉がにやにやしながらそう言うと、仁は嫌な予感を覚えたのか、すっと目を細めた。
「……再現度?」
「まあまあ、見てあげたら?」
一葉が苦笑する。
「すごく楽しそうだから」
蜜葉乃も口元をゆるめて、子蟻たちの輪の近くへ寄った。
「じゃあ、見せてもらおうかしら。誰が誰の役なの?」
「わたしがじょおうさま!」
胸を張ったのは、丸い葉っぱを頭に乗せた子蟻だった。
「ぼくがじんさん!」
その隣で、やけにきびきびした動きの子蟻が前に出る。
「おれはごえい!」
「わたしははつめいがかり!」
「わたしはちいねえちゃん!」
役割の振り分けはだいぶ自由だった。
けれど、「じんさん役」を名乗った子蟻がぴしっと背筋を伸ばした瞬間、育房室のあちこちから、なんとも言えない笑いをこらえる気配が漏れた。
「……嫌な予感しかしません」
「仁、ちょっと見てみたい」
蜜葉乃がくすりと笑う。
「そんなに構えなくても大丈夫よ」
「その“大丈夫”が信用ならないのですが」
そう言いながらも、仁は女王の隣から離れない。
子蟻たちはすでに劇を始める気満々で、床の上に置いた小石や葉切れを、どうやら坑道や荷物に見立てているらしかった。
「では、たんけんたい、しゅっぱーつ!」
一番前に立った子蟻が元気よく宣言した。
わあっと声が上がる。子蟻たちが列を作って、床の上の小枝の間をぴょこぴょこ進んでいく。どうやら探索班ごっこのようだ。
じょおうさま役の子蟻は、少し離れたところに用意された「しさつのばしょ」らしい葉っぱの上で、いかにも偉そうに立っている。
最初のうちは、ただただ微笑ましかった。
先頭の子が「こっちはだいじょうぶ!」と叫び、別の子が「ここにひびがあります!」と葉を指さし、発明係役の子が「まきはたいもってきました!」と細い草を掲げる。双葉が吹き出し、紬葉が「その役、ちょっと嬉しいです」と小さく笑った。
けれど、じんさん役の子蟻が動いた瞬間、空気が少し変わった。
じょおうさま役の子蟻が、葉っぱの端に置いてあった小石に足を引っかけ、ぐらりと体を傾けたのである。
その瞬間。
「女王さま!!」
じんさん役の子蟻が、ものすごい勢いで飛び出した。
「危険です! まず私が確認します!」
「壁には近づかないでください!」
「足元が悪いので、そのままお待ちを!」
「だめです、一人で歩かないでください!」
ぴしっ、ぴしっと、妙に切れ味のいい声が飛ぶ。
育房室が、一瞬しんと静まった。
それから。
「……っ」
「ぶっ……」
「だめ、これ……」
双葉が肩を震わせ、一葉が口元を押さえ、千葉夜が横を向いて笑いをこらえる。紬葉まで困ったように目を伏せ、結葉は寝台の上で、声を出さないよう必死に口を引き結んでいた。
蜜葉乃は目を丸くしてから、隣の仁を見上げた。
「仁」
「……なんでしょう」
「似てるわね」
「似ていません」
即答だった。
だが、その即答があまりにも早すぎて、むしろ肯定にしか聞こえない。
しかも床の上では、じんさん役の子蟻がまだ止まらない。
「女王さま、そこは危険です!」
「だいじょうぶだよー」
「大丈夫ではありません!」
「まず私が先に!」
「確認が終わるまで動かないでください!」
子蟻たちがきゃっきゃっと笑う。
じょおうさま役の子は、わざとふらふらしながら「えー、いきたいのにー」と言っていて、じんさん役はますます慌てていた。
「……似てる」
蜜葉乃がぽつりと言った。
「似てますねえ」
千葉夜がしれっと同意する。
「言い回しまでかなり」
一葉までうなずく。
「いや、待ってください。なぜ皆さんそんなに即座に同意できるんですか」
「だっていつもそんな感じだもん」
風葉が悪びれずに言う。
「視察の時も、怪我の時も、だいたいあんな感じだったし」
「風葉」
「事実だよ?」
