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葉音を紡ぐ ――世界樹の麓で  作者: 葉森かなで


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35/42

35 痛いの固めてとんでいけー!

 探索班の集合場所に、朝の空気がゆるく流れていた。


 それぞれの肩には、双葉と紬葉が作った葉っぱ箱。

 前回より少し慣れた足取りで、一葉、護葉、風葉、葉月、結葉の五人が顔をそろえる。


 けれども、いつもなら見送りにいるはずの姿が今日はなかった。


「今日は仁いないね」


 先頭に立つ風葉が、きょろりと辺りを見回して言う。


「昨日、からかいすぎたからじゃない?」


 一葉がくすっと笑う。


「でも、どこかで見てそう」


 護葉が何でもない顔で言うと、結葉がぴくりと触角を揺らした。


「……まあ、その……」


 言いかけて、結葉は口をつぐむ。


「ん?」

「なんでもない」


 ふるふると首を振ってごまかす結葉に、一葉が目を細めたが、それ以上は追及しなかった。


 葉月が前に出る。


「前回見つけた脇道の先を確認します。危険があればすぐ止まること。引き返しの時間も守ります」


「はーい」

「了解」

「おやつまでには帰る、だよね」

「もちろん」


 軽いやりとりのあと、五人は壁の向こうへと足を踏み入れた。


 先頭は風葉。そのすぐ後ろに葉月。中ほどに一葉と結葉、最後尾を護葉が守る。

 葉っぱ箱はそれぞれが自分のものを持っていた。


     

 前回より少し先まで進んだ坑道は、ところどころ土の匂いが濃かった。

 頭上は低く、壁は湿り気を帯びている。葉月が時折足を止め、壁や床を触っては進路を確かめていく。


「こっち、少し崩れやすい」

「じゃあ寄りすぎない方がいいね」

「うん」


 結葉が返事をした、そのときだった。


「……待って」


 ふいに、結葉が足を止めた。


 風葉が振り返る。


「どうした」

「なんか……変」


 結葉は壁際を見つめたまま、触角をそわそわと揺らした。


「ここ、変な感じがする」


 言葉にしにくい何かを探すように、結葉が空気を嗅ぐ。湿った土と苔の匂いに混じって、ほんのかすかに、落ち着かない気配があった。


 すると風葉も足を止め、ゆっくりと触角を上げた。


「……匂うな」


 壁の近くへ顔を寄せ、息を止めるようにして探る。


「土じゃない。虫の匂いだ」

「虫?」


 一葉が顔を上げる。


「しかも、かなり焦ってる」


 その言葉に、一葉の表情が変わった。


「……ほんとだ。怖がってる」

「助けを呼んでるのかも」


 葉月がすぐに壁へ手をつく。指先で土の響きを確かめ、耳を澄ませ、少しだけ上の方を掘るようにして調べる。


「この向こう、空間があります」

「脇空洞?」

「はい。小さいですが」


 護葉が一歩前へ出た。


「行くか」

「うん、助けられるなら」


 葉月が頷き、崩れにくい位置を見極めながら、壁際の細い裂け目を広げていく。

 風葉が周囲の匂いを確かめ、外敵の気配がないことを確認する。結葉は葉っぱ箱の留め具に手をかけ、すぐ中身を出せるよう身構えた。


 そうして五人がそっと脇空洞へ入り込むと、そこにいたのは――光を失いかけた、小さなタマムシだった。


     


