35 痛いの固めてとんでいけー!
探索班の集合場所に、朝の空気がゆるく流れていた。
それぞれの肩には、双葉と紬葉が作った葉っぱ箱。
前回より少し慣れた足取りで、一葉、護葉、風葉、葉月、結葉の五人が顔をそろえる。
けれども、いつもなら見送りにいるはずの姿が今日はなかった。
「今日は仁いないね」
先頭に立つ風葉が、きょろりと辺りを見回して言う。
「昨日、からかいすぎたからじゃない?」
一葉がくすっと笑う。
「でも、どこかで見てそう」
護葉が何でもない顔で言うと、結葉がぴくりと触角を揺らした。
「……まあ、その……」
言いかけて、結葉は口をつぐむ。
「ん?」
「なんでもない」
ふるふると首を振ってごまかす結葉に、一葉が目を細めたが、それ以上は追及しなかった。
葉月が前に出る。
「前回見つけた脇道の先を確認します。危険があればすぐ止まること。引き返しの時間も守ります」
「はーい」
「了解」
「おやつまでには帰る、だよね」
「もちろん」
軽いやりとりのあと、五人は壁の向こうへと足を踏み入れた。
先頭は風葉。そのすぐ後ろに葉月。中ほどに一葉と結葉、最後尾を護葉が守る。
葉っぱ箱はそれぞれが自分のものを持っていた。
前回より少し先まで進んだ坑道は、ところどころ土の匂いが濃かった。
頭上は低く、壁は湿り気を帯びている。葉月が時折足を止め、壁や床を触っては進路を確かめていく。
「こっち、少し崩れやすい」
「じゃあ寄りすぎない方がいいね」
「うん」
結葉が返事をした、そのときだった。
「……待って」
ふいに、結葉が足を止めた。
風葉が振り返る。
「どうした」
「なんか……変」
結葉は壁際を見つめたまま、触角をそわそわと揺らした。
「ここ、変な感じがする」
言葉にしにくい何かを探すように、結葉が空気を嗅ぐ。湿った土と苔の匂いに混じって、ほんのかすかに、落ち着かない気配があった。
すると風葉も足を止め、ゆっくりと触角を上げた。
「……匂うな」
壁の近くへ顔を寄せ、息を止めるようにして探る。
「土じゃない。虫の匂いだ」
「虫?」
一葉が顔を上げる。
「しかも、かなり焦ってる」
その言葉に、一葉の表情が変わった。
「……ほんとだ。怖がってる」
「助けを呼んでるのかも」
葉月がすぐに壁へ手をつく。指先で土の響きを確かめ、耳を澄ませ、少しだけ上の方を掘るようにして調べる。
「この向こう、空間があります」
「脇空洞?」
「はい。小さいですが」
護葉が一歩前へ出た。
「行くか」
「うん、助けられるなら」
葉月が頷き、崩れにくい位置を見極めながら、壁際の細い裂け目を広げていく。
風葉が周囲の匂いを確かめ、外敵の気配がないことを確認する。結葉は葉っぱ箱の留め具に手をかけ、すぐ中身を出せるよう身構えた。
そうして五人がそっと脇空洞へ入り込むと、そこにいたのは――光を失いかけた、小さなタマムシだった。
脇空洞は、人ひとりがやっと身をかがめて入れるくらいの狭さだった。
その奥の一角に、石片がいくつも崩れて積もり、その下に一匹のタマムシが半身を挟まれている。
背の翅はくすんだ緑と青を鈍く光らせていたけれど、その輝きは苦しそうに揺れていた。
もがくたびに、上翅の端が石に擦れて嫌な音を立てる。片方の前脚もうまく地につけられず、逃げ出すこともできないようだった。
「うわ……」
「動かないで」
虫の言葉がわかる一葉がすぐに前へ出て、できるだけやさしい声で話しかける。
「大丈夫。助けたいだけだよ」
「……っ」
タマムシはびくりと身を震わせた。逃げようとして、けれど石に阻まれて小さく呻く。
「少しだけ、じっとしていられる?」
『……たす、け……』
かすれた声が返ってきた。
一葉が振り返る。
「石が落ちてきて、逃げるときに翅も脚も傷めたみたい。自力じゃ抜けられないって」
「わかった」
葉月がすぐに周囲を見回す。
タマムシの体だけではなく、その足元の土までゆるんでいた。今のまま石をどければ、さらに崩れて別の石が落ちるかもしれない。
「先に周りを固めます」
「結葉」
「うん!」
結葉が葉っぱ箱を開け、固め苔の包みを取り出した。
苔と菌糸と細かな土粉を混ぜたそれは、乾いたままだと少しごつごつして見える。けれど少し湿らせれば、やわらかく手になじむ。
「どこに使う?」
「石の根元と、足元の崩れたところ。そこを押さえれば持ち上げるときの負担が減ります」
葉月の指示に従って、結葉は固め苔を小さくちぎり、湿り気を含ませる。
それを葉月が石と石の隙間へ押し込み、崩れかけた土の際へ丁寧に塗りつけていった。
ぺたり。ぺたり。
