128 楽しい実験教室
「双葉、助けて!大失敗!毒ガスかもしれない!」
大騒ぎしながら研究室に飛び込んで来たのは本葉だ。
泉の広場は騒然とした。
「第一出入り口に近い部屋へ行け!坑道の一部を封鎖!」
護葉の指示で護衛班が集まり、辺りの蟻人達を避難させた。
双葉は実験室の一画にある、排気口近くの隔離部屋に本葉を連れ込んだ。
「たしかに酸っぱい臭い。これはもう飲めないな」
二人は地下深い、ワインの保存庫に降りてきていた。
辺り一面に、去年仕込んだ山葡萄のワインが並んでいる。
「皮を除けて、実だけ仕込んだ中の幾つかが、酸っぱい臭いになってるんだ。凄く嫌な臭い。大失敗だよね......」
毒ガスではなく、酸っぱくなったワインだとわかり、護葉の指示はすぐに解除された。
避難した蟻人たちは、やや拍子抜けしながら戻っていった。
双葉はすぐに、部屋の異変に気づいた。
「この部屋、いつもよりも暖かい。夏が近付いて、温度が上がってるんだ!すぐに調整してもらわないと、他もダメになるかもしれない」
二人は大急ぎで葉月を呼び出した。
南の山に泊まり込みで、古い巣の補修に行っているはずの葉月は、偶然にも戻ってきていた。
「ちょうどいい。私も双葉に相談があったんだよ」
そう言いながら、葉月は辺りの倉庫の空調を手早く調整してくれた。
「古い巣の仕組みを調べて、勉強したばかりだから、ちょうど試したかったんだ」
「どこが変わったの?」
「説明したら半日じゃ終わらないけど聞く?」
双葉と本葉は慌てて首を横に振った。理屈は専門家に任せておくのが一番だ。
事実、ワイン庫の温度は下がり始めていた。
ワイン庫の温度が安定したところで、双葉はようやく葉月の言葉を思い出した。
「ところで私に相談って?」
「古い巣の補修の事だよ。石灰岩の汚れは落としたんだけど、欠けた所の補修ができないんだ。天井を支える柱を削るわけにいかないだろう?」
石灰岩は柔らかい石だ。削ったり磨いたりする道具と技術はある。
「石を埋める素材か……」
双葉は少し考えていたが、ハッと何かを思い出したようだ。酸っぱい匂いのワインを一つ持つと、部屋を出ていった。葉月と本葉は、慌てて後を追いかけた。
向かった先は、泉の広場の実験室。
双葉は棚から、古い図鑑を引っ張り出して、そっとページをめくった。
「たしかこの辺りに……これだ。『貝殻などにレモンのような酸っぱい汁を混ぜて十分に練ると、パテができる。坑道や石の補修に塗り広げて使う。よく乾かした後、火で炙ると、嫌な臭いが飛ぶので地下でも安心して使える』これじゃない?」
そのページには、古の蟻人の知恵が詰まっていた。文章だけではなく、図解もされている。
「レモンって見たことないし、貝殻もわからないけど……」
本葉が絵を覗き込んだ。
「でも、そこの棚にこんな形のガラクタが積んであったよね。紬葉が、丸くて硬いからそのうちに何かに使えるかもって集めてたやつ」
そう言いながら引っ張り出したのは、カタツムリの殻や、淡水に住むタニシや巻貝の貝殻だ。形が面白いと、紬葉が大量に集めてきた物らしい。
「これが貝殻なのか?よくわからないが、石灰岩にちょっと似ている気はする」
葉月は、カタツムリの殻を摘み上げた。
「石灰岩の補修なら、白い方が色が合うよね」
双葉は、白っぽいものばかり集めて、石製の容器に入れた。
「隔離部屋に移動するよ。その酸っぱい匂いの失敗作を持ってきて」
「まずは、殻をザッと砕く。それからこの酸っぱい匂いのワインを数滴入れてみよう」
本葉が力任せに砕いた殻に、葉月が少しずつ酸っぱいワインを木のスプーンで垂らした。
するとどうだろう。ブクブクと泡が立ち、やがて消えた。
「うっすら溶けてる?もう少し入れてみようか」
今度はさらに泡が出た。
「ひどい臭い」
本葉は顔をしかめながら、一心不乱に木の棒で混ぜ続けた。
やがて泡が収まり、図鑑の記述通りのパテが出来上がったのだ。
「本当にできた……」
初めての実験に、葉月が目を輝かせて言った。
「面白いでしょう!だから実験ってやめられないんだよ」
本葉が誇らしそうに、パテを近くにあった石に塗りこめた。
「これで乾くまで放置かな。相変わらずひどい臭いだ。早くここを出ようよ」
本葉の言葉に双葉が首を横に振った。
「他の素材も確認しよう。より良い材料が見つかるかもしれない」
「こっちの殻は硬すぎて、砕くのに時間がかかるし、なかなか溶けないよ」
本葉は苦戦しながらも仕上げた。
出来上がったパテを、葉月は石に塗りこめながら言った。
「作るのに時間がかかるけど、できたパテはずっと扱いやすいね」
「ただ、色が濁ってる。外側の殻の色がそのままパテの色になるのか……」
双葉の言う通り、表面の苔や殻の色がそのままパテに出ている。
「面倒だな。貝殻ごと酸っぱいワインに漬けたら、表面だけ解けないかな?」
本葉はそう言うと、ポイっと丸ごと放り込んだ。早すぎて止める暇もなかった。
慌てて葉月が殻を取り出そうとするのを双葉が止めた。
「見て!」
変化がないように見えたが、よく見ると表面からほんの少しずつ泡が付き始めたのだ。
「これは時間をかければ、表面の色だけ溶けるかもしれないな」
「一晩置いてみる?」
「さっき溶けないと思った石灰岩も漬けておこう」
こうして実験は繰り返され、やがて白く輝くようなパテが開発されていくのだった。
「酸っぱいワインをもう一度作って」
後日、そう言われた本葉が頭を抱えることになるのだが……




