129 青い池の春
今年も雨の多い季節がやってきた。
朝になると、青い池の周りには白い霧が立ち込める。
石灰岩の白い岩肌を縁取るように、透き通った水が静かに満ちている。
一つの池から溢れた水は、段差をゆっくりと流れ落ち、その下の池へ、またその下の池へと注いでいく。
ここが去年までは水の枯れた荒地だったとは、信じられないほど、濃い緑の香りに包まれていた。
石灰岩を覆うように、柔らかな苔が一面に育っている。
岩のあちこちが緑に染まり、その隙間から大小様々なキノコやシダが顔を出している。
今朝も、それを目当てに沢山の生き物が水辺に集まっていた。
春から夏は、動物たちの恋の季節でもある。
力を取り戻した青い池周辺では新しい住人も増えていた。
冬の間に身籠ったイノシシは、春に四匹のウリボウを出産した。
ナキウサギの兄弟にはお嫁さんがきて独立し、それぞれの家に、子どもが生まれた。
クマは恋のお相手を探しに、出かけて留守らしい。
梅雨の短い晴れ間に、住人たちは時間を惜しんで働きはじめた。
春に生まれたばかりの小さなウリボウの兄弟が、丘の上に集まって、ナキウサギの子ども達と楽しげに遊んでいる。ちょうど、どちらも四匹づつだ。
「やめてよ!泥だらけになるでしょう!」
「わざとだよ。こうやると気持ちいいんだから。お前もやってみろよ」
「汚したら後で叱られるって!」
「母さんだって、やってたから大丈夫!」
「泥遊びが好きなのはイノシシだけだから!」
イノシシの泥遊びに、ナキウサギたちがキャアキャア騒いで逃げ回っていた。
自分から泥に入らなくとも、連日の雨で地面は至る所がぬかるみ、ナキウサギの体はすでにドロドロだ。汚れすぎて、ナキウサギたちは誰が誰なのか見分けが付かないほどだ。
お互いの姿を見て、みんなはゲラゲラ笑いながら、茂みに入った。生い茂る葉っぱに擦り付けると、乾いた泥が少しづつ落ちる事を知っているからだ。
いつのまにか、ナキウサギの子どもたちが、かくれんぼを始めていた。
隙間に隠れるナキウサギと、それを探し回るウリボウたち。
子どもたちは斜面を駆け回り、ウリボウが立ち止まっては匂いでナキウサギの子を探していた。
そんな時、末っ子のウリボウが立ち止まってしつこく匂いを嗅ぎ始めた。
みんなが、かくれんぼを中断して集まってくると、末っ子ウリボウはおもむろに地面を掘り始めた。
「やめてよ。また泥だらけになるでしょう!」
「やっと乾いて泥が落ちたのに」
ナキウサギの子どもたちが口々に文句を言うが、一心不乱に掘っている。
やがて地中から、山芋が姿を現した。
「芋じゃないか!でかした。弟よ!」
そう言って一番上のウリボウが一口齧ったが、微妙な顔をした。
「食べられないことはないけど、スカスカだな」
その言葉に、みんな一口齧ってみた。
「たしかにスカスカだけど、お腹が空いてるし美味しいよ!」
「大きいのより、脇に出てる小さい芋の方が美味しい!」
ナキウサギの子どもたちが夢中で小さな芋を食べ始めたーーその瞬間、ウリボウの長男が声を上げた。
「小さいのは食べたらダメだよ。それは秋冬の為に取っておく。神域のルールだろ?」
「神域のルール?」
ウリボウの長男以外はポカンとしている。
「お前たち、この前の話し合いを聞いていなかったのかよ!」
「話し合い?」
それは、一週間ほど前に蟻人の一葉がやって来た時の事だろう。
小雨の降る日、水路を下って一葉が遊びに来た。青い池周辺に住む動物たちは思い思いに食料を持って水路傍の鍾乳洞に集まった。
何をするわけでもないが、荒地だった青い池の復活を祝ったのだ。
去年の今頃は、水路に水がちょろちょろと流れるばかりだった。
池を満たすほどの水はなく、流れて来たわずかな水は飲み水になった後、地下に吸い込まれる程度だった。
土地は荒れ果て、植物もアザミやイワオウギ、クサノオウなど棘だらけで毒のあるものが多かった。それでもこの地に住む生き物たちは、細々と地域を守って暮らして来た。
それがどうだろう!
