26 キノコ部屋とふたりの実験室 王国リフォーム大作戦その6
双葉が「もっと広いキノコ部屋と実験室が欲しい」と言い出したのは、昼の仕事がひと段落した頃だった。
仁はその時、アブラムシ牧場から戻ったばかりで、採れた蜜露の量と葉の消費量を記録板に書きつけていた。そこへ、草の匂いを連れて双葉がやってきた。
「仁、いまのキノコ部屋、ちょっと狭いの」
その第一声に、仁は手を止めた。
双葉も蜜葉乃に似て、おっとりとした顔をしている。けれども、植物の話をする時は、静かな見た目に反してかなり強い。本人はお願いしているつもりでも、心の中ではもうだいたい決まっている。
今回も、たぶんそうだろう。
「……“狭い”というのは、現状に支障が出ている、という意味でしょうか」
「うん」
双葉はこくりと頷いた。
「食べるキノコも増えたし、実験のキノコも増えたし、根っこも蔓も土も増えたの。あと、この前の大失敗で使えそうなものもいっぱい見つかったでしょう?」
「たしかに」
「だから、もっと広いキノコ部屋と実験室が欲しいなあって」
想像した通り、内容はなかなかに重い。
仁は記録板を置き、静かに目を細めた。
「確認いたしますが、これは“将来に備えた希望”でしょうか。それとも、“もう既に今の部屋では収まらなくなっているので対処が必要”という報告でしょうか」
「後ろの方かなあ」
「やはりそうでしたか」
予想はしていた。予想通りすぎて頭が痛い。
とはいえ、双葉の扱うものは、今や王国の食糧や補強材にも直結している。軽く流していい話ではないのも事実だった。
その隣では、紬葉がこてんと首を傾げる。
「双葉、そんなにいっぱいあるの?」
「あるよ。紬葉がこの前まとめてくれたのに、また増えちゃったの」
「また増えたの?」
「うん。増えるの」
増えるのか、と仁は心の中で繰り返した。植物もキノコも材料も、双葉の手にかかると本当に増えるから困る。
さらにその場には、ちょうど通りかかった葉月もいた。
壁の補強に使う繊維を取りに来たらしく、腕に細い蔓束を抱えている。話の流れを聞いていたのか、じろりと双葉を見た。
「……また部屋が足りなくなったの?」
「うん」
「何を増やしたの」
「いろいろ」
「いろいろで済む量じゃない顔してる」
ぴしゃりと言われても、双葉はふにゃっと笑うだけだ。
仁は周囲を見回し、すぐに決めた。
「では現状確認を行います。双葉、案内をお願いします」
「うん」
「同行は……紬葉、葉月で」
こうして、王国リフォーム大作戦その六――キノコ部屋と実験室の現地調査が始まった。
双葉のキノコ部屋と実験区画は、巣の奥まった一角にある。
もともとは、双葉が育てた小さなキノコを置くための棚と、採ってきた草や根を広げるための作業台があるだけの簡素な場所だった。
けれど、今やそこはすっかり“研究区画”の顔をしていた。
入口をくぐった瞬間、仁は無言になった。
湿った土の匂い。
青い葉の香り。
キノコ独特のふくよかな香り。
少し甘い樹液の匂いと、どこか薬草めいた青臭さ。
それらが、部屋いっぱいに混ざって漂っている。
壁際には棚が増設され、その上に大小さまざまなキノコが並んでいた。白いもの、薄茶のもの、傘の端がひらひらしているもの、丸っこいもの、細長いもの。見覚えのある食用キノコもあれば、明らかに研究用らしい怪しげなものもある。
その反対側には、根、蔓、葉、土、樹皮、小枝、液体の入った小瓶、乾燥させた花びら、まだ名前もついていなさそうな試料がずらりと並び……並びきらずに積まれていた。
作業台の上にも、途中まで切り分けた根や、束ねかけの蔓や、なぜかふわふわした苔が乗っている。
「また増やしたな」
と呆れる葉月の言葉に、双葉はちょっと誇らしげだった。
仁は一歩進み、慎重に棚と床を見渡す。
「……確認ですが、こちらの籠に入っているのは何でしょう」
「食べられるキノコだよ」
「では、その隣の籠は」
