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葉音を紡ぐ ――世界樹の麓で  作者: 葉森かなで


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18/44

18 暴走のあとに道はひらく

 轟音が、巣の奥で何度も跳ね返った。


 土が落ちる。

 蔓が軋む。

 きのこの胞子が白く舞い、空気の匂いが一瞬で変わる。


 静かだったはずの巣は、たった数呼吸のあいだに、見たこともないほどの混乱へ飲み込まれていた。


「千葉夜、幼虫をお願いします!」


 一葉が叫ぶ。


「はい、まかせてください」


 千葉夜はふわふわした顔のまま、しかし一切迷わず動いた。

 すでに幼虫たちの寝床をいくつかまとめ、壁際の揺れが少ない場所へ移し始めている。小さな身体に見合わないほど手際がよく、しかも幼虫が不安にならないよう、ずっとやさしい声をかけ続けていた。


「だいじょうぶですよ、あったかいところにいきましょうねえ」

「この子はこっち、この子はこっちです」

「結葉ちゃん、紬葉ちゃん、保温材をお願いできますか」


「は、はいっ」

「やる!」


 結葉と紬葉が慌てて保温材を抱え込む。

 風葉は入口の前に立ち、触角をぴんと張って外の気配を探っていた。


「……来る」


「何がです?」


 一葉が振り返る。


 風葉は、通路の先をじっと見つめたまま短く答えた。


「蔓。こっちにも」


 その直後だった。


 育房室の入口脇の壁が、みし、と嫌な音を立てる。

 ひびが広がり、その隙間から、一際太い緑の蔓がずるりと顔を出した。節々に白い胞子をまとい、まるで生き物のようにうねりながら、部屋の中へ入り込もうとする。


「きゃっ……!」


 紬葉が小さく悲鳴を上げる。

 一葉は咄嗟に妹たちの前へ出たが、次の瞬間にはっとした。


 ――前に出るのは、わたしの役目。

 でも、道を見るのは風葉。


「風葉!」


「うん」


 風葉はすでに動いていた。

 足音ひとつ立てずに壁際へ走り、伸びてきた蔓の先端を避けるように身を沈める。完全に戦うというより、まずは相手の進む向きと速さを見切るための動きだった。


「速いけど、まっすぐじゃない。節で曲がる」

「節?」

「そこ、弱いかも」


 言いながら、風葉は床に落ちていた細い枝を拾い、蔓の節の部分へ強く差し込んだ。

 びくん、と蔓が跳ねる。

 進む勢いがわずかに鈍った。


「すごい!」

「でも一本だけ。まだ来る」


 その言葉通り、外の通路からはさらに、ざわざわと何かが這う音が近づいてくる。


 育房室の外で、仁の声が飛んだ。


「一葉! 育房室の入口を塞ぎます! 中の状況を!」


「幼虫たちは無事です! でも太い蔓が一本、中まで!」


「節を狙って足止めを! 葉月がそちらへ向かっています!」


「はい!」


 返事をした瞬間、どん、と入口の外側で土の塊が積まれる音がした。

