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葉音を紡ぐ ――世界樹の麓で  作者: 葉森かなで


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32 もしものための葉っぱ箱

 壁の向こうへ向かうための会議が終わったあとも、巣の中はどこか落ち着かなかった。


 探索に出る者たちは、それぞれの持ち場で準備を進めている。

 一葉は地上へ出る道の確認をし、葉月は簡単な図を描きながら構造を見直していた。風葉は通路の空気を嗅ぎ、護葉は歩きやすい足場をひとつずつ確かめ、結葉は「この辺、なんだか気になるんですよねえ」と言いながらあちこちを覗いて回っている。


 頼もしい。頼もしいのだが――。


「進むための手は、かなり揃ってきましたね」


 そう呟きながら、仁は自分の部屋に持ち込んだ葉片の上に、探索班の名前と役割を書き並べていた。

 一葉、葉月、風葉、護葉、結葉。五名の能力は、それぞれ非常に優秀だ。壁の向こうの未知へ向かうには、これ以上ない顔ぶれと言っていい。


 けれども見れば見るほど、別の心配が湧き上がってくる。


「……問題は、何か起きた時です」


 小さな怪我。足場の崩れ。壁のひび。暗がりでの見落とし。撤退するほどではないが、そのまま進むには困るような、小さな不具合。そういうものへの備えが、今の探索班には薄い。


 仁が腕を組んで考え込んでいると、開け放した入口の向こうから、ぴょこんと双葉が顔を出した。


「仁、難しい顔してます! どうしました?」


「双葉ですか。ちょうどよかった。探索班の装備について考えていたのです」


「装備!」


 双葉の目が、ぱっと輝いた。


「壁の向こうへ行くためのですか!? 新しい道具ですか!? 発明ですか!?」


「落ち着いてください。まだ何も決まっていません」


「でも必要なんでしょう!?」


「必要ですね」


 仁が頷くと、双葉はその場でくるりと一回転した。


「じゃあ作りましょう! 探索用の、すっごく便利なやつ!」


 その勢いのまま、双葉は廊下へ顔を出して大声を上げる。


「紬葉ー! 来てください! 発明です! 発明の時間です!」


 少しして、ぱたぱたと軽い足音が近づいてくる。

 現れた紬葉は、いつものようにきちんと触角を揃え、双葉の勢いにも驚いた様子を見せず、こてんと首を傾げた。


「呼ばれました」


「探索用の装備を作るんです! 仁が必要だって!」


 仁は苦笑しながら、改めて二人へ説明した。


「探索班は優秀です。ですが、怪我や崩れなどの小さな不測の事態に対する備えが足りません。大がかりな医療道具までは不要でしょう。ただ、その場で応急処置ができる程度のものがあれば、探索の安定感が大きく変わります」


「応急処置……」


 双葉が復唱し、紬葉は静かに頷く。


「怪我をしたときの手当て。崩れかけた場所の仮補修。暗い場所で手元を見る灯り。危険箇所を残す印。そういったものを、ひとまとめにした装備が欲しいのです」


「つまり!」


 双葉が胸を張る。


「探索用の応急箱ですね!」


「箱というより、持ち運べる小さな包みになるでしょうが……概ねそうです」


「応急箱……!」


 双葉は、なんとも魅力的な言葉を聞いたような顔をした。

 その横で、紬葉が小さく手を挙げる。


「中身を作るのは双葉。持ち運べるように整えるのは、わたしがやります」


「はい、お願いします」


「やったー! ではさっそく材料を集めます!」


 双葉は、仁の返事を聞き終える前に飛び出していった。


 * * *


 必要なものの確認は、長い会議にはならなかった。


 探索班の五人を呼び止め、仁がひとつずつ問いかけると、返ってくる答えは案外すっきりしていた。


 一葉は「傷の手当てができるものが欲しいです」

 葉月は「壁や足場の仮補修ができるものがあると助かる」

 風葉は「暗い場所で手元を見られる灯りがあれば十分」と控えめに言い、

護葉は「脚を傷めた者を固定できるものが欲しい」と短く告げた。

 結葉は少し考えてから、「危ない場所に、ぱっと印を残せるといいです」と笑った。


 双葉はその全部を、嬉々として葉片に書きつけていく。


「なるほどです。怪我! 補修! 灯り! 印! 全部いりますね!」


「全部ですね」


 仁が言うと、双葉は勢いよく頷いた。


「全部作ります!」


 そしてそのまま、紬葉の手を引っ張って実験室へ突撃していった。


 