今や水路には豊富な水が流れ、何段にも連なる青い池は、たっぷりの水を湛えている。
苔が満ちてキノコが生え、辺り一面に豊かな緑が育ち始めた。
「蟻人が指揮を取って、水路を復活させてくれたおかげだよ」
「そうそう。みんな感謝してるんだ」
みんなの言葉にも、一葉は笑って首を振るだけだ。
「みんなの力だよ」
そんな中、話は進んだ。
「青い池周辺の植物はできるだけ食べないって去年約束したけど、もう良いよね?」
「キノコなんて生えすぎだろう。ちょこちょこ食べちゃったよ」
「瑞々しくて一つだけ、と思ったんだけどやめられなくて」
「キノコや草は問題ないと思うよ。食べ尽くさなければ」
一葉も笑って言った。
「そうだよな」
みんな嬉しそうに頷いている。
「ただ、根っこで増える芋や、球根で増える花、それから育つのに時間のかかる木々は、気をつけてって、双葉からの伝言」
「木々はわかるけど、それ以外わからなかったんだけど?」
一葉は、カバンから何枚か絵を出した。
「まずは芋ね。丸かったり長かったり種類があるけど、地中に埋まってるやつ。冬にみんなで掘った葛も含むんだけど。芋は春に小さい芋に分かれるんだって。その小さいのを食べちゃったら、秋冬に太った芋が食べられない」
心当たりがあるのか、イノシシが絵を見て頷いている。
「たけのこもか?」
「たけのこみたいに、地面から飛び出した分は食べて良いって」
「なるほど。掘るなってことだな」
「正確には、大きいのはそんなにおいしくないけど食べても良いらしいよ。ちっちゃな方が、これから育つ部分だって」
「……って一葉が説明してただろう?」
ウリボウの長男が再度説明したが、子どもたちは思い出せないらしくポカンとしている。
「とにかく、このちっちゃい芋の子どもは、埋めとく。そしたら食べ物の足りない冬に丸々太った芋が食べられるってこと!ちっちゃいのは埋めるぞ」
子どもたちは残念そうにしていたが、長男が言った。
「大きいのは食べても良いって言ってたんだから、近くを探してみよう!」
その言葉に歓声が上がった。
そうは言っても、すぐに見つけられる範囲は、大人が掘っていないわけがない。
簡単には見つけられなかった。
地面の匂いを嗅ぎ分けながら、子どもたちは少しずつ青い池とは反対の方向へ進んでいた。
やがて、小さな洞窟のような窪みを見つけて、ナキウサギの子どもたちは入って行った。
「ちょっと見てくる!」
ウリボウは入れない大きさの穴だ。外で待っていると、一匹のナキウサギがちょこんと顔を出した。
「入口は狭いけど、ここを掘り広げれば、ウリボウでも入れると思う。中は広いよ」
早速、四匹は穴を掘り広げ、迎えにきたナキウサギと共に奥へ進んで行った。
「早く早く!」
走るナキウサギの後を、四匹のウリボウが追いかける。道は一本道で緩やかに降っていた。
スピードにのって走っていたその時!
三番目を走るウリボウの足元が崩れて、地面にぽっかりと穴が空き、中へ落ちて行った。
四番目を走るウリボウも避けきれず、続けて穴に落ちて行ったのだった。
「うわーー!!」
「わーーーー!!」
慌てて穴の上から長男が覗き込んだが、暗くて何も見えなかった。




