19 大失敗と大成果
巣の中は、しばらくのあいだ大変な騒ぎだった。
暴走した蔓と根は、どうにか葉月と護葉を中心に押さえ込んだものの、栽培区画から実験室、そこから隣の通路にかけて、土壁はあちこちめくれ、床には根が這い、飛び散った胞子で空気はほんのりきのこ臭い。育房室もボロボロだ。
双葉はというと、騒ぎの中心でしょんぼりと小さくなっていた。
「……ごめんなさい」
しおれた声でそう言って、両手を膝の上に置いて座り込んでいる。
髪にも肩にも、どこから飛んできたのか細かな胞子がついていて、ふわふわした見た目のわりに、ずいぶん“事件の当事者”らしい姿だった。
目の前には、蔓で半ば埋まった実験室。
壁際には、暴走した植物の残骸が積まれている。
少し離れたところでは、仁が崩れた棚を片づけながら、無表情で何かを計算していた。
そこへ、葉月が土埃を払いながら戻ってきた。
腕にはまだ切り落とした蔓の繊維が何本も引っかかっている。髪も乱れているし、頬にも土がついているが、本人は気にした様子もない。
「女王さま、ひとまず動く根っこは全部止まった」
「まあ、葉月、お疲れさまです」
「ん。……ついでに、通路の奥も少し見てきた」
その言葉に、仁の手がぴたりと止まる。
「少し、とは」
「ほんの少し。崩れた先の確認だけ」
「それを一般に“勝手に進んだ”と言います」
「まだ怒る段階じゃないでしょ、執事さん」
葉月はけろりとしている。
仁はこめかみを押さえた。
「怒る段階です。現在、巣内では実験室の暴走、通路損壊、胞子飛散、育房室への延焼ならぬ延根未遂が同時進行しておりました」
「最後の言い方だけちょっと面白い」
「面白くありません」
ぴしゃりと言われ、葉月は肩をすくめた。
だがその口元は、少しだけ笑っている。
そのやりとりを、少し離れたところで見ていた一葉が、小声で風葉に囁いた。
「仁さん、今日はいつもより三割くらいお怒りですねえ」
「うん。たぶん、片づけるものが多い」
「なるほど」
「でも、たぶん元気」
「え、そうなんです?」
「忙しいときの仁さん、ちょっと生き生きしてる」
一葉が目を丸くする。
言われてみれば、確かに仁は大騒ぎの最中ほど動きに無駄がなくなる。声は低くなるし表情も固いが、指示の速さはいつもの倍だ。
それが執事として良いことなのかどうかは、一葉にはよくわからなかった。
***
その後、巣の中央にある少し広い部屋で、急遽「被害確認と今後の対策会議」が開かれた。
もっとも、“会議”といっても、参加者の半分は小さい妹たちである。
結葉と紬葉は途中から「きのこまだあるかな」「あとで焼いて食べたい」とこそこそ話し始めているし、千葉夜は千葉夜で、避難させた幼虫たちの様子が気になるのか、さっきから何度も育房室の方を振り返っていた。
それでも、巣の今後に関わる大事な話だ。
蜜葉乃は部屋の中央に座り、みんなを見回した。
「まずは、誰も大きな怪我をしなかったこと、本当によかったです」
その言葉に、姉妹たちはそれぞれ頷く。
護葉だけは少し後ろに控えたまま、静かに立っていた。
騒ぎの最中は葉月の後ろから崩れた土を支え、双葉を引っ張り出し、暴れる蔓を押さえ込み、避難経路を確保した。誰より目立つわけではないのに、気づけば一番危ない場所にいた。
仁がちらりと護葉を見る。
「では、報告を始めます。被害は三つに分けられます」
いつものように、床に枝で簡単な図を描く。
「第一に、実験室区画の半壊。第二に、栽培区画から西通路にかけての損傷。第三に、胞子飛散による一時的な空気悪化。ただし、幸いなことに育房室と女王室は修復可能な範囲です。」
「千葉夜がすぐ閉めてくれたからねえ」
蜜葉乃が言うと、千葉夜はちょこんと背筋を伸ばした。
「だって、ちいさい子たちに胞子ついたらかわいそうです」
「えらい」
