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葉音を紡ぐ ――世界樹の麓で  作者: 葉森かなで


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21/43

21 女王室は快適すぎるーー王国リフォーム大作戦1ーー

 最近の巣は、朝からにぎやかだ。


 育房室では千葉夜が小さな幼虫たちの寝床を整え、双葉の栽培区画では新しい葉が増え、仁のアブラムシ牧場では今日もせっせと甘露が集められている。探索班は外に出る準備をし、坑道係の葉月は壁や床を叩いては「ここ、掘れそう」と呟いている。


 家族が増えたぶん、やることも増えた。


 けれどもそれは、蜜葉乃にとってはとても嬉しい忙しさだった。


 そんなある朝。

 女王室――というにはまだ土の匂いが濃い、巣の奥の一室で。


「本日より、王国リフォーム大作戦を開始します」


 仁が真顔で宣言した。


「まあ」


 蜜葉乃は目をぱちくりさせた。

 朝の光は地上ほど届かないが、通気孔から落ちてくる空気が少しだけ軽くて、巣の一日が始まったのだとわかる。


 蜜葉乃は、いつもの寝床――葉と繊維を重ねた女王用の休憩場所――に座ったまま首を傾げた。


「王国、りふぉーむ」


「はい。巣の拡張に伴い、各区画の再整備が必要です。まずは女王室から着手いたします」


「わたしのお部屋から?」


「最優先事項です」


「そんなにですか」


「そんなにです」


 仁はきっぱり言い切った。


「現状、女王室は『とりあえず寝られる』水準に留まっています。床材の厚み不足、保温材の偏り、仕切りの欠如、明度の不足、香気環境の未整備――改善点は多岐にわたります」


