33 いってらっしゃいの「ころころ蜜飴」
双葉と紬葉の実験室を出たあと、蜜葉乃は仁に見送られながら、自分の部屋へと戻ってきた。
新しく整えられた女王室は、相変わらず妙に居心地がいい。
ふかふかの床材に、やわらかな保温繊維。葉の仕切りの向こうには、夜灯り苔の淡い光がほんのりと滲んでいる。
けれども今夜の蜜葉乃は、その心地よさにゆっくり沈み込む気分にはなれなかった。
実験室で見た光景が、頭の中に残っている。
皆が少しずつ、壁の向こうへ進むための支度を終えつつあった。
蜜葉乃は、寝台代わりのやわらかな葉床に腰を下ろしたまま、ぽつりと呟いた。
「……あの子たちに、何か持たせてあげたいですね」
すぐそばで夜の支度を整えていた千葉夜が、顔を上げる。
「持たせる、ですか」
「ええ。双葉たちが、もしものための備えを作ってくれていたでしょう。あれはきっと、とても大切です。でも……」
蜜葉乃は、少しだけ考えるように目を伏せた。
「長く歩くことになるかもしれませんし、緊張もするでしょう。そんな時、少しだけでも口に入れられるものがあれば、気持ちが違うのではないかと思って」
千葉夜は静かに聞いていたが、やがて小さく頷いた。
「携行食ということですね」
「はい。できれば、持ち運びやすくて、あまりかさばらないものが良いのです」
「それでしたら」
千葉夜は、もう半分ほど答えを組み立て終えている声で言った。
「蜜を煮詰めて、小さく固めたものにいたしましょう。少し花粉を混ぜれば、ただ甘いだけでなく、多少は腹持ちもよくなります。葉に包んでおけば、持ち運びにも困りません」
「まあ」
蜜葉乃の顔が、ふわりと明るくなる。
「小さな蜜玉のようなものですね」
「ええ。ころころした形に丸めれば、子蟻たちにも手伝わせやすいかと」
「子蟻たちにも?」
「熱いうちは危ないですが、冷めてから丸めるくらいなら任せられるでしょう」
その言葉に、蜜葉乃は楽しそうに触角を揺らした。
「では、そうしましょう。みんなで作るのです」
千葉夜は一瞬だけ、女王が明らかに乗り気になっているのを見て、少しだけ苦笑した。
「……ただし、蜜葉乃さまは無理をなさらないこと。これが条件です」
「少しだけなら」
「少しだけ、です」
「はい」
そうして、その夜の相談はまとまった。
探索へ向かう者たちのための、小さな携行食。
ころころと丸めた、甘い蜜飴を作ることが決まったのだった。
それから数日後。
食堂は、朝から甘い匂いに満ちていた。
部屋の隅では、千葉夜が小さな器に入れた蜜を煮詰めている。
そのそばには花粉の粉末、香りづけの葉を細かく刻んだもの、包み用のやわらかな葉が、整然と並べられていた。
そしてその前には――待ちきれない子蟻たちが、ずらりと並んでいる。
「まだですか!」
「まだです」
「もう丸めていいですか!」
「まだです」
「味見は!」
「だめです」
千葉夜が即答すると、子蟻たちはいっせいに「ええー」と声を上げた。
その様子を見て、少し離れた葉床に座っていた蜜葉乃が、くすりと笑う。
「みんな、やる気は十分ですね」
「やる気と、甘い匂いに釣られているのと、両方かと」
千葉夜はそう言いながら、器の中身をゆっくり混ぜた。
とろりとした蜜が、少しずつ重たくなっていく。そこへ花粉を加え、刻んだ葉をほんの少しだけ混ぜると、部屋の中の香りがふわりと変わった。
「わあ……」
子蟻たちが目を丸くする。
甘いだけではない、どこか青い、落ち着くような香りだった。
「これは探索に出るお姉さまたちのための蜜飴です。力になって、食べやすくて、持ち運びやすくなくてはいけません。ですから遊びではありませんよ」
千葉夜がそう言うと、子蟻たちはぴしりと姿勢を正した。
そのまま三息ほど保ち、すぐにまたそわそわし始めたが、ひとまず気持ちは伝わったらしい。
やがて蜜がちょうどいい固さになり、千葉夜は火から下ろして浅い葉皿へと移した。