 脇空洞は、人ひとりがやっと身をかがめて入れるくらいの狭さだった。

 その奥の一角に、石片がいくつも崩れて積もり、その下に一匹のタマムシが半身を挟まれている。


 背の翅はくすんだ緑と青を鈍く光らせていたけれど、その輝きは苦しそうに揺れていた。

 もがくたびに、上翅の端が石に擦れて嫌な音を立てる。片方の前脚もうまく地につけられず、逃げ出すこともできないようだった。


「うわ……」

「動かないで」


 虫の言葉がわかる一葉がすぐに前へ出て、できるだけやさしい声で話しかける。


「大丈夫。助けたいだけだよ」

「……っ」


 タマムシはびくりと身を震わせた。逃げようとして、けれど石に阻まれて小さく呻く。


「少しだけ、じっとしていられる?」

『……たす、け……』


 かすれた声が返ってきた。


 一葉が振り返る。


「石が落ちてきて、逃げるときに翅も脚も傷めたみたい。自力じゃ抜けられないって」

「わかった」


 葉月がすぐに周囲を見回す。

 タマムシの体だけではなく、その足元の土までゆるんでいた。今のまま石をどければ、さらに崩れて別の石が落ちるかもしれない。


「先に周りを固めます」

「結葉」

「うん!」


 結葉が葉っぱ箱を開け、固め苔の包みを取り出した。

 苔と菌糸と細かな土粉を混ぜたそれは、乾いたままだと少しごつごつして見える。けれど少し湿らせれば、やわらかく手になじむ。


「どこに使う?」

「石の根元と、足元の崩れたところ。そこを押さえれば持ち上げるときの負担が減ります」


 葉月の指示に従って、結葉は固め苔を小さくちぎり、湿り気を含ませる。

 それを葉月が石と石の隙間へ押し込み、崩れかけた土の際へ丁寧に塗りつけていった。


 ぺたり。ぺたり。


 柔らかかった苔が、押し込まれるたびに少しずつ形を保ち始める。

 石の根元を埋め、足元のぐらつきを押さえ、空洞の小さな作業場を作っていく。


「これで少しは持つはずです」

「じゃあ、いくぞ」


 護葉が前に出た。

 葉月が石片の重なりを見極めて指示を出し、一葉がタマムシへ声をかける。


「今から石をどけるね。少し揺れるかもしれないけど、怖かったら言って」

『……う、ん』


 護葉は片手で上の小石を払い、もう片方の手で一番大きな石片の端を支えた。

 力任せに持ち上げるのではなく、葉月の「そこです」「今です」に合わせて、ほんの少しずつ重みをずらしていく。


 ぎ、と石が鳴った。


 風葉がすぐに触角を上げるが、崩れの匂いは広がらない。固め苔が、ちゃんと足元を支えてくれている。


「もう少し」

「……よし」


 護葉が石片を持ち上げ、横へ滑らせた。


 押さえつけられていた重みが消え、タマムシの体がふっと軽くなる。

 けれど、その拍子に傷んだ前脚がぶるりと震えた。


「痛む?」

『……ちょっと』


 一葉がそっと様子を見る。

 前脚の付け根は擦れ、背の上翅の端には細いひびが入っていた。体の横にも浅い傷がある。


「葉月、これ」

「見えています。固め苔、もう少し」


 結葉がすぐに差し出す。


 葉月は固め苔をほんの少量、指先で薄くのばした。

 まずは上翅のひび。完全に塞ぐのではなく、これ以上ひびが広がらないよう、割れ目を支えるようにそっと当てる。


「冷たいかもしれませんが、少し我慢してください」

『……へいき』


 次に、前脚の付け根へ。擦り傷にも少しだけ。

 土や砂が入り込まないよう、やさしく覆う。


 柔らかい苔は、押さえられると形を整え、すぐに傷口の上で落ち着いた。

 ぴたりと馴染んで、頼りなかった足元に小さな支えを作る。


「どう?」

 一葉が尋ねると、タマムシはおそるおそる前脚に体重をかけた。


『……さっきより、まし』

「ほんと?」

『うん。まだ痛いけど……立てる』

「大丈夫そうだね」


 その言葉に、結葉がぱっと顔を明るくする。


「よかったぁ……!」

「まだ無理はだめだよ」

「わかってるって」


 一葉にたしなめられ、結葉は口をとがらせた。


 タマムシはゆっくりと体を起こし、傷んだ脚をかばいながらも、どうにかその場に座り直した。

 翅の光はまだ弱い。けれど、さっきのように今にも折れそうな揺れ方ではなくなっていた。


     