 仁が通路側から簡易の防壁を作り始めたのだろう。完全に閉じるのではなく、蔓の侵入を遅らせるための即席の堰だ。


 さすが仁、こういう時の判断が早い。


 けれども感心している余裕はなかった。

 蔓は一本止めても、別の隙間を探してじわじわと壁を押し始めている。


「一葉、こっちの子たち運べた!」

「こっちも! でも胞子、なんかふわふわする……」


 結葉が顔をしかめる。

 白い胞子は、床に落ちたかと思うと、微かな風でまた舞い上がる。鼻先がむずむずするし、何より嫌な予感しかしない。


 蜜葉乃は卵とまだ小さな幼虫を庇いながら、ぐっと唇を結んだ。


「千葉夜、育房室の一番奥へ、まだ動けない子たちを寄せましょう」

「はい、女王さま」

「一葉、無理はしないでくださいね」

「でも……!」

「わたしたちは大丈夫です。今は仁たちが動きやすいように、中を守りましょう」


 その声はやわらかいのに、不思議とよく通った。

 一葉は一瞬迷い、それから大きく頷く。


「……はい!」


 女王さまが落ち着いている。

 それだけで、胸の中のばらばらしたものが少しまとまる気がした。




 一方その頃、暴走の中心地――双葉の実験室周辺は、もっとひどいことになっていた。


「双葉、下がってください!」


 仁が声を張る。


 いつもの静かな低音ではなく、緊急時の鋭い声だった。

 その視線の先では、実験棚を突き破った蔓が天井を這い、床を割り、さらに壁の隙間へ根を押し込んでいる。しかもただ伸びるだけではない。双葉の力で活性化した植物と、栄養豊富な土と、廊下で増殖していたきのこの胞子が混ざったせいで、蔓は異様な速度で枝分かれし、節ごとに白いふわふわを撒き散らしていた。


「ご、ごめんなさいぃ……」

「謝罪は後で結構です。今は実験内容を簡潔に」

「蔓に元気をあげて、葉っぱを元気にして、土をふかふかにして、胞子も栄養になるかなって……」

「全部盛りではありませんか」

「よくばりました……」

「知っております」


 仁は蔓の動きを見極めながら、足元の土を蹴って通路の流れを読む。

 すでに葉月が横の壁を叩き、音と振動で内部の空洞を探っていた。


「葉月!」

「わかってる! 右側の壁、薄い! でも今は壊すとたぶん実験室ごと崩れる!」

「では左側の補強を優先! 蔓をそちらへ逃がします!」

「逃がすって簡単に言うな!」


 文句を言いながらも、葉月の動きは速い。

 壁の土を削り、崩れやすい箇所へ石片と根材を差し込み、蔓の圧力が育房室側へ向かないよう流れを変えていく。もはや半分は工事というより、暴れる植物との綱引きだった。


 そこへ、育房室方向の通路から、ひとつの影が現れた。


「仁!」


 落ち着いた声だった。


 仁が振り返る。

 通路の向こうに立っていたのは、まだ幼さを残しながらも、場の空気だけをすっと静めるような娘だった。長めの髪を後ろでまとめ、無駄のない立ち姿でこちらを見ている。身体つきは妹たちの中ではしっかりしていて、必要な筋肉がきちんとついた印象だ。