「触ってよいのは、まだ先です。冷めるまで待ちなさい」
「はーい!」
元気な返事が返る。
だが待つ間にも、子蟻たちは葉皿の周りをうろうろしたり、包み葉を運んだり、並べたりと落ち着かない。
「こっちに置くんですか?」
「その葉っぱ、もっと持ってきます!」
「数えた方がいいですか?」
「今はまだ並べるだけです」
千葉夜が指示を出し、子蟻たちがわっと散っていく。
ひとりが包み葉を運び、もうひとりが葉皿を並べ、別の子が何も持っていないのに一生懸命走っている。役に立っているのかどうか怪しい者もいるが、賑やかさだけは十分だった。
蜜葉乃はその様子を眺めながら、目を細める。
「楽しそうですね」
「ええ。少々騒がしいですが」
「それもまた、良いことです」
そう言って、蜜葉乃は千葉夜の手元を覗き込んだ。
「もう触れそうでしょうか」
「そろそろ良い頃合いですね」
蜜葉乃は楽しそうに微笑み、そっと蜜を丸め始めた。
やわらかい蜜は少し指先にまとわりつくが、くるり、くるりと転がしていくと、きれいな丸になっていく。
「わあ……」
子蟻たちが、じりじりと寄ってきた。
「じょうず!」
「まんまる!」
「女王さまの、きれいです!」
褒められた蜜葉乃は、少しだけ照れたように笑う。
「ふふ。ありがとう。でも、みんなもきっと上手にできますよ」
その一言で、子蟻たちのやる気はさらに燃え上がった。
「やります!」
「まるくします!」
「いちばんきれいなの作ります!」
「競争ではありません」
千葉夜が釘を刺したが、もう遅い。
冷めた蜜が子蟻たちの前に配られると、育房室は一気に“ころころ大会”になった。
ころころ。
ころころ。
ころころ、ぺたっ。
ころころころ、ぐにゃ。
「……あら」
蜜葉乃が思わず声を漏らす。
できあがっていく蜜飴は、実に個性的だった。
きれいな丸もある。
少し潰れたものもある。
妙に細長いもの、ふたつがくっついてしまったもの、なぜか三角っぽくなったものまであった。
「これ、まるです!」
「それは少し四角いですね」
「じゃあこれは!?」
「……丸、ではあります」
「やったー!」
千葉夜は若干苦しい判定をしながら、どうにか作業を進めていく。
「大きさは、できるだけ揃えてください」
「このくらいですか!」
「それは少し大きいです」
「じゃあこれくらい!」
「それは小さいです」
「むずかしいです!」
蜜葉乃はとうとう笑いをこらえきれず、口元を押さえた。
子蟻たちは真剣そのものなのだ。
けれど真剣であればあるほど、出来上がるものはなぜか不揃いになる。丸めている途中でつい味見しそうになる子もいて、そのたびに千葉夜が「だめです」と低い声で止めていた。
「ひとつだけ」
「だめです」
「ちょっとなめるだけ」
「だめです」
「落ちたやつなら」
「落としてはいけません」
ぴしゃりと返され、子蟻はしょんぼりする。
その横で別の子が、こっそり指先についた蜜を舐めようとして見つかり、「それもだめです」とさらに叱られていた。
それでも作業は少しずつ進み、葉皿の上には小さな蜜飴が並んでいく。
ころころ。ころころ。
まん丸ばかりではないけれど、どれもつやつやと甘く、見ているだけで元気が出そうな色をしていた。
「きれいですね」
蜜葉乃が呟くと、千葉夜は葉皿の数を確認しながら頷いた。
「ええ。これだけあれば十分でしょう。探索に出る五人分と、予備。それから――」
千葉夜は少し考え、もう一枚の葉を広げた。
「仁の分も、お作りしておきますか?」
蜜葉乃は目を瞬かせたあと、すぐに笑った。
「そうですね。あの方も、気づけばいつも働いていますから」
「でしたら、そのように」
子蟻たちは「仁のぶん!」と面白がりながら、さらにころころと蜜を丸めた。
午後には、ころころ蜜飴はすっかり完成した。
乾きすぎないように柔らかな葉で包み、その外側をもう一枚の葉でくるむ。
千葉夜が数を数え、子蟻たちが「これは五つ!」「こっちは予備!」と確認しながら、葉包みをきちんと並べていく。