一葉がすぐ褒める。
千葉夜は少しだけ照れたように笑った。
仁はそのまま話を続ける。
「そして次に――成果です」
双葉がぴくりと顔を上げた。
葉月も腕を組んだまま視線を向ける。
「今回の事故は、大失敗でした」
「はい……」
双葉が小さくなる。
「ですが、同時に、いくつか見逃せない収穫がありました」
仁は床に描いた図の西側を、枝先でとんと叩いた。
「まずひとつ。暴走した根が西通路の奥の土壁を押し破った結果、壁の向こうにある空隙の位置がかなりはっきりしました」
その瞬間、葉月の目がぎらりと光った。
「やはり空いていたのですね」
「ええ。完全な開通には至っていませんが、反響、風の流れ、土質の変化から見て、向こうにさらなる通路ないし空間があるのはほぼ確実です」
蜜葉乃が息を呑む。
「まあ……」
「以前から葉月が言っていた“壁の向こう”です。今回の崩れで、位置と深さの見当がつきました。今後、掘り進めるべき場所を絞れます。とりあえず露出した部分は早急に巣に取り込む方向で、調査と補強をいたしましょう」
葉月は口元をにやりとさせた。
「つまり?」
「今は掘るな、です」
「なんで」
「なんでではありません。補強と安全確認が先です」
「ちぇ」
即座に却下され、葉月は露骨に不満そうな顔をした。
だが蜜葉乃には、その不満の中に混じる嬉しさもちゃんと見えた。
ずっと気にしていた壁の向こうに、ようやく本物の手がかりができたのだ。無理もない。
仁は咳払いをひとつして、さらに続ける。
「ふたつめ。暴走した根が、崩れかけていた天井や壁の一部に絡みついたことで、結果的に補強材として機能した箇所があります」
「えっ」
双葉が顔を上げる。
「特に西側の通路は顕著です。根が土を縫うように入り込み、脆かった層をまとめている。もちろん暴走状態のままでは危険ですが、量と向きを制御できれば、坑道補強材として非常に優秀です」
葉月が目を細める。
今度は職人の目だ。
「……たしかに。触った感じ、ただの草の根じゃない。乾くと固くなるし、でもしなる」
「はい。崩落防止に使えます。木片や葉繊維だけでは足りなかった部分を補えるでしょう」
双葉の触角が、ぴく、ぴく、と揺れた。
「つ、つまり……」
「分量を誤れば大事故です」
「はい」
「ですが、成功すれば有用です」
「……!」
しゅんとしていた双葉の顔に、少しだけ光が戻る。
失敗は失敗だ。でも、全部が無駄だったわけではない。そのことが、彼女にはたまらなく救いだった。
「みっつめ」
仁は今度、部屋の隅に積んである植物の残骸を見た。
「今回の暴走で、地上由来と思われる繊維質の根、樹皮片、養分を多く含んだ菌糸、さらに保水性の高い土塊が大量に確保できました」
「資材ですねえ」
一葉が言う。
「はい。補強材、敷材、栽培用土、保湿材として利用可能です。現状不足していた資材を、一度にかなり補えます」
「すごい……」
紬葉がぽかんと口を開ける。
「暴れたのに、いろいろ置いてったんだ」
「置き土産が乱暴すぎますが」
仁は真顔で言った。
部屋のあちこちで、小さな笑いが起きる。
さっきまでの緊張が、少しだけほどけた。
そこで、蜜葉乃がそっと護葉へ目を向けた。
「それから、もうひとつ大きなことがありますね」
視線を向けられ、護葉は一瞬だけ目を瞬いた。
まだ、こうしてみんなの中心で話題にされるのに慣れていないのだろう。
蜜葉乃はやわらかく微笑む。
「護葉。今日は、本当に助かりました」
「……いえ。やるべきことをしただけです」
「でも、葉月も双葉も、護葉がいなかったらもっと大変でした」
「同意します」
仁が即座に頷く。
「護葉は状況判断、救出、通路確保、いずれも極めて優秀でした」
護葉はわずかに視線を下げた。
褒められても、表情はあまり変わらない。けれど耳の先がほんの少し赤くなっているのを、一葉は見逃さなかった。
