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葉音を紡ぐ ――世界樹の麓で  作者: 葉森かなで


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37/42

37 まずは足もとを固めましょう

 翌朝。

 まだ朝の匂いが薄く巣の中に残る頃、結葉はそろそろと上体を起こした。


 昨日巻かれた巻き葉帯の上から、脚にまだじんわりとした違和感が残っている。痛みがないわけではないが、寝台に寝かされたまま一日を過ごすほどではない――と、結葉本人は思っていた。


 だから慎重に体を起こし、そっと床へ降りようとした、その時だった。


「結葉」


 すぐ横から、低く静かな声が飛んできた。


 びくっと肩を跳ねさせて振り向けば、仁が腕を組んで立っている。

 完璧に見つかった。


「……おはよう、仁」

「おはようございます。ではありません。何をしているんですか」

「いや、えっと……起きようかなって」

「起きるだけなら寝台の上でできます」

「そうなんだけど」


 結葉は視線を逸らした。

 仁の目が、今日はいつも以上に据わっている。


「三日間絶対安静です」

「昨日も聞いたよ、それ」

「今日は二回目を言います。三日間絶対安静です」

「増えてない?」

「増えていません」


 ぴしゃりと返され、結葉は口を尖らせた。


「でも、今日はみんなで話し合いするんでしょ。昨日の探索のこととか、近くの道のこととか」

「します」

「だったら私も行きたい」

「駄目です」

「即答だ……」


 あまりにも迷いがない。


 仁は結葉の脚に巻かれた帯の具合を確かめるように目を落とし、淡々と続けた。


「話し合いなら、私が聞いてきます」

「でも、実際に滑ったの私だよ? 私が話した方が早いでしょ」

「口頭で私に伝えてください。私が伝えます」

「それだと絶対、余計な心配まで盛られる」

「盛りません」

「盛るよ」


 結葉がむっとして言い返した、その時。

 ちょうど部屋の前を通りかかった一葉が、ひょいと顔を覗かせた。


「朝から賑やかだね」

「結葉が起き出そうとしています」

「だって報告会に出たいんだもん」

「ああ、それはわかるかも」


 一葉は軽く頷き、部屋の中に入ってきた。


「昨日の足場の話は、結葉本人がした方がいいんじゃない? どの石が動いたとか、どこで踏ん張れなかったとか、感覚の話になるし」

「歩き回らなければ、座って聞いてるくらいはできるんじゃない?」

 後ろから続いたのは風葉の声だ。どうやら一葉の後ろにいたらしい。

「もちろん、仁が許せばだけど」


 仁は二人を見て、それから結葉を見た。

 結葉はすかさず背筋を伸ばす。


「歩き回らない」

「……」

「立たない」

「……」

「必要なら脚もちゃんと上げる」

「……」

「おやつを勝手に取りに行ったりもしない」


 一葉がそこまで言ったところで、仁の眉がぴくりと動いた。


「今、“おやつ”と言いましたか」

「え」

「何か出る予定なんですか」

「ちいねえちゃんが、ころころ蜜飴の残りを出すかもって昨日言ってた」

「……」


 仁が目を閉じた。

 結葉は、これは駄目な流れかもしれない、と少しだけ身構える。


 けれど次に仁が開いた目は、諦め半分、折れる気配半分といった色をしていた。


「条件があります」

「やった」

「まだ許可していません」


 ぴしゃりと釘を刺され、結葉は口をつぐむ。


「自分で歩いて行かないこと」

「うん」

「座る場所には最初から葉を重ねておきます。脚はその上に乗せたまま」

「うん」

「痛みが強くなったら即終了」

「うん」

「報告会が終わったらそのまま戻って休むこと」

「うん」

「おかわりが欲しくても勝手に立たないこと」

「そこ強調するね……」

「大事です」