柔らかかった苔が、押し込まれるたびに少しずつ形を保ち始める。
石の根元を埋め、足元のぐらつきを押さえ、空洞の小さな作業場を作っていく。
「これで少しは持つはずです」
「じゃあ、いくぞ」
護葉が前に出た。
葉月が石片の重なりを見極めて指示を出し、一葉がタマムシへ声をかける。
「今から石をどけるね。少し揺れるかもしれないけど、怖かったら言って」
『……う、ん』
護葉は片手で上の小石を払い、もう片方の手で一番大きな石片の端を支えた。
力任せに持ち上げるのではなく、葉月の「そこです」「今です」に合わせて、ほんの少しずつ重みをずらしていく。
ぎ、と石が鳴った。
風葉がすぐに触角を上げるが、崩れの匂いは広がらない。固め苔が、ちゃんと足元を支えてくれている。
「もう少し」
「……よし」
護葉が石片を持ち上げ、横へ滑らせた。
押さえつけられていた重みが消え、タマムシの体がふっと軽くなる。
けれど、その拍子に傷んだ前脚がぶるりと震えた。
「痛む?」
『……ちょっと』
一葉がそっと様子を見る。
前脚の付け根は擦れ、背の上翅の端には細いひびが入っていた。体の横にも浅い傷がある。
「葉月、これ」
「見えています。固め苔、もう少し」
結葉がすぐに差し出す。
葉月は固め苔をほんの少量、指先で薄くのばした。
まずは上翅のひび。完全に塞ぐのではなく、これ以上ひびが広がらないよう、割れ目を支えるようにそっと当てる。
「冷たいかもしれませんが、少し我慢してください」
『……へいき』
次に、前脚の付け根へ。擦り傷にも少しだけ。
土や砂が入り込まないよう、やさしく覆う。
柔らかい苔は、押さえられると形を整え、すぐに傷口の上で落ち着いた。
ぴたりと馴染んで、頼りなかった足元に小さな支えを作る。
「どう?」
一葉が尋ねると、タマムシはおそるおそる前脚に体重をかけた。
『……さっきより、まし』
「ほんと?」
『うん。まだ痛いけど……立てる』
「大丈夫そうだね」
その言葉に、結葉がぱっと顔を明るくする。
「よかったぁ……!」
「まだ無理はだめだよ」
「わかってるって」
一葉にたしなめられ、結葉は口をとがらせた。
タマムシはゆっくりと体を起こし、傷んだ脚をかばいながらも、どうにかその場に座り直した。
翅の光はまだ弱い。けれど、さっきのように今にも折れそうな揺れ方ではなくなっていた。
『助けてくれて……ありがとう』
少し息を整えたあと、タマムシがそう言った。
一葉がその前にしゃがみ込む。
「無事そうでよかった」
『まだちょっと痛むけど、休めば動けると思う』
護葉が周囲を見回しながら訊く。
「お前、この先から来たのか?」
一葉が伝え直すと
「うん」
タマムシは脇空洞の奥を見た。
「この先、風の通る広い場所がある。大きな空洞。上の方に乾いた細道があって、そっちを通ると進みやすいって」
一葉が言うと葉月がすぐに反応する。
「乾いた細道……」
『でも、気をつけて』
タマムシは触角を伏せる。
『湿った壁の近くはだめだよ。足元が崩れやすいんだ。僕も、上の道から下をのぞいてたら、崩れて落ちた』
風葉が空気を嗅ぎ直し、頷いた。
「湿気の匂い、確かに強い。近づきすぎない方がよさそう」
「じゃあ次は、上の乾いた道を目印にするのがよさそうだね」
一葉が言うと、葉月も頷く。
「はい。今日はここまでにして、情報を持ち帰りましょう」
結葉が小さく拳を握る。
「ちゃんとおやつまでに帰るんだもんね」
「そこ大事なんだ」
「大事だよ!」
結葉が真顔で言うと、護葉がふっと笑った。
最後に一葉がタマムシへ向き直る。
「しばらくは無理しないで。傷がまた開いたら、せっかく固めたのが台無しになるから」
『うん』
「もしまた会えたら、そのときは元気に飛んでるとこ見せてよ」
『……がんばる』
タマムシの翅が、ほんの少しだけ光を取り戻した。
それを見届けて、探索班は脇空洞をあとにする。
◇
帰り道は、来たときよりも慎重だった。
広い空洞の情報も、湿った壁際の危険も、乾いた細道のことも、どれも持ち帰る価値がある。けれども今日は、救助で思ったより時間を使っていた。
「急がなくていいからね」
「わかってる」
「でも、ちょっと急ごう」
結葉の矛盾した言葉に、一葉が吹き出す。
「どっちなの」
「おやつには間に合いたいもん」
「それは同意」
そんなふうに言いながら、五人は無事に巣の入り口へと戻ってきた。
そこで、結葉がぴたりと足を止める。
「……いた」
「え?」
一葉がきょろきょろと見回す。
ぱっと見た限りでは、入り口付近に誰もいない。けれど結葉は、少しだけ視線を横へ流した。
