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葉音を紡ぐ ――世界樹の麓で  作者: 葉森かなで


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36/42

36 つないだ先の細道

 翌日の探索は、前日にタマムシを助けた脇空洞から始まった。


 通路の奥、風の通り道のさらに上。

 タマムシが教えてくれた「乾いた細道」は、見上げた壁の中ほどに、ひっそりと口を開けていた。


 地面からその入口までは、蟻の体ひとつ分より少し高いくらいの段差が、いくつも重なっている。登れない高さではないが、足場は細く、ところどころ崩れかけて見えた。


「……こうして見ると、思ったより高いねえ」


 一葉が首を傾けると、葉月は壁を見上げたまま静かに頷いた。


「だから今日は、壁登り用に長い目の巻き葉帯を持ってきました」


 葉っぱ箱を開けて、葉月が細く畳まれた巻き葉帯を取り出す。普段の応急処置用より、少しだけ長く繋いだものらしい。


「なるほど。最初からそのつもりだったんだ」

「上まで行けそう?」

 風葉が壁の匂いを嗅ぎながら尋ねると、葉月は壁の割れ目や小さな出っ張りを順に見ていった。


「行けます。ただし、順番と足場は選びます」

「まず私が上がって、各段差に帯を固定して垂らします。そこを使って、みんなも登ってください」


「お、葉月の設計開始だ」

 一葉が面白そうに笑う。


 葉月は返事の代わりに、手で壁を軽く叩いた。乾いた音が返る。次に、少し右へずれた場所の出っ張りに触れ、さらに上の裂け目を確かめる。


「ここなら荷重に耐えます。途中で一度帯を固定して、上から下ろせば、最後の段差が楽になるはずです」


「じゃあ、葉月が先行だね」

 風葉が一歩下がって道を空ける。


 葉月は小さく頷くと、巻き葉帯の端を咥え、壁を登り始めた。


 動きに無駄がない。

 爪がかかる細い割れ目、わずかに張り出した石の縁、湿り気が少なく崩れにくい場所――それらを迷いなく選びながら、葉月はするすると高度を上げていく。


 途中、ちょうど半ばほどのところで足を止めた。


「ここです」


 短く声を落とし、壁から突き出た硬い石の根元に巻き葉帯を回す。さらに葉っぱ箱から取り出した固め苔を指先で押しつけ、結び目の脇に薄く盛った。


 柔らかかった苔が、石肌に沿ってぴたりと形を変え、そのまま固まっていく。


「ずれ止め完了。下ろします」


 葉月が帯の端を放すと、細長い巻き葉帯が、壁に沿ってするりと垂れた。


「おお……ちゃんと登る道になった」

 一葉が感心したように見上げる。


「じゃ、先に行くよ」

 風葉が帯を確かめ、ひょいと壁に取りついた。


 先頭役らしく動きは軽い。手で巻き葉帯を掴みながら、足場を確かめ、危なげなく登っていく。葉月が上から位置を指示し、風葉はその通りに足を置いた。


「次、一葉」

「はーい」


 一葉も後に続く。途中で少し足を滑らせかけたが、帯を掴んで体勢を立て直し、けろりとした顔で上へ消えていった。


「結葉、行ける?」

 護葉が声をかける。


「うん。たぶん」

 結葉は壁を見上げ、小さく息を吸った。高いところは得意ではないが、嫌いというほどでもない。けれども、今日は壁そのものが少し乾きすぎて見えた。踏めば崩れそうな縁があちこちにある。