「わかった」


 結葉がこくこく頷くと、仁は大きくため息をついた。


「……では、参加だけです。本当に、参加だけですからね」

「やった!」

「立たないでください」

「まだ立ってないよ!」

「今、勢いで立ちかけました」

「見てたの?」

「見ています」


 一葉が吹き出し、風葉も肩を震わせる。

 結葉は頬を膨らませたが、報告会に出られるならそれでいい。今日は素直に従うことにした。




 報告会の場所は、育房室の隣にある少し広めの部屋になった。

 中央には葉月が用意した簡単な見取り図が広げられ、その周りに葉を重ねた座席が並べられている。


 結葉の席だけは特別仕様だった。

 座る場所の前にふかふかの葉が高く積まれ、脚を乗せる台になっている。


「……なんか、私だけずいぶん大げさじゃない?」

「大げさではありません」

 即座に返したのは、もちろん仁だ。

「固定中の脚を下げっぱなしにしないためです」


 さらりと言われてしまい、結葉は諦めて葉の台に脚を乗せた。


 ほどなくして、蜜葉乃、一葉、風葉、護葉、葉月、双葉、紬葉も集まってくる。

 最後に千葉夜が、小さな葉皿をいくつも抱えて現れた。


「はいはい、今日はがんばったみんなへのご褒美も兼ねて、ころころ蜜飴の残りを持ってきたわよ」

「やった」

「結葉、先に一個どうぞ。今日はおとなしく座ってるご褒美」

「座ってるだけで貰えるの、ちょっと得した気分」


 ころころと丸められた蜜飴が葉皿に並ぶ。

 探索用に作ったものの試食分や残りをまとめたらしく、大きさも少しずつ違っていて、それがまた可愛らしい。


 蜜葉乃がひとつつまんで微笑んだ。


「こうしてみんなで食べると、また別のおいしさね」

「探索用って聞くと、なんだか特別感ありますよね」

 紬葉も嬉しそうに頷く。

「子蟻たちが丸めたのも混ざってるんですよ。ちょっといびつなのはその子たち作です」

「じゃあ、このちょっと四角いのは誰かが頑張った跡だね」

 一葉が笑うと、部屋の空気がふわりと和んだ。


「では」

 葉月が、見取り図の前で姿勢を正す。

「おやつを食べながらで構いませんので、昨日までの探索でわかったことを整理しましょう。まずは、巣に近い範囲の位置関係からです」


 みんなの視線が、床に広げられた地図へ集まる。


 葉月が細い枝で、今の巣の位置を指した。


「ここが現在の巣です。こちらが普段使っている通路。ここから脇へ伸びる細道が、タマムシを助けた脇の空洞に繋がっています」

「その通路の先に、風の抜ける感じがあるんだよね」

 結葉がころころ蜜玉を頬張りながら言うと、風葉が頷いた。


「うん。湿った匂いの中に、少し乾いた空気が混じってた。上へ抜ける道があるのはたぶん間違いない」

「タマムシも言ってたよ。上の方に乾いた道があるって」

 一葉が続ける。

「ただ、湿った壁際は崩れやすいから気をつけろって。昨日の感じだと、そこも合ってたね」


 葉月は地図の脇に、小さく印をつけた。


「そして、昨日見つけたのがこの位置です。脇空洞の先、壁を登った上に乾いた細道の入口がある」

「入口までは良かったんだけどねえ」

 護葉が苦笑する。

「登った先の足場が思ったより狭かった。結葉が怪我したのも、あそこで石がずれたせいだ」

「……うん。足を置いた瞬間に、端の石片がするっと動いたんだ。踏ん張ろうとしたけど、細道の縁だったから」

 結葉は自分の脚を見下ろして、少しだけ眉を下げた。

「高いところって、ほんのちょっと崩れただけでも怖いね」


 その声色に責めるようなものはなく、ただ素直な感想が乗っているだけだったので、場の空気は重くならなかった。


「でも、わかったこともあります」

 葉月が落ち着いた声で言う。

「上へ抜ける道は確かにあること。そこへ上がる手段も、壁に巻き葉帯を固定すれば作れること。ただし、今の装備では上がった先の移動や、怪我人が出た時の対応が足りません」