「食べられるかもしれないキノコ」
「その隣は」
「まだよくわからないキノコ」
「その並べ方はやめてください」
即答だった。
双葉は「ええー」と不服そうな声を出したが、仁は譲らない。
「“食べられる”と“食べられるかもしれない”と“よくわからない”が隣接している時点で論外です。誤食事故の未来が見えます」
「でも見た目が似てると比べやすいの」
「比べるのは結構ですが、混ざらない工夫をしてください」
そのやり取りの横で、葉月は部屋の中をぐるりと見回していた。
床の幅、棚の位置、通路の空き具合、湿り気の偏り。視線の動きが、いかにも坑道係らしい。
やがて葉月は、双葉の作業台の横にしゃがみ込んで言った。
「……狭い、っていうか、詰め込みすぎ」
「ええー」
「だってこれ、双葉がここに座ったら、後ろもう通れない」
言われてみればその通りだった。
作業台の後ろにはかろうじて一人分の隙間があるが、双葉が座って道具を広げたら、そこをすり抜けるのは難しい。収穫籠を持ったまま通るなら、なおさらだ。
葉月はさらに、壁際の棚を指さした。
「湿らせたいキノコと、乾かしたい葉っぱが近すぎる。胞子飛ぶやつも手前にあるし、換気も足りない」
その横で、紬葉はもう自然に働き始めていた。
「双葉、これ、こっちに寄せるね」
小さな手で籠を持ち上げ、棚の端に並べ直していく。
食べるキノコの籠、観察中のキノコの籠、まだわからないキノコの籠。まずそれだけでも分けて置き、次に作業台の上に積まれていた根や蔓を長さごとにまとめ始めた。
「これも?」
「うん、それは補強材になるかもって思ってる根っこ」
「じゃあこっちに束ねるね」
紬葉はきびきびと動く。双葉が“あとで見る”つもりで積んでいたものを、一つずつ用途ごとに寄せていくのだ。
小瓶には、葉の切れ端を細く裂いて即席の札までつけ始める。
「これは、朝露の雫玉の近くで育った草」
「これは、光る苔のかけら」
「これは、胞子いっぱいだからさわらない方がいいやつ」
「紬葉、すごいの……」
双葉が目を丸くした。
「さっきまで山だったのに、もうお部屋っぽい」
「お部屋じゃないと困るもん」
「えらい……」
双葉は本気で感心している。
仁からすると、感心している場合ではなく、最初からそうであってほしいのだが、紬葉の働きぶりはたしかに見事だった。
「いったいどこから手をつけるべきか」
仁は改めて部屋全体を見回した。
「葉月、この区画を構造的にはどう見ますか」
仁に聞かれた葉月は、腕を組んだまま少しだけ考えた。
「広げるなら、ただ横に伸ばすのはだめ。キノコ部屋と実験区画は分けた方がいい」
「理由を」
「キノコは湿気を寄せる。実験の方まで全部湿らせると、乾かしたい葉とか、粉にしたい素材まで駄目になる」
葉月は、壁と床を指先で示しながら続けた。
「あと、入口で詰まるのが一番だるい。持ち込みと持ち出しの棚は分ける。双葉が作業する場所と、紬葉が仕分けする場所も分ける。そうすればぶつからない」
「なるほど」
「胞子飛ぶやつは奥。食べるやつは手前。危ないのと安全なのを同じ動線に置くのは嫌」
最後の一言に、仁は深く頷いた。
「全面的に同意いたします」
「それと」
葉月は壁際の一角を軽く叩いた。
「ここ、少し掘れる。小さな通気穴も作れそう。胞子がこもりにくくなる」
「葉月できるの?」
「できる。あたしを誰だと思ってるの」
ふん、と鼻を鳴らす葉月に、双葉はぱっと顔を輝かせた。
「葉月すごい」
「知ってる」
「そこにね、光る苔を少し置いたら、夜も見やすくなると思うの」
「それはあとで考える」
「はあい」
双葉は素直に頷いた。
葉月相手だと、こういう時は案外おとなしい。
仁はようやく結論を出した。
「……大幅な拡張が必要です」
双葉がぱっと顔を上げる。
「ほんと?」
「はい。ただし、“広くする”だけでは認められません」
「えっ」
