24 みんなが通る道だから 王国リフォーム大作戦その4
今日も朝の巣は、にぎやかだった。
……にぎやか、という言葉で片づけるには、少しばかり遠慮があるほどに。
「ちいねえちゃん、この子がこっちで寝返りうったー!」
「はいはい、ではそちらの子はこっちに移しますねえ」
「双葉ー、その鉢、葉っぱがはみ出てますー!」
「だいじょうぶだよ、これは元気な証拠だから」
育房室の前では、千葉夜が小さな子たちに囲まれながら幼虫たちの寝床を片付け、双葉は両腕いっぱいに抱えた鉢と草束をよたよた運んでいる。紬葉は朝食用の器を抱え、結葉は「この匂い、今日の朝ごはんかな」と勝手に食堂の方へ顔を向けていた。
その間を、一葉が「おはようございますー!」と元気よく駆け抜ける。
そして逆方向からは、補強用の繊維束を肩に担いだ葉月が現れた。
「ちょ、待て待て待て、そこで止まるな!」
葉月が叫んだ時にはもう遅い。
双葉が抱えていた鉢の葉先が紬葉の器に引っかかり、紬葉が「あっ」と声を上げてよろける。避けようとした結葉が千葉夜の足元へぶつかり、千葉夜は子蟻を庇うようにしゃがみ込んだ。
「きゃっ」
「わ、わ、ごめんなさいっ」
「この子は無事です〜。でも通路がいっぱいです〜」
「言ったそばからだな……!」
葉月が額を押さえる。
その横を、風葉だけがするりと壁際を抜けていった。まるで最初からそこに道が見えていたかのような、音もない移動だった。
「……通れた」
「風葉は通れるだろうけど、みんながみんなそうじゃないんだよ」
葉月が呆れたように言う。
その時だった。
育房室の入口近く、通路の隅に座り込んでいたちびの子蟻が、ぽて、と丸い葉片を落とした。もうひとりがそれを拾おうとして身を乗り出し、ちょうど通りかかった一葉の足にしがみつく。
「おわっ」
一葉は転びそうになって、ぎりぎりで踏ん張った。
子蟻の方はきょとんとしている。
「ここ、ひみつきちー」
「通路のすみっこで秘密基地を作るな」
葉月の低い声が落ちた。
その場にいた全員が、ぴたりと動きを止める。
双葉が鉢を抱えたままそろそろと顔を上げ、紬葉は器を抱き直し、結葉は「おこってる?」と小声で囁いた。
葉月は大きく息を吐いてから、通路を見回した。
女王室へ向かう道。
育房室へ続く道。
食堂、栽培区画、牧場、資材置き場、坑道――全部の行き来が、今この一本の通路に集まっている。
巣が大きくなった証拠だ。
部屋が増えた証拠だ。
家族が増えた証拠だ。
けれど、だからこそ。
「……だめだな。完全に限界だ」
ぽつりと呟いた葉月に、背後から静かな声が重なった。
「ええ。まったく同感です」
振り返ると、そこには仁が立っていた。
いつものように背筋を伸ばし、手には小さな板切れと炭の欠片を持っている。
「育房室、食堂、栽培区画――主要区画の動線が一箇所に集中しすぎています」
「だから毎朝こうなるわけだ」
葉月が即答した。
「このままでは運搬効率が落ちるだけでなく、子蟻たちの移動にも危険が増えるでしょう」
「朝と夕方がとくにひどい」
「ええ。育房係の移動、搬入、資材運搬、探索班の出発が一度に重なりますから」
仁が通路の床に簡単な図を描き始める。今の巣の配置と、人の流れだ。
葉月は腕を組み、図を見下ろした。部屋単体の出来は悪くない。問題は"部屋と部屋のつなぎ方"だ。自分でも感じていたことが、こうして線で示されるとよくわかる。
葉月が床へしゃがみ込み、仁の描いた図に指を置く。
「女王室、育房室、食堂。この三つは行き来が多いから、まず主通路を一本、太く取る。で、栽培区画と牧場は運搬量が多いけど、用がないやつはそんなに行かないだろ。なら、こっちは脇へ逃がして裏道にした方がいい」
指先が、すい、と図の上を滑る。
「坑道側は資材運搬で幅がいるから、角をきつくしない。曲がり角で詰まる。あと、育房室の前は今のままだと危ない。子どもが出てくる場所なんだから、ここは広場にして待避できるようにする」
「広場」
千葉夜はにこにこしながら頷いた。
仁は葉月の指の動きをじっと追い、それから静かに目を細めた。
「……なるほど。流れを分けるのですね」
「人の流れがぶつかるから詰まるんだよ。だったら最初から、ぶつかりにくいようにすればいい」