「こうき……」


「簡単に申し上げれば、もっと快適にできます」


「まあ」


 蜜葉乃の目が、ふわりと輝いた。


「快適なのは好きです」


「存じております」


「存じているのですね」


「女王さまのならなんでも」


 そこへ、ぱたぱたと軽い足音が近づいてきた。


「女王さまー!」

「おへや、なおすの?」

「ふかふかになるってほんと?」


 やって来たのは、名前のない小さな子蟻たちだった。

 まだ姉妹というより“ちびたち”と呼んだ方がしっくりくるくらい幼い子たちが、三匹、四匹、葉の束の陰からひょこひょこと顔を出す。


「まあまあ、みんな、朝から元気ですねえ」


 蜜葉乃が手を伸ばすと、ちびたちは嬉しそうに近寄ってきた。


「ふかふかってなに?」

「ねるところ?」

「女王さまのおへや、きれいになるの?」


「そうみたいですよお」


 蜜葉乃が笑うと、子蟻たちは「わあー」と目を輝かせる。

 その様子を見ていた仁は、わずかに眉間を押さえた。


「見学は構いませんが、資材の持ち去りは禁止です」


「もってかないよ!」

「たぶん!」


「“たぶん”が不安要素です」


 真顔の仁に、子蟻たちはきゃっきゃと笑う。

 どうやら、あまり効いていない。


 そこへさらに、一葉と双葉、千葉夜もやって来た。


「おはようございます、女王さま」

「お部屋を改装するって聞きました!」

「ちびちゃんたちが遊びに来ても、危なくないようにしたいです」


 一葉は花びらや香りの良い葉を抱え、双葉は小さな植木鉢代わりの土塊を持ち、千葉夜は保温繊維の束をふわりと抱えている。


「まあ、みんな準備がいいですねえ」


「はいっ。女王さまのお部屋ですから!」


 一葉が胸を張る。

 その横で双葉は目をきらきらさせていた。


「空気がやわらかくなる草、持ってきました。まだ試作なんですけど、部屋の隅に植えたらいいかなって」


「空気がやわらかくなる草」


「はい。ちょっとだけ、匂いがやさしくなるんです。あと湿り気も少し安定するかも」


 双葉が言うと、仁が即座に反応した。


「“かも”ですか」


「えっと……たぶん」


「双葉」


「はい」


「本日は“たぶん”を女王室に持ち込まないでください」


「ええー」


 双葉がしょんぼりする。

 けれど蜜葉乃は、そんなやり取りが可笑しくてたまらず、くすくすと笑った。


「では、まずは安全な範囲で試してみましょうか。少しだけなら、きっと大丈夫ですよねえ」


「女王さまがそう仰るなら、範囲を限定して許可します」


「やったあ!」


 双葉の触角がぴんと立つ。


 一方、千葉夜はすでに女王室の角をじっと見ていた。


「仁、この角はもう少し丸い方がいいです」

「角」

「はい。小さい子たち、勢いよく走ってきてぶつかるので」

「なるほど」


 千葉夜は女王室の入口から床の端まで視線を走らせる。

 その顔はいつものふわふわした穏やかさのままだが、育房や子どもに関わることになると急に目が細かくなるのを、蜜葉乃は最近よく知っていた。


「それから、寝床の端は少し低くした方が、赤ちゃん抱っこしたままでも上りやすいです」

「承知しました」

「あと、葉の仕切りはひらひらしすぎると、ちびたちがくるまって転びます」

「承知しました」

「それと――」

「千葉夜」


「はい?」

「本日の監修責任者は、もしや貴女ですか?」


 仁が静かに問うと、千葉夜は少しだけ首を傾げた。


「……女王さまと赤ちゃんたちが来るお部屋なので」


「理由としては完璧です」


 仁は一瞬だけ黙り、それから小さく息をついた。


「では、本日の工程を共有いたします」


 そう言って、仁は床に細い枝で簡単な見取り図を描き始めた。


「改装内容は五点です。第一に、床材の増量。第二に、保温繊維の再配置。第三に、葉の仕切りの設置。第四に、夜灯り苔の最小限導入。第五に、香り葉および補助植物の配置」


「なんだか、すごく立派な計画ですねえ」


「立派にいたしますので」


「頼もしいです」


 蜜葉乃が微笑むと、仁はわずかに視線を逸らした。

 照れたのか、単に次の工程を考えているのかは、まだ少しわからない。


 ***


 まず取りかかったのは、床材の入れ替えだった。


 今の女王室の床には、乾いた葉と細かな土が薄く敷かれているだけだ。

 それでも創設当初よりずっと整ってはいるのだが、最近の蜜葉乃は元気になって部屋の中を歩き回ることも増えたし、何より時々ちびたちが遊びに来る。


 もっと柔らかく、もっと暖かく、もっと過ごしやすく。

 それが今回の目標だった。


「この辺りに厚めに敷いてください。寝床の周囲は特に」

「はいっ」

「わたし、こっちもってく!」

「これもいる?」