「キノコ部屋と実験区画は分離。食用・研究用・危険物の保管場所を固定。胞子の強いものは隔離。さらに、管理担当を置きます」
「管理担当?」
紬葉が首を傾げる。
仁はそちらへ向き直った。
「はい。現時点で、この区画の保管と整理を最も正確に行えているのは紬葉です」
「わたし?」
「そうです」
紬葉は目を丸くした。
双葉も「うんうん」と頷いている。
「紬葉がいてくれると、どこに何があるかすぐわかるの」
「双葉、なくしちゃだめなんだよ」
「うん。でも、なくす前に紬葉が見つけてくれる」
「それは根本的な解決になっていないのですが」
仁は一応そう言ったものの、双葉と紬葉の相性の良さはすでに明らかだった。
紬葉は採集物をまとめるのが上手い。
小さな手先が器用で、巻き取る、束ねる、分ける、しまう、といった細かな作業を楽しそうにこなす。そして何より、どこに何を置けば使いやすいかを考えるのが得意だ。
双葉の研究がこれからもっと大きくなるなら、確かに必要な人材だった。
仁は改めて姿勢を正した。
「紬葉。よろしければ今後、キノコ部屋と実験区画の保管・整理をお任せしたいのです」
「保管と整理……」
「はい。探索班が持ち帰った試料、双葉の実験素材、キノコ部屋の収穫物。その置き場所と管理をお願いしたい」
紬葉は少しだけ考えた。
それから、そっと双葉を見る。
「双葉はわたしがやってもいいの?」
「もちろん大歓迎」
双葉はにこにこしながら、迷いなく答えた。
「紬葉がいてくれると、すごく助かるの。だって、実験してるとついそのへんに置いちゃうから」
「つい、では済まない量が既に置かれておりますが」
「うん。でも紬葉がいたら大丈夫」
なんの疑いもなく言われて、紬葉はちょっとだけ照れたように笑った。
「じゃあ任せて」
葉月も、壁際に寄りかかったまま口を開いた。
「双葉の部屋、これからもっと物増えるでしょ」
「増えると思う」
「なら紬葉が見た方がいい。ひとりだと絶対あふれる」
「葉月、言い方」
「事実」
容赦ない。
けれど双葉も反論しきれないらしく、「うう」と小さく唸るだけだった。
こうして、王国の新しい役目がひとつ決まった。
――紬葉、保管整理係。
それが決まると、話は早かった。
葉月がざっざっと床に簡単な図を描く。
今の部屋を二つに分け、キノコ部屋を奥へ、実験区画を手前へ広げる。入口近くには持ち込み棚、反対側には持ち出し棚。作業台の横には紬葉の整理棚、壁際には危険物用の小区画。胞子が強いものは、通気穴をつけた隔離棚に移す。
「双葉はここで作業」
「うん」
「紬葉はこっちで仕分け」
「うん」
「持ってきたものはまずこの棚」
「うん」
「食べるキノコは手前。危ないのは奥」
「うん」
双葉は素直に返事をしながら、図ができあがるにつれてどんどん目を輝かせていった。
「すごい……ちゃんとお部屋になる……!」
「最初からお部屋ではあったんですが、双葉の運用が部屋を超えていただけです」
仁が淡々と返す。
そこから先は、半日がかりの改装になった。
葉月が壁を見極めて掘り広げ、通路の幅を引き直す。
仁が棚の位置と危険物区画を決め、札の文言まできっちり書く。
双葉は嬉々としてキノコを運び、どの棚に何を置くかを説明する。
紬葉はその横で、双葉が持ってきたものを受け取り、食用・研究用・経過観察中・危険物候補と分けていく。
そうして、夕方が近づく頃には、双葉の区画は見違えていた。
奥には、前よりずっと広くなったキノコ部屋。
湿り気を保つ床の上に、食用棚、観察用棚、胞子隔離棚がきちんと並んでいる。夜灯り苔が壁際でやわらかく光り、棚札には仁の字で「食用」「観察中」「要注意」と書かれていた。
手前には、ふたりの実験室。
双葉の作業台は前より広く、脇には洗った小皿や小瓶がきれいに並ぶ。壁際には紬葉の整理棚があり、細い葉札のついた籠がずらりと並んでいた。
「乾いた素材」
「湿った素材」
「補強材候補」
「光るもの」
「まだよくわからないもの」