 双葉の実験室は、以前よりずいぶん広くなった。

 新しく整えた棚には、乾燥させた葉、繊維、土粉、菌糸、苔、樹液の小壺などが整然と並んでいる――はずだったのだが、双葉が作業を始めて半刻もしないうちに、その整然さは早くも危うくなっていた。


「こっちの苔は柔らかすぎますね……あっ、でも壁に塗るならこっちの方が……いやでも傷口に当てるならもう少し軽く……」


「双葉、それはさっきの試作です」


「えっ、どれがさっきのでしたっけ」


「こちらです」


「ありがとう紬葉! 助かります!」


 仁が様子を見に行くと、双葉は床いっぱいに葉片を広げ、その上にいくつもの試作品を並べていた。

 その横で紬葉が、散らばった材料を一つずつ拾い、用途ごとに並べ直している。


「進捗はいかがですか」 


「順調です!」


 双葉は胸を張った。床は順調に散らかっている。


「まずは固め苔です!」


 双葉が示したのは、淡い緑色をした、親指の先ほどの塊だった。見た目はただの湿った苔だが、近くで見ると細い菌糸が混ざっていて、表面には土粉が薄くまぶされている。


「湿らせると柔らかくなって、押しつけると固まるようにしてみました! 傷口の保護にも、壁のひび埋めにも使えるはずです!」


「ほう」


「でも最初のは柔らかすぎて垂れました。次のは固すぎて、ぜんぜん貼りつかなくて失敗です。これは三つ目!」


 双葉が誇らしげに掲げる横で、紬葉が小さな葉包みを見せた。


「使う分ずつ包みます。乾きすぎないよう、内側に薄い湿り葉を重ねました」


 開いてみると、中には固め苔が一回分ずつきちんと収まっている。押し出しやすいよう、包みの端まで丁寧に形を整えられていた。


「見事ですね」


「双葉は、作るのが上手ですから。わたしは、なくさないようにしているだけです」


 紬葉はそう言ったが、仁にはわかる。

 双葉が作ったものを、きちんと「使える道具」にしているのは、明らかに紬葉の手だった。


「次は巻き葉帯です!」


 双葉が次に持ち上げたのは、細長く裂いた葉繊維を、柔らかな菌糸で補強した帯だった。


「怪我した脚を固定したり、傷口を巻いたり、ちょっとした荷締めに使えます。あんまり固いと痛いので、少ししなるようにしました!」


 試しに仁が指で引いてみると、薄いのに意外なほど丈夫だ。

 引けば伸びるが、離すとすっと戻る。固定帯として使うには、確かにちょうどいい。


「こちらは長さを揃えて巻き直しました」


 紬葉が示したのは、同じ幅、同じ長さにきっちり揃えられた巻き葉帯の束だった。一本ずつ、端がすぐ掴めるように巻き方まで工夫されている。


「急いでいる時、どこからほどくか迷うと困りますから」


「……なるほど」


 実に紬葉らしい視点だ。

 必要なものを、必要な時に、迷わず使えるようにする。それは派手ではないが、探索の現場では何より大事な能力だった。


 その後ろでは、双葉が今度は小さな器に向かってぶつぶつ言っている。


「夜灯り苔は入れすぎると明るすぎますし、少なすぎると意味がないですし……うーん、難しいですね」


「それが灯りですか」


「はい!」


 双葉が振り向いて見せたのは、小さな透明な樹液玉だった。

 中に、ほんのひとかけらだけ夜灯り苔が閉じ込められている。光はとても控えめだが、暗い実験室の隅で見ると、指先の周りがふわりと浮かび上がる程度には明るい。


「探索中に辺りを照らすほどではありません。でも、傷口を見たり、足元を確認したりするには十分です。手元灯ですね!」


「いい調整です」


「五回くらい失敗しました!」


「双葉、七回です」


「そんなにしましたっけ!?」


「しました」


 双葉がきゃあと声を上げる横で、紬葉は灯り粒をひとつずつ、小さな仕切りのある葉箱に収めていく。潰れないよう、隣同士が触れない作りになっていた。


「灯りは割れると困ります。取り出す数も決めておいた方がいいと思ったので、一箱に三つずつ入れます」


「三つ?」


「ひとつは今使う分。ひとつは予備。ひとつは、戻るまで残しておく分です」


 双葉が「さすがです!」と拍手する。

 仁もまた、静かに頷いた。探索の道具というのは、こういう発想で完成するのだろう。


「最後は、巣印札です!」