岩陰。灯り苔の影が落ちる場所。
そのあたりに、見慣れた気配がある。
結葉はそっと触角を揺らした。
やっぱり、いた。しかも、かなり前からずっとここにいた匂いがする。
「……仁?」
一葉が声をかけると、岩陰から静かに仁が現れた。
「お帰りなさいませ」
何事もなかったかのような、いつもの声。
けれど護葉は、じっと仁の顔を見る。
「今来たみたいな顔してるけど」
「今来ましたが」
「へえ」
「本当」
平然と言い切る仁に、一葉が肩を震わせる。
風葉は無言で触角を伏せた。結葉は「うわあ」とでも言いたげな顔をしている。
もちろん、誰も言わない。
本人には。
仁はそんな空気に気づかないふりをしたまま、すっと姿勢を正した。
「報告をお願いします」
「うん。ちょっとトラブルがあって」
一葉がそう切り出すと、仁の目がわずかに細くなる。
「トラブル」
「脇空洞で、石の下敷きになってたタマムシを見つけたの」
「……怪我人は」
「探索班はみんな無事だよ」
その一言で、仁の肩からほんの少し力が抜けたのを、風葉は見逃さなかった。
「それで、助けたんだ」
「固め苔を使って?」
仁の問いがすぐに返る。
葉月が一歩前へ出て、手短に説明を始めた。
「はい。まず石片をどかす前に、周囲の崩れた足場を固め苔で補強しました。石と石の隙間、土のゆるんだ箇所を押さえて、作業場を安定させています」
「その後、護葉が石片を除去。タマムシの上翅のひび、脚の付け根、擦過傷に固め苔を用いて応急処置を行いました」
仁は真剣な顔で聞き取りながら、葉っぱ箱へ視線を落とす。
「使用量は」
「結葉の箱から二回、葉月の箱から一回分くらい」
「残量はまだあるけど、足場補強にも使うなら思ったより減るかも」
結葉が答えると、仁は小さく頷いた。
「……そうですか」
それだけ言ってから、さらに問う。
「救助したタマムシから何か情報は?」
「その先に広い空洞があるって」
一葉が答える。
「でも、湿った壁の近くは危ない。足元が崩れやすいんだって。上の方に乾いた細道があるらしいから、次はそこを目印に進めそう」
「なるほど」
仁は一度目を閉じ、頭の中で情報を並べ直すように黙り込んだ。
広い空洞。湿った壁際。上部の乾いた細道。固め苔の使用量。救助時の動き。全員の無事。
そして最後に、いつもの落ち着いた声で言う。
「葉っぱ箱はお預かりします。固め苔の補充と、中身の点検を」
「ありがと、仁」
「礼には及びません。必要なことですから」
そう言いながら葉っぱ箱を受け取る手つきは、どこか丁寧すぎるくらい慎重だった。
「……仁」
「なんでしょう」
結葉がじっと見上げる。
言いたい。けれど、まだ言わない。今日はまだ、その時ではない。
「なんでもない」
「そうですか」
仁は首をかしげたが、それ以上は追及しなかった。
探索班の五人は顔を見合わせる。
一葉が口元を押さえ、風葉がそっと視線を逸らし、護葉が肩を揺らす。結葉はとうとう堪えきれず、ぷるぷる震え始めた。
「……何か?」
「ううん、べつに」
「そうですか」
仁は少しだけ訝しそうにしながらも、葉っぱ箱を抱え直す。
「次回の探索までに補充を終えておきます。今日は皆様、十分に休んでください」
「はーい」
その背を見送りながら、結葉がみんなにだけ聞こえる声で囁いた。
「やっぱり、ずっと見てたよね」
「だね」
「うん」
「うん」
「……うん」
そして五人は、そろって小さく笑ったのだった。
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仁の日誌
本日、探索班は壁向こうの脇道にて、小規模な落石に遭遇。
負傷したタマムシ一匹を救助したとの報告を受ける。
双葉・紬葉製作の葉っぱ箱は初の実地運用となったが、固め苔は想定以上に有用であった。
使用例は以下の通り。
一、崩れかけた足場の仮固定
二、石片除去前の周辺補強
三、上翅のひびに対する応急的な保護
四、脚部および擦過傷の保護
傷の処置と足場補修を同一素材で兼ねられる点は、探索用装備として非常に優秀である。
今後も十分な補充が必要と判断する。
また、救助したタマムシより、先に広い空洞が存在すること、湿った壁際は崩れやすいこと、上部に比較的安全な細道があることを聴取。
次回以降の探索計画に反映すべき情報である。
探索班五名、全員無事に帰還。
……それで十分だろう。
固め苔の補充量については再計算する。
結葉は取り出しが早い。護葉様の力仕事を考慮すると、葉月の箱にはやや多めに配分してもよいかもしれない。
次回までに調整を終えること。