「そこなんだよねえ」

 双葉がころころ蜜玉をもぐもぐしながら唸る。

「登るだけなら何とかなる。でも、登った先を安全に進む仕組みがまだ足りない」

「降りる時もね」

 紬葉もこくこく頷いた。

「結葉を支えながら戻るの、大変そうだったもの」


「大変だった」

 護葉が真顔で言う。

「軽いとは言わない」

「そこ、ちょっと傷つく」

「でも守る」

「うん、それは知ってる」


 結葉が笑うと、護葉も少しだけ口元を緩めた。


 話がひと段落したところで、蜜葉乃がそっと地図へ目を落とした。


「上の細道の先は、とても気になるわね」

「はい」

 葉月が頷く。

「ただ、今すぐそこを目指すには危険が残ります」


「……そうね」


 蜜葉乃は少し考えてから、みんなを見回した。


「実はね、今日はその話もしたかったの。探索のことだけじゃなくて、巣の中のことも」


 女王の穏やかな声に、みんなが耳を傾ける。

「冬が近いでしょう? 保存食がだいぶ増えてきたの。嬉しいことなんだけど、置き場所が少しずつ窮屈になってきていて」


「たしかに最近、保管の棚ぎゅうぎゅうだもんね」

 紬葉が言うと、千葉夜も苦笑した。

「ころころ蜜飴を置く場所を作るのにも、ちょっと工夫が要ったくらいよ」


「卵も順調に増えてるわ」

 蜜葉乃は、どこか誇らしげに微笑む。

「育房室も賑やかになってきたし、これから先のことを考えると、少しずつ巣を広げていきたいの」


 結葉はその言葉を聞いて、地図の上の“巣”の印を見つめた。

 保存食が増えることも、卵が増えることも、どちらも嬉しいことだ。だからこそ、手狭になっていくのだろう。


「じゃあ、やっぱり上の空洞を――」

 一葉が言いかけると、葉月が静かに首を横に振った。


「いえ。あそこはまだ遠いです」

 枝の先で、葉月はまず巣のすぐ近くを示した。

「今すぐ欲張る必要はない。まずは巣に近い範囲で、使っていない枝道や小さな空間を整える方が現実的」


「この辺りだね」

 風葉が、巣の脇に描かれた細い通路を指す。

「前からあんまり使ってない道」


「ええ。ここは少し掘り広げれば通りやすくなりそうですし、こっちの行き止まりも整えれば小部屋にできるかもしれません」


 葉月は地図にいくつか印を足した。

「脇空洞までの道も、補強しながら少しずつ安全にしていけば、いずれは使える範囲に入れられるでしょう」


 蜜葉乃が、その印を見てゆっくり頷く。


「それなら、無理がないわね」

「はい。上の細道の先は、将来の探索候補として記録しておきます。けれども今すぐ巣に取り込める場所ではありません」

「まずは足もとを固める、ってことか」

 護葉の言葉に、葉月は小さく笑った。


「そうですね。まずは足もとを固めましょう」


 女王の言葉に、結葉もつられて笑う。

 怪我した本人が言うには少し間の抜けた表現だけれど、今の自分たちにはちょうどいい気がした。


「近くを広げるなら、整備用の道具も欲しいね」

 双葉の目が、きらりと光る。

「掘った土をまとめるやつとか、狭い場所を支えるやつとか」

「高いところ用の道具も、もっと改良したいです」

 紬葉も前のめりになる。

「巻き葉帯を固定しやすくしたり、足場を作りやすくしたり……」


「探索はお休みでも、頭の中は忙しいね」

「それくらいがちょうどいいわ」

 千葉夜が葉皿を差し出しながら言う。

「はい、忙しい子にはおかわり」

「やった」


 結葉は反射的に葉皿へ手を伸ばし、それから、もう一個取ろうとして――ふと、少し離れた場所にある皿にも目がいった。


「あっちの大きいのも気になる」

 ぽろりと漏らして、つい腰を浮かせる。


「結葉」

 すかさず、仁の声が飛んだ。


 ぴたり。


 見事なまでに、結葉の動きが止まる。


「まだ何もしてないよ」

「今、立ち上がろうとしました」

「ちょっとだけ」

「駄目です」

「二歩も歩かない」

「半歩でも駄目です」

「厳しい」

「当然です」


 きっぱり言われて、部屋のあちこちから笑いが漏れる。


「見張りが本気だねえ」

 風葉がくすくす笑い、


「今日は大人しくしてて」

 一葉が葉皿を持ってきて、結葉の手元へ大きめのころころ蜜玉をひとつ置いた。

「ほら。動かないで済むように、特別に運んであげる」

「……それなら、まあ」

「現金だなあ」

「だって蜜飴だし」


 結葉が素直に受け取ると、また笑いが広がった。


 その輪の中で、蜜葉乃は穏やかにみんなを見渡していた。

 危ない目に遭った翌日でも、こうして集まって、甘いものを分け合いながら次のことを考えられる。

 大きな空洞を手に入れるにはまだ早い。けれども巣のすぐそばには、まだ整えられる場所がある。できることは、ちゃんとある。


 まずは足もとから。

 そうして少しずつ、巣を広げていけばいいのだ。


 結葉はころころ蜜飴を口に放り込みながら、地図の上の小さな印を見つめた。

 次に歩くのは、きっとまだ少し先。けれども楽しみが減った気はしなかった。


 むしろ、次に進むための道が、今日ここでまたひとつ増えた気がした。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

仁の日誌


 本日は結葉を休養させたまま、探索結果の擦り合わせを実施した。

 脇空洞までの道筋、上方細道の位置、危険箇所についての共有は概ね完了。上方細道の扱いは保留とし、当面は巣の近辺にある未使用通路・小空間の整備を優先する方針となった。


 冬季を前に保存食の保管量が増加しており、育房室も手狭になりつつある。拡張の必要性は高い。探索の成果を、そのまま巣の運営へ繋げられる形になったのは、良い判断だったと思う。


 なお、結葉は安静指示の理解が甘い。

 報告会中だけでも、三度は立ち上がろうとしたため、今後は座席配置と監視体制の見直しが必要である。

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