 彼女は巣の中の騒ぎに飲まれることなく、まっすぐ状況を観察していた。


「危険域です。実験室区画の通路、二本先まで蔓が回っています」

「……護葉」


 仁が目を細める。


 五女――護葉。

 まだ班として正式に前へ出ることは少ないが、身体強化と状況判断に優れた娘だ。ふだんは目立たない位置にいるが、必要な時には驚くほど静かに現れる。


「女王さまと育房室は?」

「一葉たちが守っています。もちろん千葉夜もいます」

「そうですか」


 護葉は短く頷いた。


「なら、こちらを片づけます。指示をください」

「実験室前の通路を封鎖したい。ですが隣の区画に資材が残っています。あれは被害を拡げる一因です」

「回収します」

「危険です」

「承知のうえです」


 あまりに即答だった。

 仁が一瞬だけ彼女を見つめる。


「……三十秒で戻れますか」

「二十で」

「では二十で」


 次の瞬間、護葉は走っていた。


 足運びは静かだが、速い。

 暴れる蔓の隙間を縫い、床を蹴り、崩れかけた棚を飛び越える。双葉が「ひゃっ」と声を上げる横を抜けて、実験室の奥へ消えた。


「えっ、今の誰ですか」

「護葉です」

「護葉!? いつのまにいたの!?」

「今は会話を省略してください」


 仁が言い終える前に、護葉は戻ってきた。

 抱えているのは、胞子を含んだ土の袋だ。即座に箱にしまい封印する。


「回収完了」

「二十秒未満ですね」

「通路の角に、まだ伸びる前の根があります。切るなら今です」

「葉月!」

「聞こえてる!」


 葉月が床を蹴って飛び出した。

 石片を打ち込んだ簡易の刃で、壁際に潜ろうとしていた太い根を叩き切る。びし、と嫌な音がして、根が大きく痙攣した。


 その反動で、実験室の奥から何かが崩れる。


「っ!」


 双葉が肩を震わせた。


 壁だ。

 実験室のさらに奥――今までただの土壁だと思っていた場所が、蔓に押され、根に裂かれ、ぼろりと崩れ落ちたのだ。


 土煙が上がる。


 蔓の動きが、一瞬だけ止まる。


「……仁」


 護葉が低く呼ぶ。


 崩れた壁の向こうから、ひやりとした風が吹いてきていた。


 ただの通路ではない。

 もっと乾いて、もっと古い、長く閉ざされていた空間の匂いがする。湿った巣の土とは違う、深く静かな地下の匂い。


 葉月が、息を呑んだ。


「……うそ」


 崩れた土の向こうに、ぽっかりと黒い隙間が見える。

 人ひとりが通れるほどではないが、明らかに壁の向こう側へ空間が続いていた。


 しかもその断面には、自然にできた空洞とは思えない、妙に平らな層が混じっている。

 古い補強材の跡のようなもの。

 朽ちた根と石が、かつて“道”として組まれていたような痕跡。


 仁の目が、わずかに鋭くなった。


「……やはり」


「仁、これ」


 葉月の声が震える。

 いつもの勝ち気な響きではなく、見つけてしまったものへの高揚と戸惑いが混ざった声だった。


「壁の向こう、空洞どころじゃない」

「ええ」

「これ、通路の跡だ」

「その可能性が高いでしょう」


 護葉が崩れた壁の縁に膝をつき、風の流れを確かめる。


「まだ奥に空間があります。かなり広いかもしれません」

「ですが、今は立ち入り禁止です」


 仁が即座に言った。


 葉月が「ええーっ」と叫びそうな顔をする。


「当然です。現状、蔓の暴走が止まっておりません」

「それはそうだけど!」

「双葉の実験が、思わぬ形で壁を破壊したにすぎません。安全確認も補強もなしに進めるわけがないでしょう」

「うう……」

「うう、じゃありません」


 双葉まで一緒にしょんぼりした。


 だが、そこで護葉がふと通路の奥へ視線を向ける。


「仁」

「何でしょう」

「蔓の成長が止まってきています」


 たしかに。

 さっきまで狂ったように伸びていた蔓が、崩れた壁の向こうから流れ込む冷たい空気に触れたからか、あるいは根の本体を断たれたからか、目に見えて勢いを失い始めていた。胞子の舞いも、少しずつ収まっていく。