 双葉がぴんと持ち上げたのは、爪先ほどの小さな葉札だった。

 表面には巣印の香石を薄く擦りつけた跡があり、そこに小さな切れ込みや結びが加えられている。


「待機、危険、撤退。三種類だけに絞りました! 形を変えてあるので、暗くても触ればだいたいわかります!」


「これは便利ですね」


「はい! 匂いの印だけでもいいんですけど、葉札があれば“何の印か”がもっとわかりやすくなるかなって」


 紬葉が、その札を種類ごとに並べて見せる。

 待機の札は丸い切れ込み。危険の札は先端が鋭く尖り、撤退の札には二重の結びがついていた。束ねる紐の色まで変えてあり、一目で見分けがつく。


「札は、箱のいちばん外側に入れます。先に使うことが多いと思うので」


「……なるほど」


 双葉の発明に、紬葉が順番を与えていく。

 何を先に使い、どこにしまい、どう取り出すか。探索中の手の動きまで考えた整え方だった。


 その頃になると、実験室の入口には見物人が増えていた。

 いつの間にか蜜葉乃がやってきていて、少し離れたところから興味深そうに覗いている。


「ずいぶん賑やかですね」


「女王さま」


 仁が一礼すると、蜜葉乃は笑みを浮かべたまま、中の様子を見回した。


「双葉が騒いでいるので、何事かと思って来てみたのです」


「騒いでましたか!?」


「とても」


 双葉がえへへと笑う。

 蜜葉乃は、並び始めた試作品を見て、感心したように触角を揺らした。


「まあ……。こんなにたくさん」


「探索班のための応急巣箱を作っているのです!」と双葉が言う。「怪我した時のやつとか、壁が崩れた時のやつとか、灯りとか、印とか、いろいろです!」


「そうでしたか。頼もしいですね」


 蜜葉乃の声は柔らかい。

 その言葉だけで、双葉はさらに張り切った。


「では最後の仕上げです! 紬葉、箱を!」


「はい」


 紬葉が運んできたのは、厚めの葉を何枚も重ねて作った、小ぶりな携行箱だった。

 箱というより、蓋つきの葉包みに近い。けれど中には仕切りがあり、固め苔、巻き葉帯、灯り粒、巣印札が、それぞれぴたりと収まるようになっている。外側には背負うための細い繊維帯までついていた。


「探索中でも邪魔にならない大きさにしました。護葉が持つ分は少し丈夫に、風葉の分は軽めにしています」


「一人ずつ違うのですか」


「必要なものの配分を少しだけ変えました」


 仁は思わず感嘆の息を漏らした。


「……見事です」


「双葉が、必要なものを全部作ってくれたので」


「紬葉が整えてくれたからですよ!」


 双葉がぴょんと跳ねる。

 そして二人で並んで、完成した箱を見下ろした。


 固め苔。巻き葉帯。灯り粒。巣印札。

 それらを収めた、小さな応急巣箱が五つ。探索班の分だけ、きちんと並んでいる。


 派手な武器ではない。未知を切り拓く特別な鍵でもない。

 けれど、壁の向こうへ行く者たちが、無事に帰ってくるためには、きっとこういうものこそが必要なのだろう。


 仁はその箱を一つ手に取り、重さを確かめるように持ち上げた。


「これなら、もしもの時にも対応できます。よく作ってくれました」


「はい!」


「ありがとうございます」


 双葉は満面の笑みで胸を張り、紬葉は静かに頭を下げる。


 蜜葉乃は、その五つの箱を見つめながら、どこかほっとしたように微笑んだ。


「準備が進んでいきますね」


「ええ」


 仁は頷く。


「少しずつですが、確かに」


 壁の向こうへ行くための支度は、またひとつ整ったのだった。



仁の日誌


探索班のための応急装備を、双葉と紬葉に依頼した。

結果として、想像以上に良いものができたと思う。


双葉はやはり発想が豊かで、必要な機能を次々に形にしていく。対して紬葉は、それを探索の現場で実際に使えるよう整えるのが非常に上手い。整理整頓の才を持つ者は貴重だが、あの子はそれを道具作りにまで応用している。


探索とは、進むための力だけでは足りない。戻るための備えもまた、同じくらい大切だ。

今日並んだ五つの応急巣箱は、そのための良い一歩になった。


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