 子蟻たちが小さな葉片を一生懸命運んでくる。

 運んでくるのだが、葉っぱが大きすぎて本人の顔がほとんど見えていない子もいるし、途中で葉の上に自分が乗って滑ってくる子もいる。


「まあ、ゆっくりで大丈夫ですよお」


 蜜葉乃が声をかけると、ちびたちは「はあい!」と元気よく返事をする。


 しかし次の瞬間、


「ふかふか……」


 と、一匹がまだ敷き途中の繊維の上にころんと転がった。


「あっ、ずるい!」

「わたしも!」

「ここ、ねるとこ!」


 あっという間に二匹、三匹と集まり、ふかふか予定地が、ちびたちの試し寝会場になってしまう。


 仁が無言でそちらを見る。


「……皆さま」

「はい」

「工事中です」

「でも、ふかふか」

「ふかふかですね」

「ねていい?」

「完成後にお願いします」


 仁が一匹ずつ抱え上げて退避させる。

 真顔で、しかし妙に手慣れている。


 一葉がその様子を見て吹き出した。


「仁、ちょっと保父さんみたいです」

「否定はいたしません」

「しないのですね」

「現状、育児補助業務も兼任しておりますので」


 そう言いながらも、仁はちびたちが転がって乱れた繊維を、几帳面に均し直していく。


 その横で千葉夜が、敷き具合をじっと確認した。


「もう少し、寝床の左側を厚くしてください」

「理由を伺っても?」

「女王さま、少し左に寄って休まれることが多いので」

「……観察精度が高いですね」

「毎日見てますからあ」


 ふわっと笑う千葉夜に、蜜葉乃は少しだけ頬を染めた。


「そんなに見られているのですねえ、わたし」

「はい。ちゃんと見てます」


 やさしい声だった。

 でもその言い方は、育房係としての確かな責任感に満ちている。


 仁は素直に頷き、寝床の左側にさらに柔らかい繊維を重ねた。

 足を乗せると沈み込みすぎず、でも冷たさは感じない、ちょうどいい厚みだ。


「まあ……」


 試しに蜜葉乃がそっと腰を下ろしてみると、ふわりと身体が支えられた。

 土の巣の中なのに、まるで柔らかな葉のゆりかごみたいだ。


「すごいです。なんだか沈みすぎない雲みたいです」


「雲は存じませんが、快適そうで何よりです」


 仁の返しはいつも通りだったが、一葉は「たぶん、ちょっと嬉しそう」と小声で双葉に囁いていた。


 


 次は、葉の仕切りだった。


 女王室の入口から寝床が丸見えだと落ち着かないし、通気の流れも少し調整したい。そこで仁は、しなやかな葉脈を骨組みにして、薄い葉を何枚も編み合わせた“葉のカーテン”を作ることにしたらしい。


「一葉、花びらはこの辺りに」

「はいっ。香りのいい葉もありますよ」

「助かります」

「女王さまのお部屋なので、かわいくしたいです」


 一葉は張り切って、薄桃色の花びらや、青い香り葉を持ち込んでくる。

 どうやら探索班の伝手を使って、かなり選りすぐりを集めてきたらしい。


「これは朝に匂いがやわらかくなる葉で、こっちは少し甘い香りの花びらです。あと、この白いのは見た目がかわいいです」


「見た目がかわいい」


「大事です!」


 一葉が力強く言うと、蜜葉乃は「そうですねえ」とにこにこ頷いた。

 確かに大事だ。


 ただし、そこへ双葉が横から口を挟む。


「香り葉のそばに、空気がやわらかくなる草も植えたいです」

「だから本日は“少しだけ”です」

「少しだけ植えます!」

「少しだけなら」


 双葉は許可を得るやいなや、部屋の隅の小さなくぼみに土を寄せて、慎重に小さな草を植え始めた。

 葉は細くて淡い緑色で、触れるとほんのり冷たい。


「本当に空気がやわらかくなるのですか?」

「まだ観察中だけど……たぶん」

「たぶん」

「今のは九割くらい!」


「双葉、その“九割”の根拠は」

「気持ち!」


 仁がこめかみを押さえた。


 その間にも、ちびたちは葉の仕切りに興味津々である。


「これ、なに?」

「ひらひら!」

「くるまれる?」


 一匹が葉の端を引っ張り、もう一匹がその向こうから顔を出す。

 さらにもう一匹が勢いよく走り込んで、仕切りの裾に足を取られてころんと転んだ。


「わっ」

「いたくない?」

「だいじょうぶ?」


 周りのちびたちが集まるより早く、千葉夜がひょいと抱き上げる。


「だいじょうぶです。柔らかいので泣いてないです」


 その言い方があまりに自然で、蜜葉乃は思わず笑みを深くした。

 やっぱり千葉夜は、こういう時にとても頼りになる。


「千葉夜、ありがとう」

「いええ。葉っぱの端は、もう少し上で留めた方がいいかもです」

「そうですねえ」

「走る子がひっかかります」

「走る子基準なのですね」

「はい」


 仁は黙って葉の裾を少し短く調整した。

 設計思想が完全に“育児対応住宅”である。


 