「焦らなくていいよ」

 上から一葉の声が降ってくる。

「危なかったらすぐ止まって。無理しないでね」


「……わかってる」


 結葉は巻き葉帯に手をかけ、壁へ取りついた。


 最初の段差は問題ない。

 二つ目の足場も、葉月が選んだだけあって安定していた。

 だが、あと少しで上、というところで、結葉が足をかけた石片が、ぐらりと揺れた。


「っ」


 反射的に別の足場へ重心を移す。

 その瞬間、変な角度で脚を踏ん張ってしまった。


 ぴき、と、嫌な痛みが走る。


「結葉?」

 一葉の声が近くなる。


「だ、いじょう――」


 言い終わる前に、結葉の体が小さくぶれた。痛めた脚にうまく力が入らない。壁から落ちるほどではないが、次の一歩を出そうとした途端、またずきりと痛んで息が詰まる。


 すぐ下から、護葉の低い声が飛んだ。


「動くな」


 護葉は一段上がると、下から結葉の腹側を支えるように体を寄せた。上からは一葉が前脚を伸ばして、結葉の肩を掴む。


「結葉、脚?」

「……ひねった、かも」


 結葉が小さく顔をしかめる。

 その表情を見た一葉の顔から、さっきまでの軽さが消えた。


 葉月もすぐに下を覗き込む。


「どの脚ですか」

「右の脚……。たぶん、さっき変なふうに踏んだ」


「腫れはまだ強くありません。でも、ここで無理に上がるのは危険です」

 葉月が冷静に告げる。


「上まで行けば休める場所、あるかな」

 風葉が細道の入口の先を覗き込みながら言った。

「少しなら進めそうにも見えるけど」


「だめ」


 きっぱり言ったのは、一葉だった。


 結葉が目を丸くする。


「でも、あとちょっとだよ。一応、上までは――」

「行けるかどうかじゃなくて、ちゃんと帰れるかどうかでしょ」


 一葉は結葉の肩を支えたまま、まっすぐそう言った。


「脚ひねったまま細道なんて歩いたら、帰りの壁下りの方が危ない」

「今日は戻ろう。ここまで来たからって、無理していい理由にはならないよ」


 結葉は何か言い返しかけて、でも結局、口を閉じた。

 痛む脚が、じわじわと現実を教えてくる。


 護葉も頷く。


「俺も戻る方に賛成だ。今の結葉を連れて進むのは危ない」

「それに、上へ登る補助はできても、上で脚を痛めたやつを安全に移動させる手立てはまだ弱い」


 最後の一言は、葉月が静かに引き取った。


「この先を進むなら、装備の見直しが必要です」


 その結論に、誰も反対しなかった。


「じゃあ、撤退だね」

 風葉が戻ってくる。

「上の道が続いてるのは確認できたし、今日はそこまでで十分か」


「うん……ごめん」

 結葉がしゅんと触角を下げる。


 一葉はすぐに首を振った。


「なんで結葉が謝るの。怪我したら戻る、それだけだよ」

「ほら、降りるよ。今度はもっとゆっくりね」


 下りは、上りよりもずっと慎重だった。


 葉月が固定した巻き葉帯は、今度は降りる足場の補助として役に立った。

 結葉は痛めた脚を庇いながら、一段ずつ確かめるように下りる。そのすぐ下で護葉が支え、上からは一葉が声をかけ続けた。


「そこ、左の石の方が安定してる」

「うん……」

「次、ゆっくり。焦らなくていいよ」


 ようやく地面に戻った時には、結葉も、支えていた一葉と護葉も、そろってほっと息をついた。


 葉月は最後に壁を見上げ、固定に使った巻き葉帯と固め苔を回収しながら呟く。


「次に必要なのは、登った先で安全に進むための補助……でしょうか」

「高い場所で怪我人が出た時の運搬方法も、考え直した方がいいですね」


「双葉が聞いたら、すごい顔で飛びつきそう」

 一葉が苦笑する。


「紬葉も、絶対何か縫い足し始めるよね」

 風葉が続けると、少しだけ場の空気が和らいだ。


「……その前に、仁に怒られる気がする」

 結葉がぼそっと言う。


「それはそう」

「それはそうだな」

「それはそうですね」


 三方向から即答されて、結葉はますます肩を落とした。



 巣へ戻ると、案の定、仁はすぐに結葉の脚の異変に気づいた。


「結葉、どうしました」


 静かな声だったが、近づいてくる足取りはやけに早い。

 結葉が「ちょっとひねっただけ」と言いかけるより先に、仁は脚を取って状態を確かめ、葉月から経緯を聞き取った。


「壁の途中で足場が崩れ、無理な踏ん張り方をした、と」

「はい。上の細道へ向かう途中でした。巻き葉帯で補助はしましたが、この装備では先へ進むのは危険と判断して、引き返しました」


 仁はしばらく黙って結葉の脚を見ていたが、やがて顔を上げた。


「――三日間、絶対安静です!」


 ぴしり、と言い切られて、結葉が固まる。


「み、三日!?」

「当然です。無理に動いて悪化させたら、探索どころではなくなります」

「でも、ちょっとひねっただけで――」

「ちょっとではありません」


 仁はきっぱり言うと、葉っぱ箱から巻き葉帯と固め苔を取り出した。


「葉月、補助をお願いします。固定します」

「はい」


 そこからの仁は速かった。


 痛めた脚を丁寧に確認し、腫れが出そうな位置を避けて固め苔を当て、巻き葉帯で動かないように留めていく。

 処置自体は的確なのだが、慎重さが一周回って、だんだん大げさになっていく。


「……仁、それ固定っていうか梱包になってない?」

 一葉が思わず言った。


「結葉、葉っぱの荷物みたい」

 風葉が覗き込む。


「そのまま棚に置けそうだな」

 護葉まで真顔で頷く。


 結葉は自分の脚を見下ろした。

 確かに、必要以上にきっちり巻かれている気がする。脚だけではなく、なんだか全体的に“動かす気をなくさせる形”に仕上がっていた。


「やだよ! 誰が荷物!」


 思わず叫ぶと、部屋の空気がふっと緩んだ。


 一葉が吹き出し、風葉が声を上げて笑う。護葉も口元を緩め、葉月でさえ少しだけ目を細めた。


 仁だけが、まだ真面目な顔で固定の具合を確かめている。


「笑い事ではありません。三日間、絶対安静ですからね」

「……はぁい」


 結葉がしょんぼり返事をすると、またみんなが笑った。


 探索は、少しだけ足踏みになった。

 けれども、進めなくなったわけではない。

 上の細道へ行くには、まだ足りないものがある――それがわかっただけでも、今日の探索には十分意味があった。



ーーーーーーーーーーー

仁の日誌


探索班は本日、上層の細道へ向かう途中で撤退。

結葉が壁面登攀中に脚を捻挫。幸い重症ではないが、悪化を防ぐため三日間の安静を命じた。


今回の件で明らかになったのは、現状の装備が「登る」補助にはなっても、「高所で安全に移動する」段階には届いていないということだ。

巻き葉帯と固め苔は有用だが、運用範囲に限界がある。双葉と紬葉には、次の改良案を相談した方がよさそうだ。


……結葉は不服そうだったが、三日間は確実に休ませる。

反論は認めない。

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