最後に、探索班の分をひとまとめにした包みと、少し小さな仁の分が、蜜葉乃の前へ置かれた。
そしてもうひとつ、千葉夜は葉皿を蜜葉乃の前へ差し出した。
そこには、探索へ持たせるには少し小さすぎたり、丸める途中で形が崩れたりした蜜玉が、いくつか並んでいる。
「こちらは、手伝ってくれた子たちへの分です。探索用とは別に取り分けておきました」
その言葉に、子蟻たちの触角がぴんと立った。
「ごほうびですか!」
「たべていいんですか!」
「ほんとうに!?」
「ええ。ただし、ちゃんと座って、ひとつずつですよ」
千葉夜がそう言うと、さっきまで走り回っていた子蟻たちが、信じられないほど素早く行儀よく並んだ。
蜜葉乃は思わず吹き出しそうになりながら、葉皿を受け取る。
「ふふ。みんな、今日はとてもよく頑張ってくれましたものね」
蜜葉乃がひと粒ずつ手渡していくたび、子蟻たちは目をきらきらさせた。
「まるい!」
「甘いです!」
「おいしい!」
「これ、ぼくが丸めたやつかもしれません!」
育房室の空気はもう、すっかりお祭りのように明るかった。
小さな口いっぱいに蜜飴を頬張って、子蟻たちは幸せそうに揺れている。
その様子を見て、蜜葉乃も満足そうに微笑んだ。
「では、探索へ持っていく分は仁に預けましょうか」
仁はちょうど、通路脇の小部屋で帳面を広げ、探索班に持たせる荷の確認をしているところだった。
救急用の葉っぱ箱、夜灯り苔の小袋、予備の包み葉。
そこへ足りないものがないか、ひとつずつ確かめていた仁は、近づいてくる足音に顔を上げた。
「女王さま?」
そこにいたのは、葉包みを大事そうに抱えた蜜葉乃だった。
「仁、これを」
蜜葉乃は、抱えていた葉包みをそっと差し出した。
仁は立ち上がってそれを受け取り、丁寧に中を確かめる。
そこには、小さな蜜玉がいくつもきれいに収められていた。
「……これは」
「探索に出る皆のための、ころころ蜜飴です」
蜜葉乃は少しだけ誇らしげに言った。
「長く歩く時でも、少しなら食べやすいようにと思って。千葉夜と、子蟻たちと一緒に作りました」
「なるほど。これは心強いですね」
「出発の日に、装備と一緒に皆へ渡してくださいませんか」
「承知いたしました」
仁は、包みを抱え直し、深く一礼する。
「大切に預かります」
「それから……これは仁の分です。
わたしがまるめました」
蜜葉乃はおずおずと小さな声で差し出した。
「……ありがとうございます」
そう返した仁の声も震えていた。
仁は受け取った葉包みを、慎重な手つきで抱え直した。甘い匂いの向こうに、蜜葉乃がこれを丸めていた姿が、妙にありありと浮かぶ。
それだけで胸の奥が少しだけあたたかくなって、仁は静かに目を伏せた。
探索へ向かう者たちのための備えは、これでひとまず整った。
小さくて、甘くて、少しだけ不揃いな――けれど確かに、巣のみんなの気持ちが詰まった蜜飴である。
それを預かった仁は、包みをそっと帳面の横へ置いた。
装備の列の隣に並んだその小さな葉包みは、他のどの道具よりもやわらかく、けれど不思議なくらい頼もしく見えた。
壁の向こうへ向かう日が、少しずつ近づいていた。
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仁の日誌
本日、探索班へ持たせる携行食として「ころころ蜜飴」を預かった。
製作者は女王さま、千葉夜、ならびに子蟻たち。甘味と花粉を用いた小粒の保存食であり、携行性・摂取のしやすさともに良好。探索装備と合わせ、出発当日に配布予定である。
なお、子蟻たちは完成後に褒賞として小粒の蜜飴を受け取り、たいへん満足そうであったそうだ。よく働いた者には、きちんと報いがある――その経験は、今後の巣にとっても悪くないものと思う。
探索の備えは、これでほぼ出揃った。
あとは無事に送り出し、無事に帰ってきてもらうだけである。