「葉月、すごいですねえ。もう頭の中で完成してるみたいです」
「まあな。だいたい見えてる」
葉月は少しだけ顎を上げる。その顔は誇らしげで、けれど嫌味がない。実際にできるからこその自信だった。
「じゃあ、決まりだな」
仁がすっと立ち上がる。
「本日のリフォーム対象は、主要通路および共有空間。葉月を中心に、通路再設計を行います」
「はいっ!」
そこへ、奥の方からやわらかな声がした。
「まあ。今日は通路をきれいにするのですね」
みんなが振り向く。
女王室から姿を見せたのは、蜜葉乃だった。
最近は体調もかなり上向いており、こうして巣の中を歩く姿もよく見かける。今日もふわりとした微笑みを浮かべて、ゆっくりこちらへやって来た。
「女王さま、おはようございます!」
みんながぱっと顔を輝かせる。
仁だけは一歩前に出て、すぐに眉を寄せた。
「女王さま、工事区画は危険です」
「見ているだけですよ」
「その"見ているだけ"で壁際まで来られるのが問題なのです」
「まあ」
蜜葉乃は少しも気にした様子なく、楽しそうに周囲を見回した。
「でも、通りやすくなるのは嬉しいですね。最近、千葉夜が赤ちゃんを連れて通るたびに大変そうでしたもの」
「はい。この前も、抱っこしてる子がふたりとも反対側を向いちゃって、くるっと回れなくて」
「育房係が回れない通路はだめだな」
「そうですね」
葉月が頷くと、蜜葉乃はさらに楽しそうに微笑んだ。
「じゃあ、今日はみんなで道を作る日ですね」
「そういうことになります」
「素敵です」
そのひと言で、巣の空気が少し明るくなる。
葉月は、そんな家族たちを見回してから、ぱん、と両手を打った。
「よし、役割分担するぞ」
工事は、その日のうちに始まった。
まず葉月が手をつけたのは、女王室前から食堂へ抜ける主通路だった。
ここは巣の中心を通る、一番人の多い道である。
「ここはあと半身分、広げる。壁際の出っ張りを削って、床も均す。紬葉、削った土はまとめて向こうへ。双葉、その鉢は今だけどかしてくれ」
「はあい」
「一葉、こっちに子ども来てる」
「はーい、危ないのでこっちですよお」
風葉が静かに子蟻の接近を知らせ、一葉がひょいと抱き上げる。
抱えられた子蟻はきゃっきゃと笑って、葉月の工具――というより石片や削り棒の類――に興味津々で手を伸ばした。
「だめですよ、これは葉月のお仕事道具です」
「はーちゃん、がりがりしてる」
「してるな」
「すごい?」
「すごいぞ。でも近づくと危ない」
葉月がしゃがみ込んで、子蟻の目線に合わせて言うと、ちびはこくんと頷いた。
そのまま一葉に抱えられていく。
「……案外、ちびの扱いも上手いんですねえ」
「誰かさんたちが毎日そこらじゅうに転がしてるからな」
「転がしてませんよ」
「転がってるのを放ってるだけだろ」
「それはそうです」
葉月は思わず吹き出した。
葉月の判断は速かった。
「そこを抜くと、育房室の前を走るやつが出るから」と言いながら壁をひとつ残し、「角が尖ってるとぶつかる」と削って丸める。双葉が「ほんとだ、やさしい形になった」と感心し、千葉夜は「赤ちゃんたちにも安心ですねえ」と嬉しそうに笑った。
さらに葉月は、育房室の前を少し広く掘り下げて、小さな共有空間を作った。
ただの通り道ではなく、行き来する人が少し避けられる場所。荷物を一時的に置いたり、千葉夜が幼虫を抱え直したり、子蟻が端っこで座り込んでも通行の邪魔になりにくい空間だ。
「ここ、ひろば?」
さっき秘密基地を作っていた子蟻が、目を輝かせて訊く。
葉月は工具を止めて、その子を見る。
「広場だな。けど通路の真ん中じゃない。遊ぶなら端っこ」
「はーい!」
元気のいい返事が返る。
その後ろで千葉夜が「走りすぎないでくださいねえ」と声をかけた。
仁はそんな工事の様子を見ながら、補強材を運び、削った土の処理をし、時には葉月の指示通りに印をつけていく。
工事そのものは葉月が主導しているが、全体の進行管理は仁が受け持っていた。
「葉月、この区画の床材は例の補強材で?」
「ああ。ここは人が多いから、踏み固めるだけだとまた崩れる」
「承知しました。では配合を少し硬めに」
「あと、女王室前は少し柔らかくしてくれ。女王さまが歩くとこだから」
