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葉音を紡ぐ ――世界樹の麓で  作者: 葉森かなで


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16/42

16 壁の向こうはまだ遠い

 少しずつ“外の地図”が増えていく。


 朝の巣の一室に、今日はいつもより少しだけぴんと張った空気が満ちていた。


 地上探索班の報告会である。


 部屋の中央には、葉月が平たく均した土床があり、その上に細い枝や小石、葉片が並べられていた。仁が「簡易地形図です」と真顔で言いながら用意したもので、巣から見てどちらに何があるのかを示すためのものらしい。


「では、始めましょう」


 仁がいつもの落ち着いた声で言う。

 背筋は真っ直ぐ、黒い外套めいた衣に一筋の乱れもない。

こんな小さな土の巣で、たかだか家族の報告会をするだけなのに、なぜか本当に会議めいて見える。


 蜜葉乃は卵と幼虫の様子を見られる位置に柔らかな敷材を整えてもらい、そこへちょこんと座っていた。

 襲撃で大きく消耗した体調は、花蜜や甘露のおかげでずいぶん持ち直しつつある。まだ万全とは言えないけれど、少なくとも、こうして皆の報告を聞けるくらいには回復していた。


「一葉、今日はお願いできますか」


「うん!」


 元気よく返事をしたのは長女の一葉だった。

 生まれたばかりの頃よりもずっと動きがしっかりしてきて、今では探索班の班長として、外へ出る妹たちをまとめている。


 その一葉のすぐ隣には、風葉が立っていた。

 こちらは一葉とは対照的に、静かで口数が少ない。けれど細い身体に無駄がなく、足音ひとつ立てずにそこへいる。じっと周囲を観察する瞳は、まるで風の流れそのものを見ているみたいだった。


「昨日の探索で、わかったことをまとめてきたよ」


 一葉は枝を一本手に取り、土床に描かれた簡易地図の上へこんと置く。


「まず、巣の西側に風の出る裂け目がありました。小さいけれど、下に空間がある感じです」


 その言葉に、仁の触角がわずかに揺れた。


「西側の裂け目ですか」


「うん。土がちょっと古い匂いで、でも、風が抜けてた。

その先に進むと、古い古い大木があったの。根元には水が溜まりやすい窪みがあって、甘い匂いのする草や根があった。地下に空洞もありそう」


皆が聞き入っていた。


「あとね、普通の穴の風とちょっと違ったの。湿った土だけじゃなくて、もっと……石とか、乾いた木とか、どちらの地下からも、昔のものの匂いがした」


 一葉がそう言うと、今度は風葉が一歩前に出た。


「風は弱い。でも、途切れていない。下に空間がある。近くの土も、自然に崩れた感じじゃなかった。誰かが、昔、道として固めた跡みたいだった」


 短く、けれどはっきりとした報告だった。


 蜜葉乃はぱちりと瞬く。


「まあ。では、もともと何かの通路だったのでしょうか」


「可能性は高いかと」


 答えたのは仁だった。

 彼は地図の西側を示す小石を指先でそっと寄せる。


「私も先日、あちら側の土質に少し違和感を覚えておりました。巣の周辺にしては、土の締まり方が均一すぎる箇所があるのです。おそらく自然の裂け目というより、かつて何者かが整えた通路の一部が埋もれたものでしょう」