『助けてくれて……ありがとう』


 少し息を整えたあと、タマムシがそう言った。

 一葉がその前にしゃがみ込む。


「無事そうでよかった」

『まだちょっと痛むけど、休めば動けると思う』


 護葉が周囲を見回しながら訊く。


「お前、この先から来たのか?」


一葉が伝え直すと


「うん」


 タマムシは脇空洞の奥を見た。


「この先、風の通る広い場所がある。大きな空洞。上の方に乾いた細道があって、そっちを通ると進みやすいって」


一葉が言うと葉月がすぐに反応する。


「乾いた細道……」

『でも、気をつけて』


 タマムシは触角を伏せる。

『湿った壁の近くはだめだよ。足元が崩れやすいんだ。僕も、上の道から下をのぞいてたら、崩れて落ちた』


 風葉が空気を嗅ぎ直し、頷いた。


「湿気の匂い、確かに強い。近づきすぎない方がよさそう」

「じゃあ次は、上の乾いた道を目印にするのがよさそうだね」

 一葉が言うと、葉月も頷く。


「はい。今日はここまでにして、情報を持ち帰りましょう」


 結葉が小さく拳を握る。


「ちゃんとおやつまでに帰るんだもんね」

「そこ大事なんだ」

「大事だよ!」


 結葉が真顔で言うと、護葉がふっと笑った。


 最後に一葉がタマムシへ向き直る。


「しばらくは無理しないで。傷がまた開いたら、せっかく固めたのが台無しになるから」

『うん』

「もしまた会えたら、そのときは元気に飛んでるとこ見せてよ」

『……がんばる』


 タマムシの翅が、ほんの少しだけ光を取り戻した。

 それを見届けて、探索班は脇空洞をあとにする。


     ◇


 帰り道は、来たときよりも慎重だった。

 広い空洞の情報も、湿った壁際の危険も、乾いた細道のことも、どれも持ち帰る価値がある。けれども今日は、救助で思ったより時間を使っていた。


「急がなくていいからね」

「わかってる」

「でも、ちょっと急ごう」


 結葉の矛盾した言葉に、一葉が吹き出す。


「どっちなの」

「おやつには間に合いたいもん」

「それは同意」


 そんなふうに言いながら、五人は無事に巣の入り口へと戻ってきた。


 そこで、結葉がぴたりと足を止める。


「……いた」

「え?」


 一葉がきょろきょろと見回す。

 ぱっと見た限りでは、入り口付近に誰もいない。けれど結葉は、少しだけ視線を横へ流した。


 岩陰。灯り苔の影が落ちる場所。

 そのあたりに、見慣れた気配がある。


 結葉はそっと触角を揺らした。

 やっぱり、いた。しかも、かなり前からずっとここにいた匂いがする。


「……仁?」

 一葉が声をかけると、岩陰から静かに仁が現れた。


「お帰りなさいませ」


 何事もなかったかのような、いつもの声。

 けれど護葉は、じっと仁の顔を見る。


「今来たみたいな顔してるけど」

「今来ましたが」

「へえ」

「本当」


 平然と言い切る仁に、一葉が肩を震わせる。

 風葉は無言で触角を伏せた。結葉は「うわあ」とでも言いたげな顔をしている。


 もちろん、誰も言わない。

 本人には。


 仁はそんな空気に気づかないふりをしたまま、すっと姿勢を正した。


「報告をお願いします」

「うん。ちょっとトラブルがあって」


 一葉がそう切り出すと、仁の目がわずかに細くなる。


「トラブル」

「脇空洞で、石の下敷きになってたタマムシを見つけたの」

「……怪我人は」

「探索班はみんな無事だよ」


 その一言で、仁の肩からほんの少し力が抜けたのを、風葉は見逃さなかった。


「それで、助けたんだ」

「固め苔を使って?」