 葉月がそっと壁へ耳を当てる。


「……うん。圧も下がった。もう広がる感じじゃない」


「では収束作業に移ります」


 仁はひとつ息を吐き、すぐに指示を飛ばした。


「護葉、双葉を育房室へ。胞子を吸いすぎる前に退避させてください」

「了解です」

「葉月は崩落箇所の仮固定。今見つかった古い通路には絶対に近づきすぎないよう」

「わかってるって」

「本当にわかっている方の顔ではありません」

「わかってる!」


 葉月は不満そうに叫びつつも、目は完全に壁の向こうへ釘付けだった。

 その様子に、仁は小さくため息をつく。


「後で図面を引きます」

「……ほんと?」

「安全が確認できれば、です」

「よし」

「まだ“よし”ではありません」


 いつものやり取りだった。

 こんな状況でも、少しだけ巣の空気がいつもの調子へ戻る。


 護葉は半泣きの双葉の手を取った。


「双葉、行きましょう」

「みんな、ごめんなさいぃ……」

「叱るのは後です」

「叱るの確定なんだ……」

「当然です」


 真顔で言い切られ、双葉がさらにしゅんとする。

 けれども護葉の手つきは乱暴ではなかった。ちゃんと胞子の少ない側を選んで歩かせ、崩れた土を踏まないよう庇いながら進んでいく。


 その背を見送りながら、仁は崩れた壁の向こうをもう一度見た。


 冷たい風。

 古い土。

 そして、かつて何者かが通したらしい道の痕跡。


 地下に眠る忘れられた空間。

 その入口が、こんな形で顔を覗かせるとは思わなかった。


 けれども今は、まだ早い。

 あの向こうへ行くには、人手も物資も、何より巣全体の備えが足りない。


「仁さん」


 葉月が、壁を補強しながら低く言った。


「……あたし、ちゃんと待つから」

「珍しいことを仰いますね」

「うるさい」

「ですが」

 仁は少しだけ目を細める。

「その判断は賢明です」

「褒められても、今はあんまりうれしくない」

「左様でございますか」

「でも、行くんでしょ」

「ええ」


 仁は崩れた先の闇を見据えた。


「いずれ必ず」


 


 育房室へ戻る頃には、巣の中の混乱はだいぶ収まっていた。


 侵入した蔓は節を切られ、勢いを失ったものからまとめて別区画へ押しやられている。胞子まみれになった通路は、一葉と結葉と紬葉が「くしゅん」「くしゅん」とくしゃみをしながら掃除していた。千葉夜は幼虫たちを一匹ずつ確認し、「だいじょうぶです、ちゃんとあったかいです」と丁寧に寝かしつけ直している。


 蜜葉乃は、戻ってきた双葉を見てほっと息をついた。


「双葉、怪我はありませんか?」

「はい……女王さま、ごめんなさい」

「怪我がないならよかったです」


 その一言に、双葉は目を潤ませる。


「すごく反省してます……」

「そうでしょうねえ」


 蜜葉乃は困ったように笑った。


「あとで何をどう混ぜたのか、仁と一緒にちゃんと整理しましょう」

「はい……」

「ただし」

「はい」

「次から“ちょっと元気になるかな”で胞子を混ぜるのは禁止です」

「はい……」


 その横で、一葉がこっそり護葉を見上げていた。


「護葉、さっきすごかったですねえ」

「そうでしょうか」

「すごかったです。気づいたら横にいて、気づいたら走ってました」

「必要だったので」

「仁さんみたいなこと言う」

「……似てましたか?」

「少しだけ!」


 護葉はわずかに視線を逸らした。

 褒められるのが苦手なのか、あるいは嬉しいのを隠しているのか、その表情はまだ読みづらい。


 だが仁は、そんな彼女を見て静かに口を開く。


「護葉」

「はい」

「先ほどの根を切る判断、助かりました。少しでも遅ければさらに被害が広がったかもしれません。」

「……光栄です」


 短い返事だった。

 けれどその声音には、ほんの少しだけ、誇らしさが滲んでいた。


 蜜葉乃は娘たちを見回した。


 蔓だらけになった通路。

 胞子まみれの床。

 しょんぼりする双葉。

 でも、無事だった幼虫たちと、忙しそうに働く家族の姿。


 そして何より、壁の向こうに新しい道が見つかったこと。


「大変でしたけれど……」

 蜜葉乃はそっと微笑む。

「またひとつ、先へ進みましたねえ」


 葉月がぱっと顔を上げる。

 双葉はまだしょんぼりしたままだが、護葉がそっとその背を押した。

 一葉は「はいっ」と元気よく返事をして、風葉も小さく頷く。


 仁はひとつ息をつき、崩れた通路の方角へ視線を向けた。


「ええ。予定外ではありましたが」

「予定外だったのですか」

「かなり」

「まあ」

「ですが、収穫はありました」


 その言葉に、蜜葉乃は目を細める。


 暴走は突然で、巣は大混乱で、双葉はしばらく実験内容の精査を命じられるだろう。

 それでも、家族みんなで乗り越えた先には、ちゃんと次の道が見えていた。


 壁の向こうは、まだ遠い。

 けれどももう、ただの想像ではない。


 あの先には何かがある。

 広くて、古くて、誰かが通った痕跡の残る地下の道が。


 小さな巣の家族たちは、またひとつ新しい秘密へ近づいていた。

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