「……そこまで考えていたのですか」
「当たり前だろ」
葉月は、けろりとして答えた。
「みんなが通る道なんだから、誰がどう通るか考えんのは当然だ」
その言葉に、仁がほんのわずか目を見開く。
それから静かに口元を緩めた。
「ええ。まったく、その通りです」
昼を過ぎる頃には、巣の通路はかなり様子を変えていた。
女王室から食堂までの主通路は、肩が触れにくい幅へ広がった。
育房室前には小さな広場ができ、千葉夜が幼虫を抱えたままでも無理なく方向転換できる。
栽培区画へ続く道は少し脇へ逃がされ、牧場への運搬路とは交差しにくくなっていた。
壁の角は丸く削られ、床は補強材で均され、ところどころに夜灯り苔の、淡い光が落ちている。
仕上げに双葉が、通路の端のくぼみに小さな草を植えた。
葉月に「端っこだけだぞ」と念を押されながらだったが、それでも葉の緑が入ると、土の巣の中が少しだけ柔らかく見える。
「空気がちょっとやさしくなりますように〜」
「それ以上暴れなければな」
「暴れないよ、たぶん」
「たぶんって言ったな」
双葉がえへへと笑う。
その横を、子蟻がふたり、きゃっきゃと声を上げながら走っていった。
「ひろーい!」
「ちいねえちゃん、みてー!」
「こら、走るのはだめですよ」
千葉夜が慌てて追いかける。
けれども、前みたいに誰かとぶつかりそうにはならない。
広くなった通路は、小さな子たちが少しくらい寄り道しても、ちゃんと人がすれ違えるだけの余裕を持っていた。
「すごいです、葉月。本当に通りやすいです!」
「当たり前だろ。あたしが作ったんだから」
そう言いながらも、葉月の声は少しだけ得意げだった。
蜜葉乃もまた、ゆっくりと新しい通路を歩いていた。
女王室から食堂まで、以前よりずっと楽に行ける。足元も柔らかすぎず硬すぎず、夜灯り苔の光もやさしい。
「まあ……本当に歩きやすいです」
「お気に召されたなら何よりです」
仁が一礼する。
蜜葉乃は通路の途中で立ち止まり、振り返った。
みんなが通る道。
みんなが使う場所。
みんながいて、みんなが動いて、だから巣は巣として息をしている。
蜜葉乃はそっと目を細めた。
「いい道ですね」
「……そうだな」
葉月は壁に手を当てながら、小さく答えた。
「道ってのは、掘ればいいってもんじゃないんだよ。どこからどこへ、誰が何を持って、どう動くか。そこまで考えないと、ただの穴になる」
それから葉月は視線を少し先へ向ける。まだ手をつけていない、厚い土の向こう。今はまだその時ではないが、今日作ったこの道はきっと、その先へも繋がっていく。
「……ま、まずはこっちだな」
「葉月! みて! ぶつからない!」
広場の方から子蟻の声がした。
「お、ほんとだ」
「すごい?」
「すごいな」
葉月がしゃがんでそう答えると、子蟻は満足そうに胸を張った。
その後ろで、もうひとりがこっそり広場の端に葉っぱを並べ始めている。
「……秘密基地は端っこだけだぞ」
「はーい!」
元気な返事が返ってきて、巣の中に笑い声が広がった。
土の匂いと、葉の匂いと、食事の匂い。
淡い苔の灯りの下で、家族たちが行き交う。
巣は今日も少しだけ広くなり、
少しだけ住みやすくなり、
そしてまた、次の明日を迎える準備を整えていくのだった。
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仁の日誌
本日、巣内主要通路および共有空間の再設計を実施。
中心となったのは葉月である。
彼女は単に「掘るのが得意」なのではない。空間全体の見通し、人の流れ、幼虫や子蟻の動きまで含めて、巣をひとつの生きた構造として把握している。壁や床を"土の塊"としてではなく、通る者たちの動きごと立体的に見ているのだろう。判断が非常に早く、迷いがない。
彼女の作る坑道は、単なる穴ではない。
家族が生きるための道だ。
巣は広がる。家族も増える。そのたびに、必要になる道もまた変わっていく。葉月がいる限り、我々の王国は、ただ広いだけの巣にはならないだろう。
そして、彼女の視線は今日も、まだ掘られていない壁の向こうを見ていた。
あの目は、遠からず次の工事を始める目だ。私も資材の備蓄を増やしておくべきだろう。