「何者か、ですか」


 蜜葉乃が首を傾げると、仁は少しだけ考えるように目を伏せた。


「断定はできません。ただ、このあたりの地下には、かなり古い空洞群がある可能性があります」

「巣穴や獣道の類ではなく、もっと大きな、長く使われていた空間です」


 その言い方に、葉月がぴくりと反応した。


「……やっぱり、あの壁の向こう、ただの空洞じゃないのかもね」


 葉月は、腕を組んで壁にもたれている。

 しっかりした体格に、少し吊り気味の目。坑道係として巣の拡張を担う彼女は、普段から“壁の向こう”の気配に人一倍敏感だった。


「この前、西側の土を叩いたときも、奥で音が返ったんだよね。空洞にしては深いっていうか、妙に広がってる感じの返り方だった」


「そうなのですか?」


「うん。しかも一箇所じゃない。細い筋みたいに、向こう側へ続いてる感じがした」


 仁は小さく頷く。


「であれば、なおさら調査の価値はあります。もし放棄された古い通路なら、補強と掘り直し次第で、こちらの巣に取り込める可能性がある」


「取り込める……」


 蜜葉乃は、その言葉を小さく繰り返した。


 部屋も備蓄も、まだまだ足りない。これからさらに巣を広げるなら、新しい空間が必要になる。


もし、すでにそこに“使われなくなった道”があるのなら――。


「でも、すぐに通れる感じではなかったよ」


 一葉が続ける。

 土床に置いた葉片を、西側の印のあたりへそっと重ねた。


「裂け目そのものは小さいし、途中で土が詰まってる。今のままだと、風が抜けるだけ」

「ただ、風葉が見てくれたんだけど、その先に空気の流れがちゃんとあるみたいで……たぶん、どこかに大きい空間があるんじゃないかなって」


 風葉がこくりと頷く。


「深い。広い。……ちょっと、こわい匂いもした」


「こわい匂い?」


 蜜葉乃がそっと聞き返すと、風葉は少しだけ眉を寄せた。


「何かが、今も出入りしてるかもしれない匂い」

「多くはない。でも、完全に死んだ道じゃない」


 その場の空気が、ほんの少しだけ引き締まる。


 仁は表情を変えなかったが、視線だけが静かに細められた。


「重要な情報です。放棄通路であっても、向こう側に何かがいる可能性は考慮しなければなりませんね」


「何かって、例えば?」


 一葉が首を傾げる。

 すると仁は少しだけ間を置いてから、慎重に答えた。


「わかりません。小動物かもしれませんし、別の地下生物かもしれません。あるいは、かつてその空間を使っていた何者かの名残かもしれない」

「いずれにせよ、現段階では“開通させれば即利用できる便利な通路”ではなく、“調査と補強が必要な未知の経路”として扱うべきでしょう」


「未知の経路……」


 葉月はむしろ、少し楽しそうだった。

 口元だけでにやりと笑って、腕を組み直す。


「面白いじゃん。掘りがいある」


「葉月」


 仁が低く名を呼ぶ。


「わかってるって。勝手にぶち抜いたりしない。ちゃんと順番は守るよ。でもさ、壁の向こうが古い道なら、全部いちから掘るより早いかもしれないでしょ。壁の強度を見て、危ないところだけ補強すれば、空洞側に新しい出入り口を作る足がかりにもなる」


「新しい出入り口……」


 蜜葉乃が、少しだけ目を丸くした。


 それはつまり、今の地上への道とは別に、新しい経路を持つということだ。

 食糧運搬にも、避難にも、将来的な拡張にも役立つだろう。


 それは同時に“外”と繋がるということでもある。


 蜜葉乃が考え込んでいると、一葉が明るく手を上げた。


「ちゃんと他の場所も見てきたよ!」


「まあ」


「それから、木の根元に、隠れ場所になりそうな窪みがありました。地上に出たすぐ近くじゃなくて、少し離れたところ。敵が来たときの一時退避先に使えるかもしれない」


 今度は結葉が、ぱっと前へ出る。

 結葉は、まだあどけない顔立ちのまま、どこか人懐こい笑みを浮かべる子だ。


「そこ、上から葉っぱがかぶさってて、ぱっと見だとわかりにくいんです」


一葉が情報を追加する。


「しかも近くに小さい虫さんたちの通り道もあって、うまく使えば見張りも置けそうでした!」


「見張り……!」


 蜜葉乃は感心したように頷いた。

 探索班がただ食べ物を探すだけでなく、きちんと避難経路や周囲の動線まで見てきているのがわかる。


 紬葉も、少し控えめに手を挙げる。

 八女の紬葉はまだ幼く、声もやわらかいが、細かな観察が得意だった。


「それと……甘い草も採ってきました。花ほどじゃないけど、茎を傷つけると少し蜜がにじむ草です。あとは木の根っこも」


「紬葉、えらい!」


双葉が嬉しそうに褒めると、紬葉は少し照れたように触角を伏せる。


「ちょっとで良いからちょうだい!」


「……うん。双葉が無茶しないなら」


「……しないしない。大丈夫」


「今ので、ちょっと信用が減った」


「なんで!?」


 双葉が即答し、部屋の空気がふっと和らぐ。

 一葉がけらけら笑い、結葉もつられて笑った。紬葉も口元を押さえてくすくすしている。


 家族が増えたのだと、蜜葉乃は改めて思う。


 最初は卵だけだった。

 次に一葉が生まれて、双葉が芽吹き、葉月が壁を叩き、千葉夜が育房室を仕切るようになった。結葉と紬葉が探索班へ入り、そこに風葉が加わったことで、探索の精度は目に見えて上がっている。


 巣が賑やかになるのは、こんなにも心強いことだったのか。


 仁は地図の上を一通り見渡し、静かに結論を述べた。


「報告を総合します。

現時点での有望地点は三つ。

第一に、西側の風の出る裂け目――旧通路の可能性が高く、将来的な拡張先として最優先候補。

第二に、大木の根元の退避用窪地――地上活動時の緊急避難先として有用。

第三に、根の裏の浅い空隙――規模次第では補助通路、あるいは換気経路として転用可能」


「おお……」


 一葉が目を輝かせる。

 自分たちの見つけてきたものが、きちんと“巣の計画”に組み込まれていくのが嬉しいのだろう。

 蜜葉乃も頷いた。


「では、まずは西側の裂け目からでしょうか」


「はい。ただし、すぐに開通工事には入りません」


 仁はきっぱり言った。


「先行して必要なのは、追加の調査と補強資材の確保です。向こうが古い通路であるなら、内部の崩落状況、空気の流れ、敵性生物の痕跡を確認しなければならない。また、もし本当に大きな空間へ通じているなら、こちらから不用意に穴を開けるのは危険です。まずは裂け目周辺の土を安定させ、観察孔を設け、段階的に進めるべきでしょう」