風葉はころころと笑う。仁は片手でこめかみを押さえた。
その時だった。
じんさん役の子蟻が、ふとこちらを振り向いた。
そして、まるで思い出したように言ったのである。
「それに、じんさんはね」
「……はい?」
「じょおうさまがだいすきだもんね!」
その瞬間だった。
「「「あっ」」」
育房室の空気が、見事なくらい固まった。
一葉が片手で顔を覆い、双葉が「うわあ……」と天井を仰ぎ、紬葉はぴたりと動きを止める。千葉夜は「やっちゃった……」という顔で額を押さえ、結葉は寝台の上で「あー……」と口を半開きにした。
「……言っちゃった」
「言ったねえ……」
「よりにもよってそこを……」
「子蟻は容赦ないなあ……」
完全に“あちゃーっ”の空気である。
仁だけが、その中心で凍りついていた。
「…………は?」
搾り出すような一言だった。
子蟻はきょとんと首を傾げる。
「え?」
「いえ、え、ではなく」
仁の声が、わずかに裏返る。
「今、何と?」
「じんさんは、じょおうさまが、だいすきだもんね!」
追撃だった。
「しんぱいしてるとき、すっごいにおいする!」
「じょおうさまのこと、みてるときのにおい!」
「きのうもしてたー!」
「いつもしてる!」
さらに別の子まで元気よく便乗する。
「仁さん、だいすきの、においするよ!」
「やさしいにおい!」
「でもたまに、あわあわしてるにおい!」
「やめてください」
仁が真顔で言った。
だが声がかすかに震えている。
「やめてください、子蟻たち。今のは教育上よろしくありません」
「えー?」
「だってほんとだよ?」
「ほんとのこと、いっちゃだめなの?」
無垢は強い。
仁が言葉を失っている横で、蜜葉乃は目をぱちぱちさせていた。
「……仁」
「はい」
「なぜ慌てているの?」
問われた仁は、しばし完全に停止した。
答えようとして口を開き、閉じ、また開いて、結局ひとつ咳払いをする。
「……誤解です」
「何が?」
「すべてです」
「すべてって便利だねえ」
双葉がぼそっと言った。
「いやでも、誤解ではないと思うよ」
一葉も困ったように笑う。
「仁、香石つけるようになってから、感情が匂いに乗るようになったし」
「……は?」
今度の「は?」は、さっきより深刻だった。
仁が一葉を見る。
一葉は、しまったという顔をしたが、もう遅い。
「え、知らなかったの?」
双葉が目を丸くする。
「えっ、本人だけ知らなかったの!?」
「まさかそこから?」
千葉夜が額を押さえ直した。
仁はゆっくりと周囲を見回した。
一葉、双葉、紬葉、千葉夜、結葉。ついでに子蟻たちまで、全員がなんとも言えない顔をしている。
「……皆さん」
仁の声は静かだった。
「もしかして、知っていたのですか」
「まあ……」
「前から……」
「だいぶ前から……」
「うん……」
返事がそろいもそろって歯切れ悪い。
「結葉」
「はい」
「あなた、知っていたんですね」
「うん」
あっさり認められた。
「なんなら、坑道の入口でうろうろしてた時から、“心配です!”って匂いしてたよ」
「結葉」
「あと視察の時も」
「結葉」
「蜜葉乃様が壁のひび見ようとした時なんか、すっごかった」
「結葉」
「だってほんとだもん」
悪びれない。療養中の怪我人は強かった。
仁は今度こそ言葉を失った。
それを見た紬葉が、おずおずと助け舟を出す。
「あの……言う機会がなくて……」
「そうそう、別に面白がって黙ってたわけじゃないのよ?」
千葉夜が言う。
「いや、ちょっとは面白かったけど」
「千葉夜」
「でもほんとに、言いそびれてたのは本当」
「私は前に結葉が『フェロモンでバレバレなんだけど』って言ってるのを聞いて、ああ、やっぱりみんな気づいてるんだなって思ってた」
一葉が苦笑する。