最後の札を見て、仁は一瞬だけ眉を寄せたが、今のところは黙認することにした。
「ひろい……」
双葉は新しい部屋の真ん中に立ち、うっとりと周囲を見回した。
「これならいっぱい育てられるし、いっぱい試せるね」
「置く場所もちゃんとあるよ」
紬葉が得意げに言う。
整理棚にはもう、双葉が持っていた試料がきれいに収まっていた。小さな手でここまで整えたのかと思うと、なかなか頼もしい。
葉月はそんな二人を見ながら、腕を組んで鼻を鳴らす。
「だからって、また部屋ごと暴走させないでよ」
「……気をつける」
双葉がちょっとだけ目を逸らした。
仁はその返事に耳を澄ませ、静かに言った。
「“たぶん”を付けなかっただけ成長です」
「えっ、そこ褒めるところ?」
「最低限の前進として評価しております」
双葉はきょとんとして、それからふにゃっと笑った。
「じゃあ、次はもっと褒められるようにがんばる」
「まずは安全に運用してください」
「はあい」
返事は素直だが、目はすでに新しい棚を見ていた。
あそこに何を置こう、ここでどんな実験をしよう、そんなことを考えている顔である。
その視線の先を追って、紬葉もわくわくしたように口を開く。
「双葉、こぼれない入れものがあるといいと思う」
「わかる」
「あと、運んできたものをそのまま分けられる箱もほしい」
「それもほしい」
「胞子が飛ばない棚も」
「うんうん」
「光る苔を並べる台も」
双葉の顔が、ぱあっと明るくなる。
「紬葉、すごい。もう次のこと考えてる」
「だって、きっとまた増えるもん」
「一緒に作ろう」
「ますます増えるね」
二人は顔を見合わせて、そっくりの笑みを浮かべた。
――どうやらこの実験室は、今日整ったばかりだというのに、もう次の騒動の準備を始めているらしい。
仁は新しい棚と、嬉しそうな双葉と紬葉を見比べ、静かに額へ手を当てた。
部屋は確かに立派になった。
整理もされた。
管理担当も決まった。
それでもなお、安心しきれないのはなぜなのか。
たぶん答えは簡単で、そこに双葉がいるからだ。
けれど――。
「仁さん」
「はい」
双葉が新しい作業台の前で振り返る。
その顔は、植物を育てる時と同じ、きらきらした本気の顔だった。
「ちゃんと役に立つもの、いっぱい作るね」
その言葉に、仁は少しだけ目を細めた。
この子の大失敗には何度も振り回される。
けれどもその失敗の中から、巣を支える何かが生まれてきたのも事実だった。
ならば今は、まず土台を整えるしかない。
「ええ。期待しております」
そう答えると、双葉は嬉しそうに笑った。
その隣で紬葉も、こくんと頷く。
「わたしも頑張る」
「お願いします、保管整理係」
「うん!」
新しいキノコ部屋と、ふたりの実験室。
それは王国にとって、少し危なっかしくて、でもとても頼もしい、新しい仕事場の誕生だった。
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仁の日誌
双葉の要望により、キノコ部屋および実験区画の現状確認と拡張を実施した。
今回の改装では、キノコ部屋と実験区画を分け、棚の用途も整理した。加えて、葉月の判断で通気や通路幅も見直され、区画としてかなり使いやすくなったと思う。
そして何より大きかったのは、紬葉の適性が判明したことだ。
分類、保管、配置、整理――彼女はそれを驚くほど自然にこなす。
双葉が「増やす側」なら、紬葉は「整える側」だ。今後を考え、本日付で紬葉を保管整理係として任命した。
双葉と紬葉、このふたりの相性はかなり良い。
片方が思いつき、片方が形にする。
片方が散らかし、片方が収める。
少々不安になる組み合わせでもあるが、王国にとって頼もしい組み合わせでもある。
問題は、改装が終わったばかりだというのに、ふたりとももう次に作るものの相談を始めていたことだろうか。
……新しい実験室が、新しい大騒動の温床にならないことを祈る。




