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葉音を紡ぐ ――世界樹の麓で  作者: 葉森かなで


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34 おやつまでには帰ること

 探索へ出る朝、仁の部屋の前には、見慣れた五人が順に集まっていた。

 一葉、護葉、風葉、葉月、結葉。

 その足元には、双葉と紬葉が作った小さな葉っぱ箱が五つ、きちんと並べられている。


「……多くない?」

 最初に口を開いたのは一葉だった。仁の手元と、床に並ぶ箱とを見比べて、少し肩をすくめる。

「探索に行くだけなのに、こんなに用意する?」


「行くだけ、ではありません」

 仁は真顔で答えた。

「本日は壁の向こうの初回探索です。何があるか分からない以上、備えは多い方がいいでしょう」


 そう言って、ひとつ目の葉っぱ箱を開く。中には、固め苔、巻き葉帯、灯り粒、巣印札が、崩れないようきっちり収まっていた。仁は中身を一つずつ指先で確かめ、欠けや乾きがないかまで見てから、ようやく護葉に手渡す。


「護葉こちらを」

「ありがとう」


 次の箱も、その次の箱も同じように開けて確認する。

 結葉は早くも落ち着かない様子で触覚をぱたぱたさせていた。


「仁、まだ?」

「まだです」

「だって、箱の中身は昨日見たじゃん」

「昨日見たものが、今朝も万全とは限りません」


 ぴしゃりと言われて、結葉が口をへの字に曲げる。

 一葉がくすりと笑い、葉月は「必要な確認ですね」とごく真面目にうなずいた。風葉は自分に渡された箱を受け取りながら、そっと蓋を開け、中の匂いを確かめる。


「固め苔、少し土の匂いが強いね」

「乾きすぎないよう、双葉が今朝少しだけ調整してくださいました」

「へえ。ほんとに手が込んでる」


 仁は最後の箱を結葉に渡してから、今度は別の小さな葉包みを五つ差し出した。ころころ蜜飴だ。丸くつややかなそれが、葉の上で小さく転がる。


「こちらもお持ちください」

「おやつ!」

「携行食です」

 結葉がぱっと明るくなった顔をしたのを、仁がすぐに訂正する。

「途中で力が落ちる前に食べてください。帰るまでに残しておくものではありません」

「でも甘いんでしょ?」

「甘いです」

「じゃあおやつじゃん」

「……半分はそうかもしれません」


 ほんの少しだけ間を置いて返した仁に、一葉が吹き出した。

 護葉まで口元をゆるめ、風葉も肩を揺らす。結葉は「ほら!」と得意げだ。


 そこへ、静かな足音が近づいてきた。


「皆、もう揃っていたのですね」


 蜜葉乃だった。

 やわらかな声に五人がそろって振り向き、軽く頭を下げる。蜜葉乃は箱を抱えた五人の姿を見渡し、ふっと目を細めた。


「ずいぶん立派な装備ですこと」

「仁が張り切りすぎてるだけだよ」

 

一葉がそう言うと、仁はすぐに否定した。


「張り切っているわけではありません。必要な準備です」


 蜜葉乃はそのやり取りを面白そうに見ていたが、やがて探索班へ向き直る。


「では、気をつけて行ってらっしゃい。今日は最初の探索ですから、無理はしないでくださいね」


「はい」

「はーい」

「承知しました」


 返事はそれぞれだったが、全員の目はきちんと前を向いていた。

 そこで仁が、一歩前に出る。


「出発前に、確認を」

 途端に、結葉が「また?」という顔をしたが、仁は気にしない。

「本日は、入口付近の様子を見るだけに留めてください。狭い穴へ入る時は必ず声をかけること。異変があれば深追いせず、引き返すこと。単独行動はしないこと」


「はいはい」

「返事は一回で結構です」

 結葉の軽い返しに、仁がぴたりと被せる。


 そして、最後に少しだけ声を低くした。


「遅くとも、おやつの時間までには帰ってきてください」


 一瞬、沈黙が落ちたあと、一葉が目をぱちぱちさせた。

「おやつの時間?」

「子蟻じゃないんだから……」

 結葉が呆れたように言うと、仁はまっすぐその視線を受け止める。


「戻る時間が曖昧だと、引き返す判断も曖昧になります」

 

きっぱりと、言い切った。


「本日の目的は、先へ進むことではありません。無事に帰ってくることです」


 その声音は冗談を挟む余地のないほど真面目で、結葉は「う」と小さく詰まる。

 葉月が静かにうなずいた。


「妥当な線引きだと思います。初回ですから」

「匂いの流れもまだ読み切れないしね」

 

風葉も賛成し、護葉は「分かった」と短く応じる。

 一葉は肩をすくめて笑った。


「了解。じゃあ今日は、おやつ前に帰る」

「そうしてください」


 蜜葉乃が、そんな仁を見てくすりと笑った。


「仁がここまで言うのですもの。皆、その言いつけを守ってあげてくださいね」


 女王の言葉に見送られ、探索班はようやく出発した。



 壁の向こうへ続く通路は、巣の中の道より少しだけ冷たかった。

 先頭は風葉だ。触角をわずかに揺らし、空気の流れと匂いの濃淡を読みながら、慎重に脚を進めていく。

 そのすぐそばを葉月が進み、壁や床の硬さを確かめながら、必要があれば手で土を軽く掻いて道の具合を見る。ほとんど並ぶような位置だが、葉月は風葉の読みを邪魔しないよう、半歩だけ後ろを保っていた。