「仁だけ気づいてないとは思わなかったけど」
「わ、私は気づいてたよ!」
双葉が慌てて手を上げた。
「いや、仁が気づいてないって意味じゃなくて、気づいてるけど放置してるのかと……」
「……つまり」
仁が低く言う。
「私だけが知らなかった、と」
沈黙。
子蟻が一匹、元気よく答えた。
「うん!」
即答だった。
双葉が吹き出し、一葉が肩を震わせ、千葉夜はとうとう笑いをこらえるのを諦めた。紬葉まで口元を押さえている。結葉にいたっては寝台の上でばたばた足を動かして笑っていたが、すぐに「いたた」と顔をしかめて大人しくなった。
「笑いごとではありません」
仁は言った。
言ったのだが、耳の先までうっすら赤くなっているせいで、まったく迫力がない。
「いやあ、でもこれは笑うよ」
双葉が涙をぬぐう。
「本人だけ知らなかったんだもん」
「子蟻に暴かれるとは思わなかったわねえ」
千葉夜も楽しそうだ。
蜜葉乃は、仁を見上げて言った。
「仁」
「……はい」
「あなたが心配性なのは知っていたわよ」
「はい」
「匂いもわかりやすいし」
仁は返事ができなかった。
蜜葉乃は少しだけ頬をゆるめる。
「気持ちはちゃんと伝わっているもの」
「蜜葉乃さま」
「うん」
「その言い方は、非常に心臓に悪いのですが」
「だって好いてくれているのでしょう?」
蜜葉乃はくすりと笑った。
「子蟻たちに言われるまでもなく、あなたが私を大事に思ってくれていることくらい、ちゃんと知っているわ」
「……子蟻の証言を補強しないでください」
即座に返すあたり、まだ完全には機能停止していないらしい。
けれどその返しにも、周囲からくすくす笑いがこぼれた。
子蟻たちはそんな大人たちの空気などお構いなしに、まだ仁のまねっこを続けていた。
「だめです! まず私が!」
「女王さま、そこは危険です!」
「一人で行動しないでください!」
「似てる……」
蜜葉乃がまた言った。
「似てますね」
今度は紬葉まで同意した。
「よいこはマネしちゃいけませんよー」
千葉夜が子蟻たちに向かって言う。
「そんなに過保護になると、仁さんみたいに大変なことになるからね」
「ちいねえちゃん、それは教育としてどうなの」
一葉が笑う。
仁はついに両手で顔を覆った。
「……少し席を外します」
「逃げる気だ」
「逃げるね」
「逃げるなあ」
「逃げません。業務に戻るだけです」
「顔真っ赤だけど?」
「双葉」
「はい」
「後で工房の棚卸しを手伝っていただきます」
「わー、八つ当たりだ」
そんなやりとりに、育房室はまた明るい笑いに包まれた。
けれど仁が本当に出て行こうとしたところで、蜜葉乃が「待って」と呼び止めた。
その声はやわらかくて、仁はぴたりと足を止める。
「ねえ、仁」
「……はい」
「これからも、心配してくれるのは嬉しいわ」
「……」
「でも、そんな顔をされると私も落ち着かないの」
「申し訳ありません」
「謝らなくていいの」
蜜葉乃はふっと笑う。
「ただ、仁が恥ずかしいのなら」
「……はい」
「少しだけ、気持ちを隠す練習をした方がいいかもしれないわね」
「善処します」
「ふふ。できるかしら」
からかうような声音だった。
けれど、そこにはいやな響きはまるでなくて、むしろくすぐったいような優しさがあった。
仁の耳の先はまだ赤いままだ。
その様子を見ていた子蟻のひとりが、こそこそ声で隣の子に言った。
「ねえ、みた?」
「みたー」
「じんさん、またそのにおいしてる」
「してるねえ」
ぴたり、と仁の肩が止まる。
次の瞬間、育房室にまた笑いが弾けた。
「だから言ったのに」
結葉が寝台の上でころころ笑う。
「隠せてないって」
「結葉、安静」
「はーい」
仁は何か言い返そうとして、けれど結局ひとつ息をついただけだった。