「つまり」


 葉月が腕を組んだまま言う。


「今すぐぶち抜くのは却下ってことね」


「却下です」


「ちぇー」


「葉月」


「わかってるってば」


 口ではそう言いながらも、葉月は完全に“面白い仕事を見つけた顔”だった。

 おそらくもう頭の中では、どこに支柱を入れて、どの角度から掘れば崩れにくいかを考え始めているのだろう。


 仁はそんな葉月を半ば見なかったことにして、探索班へ向き直る。


「一葉」


「はい!」


「探索班は引き続き地上と周辺の調査をお願いします。特に西側裂け目の周辺について、別の出口や上部の状態がどうなっているか確認したい」


「わかった!」


「風葉は引き続き道の安全確認を。危険を感じたら即撤退してください」


「うん」


「結葉と紬葉は、一葉の補佐として地上の資源情報を集めてください。食べられるもの、隠れ場所、虫たちの動き、何でも構いません」


「はいっ」


「がんばります……!」


 一葉は胸を張って、にこっと笑った。


「探索班、ちゃんとやるよ。今度は“風の先”も見つけてくる」


 その言葉に、風葉が静かに続ける。


「一葉が前に出るなら、道は私が見る」


 一葉はぱっと振り向いて、うれしそうに笑った。


「うん、お願い、風葉!」


 そのやり取りを見ていた蜜葉乃は、胸の奥があたたかくなるのを感じた。


 長女として、妹たちを引っ張ろうとする一葉。

 そんな一葉を支えるように、静かに隣へ立つ風葉。

 結葉も紬葉も、それぞれ自分にできることを探し始めている。


 まだ小さな巣だ。

 けれども、それぞれの役割はもう確かに根を張り始めている。


「仁」


「はい」


「西の裂け目のこと、少し気になりますね」


「私もです」


「……誰かが使っていた、道」


「ええ」


 蜜葉乃はそっと視線を西側の壁へ向ける。

 土の向こう、ずっと奥。まだ見ぬ暗がりの先に、今はもう使われていない古い通路が眠っているのかもしれない。

 そこがどこへ繋がっているのか、どんな場所だったのか、まだ誰も知らない。


 けれども、もし本当にそこが大きな空間へ続くなら。

 もし、今の小さな巣では抱えきれない未来へ繋がる道なのだとしたら。


 この家族は、いつかその先へ進むのだろうか。


「……楽しみですねえ」


 ぽつりとこぼすと、仁が少しだけ目を細めた。


「怖くはありませんか」


「少しは。でもそれ以上に、皆が見つけてきてくれた道ですもの」


 蜜葉乃はやわらかく微笑む。


「だったらきっと良い道になります」


 その言葉に、一葉が嬉しそうに顔を上げた。

 風葉は照れたように少しだけ視線を逸らし、結葉と紬葉は「よかったねえ」と小声で囁き合う。葉月は腕を組んだまま、口元だけでにやりと笑っていた。


 仁だけはいつもの無表情のままだったけれど、触角の先がごくわずかにやわらいでいる。


「では、本日の方針を決定します」


 こほん、と仁が小さく咳払いをした。


「探索班は地上を継続調査。坑道係は西側裂け目方向の壁面診断と補強計画の作成。栽培区画は双葉に維持を依頼、育房室は千葉夜へ。そして護衛班の検討に入ります」


「はい!」


 元気な返事が、いくつも重なった。


 巣の西側に、風の出る裂け目がある。

 そこは古い道の名残で、ずっと奥には、もう誰も使っていない大きな地下空間が眠っているかもしれない。


 今はまだ、ただの伏せられた入口だ。

 けれども小さな家族が少しずつ役割を増やし、力をつけていくなら――いつかそこは、新しい世界へ繋がる扉になる。


 蜜葉乃はそんな予感を抱きながら、賑やかな娘たちを見つめていた。


 土の下の小さな王国は、今日もまた少しだけ広がっていく。



仁の日誌


西側裂け目、旧通路の可能性大。

自然崩落ではなく、人工的に整えられた経路の痕跡あり。

先に広い空洞が存在する見込み。


ただし完全な廃道ではない。

微弱ながら生きた気配あり。

現時点での開通は見送り、観察と補強を優先。


探索班は良好。

一葉は統率に慣れてきた。

風葉は感知能力が優秀。怖がりのくせに、報告は正確。


葉月は壁の向こうに夢を見すぎている。

たぶんそのうち勝手に掘るので監視が必要。

早めに「掘っていい場所」を与えた方が被害が少ないかもしれない。


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