36 つないだ先の細道
翌日の探索は、前日にタマムシを助けた脇空洞から始まった。
通路の奥、風の通り道のさらに上。
タマムシが教えてくれた「乾いた細道」は、見上げた壁の中ほどに、ひっそりと口を開けていた。
地面からその入口までは、蟻の体ひとつ分より少し高いくらいの段差が、いくつも重なっている。登れない高さではないが、足場は細く、ところどころ崩れかけて見えた。
「……こうして見ると、思ったより高いねえ」
一葉が首を傾けると、葉月は壁を見上げたまま静かに頷いた。
「だから今日は、壁登り用に長い目の巻き葉帯を持ってきました」
葉っぱ箱を開けて、葉月が細く畳まれた巻き葉帯を取り出す。普段の応急処置用より、少しだけ長く繋いだものらしい。
「なるほど。最初からそのつもりだったんだ」
「上まで行けそう?」
風葉が壁の匂いを嗅ぎながら尋ねると、葉月は壁の割れ目や小さな出っ張りを順に見ていった。
「行けます。ただし、順番と足場は選びます」
「まず私が上がって、各段差に帯を固定して垂らします。そこを使って、みんなも登ってください」
「お、葉月の設計開始だ」
一葉が面白そうに笑う。
葉月は返事の代わりに、手で壁を軽く叩いた。乾いた音が返る。次に、少し右へずれた場所の出っ張りに触れ、さらに上の裂け目を確かめる。
「ここなら荷重に耐えます。途中で一度帯を固定して、上から下ろせば、最後の段差が楽になるはずです」
「じゃあ、葉月が先行だね」
風葉が一歩下がって道を空ける。
葉月は小さく頷くと、巻き葉帯の端を咥え、壁を登り始めた。
動きに無駄がない。
爪がかかる細い割れ目、わずかに張り出した石の縁、湿り気が少なく崩れにくい場所――それらを迷いなく選びながら、葉月はするすると高度を上げていく。
途中、ちょうど半ばほどのところで足を止めた。
「ここです」
短く声を落とし、壁から突き出た硬い石の根元に巻き葉帯を回す。さらに葉っぱ箱から取り出した固め苔を指先で押しつけ、結び目の脇に薄く盛った。
柔らかかった苔が、石肌に沿ってぴたりと形を変え、そのまま固まっていく。
「ずれ止め完了。下ろします」
葉月が帯の端を放すと、細長い巻き葉帯が、壁に沿ってするりと垂れた。
「おお……ちゃんと登る道になった」
一葉が感心したように見上げる。
「じゃ、先に行くよ」
風葉が帯を確かめ、ひょいと壁に取りついた。
先頭役らしく動きは軽い。手で巻き葉帯を掴みながら、足場を確かめ、危なげなく登っていく。葉月が上から位置を指示し、風葉はその通りに足を置いた。
「次、一葉」
「はーい」
一葉も後に続く。途中で少し足を滑らせかけたが、帯を掴んで体勢を立て直し、けろりとした顔で上へ消えていった。
「結葉、行ける?」
護葉が声をかける。
「うん。たぶん」
結葉は壁を見上げ、小さく息を吸った。高いところは得意ではないが、嫌いというほどでもない。けれども、今日は壁そのものが少し乾きすぎて見えた。踏めば崩れそうな縁があちこちにある。
「焦らなくていいよ」
上から一葉の声が降ってくる。
「危なかったらすぐ止まって。無理しないでね」
「……わかってる」
結葉は巻き葉帯に手をかけ、壁へ取りついた。
最初の段差は問題ない。
二つ目の足場も、葉月が選んだだけあって安定していた。
だが、あと少しで上、というところで、結葉が足をかけた石片が、ぐらりと揺れた。
「っ」
反射的に別の足場へ重心を移す。
その瞬間、変な角度で脚を踏ん張ってしまった。
ぴき、と、嫌な痛みが走る。
「結葉?」
一葉の声が近くなる。
「だ、いじょう――」
言い終わる前に、結葉の体が小さくぶれた。痛めた脚にうまく力が入らない。壁から落ちるほどではないが、次の一歩を出そうとした途端、またずきりと痛んで息が詰まる。
すぐ下から、護葉の低い声が飛んだ。
「動くな」
護葉は一段上がると、下から結葉の腹側を支えるように体を寄せた。上からは一葉が前脚を伸ばして、結葉の肩を掴む。
「結葉、脚?」
「……ひねった、かも」
結葉が小さく顔をしかめる。
その表情を見た一葉の顔から、さっきまでの軽さが消えた。
葉月もすぐに下を覗き込む。
「どの脚ですか」
「右の脚……。たぶん、さっき変なふうに踏んだ」
「腫れはまだ強くありません。でも、ここで無理に上がるのは危険です」
葉月が冷静に告げる。
「上まで行けば休める場所、あるかな」
風葉が細道の入口の先を覗き込みながら言った。
「少しなら進めそうにも見えるけど」
「だめ」
きっぱり言ったのは、一葉だった。
結葉が目を丸くする。
「でも、あとちょっとだよ。一応、上までは――」
「行けるかどうかじゃなくて、ちゃんと帰れるかどうかでしょ」
一葉は結葉の肩を支えたまま、まっすぐそう言った。
「脚ひねったまま細道なんて歩いたら、帰りの壁下りの方が危ない」