「というわけで」
蜜葉乃が手を合わせる。
「みなさんに、改めて紹介したいと思います。護衛係の護葉です」
部屋の空気が、ぱっと華やぐ。
「わあー!」
「護葉!」
「もりねえさまだ!」
結葉と紬葉が一気に声を上げた。
千葉夜もふわっと笑って、「この前、ちいさい子を運ぶの手伝ってくれました」と嬉しそうに言う。
一葉はにこにこしながら、護葉のそばへ寄った。
「改めまして、探索班長の一葉です。今後ともよろしくお願いします、護葉」
「……こちらこそ。一葉の噂はよく聞いています」
「噂」
「虫のお友達が多いとか、すぐ外へ飛び出したがるとか」
「後半は誰情報です?」
「仁です」
「仁……」
裏切りに近いものを感じて、一葉が仁を見る。
仁は少しも動じずに答えた。
「事実かと」
「事実ですけども」
くすくすと笑いが広がった。
護葉はその様子を静かに見ていたが、やがて一歩前へ出る。
「女王さま。もし許していただけるなら、今後は護衛と危険時の対応を、私が中心になって担いたいと思います」
部屋がしんとする。
護葉の声は落ち着いていて、けれど芯があった。
「家族が増えました。巣も広がっています。探索、栽培、育房、坑道――どの仕事も大切ですが、それぞれが安心して動くには、守る役目を切り分けた方がいい。今回、そう感じました」
仁が静かに目を細める。
護葉の言葉を、試すように聞いている顔だ。
「護衛班……ですか」
「はい」
「構成案は」
「現時点では私一人でも構いません。ただ、いずれ妹たちが育てば、避難誘導、女王護衛、通路警備を分担したいです」
理路整然としている。
しかも、先を見ている。
仁が気に入るのもわかる話し方だった。
蜜葉乃は、ぱっと表情を明るくした。
「まあ、頼もしい」
「では」
仁が一礼する。
「私からも提案を。護葉には今後、正式に護衛班長をお願いしたく存じます。私が巣全体の運営と外部調達に出ている間、巣内の安全管理を一部委任できれば非常に助かります」
「右腕みたいですねえ」
蜜葉乃が言うと、護葉は少しだけ目を見開いた。
仁は表情を変えないまま答える。
「まだ補佐候補です」
「候補なんですね」
「評価はこれからです」
「厳しい」
一葉が小声で呟く。
けれど護葉は、その厳しさにむしろ安心したように、すっと背筋を伸ばした。
「承知しました。期待に応えます」
「よろしくお願いします、護葉」
蜜葉乃が微笑む。
「はい、女王さま」
こうして巣には、新たに護衛係が定まった。
***
会議が終わりかけた頃、結葉がそわそわと手を挙げた。
「あの」
「はい、結葉」
蜜葉乃が促す。
「さっきから、すっごくいい匂いがするんですけど」
「……あ」
双葉が固まる。
葉月が、にやりと笑った。
「それ、たぶんきのこ」
「きのこ」
「暴走の時に胞子飛んで、実験室の隅で一気に育った」
「一気に」
「しかも、たぶん食べられるやつ」
仁がすかさず補足する。
「正確には、先ほど安全確認済みです。少量を試した結果、毒性なし、味は良好」
「試したんですか」
一葉が聞くと、仁は当然のように頷いた。
「執事ですので」
「執事はきのこの毒見もするんですねえ」
「必要でしたので」
その瞬間、紬葉の目がきらきらした。
「じゃあ、食べていいの?」
「いいんですか?」
結葉も身を乗り出す。
蜜葉乃は仁を見る。
仁はほんの一瞬考え、それから静かに一礼した。
「本日の復旧作業の慰労も兼ねて、許可いたします」
「まあ!」
その一言で、部屋の空気が一気に明るくなった。
「きのこぱーてぃだ!」
「きのこぱーてぃ!」
結葉と紬葉が飛び跳ねる。
双葉も「……わたし、味付け考えます」と少し元気を取り戻した声で言った。
千葉夜は「幼虫たちにはまだだめです」と真面目に確認し、葉月は「焼いたのと蒸したの両方やりたい」とすでに食べる気満々である。