 仁の問いがすぐに返る。

 葉月が一歩前へ出て、手短に説明を始めた。


「はい。まず石片をどかす前に、周囲の崩れた足場を固め苔で補強しました。石と石の隙間、土のゆるんだ箇所を押さえて、作業場を安定させています」

「その後、護葉が石片を除去。タマムシの上翅のひび、脚の付け根、擦過傷に固め苔を用いて応急処置を行いました」


 仁は真剣な顔で聞き取りながら、葉っぱ箱へ視線を落とす。


「使用量は」

「結葉の箱から二回、葉月の箱から一回分くらい」

「残量はまだあるけど、足場補強にも使うなら思ったより減るかも」

 結葉が答えると、仁は小さく頷いた。


「……そうですか」


 それだけ言ってから、さらに問う。


「救助したタマムシから何か情報は?」

「その先に広い空洞があるって」

 一葉が答える。

「でも、湿った壁の近くは危ない。足元が崩れやすいんだって。上の方に乾いた細道があるらしいから、次はそこを目印に進めそう」

「なるほど」


 仁は一度目を閉じ、頭の中で情報を並べ直すように黙り込んだ。

 広い空洞。湿った壁際。上部の乾いた細道。固め苔の使用量。救助時の動き。全員の無事。


 そして最後に、いつもの落ち着いた声で言う。


「葉っぱ箱はお預かりします。固め苔の補充と、中身の点検を」

「ありがと、仁」

「礼には及びません。必要なことですから」


 そう言いながら葉っぱ箱を受け取る手つきは、どこか丁寧すぎるくらい慎重だった。


「……仁」

「なんでしょう」


 結葉がじっと見上げる。

 言いたい。けれど、まだ言わない。今日はまだ、その時ではない。


「なんでもない」

「そうですか」


 仁は首をかしげたが、それ以上は追及しなかった。


 探索班の五人は顔を見合わせる。

 一葉が口元を押さえ、風葉がそっと視線を逸らし、護葉が肩を揺らす。結葉はとうとう堪えきれず、ぷるぷる震え始めた。


「……何か?」

「ううん、べつに」

「そうですか」


 仁は少しだけ訝しそうにしながらも、葉っぱ箱を抱え直す。


「次回の探索までに補充を終えておきます。今日は皆様、十分に休んでください」

「はーい」


 その背を見送りながら、結葉がみんなにだけ聞こえる声で囁いた。


「やっぱり、ずっと見てたよね」

「だね」

「うん」

「うん」

「……うん」


 そして五人は、そろって小さく笑ったのだった。


ーーーーーーーーーーー


仁の日誌


 本日、探索班は壁向こうの脇道にて、小規模な落石に遭遇。

 負傷したタマムシ一匹を救助したとの報告を受ける。


 双葉・紬葉製作の葉っぱ箱は初の実地運用となったが、固め苔は想定以上に有用であった。


 使用例は以下の通り。


 一、崩れかけた足場の仮固定

 二、石片除去前の周辺補強

 三、上翅のひびに対する応急的な保護

 四、脚部および擦過傷の保護


 傷の処置と足場補修を同一素材で兼ねられる点は、探索用装備として非常に優秀である。

 今後も十分な補充が必要と判断する。


 また、救助したタマムシより、先に広い空洞が存在すること、湿った壁際は崩れやすいこと、上部に比較的安全な細道があることを聴取。

 次回以降の探索計画に反映すべき情報である。


 探索班五名、全員無事に帰還。

 ……それで十分だろう。


 固め苔の補充量については再計算する。

 結葉は取り出しが早い。護葉様の力仕事を考慮すると、葉月の箱にはやや多めに配分してもよいかもしれない。


 次回までに調整を終えること。


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