 その後ろに一葉と結葉。

 そして最後尾には護葉がつき、前だけでなく戻る道にも目を配っている。


「……やっぱり、外側の空気が混じってる」

 風葉が壁際に鼻先を寄せる。

「流れは弱いけど、向こうで空間が広がってる気配がする」


「壁の削れ方も、巣の通路とは少し違いますね」

 葉月が周囲を見回しながら言う。

「まだ断定はできませんが、自然に崩れた穴にしては、通りやすく残りすぎている気がします」


「つまり?」

「まだ分かりません」


 結葉が身を乗り出して問うと、葉月は首を横に振った。


「だから、今日は確認だけです」


 その「今日は」に、皆が少しだけ笑う。

 仁の言葉が、思った以上に全員の頭に残っていた。


 通路を少し進むと、脇道が二つに分かれていた。片方は細く、もう片方はやや広い。風葉がまず空気の流れを確かめ、葉月が細い方の入口を少しだけ掘って崩れやすさを見てみる。一葉は耳を澄まし、結葉は広い方を覗き込んだ。護葉は少し後ろで立ち止まり、退路に危険がないかを確認している。


「生き物の匂い、少しある」


 風葉が小声で言った。


「古い土の匂いに混じってる。近くじゃないけど、何かいるかも」


「声は……まだ聞こえないな」


 一葉が首をひねる。


「でも、静かすぎる感じはする」


 それでも今日は深追いしない。

 葉月が脇道の位置を覚え、風葉が匂いの強弱を記憶し、護葉が足場の悪い箇所を確認する。結葉は先へ行きたそうに何度も振り返ったが、そのたびに一葉が「今日はここまで」と笑って止めた。


「えー、もう?」

「もう、です」

 葉月がきっぱり言う。

「戻りの時間を考えると、これ以上は明日以降に回すべきでしょう」


「葉月まで仁みたいなこと言う……」

「合理的という意味です」


 結局、その日の探索はそこで切り上げることになった。

 脇道の位置、湿り具合、風の流れ。持ち帰るものは少ないが、初回としては十分だ。五人は来た道を引き返し、巣へ戻る。


 そして――


「あれ」

 巣の入口近くまで戻ったところで、一葉がふと目を丸くした。

「……仁」


 少し開けた通路の脇。

 いかにも「たまたま通りかかっただけです」という顔をして立っていたのは、ほかでもない仁だった。

 結葉がぴたりと足を止める。


「何してんの?」

「何、とは」

「待ってたの?」

「待っていません」


 仁は即答した。


「こちらへ来る用事があっただけです」


「へえ」


 一葉がにやにやしながら近づく。


「用事って、入口の前でうろうろすること?」

「うろうろはしていません」

「じゃあ、そわそわ?」

「していません」

「ふうん?」

「……していません」


 答えるたびに、微妙に説得力が薄れていく。

 結葉はとうとう吹き出し、護葉まで口元を押さえた。葉月は何も言わずに目を細め、風葉も肩を揺らしている。


「仁、顔に書いてあるよ」


 一葉が楽しそうに言う。


「“まだかな”“遅いな”“帰ってこないかな”って」

「書いてありません」

「書いてる書いてる」

「書いていません」


 むきになって否定する仁に、結葉が箱を抱えたまま身を乗り出した。


「じゃあ明日も同じ用事でここに来る?」

「来ません」

「ほんとに?」

「本当です」

「絶対?」

「……絶対です」


 そこまで言ってから、仁ははっとしたように咳払いをひとつした。


「それより、怪我はありませんか。変わった様子は? 箱の中身は減っていないか、順番に確認を――」

「ほら、やっぱり待ってた」


 一葉がくすくす笑う。

 その時、少し遅れて蜜葉乃が姿を見せた。

 探索班の無事な顔を見て、ほっとしたように目を細める。


「ちゃんと、おやつの時間までに帰ってきましたね」


「はい。仁の言いつけどおりに」


 一葉がそう答えると、蜜葉乃は仁へ視線を向けた。


「よかったですね、仁」

「……何がでしょう」

「皆が無事に戻ってきたことです」


 仁は返事に詰まり、わずかに目を逸らした。

 その様子を見て、結葉がまた笑う。


「明日も待ってるな、これ」

「待ちません」

「うそだあ」

「うそではありません」

「じゃあ、入口の近くに“たまたま”用事があるんだ」

「……そのようなことはありません」


 五人に囲まれて言い返す仁の声は、いつもより少しだけ弱かった。

 けれどその顔が、無事に戻った五人を前にして、ほんの少しだけ安堵しているのを――その場にいる誰もが、ちゃんと見ていた。


「とにかく、怪我がないなら結構です。箱の中身もあとで確認しますから――」

「はーい」

「また点検される」

「仁、心配しすぎ」

「していません」


 そんなやり取りをしながら、探索班はぞろぞろと巣の奥へ戻っていく。

 その最後尾で、結葉がふいに足をゆるめた。

 少し前を歩く一葉の肩へ、そっと顔を寄せる。


「……仁、フェロモンで心配って丸わかりなんだけど」


「ぶっ……ちょ、結葉、それ本人に聞こえる」

 一葉が慌てて口元を押さえる。


「だってほんとだもん」

 結葉は悪びれもせず、ちらりと後ろを振り返った。


「しーってば」

 今度は風葉が小さく囁く。けれど、その肩もやっぱり少し揺れていた。


 仁だけが、その意味に気づかないまま。


 初めての探索は、そんなふうに終わった。



仁の日誌


 本日、探索班は予定どおり初回の確認を終え、全員無事に帰還した。

 壁の向こうは空気の流れと湿り気に変化があり、脇道も複数確認されたとのこと。葉月と風葉の報告をもとに、明日以降の探索範囲を整理する必要がある。


 葉っぱ箱の携行は有効と思われる。使用はなかったが、それが最良だ。

 なお、探索後の点検項目が想定より増えそうなので、次回までに確認手順を簡潔にまとめておきたい。

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