そして、しばらく後。
復旧途中の巣の一角で、本当にささやかな“きのこパーティ”が始まった。
仁が薄く裂いたきのこを石板の上で炙り、双葉が香りの良い葉を少し添える。双葉の栽培区画から無事だった香草を分けてもらったらしい。紬葉が運び、結葉が匂いを嗅いで「これ絶対おいしいやつ」と断言し、一葉は「がんばったみんなへのご褒美ですねえ」と嬉しそうに笑う。
蜜葉乃も、ひとくち食べて目を丸くした。
「……まあ」
「どう?」
双葉がそわそわと聞く。
「とってもおいしいです」
「ほんと?」
「ええ。ふわっとしていて、でも旨みがしっかりしていて……」
「よかったあ……」
双葉はへなへなと力を抜いた。
どうやら、失敗の罪悪感が少し和らいだらしい。
葉月は葉月で、焼ききのこを齧りながら、壁の向こうの方角をちらちら見ている。
「……ねえ、仁」
「何でしょう」
「明日から補強終わったら、少しだけ掘っていい?」
「駄目です」
「まだ言い終わってない」
「最後まで聞いても結論は同じです」
「執事、融通きかなすぎ」
「坑道係が逸りすぎです」
そのやり取りに、護葉が小さく口元を緩める。
一葉がそれに気づいて、こっそり嬉しくなった。
蜜葉乃は、娘たちの笑い声を聞きながら、そっと胸の奥に手を当てた。
体調はまだ万全ではない。それでも、以前のような苦しさはもう薄い。花蜜と、娘たちが運んでくれる食べ物と、少しずつ整ってきた巣のおかげで、身体がちゃんと“前へ進んでいる”のがわかる。
大失敗だった。
でも、大成果でもあった。
壁の向こうへ進む道筋が見えた。
巣を守るための新しい補強材も見つかった。
足りなかった資材も増えた。
おいしいきのこまで手に入った。
そして何より――守ってくれる娘が、またひとり、しっかりと立ち上がった。
「女王さま」
ふいに仁が声をかける。
「はい?」
「本件を踏まえ、明日より“実験室運用規則”を制定します」
「まあ」
「双葉には監督者をつけます」
「えっ」
双葉が固まる。
「危険植物の使用量、混合条件、栽培区画との距離、胞子類との併用制限、緊急停止手順――」
「待ってください、仁さん」
一葉が思わず口を挟む。
「すごく長くなりそうです」
「当然です」
「双葉が寝ちゃいます」
「寝ません……!」
双葉が慌てて反論する。
けれどその声に、またみんなが笑った。
仁はため息をつきながらも、どこか諦めたように目を細める。
「……とにかく、今後は事故防止を徹底します」
「はい」
蜜葉乃が笑う。
「でも、今日はもう、みんなでおいしくきのこをいただきましょうね」
「承知しました」
「きのこ、まだありますよお」
一葉が嬉しそうに皿を差し出す。
「仁さんも食べます?」
「いただきます」
「葉月、壁の方見ながら食べないでください」
「え、なんでわかったの」
「見てたからです」
「護葉、こわい」
「護衛ですので」
復旧途中の巣に、笑い声が広がる。
土壁はまだあちこち崩れたままで、通路の先には片づけきれていない根も残っている。
壁の向こうは、まだ開いていない。
やることは山ほどある。
けれども、その夜の巣は、確かに明るかった。
失敗しても、助け合える。
転んでも、拾えるものがある。
騒ぎのあとに、ちゃんと前へ進める。
そんな家族の強さが、少しずつ、この小さな巣に根を張りはじめていた。
⸻
仁の日誌
双葉の実験、大失敗により実験室半壊。
ただし成果は多い。
・西壁の向こうに空隙あり。位置がかなり明確になった
・暴走した根は補強材として有望。制御法の確立が必要
・繊維、保水土、菌糸など不足資材を大量確保
・きのこは非常に美味
・護葉、護衛班長として正式採用。適性高し
問題児が増えるたび、巣も少しずつ強くなる。
喜ばしいことではあるが、胃が痛い。