「今日は戻ろう。ここまで来たからって、無理していい理由にはならないよ」
結葉は何か言い返しかけて、でも結局、口を閉じた。
痛む脚が、じわじわと現実を教えてくる。
護葉も頷く。
「俺も戻る方に賛成だ。今の結葉を連れて進むのは危ない」
「それに、上へ登る補助はできても、上で脚を痛めたやつを安全に移動させる手立てはまだ弱い」
最後の一言は、葉月が静かに引き取った。
「この先を進むなら、装備の見直しが必要です」
その結論に、誰も反対しなかった。
「じゃあ、撤退だね」
風葉が戻ってくる。
「上の道が続いてるのは確認できたし、今日はそこまでで十分か」
「うん……ごめん」
結葉がしゅんと触角を下げる。
一葉はすぐに首を振った。
「なんで結葉が謝るの。怪我したら戻る、それだけだよ」
「ほら、降りるよ。今度はもっとゆっくりね」
下りは、上りよりもずっと慎重だった。
葉月が固定した巻き葉帯は、今度は降りる足場の補助として役に立った。
結葉は痛めた脚を庇いながら、一段ずつ確かめるように下りる。そのすぐ下で護葉が支え、上からは一葉が声をかけ続けた。
「そこ、左の石の方が安定してる」
「うん……」
「次、ゆっくり。焦らなくていいよ」
ようやく地面に戻った時には、結葉も、支えていた一葉と護葉も、そろってほっと息をついた。
葉月は最後に壁を見上げ、固定に使った巻き葉帯と固め苔を回収しながら呟く。
「次に必要なのは、登った先で安全に進むための補助……でしょうか」
「高い場所で怪我人が出た時の運搬方法も、考え直した方がいいですね」
「双葉が聞いたら、すごい顔で飛びつきそう」
一葉が苦笑する。
「紬葉も、絶対何か縫い足し始めるよね」
風葉が続けると、少しだけ場の空気が和らいだ。
「……その前に、仁に怒られる気がする」
結葉がぼそっと言う。
「それはそう」
「それはそうだな」
「それはそうですね」
三方向から即答されて、結葉はますます肩を落とした。
巣へ戻ると、案の定、仁はすぐに結葉の脚の異変に気づいた。
「結葉、どうしました」
静かな声だったが、近づいてくる足取りはやけに早い。
結葉が「ちょっとひねっただけ」と言いかけるより先に、仁は脚を取って状態を確かめ、葉月から経緯を聞き取った。
「壁の途中で足場が崩れ、無理な踏ん張り方をした、と」
「はい。上の細道へ向かう途中でした。巻き葉帯で補助はしましたが、この装備では先へ進むのは危険と判断して、引き返しました」
仁はしばらく黙って結葉の脚を見ていたが、やがて顔を上げた。
「――三日間、絶対安静です!」
ぴしり、と言い切られて、結葉が固まる。
「み、三日!?」
「当然です。無理に動いて悪化させたら、探索どころではなくなります」
「でも、ちょっとひねっただけで――」
「ちょっとではありません」
仁はきっぱり言うと、葉っぱ箱から巻き葉帯と固め苔を取り出した。
「葉月、補助をお願いします。固定します」
「はい」
そこからの仁は速かった。
痛めた脚を丁寧に確認し、腫れが出そうな位置を避けて固め苔を当て、巻き葉帯で動かないように留めていく。
処置自体は的確なのだが、慎重さが一周回って、だんだん大げさになっていく。
「……仁、それ固定っていうか梱包になってない?」
一葉が思わず言った。
「結葉、葉っぱの荷物みたい」
風葉が覗き込む。
「そのまま棚に置けそうだな」
護葉まで真顔で頷く。
結葉は自分の脚を見下ろした。
確かに、必要以上にきっちり巻かれている気がする。脚だけではなく、なんだか全体的に“動かす気をなくさせる形”に仕上がっていた。
「やだよ! 誰が荷物!」
思わず叫ぶと、部屋の空気がふっと緩んだ。
一葉が吹き出し、風葉が声を上げて笑う。護葉も口元を緩め、葉月でさえ少しだけ目を細めた。
仁だけが、まだ真面目な顔で固定の具合を確かめている。
「笑い事ではありません。三日間、絶対安静ですからね」
「……はぁい」
結葉がしょんぼり返事をすると、またみんなが笑った。
探索は、少しだけ足踏みになった。
けれども、進めなくなったわけではない。
上の細道へ行くには、まだ足りないものがある――それがわかっただけでも、今日の探索には十分意味があった。
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仁の日誌
探索班は本日、上層の細道へ向かう途中で撤退。
結葉が壁面登攀中に脚を捻挫。幸い重症ではないが、悪化を防ぐため三日間の安静を命じた。
今回の件で明らかになったのは、現状の装備が「登る」補助にはなっても、「高所で安全に移動する」段階には届いていないということだ。
巻き葉帯と固め苔は有用だが、運用範囲に限界がある。双葉と紬葉には、次の改良案を相談した方がよさそうだ。
……結葉は不服そうだったが、三日間は確実に休ませる。
反論は認めない。