 最後は、夜灯り苔の設置だった。


 神様からもらった不思議な苔は、暗い巣の中でもやわらかな光を放つ。

 強すぎず、眩しすぎず、土壁にほんのり青緑の色を落とす程度の光だ。


「これを、寝床から少し離した壁面に固定します。直接視界に入る位置だと休息の妨げになりますので」

「まあ、そんなことまで考えてくださるのですか」

「当然かと」


 仁が慎重に苔を設置すると、女王室の空気がふっと変わった。

 明るいというより、やさしい。

 土の壁の輪郭が少しだけ浮かび上がり、葉の仕切りの影がゆるやかに揺れる。


「きれい……」


 一葉が小さく呟いた。

 双葉も「森の中みたい」と目を丸くしている。


 蜜葉乃は寝床の上から、その光景を見渡した。

 ふかふかの床。厚めに整えられた保温繊維。香りの良い葉と花びら。やわらかな葉の仕切り。壁に灯る淡い苔の明かり。


 ここは土の巣のはずなのに、どこか秘密の離宮みたいだった。


「……すごいです」


 蜜葉乃がぽつりと呟く。


「こんなに素敵なお部屋になるなんて、思っていませんでした」


「お気に召されましたか」


「はい、とっても」


 にっこりと笑う蜜葉乃に、仁はわずかに肩の力を抜いた。


 その時だった。


「わあー!」

「きれいー!」

「ひかってる!」

「ここ、すき!」


 改装の終わった女王室に、見学していたちびたちがいっせいに流れ込んできた。


「おじゃましまーす!」

「ふかふか!」

「ここ、いいにおい!」

「女王さまのおへや、すごい!」


 そして当然のように、完成したばかりの寝床の端に一匹が乗り、もう一匹が葉の仕切りの陰に入り込み、さらにもう一匹が花びらを頭に乗せて「みて!」と見せに来る。


「まあまあ、賑やかですねえ」


 蜜葉乃は困ったように笑いながらも、まんざらでもなさそうだった。


 仁はその光景を見渡し、真顔で言った。


「……想定より快適性が高く仕上がりました」


「はい。とても快適です」


「問題は、その結果として蜜葉乃さまがここから出てこなくなる可能性があることです」


「まあ」


 一葉がぱちぱちと瞬く。

 双葉が「そこ心配するんだ」と呟き、千葉夜は「でも出てきますよお」と穏やかに言った。


「だって女王さま、最近すごく元気ですし」

「そうですねえ」


 蜜葉乃は寝床から立ち上がった。


「こんなに素敵なお部屋になったら、もちろん大好きになります。でも――」


 ふわりと葉の仕切りをくぐって、部屋の外へ一歩出る。


「巣のあちこちも見に行きたくなります」


「……やはりそうなりますか」


 仁が小さく目を伏せた。


「むしろ快適になったぶん、もっと元気に歩けそうです」

「本末転倒では」

「いいことではありませんか?」


 蜜葉乃が首を傾げると、仁はしばらく黙ったあと、静かにため息をついた。


「……女王室の改装は成功です」

「はいっ!」

「やったー!」

「つぎはどこなおすの?」


 ちびたちが跳ねる。

 一葉も双葉も嬉しそうに顔を見合わせ、千葉夜は転びそうな子をそっと抱きとめた。


 蜜葉乃は、にぎやかな家族たちを見回して微笑む。


 土の巣は、まだ小さい。

 けれどそこにはもう、女王ひとりの寝床ではなく、みんなが集まって、笑って、少しずつ形を整えていく“家”ができはじめていた。


 そして、そんな女王室の入口で。

 仁は改装後の様子を眺めながら、ひとつだけ新たな懸念を抱いていた。


 ――この部屋、育房室より人気が出るのではないか。


 実際、その予感は当たっていた。


 なぜならその夜、女王室のふかふか寝床の端には、見学に来たはずのちびたちが二匹ほど、すでにうとうとしながら転がっていたからである。


 王国リフォーム大作戦、その一。

 女王室は、予想以上に快適すぎる仕上がりとなったのだった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

仁の日誌


女王室改装、完了。

床材・保温繊維・仕切り・照明、いずれも想定以上に機能している。

特に夜灯り苔は、蜜葉乃さまの休息環境改善に有効と判断。


女王室なのか託児室なのか、区別が曖昧になりつつある。


なお、女王さまは部屋の快適化によって安静にしてくださるかと思いきや、

「元気になったので巣のあちこちを見に行きたくなります」とのこと。

予想はしていたが、予想していた以上に行動的でいらっしゃる。


快適性向上が外出意欲の増進につながるとは、設計時点では想定外。

女王室改装は成功。

ただし、「女王を休ませる」という一点においては、評価基準の再考が必要かもしれない。


……とはいえ。

あの方が笑って「好きなお部屋です」と仰ったので、

今回の工事はそれで十分成功なのだろうと思う。


明日以降、王国リフォーム大作戦第二段階へ移行予定。

次はどの区画を整えるべきか、早急に検討する。

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