122 旅立ちと再会
「おはよう、蜜葉乃。ゆっくり眠れたかい?」
仁の甘い声で目が覚めた。
そうだった。クモの集落に来たのだったわ。
辺りを見回しながら、蜜葉乃は仁に微笑んだ。
「おはよう仁。早起きなのね」
「今日は昨夜と打って変わって、いいお天気だ。起きないとクモの子たちのバルーニングを見逃してしまうよ?」
仁は最近やっと、二人きりの時には夫婦らしく振る舞ってくれるようになった。
差し出された仁の手に掴まり、蜜葉乃は体を起こした。
すかさず温かいタオルが差し出され、仁が手際よく朝の支度を手伝ってくれる。
準備されたドレスに着替えると、仁の手を取って歩き出した。
女王としての一日が、また始まる。
屋外の広場に出ると、外は雲ひとつない快晴だ。
クモの集落の一番端っこの木の高い位置に広場はあった。
子グモたちと、その親がすでに集まり、それぞれに別れの挨拶をしている。
クモのバルーニング。
クモは自ら何本もの糸を吐き出し、風に乗せる。
その糸に体を引かせ、大空へと舞い上がるのだ。
行き先は風まかせ。
どこへ運ばれるのか、無事にたどり着けるのかさえ分からない。
新しい場所で生きていくための旅。
もう二度と会えない別れなのかもしれない。
蜜葉乃は感傷的に眺めていたのだが......
「ちゃんとキジバトの言うことを聞くのよ」
「自由だと思ってハメを外してはダメよ。報告が来るのですからね」
そんな会話があちこちから聞こえてくる。
案内の守弦がそっと教えてくれた。
「よほど遠くに行かない限り、キジバトのネットワークで見守られているんです」
「まあ!」
「危険があれば助けが駆けつけますし、頼めば手紙も届けてくれます。そうやって慣れた頃、この子達もそのネットワークの一員として過ごすようになるのですよ」
「神域外も神様は見守ってらっしゃるのね」
「守弦が神様のために作り上げたシステムです。神様はお忙しい方ですからね」
クモ族を中心に、何世代にも渡って築き上げてきた世界があるらしい。
そうしているうちに、旅立つ子どもたちが広場の端に集まり、何本もの糸を出して風にたなびかせ始めた。
広場に優しい風が吹き抜け、思わず目を閉じる。
目を開けた時にはもう、子グモたちは大空に攫われ見えなくなっていた。
「行ってきます」
微かに響いてくる声だけが、子グモがいた名残りだった。
なんだか婚姻飛行を思い出すわね。
もう背中の羽はないけれど、代わりに優しい仁と、たくさんの娘たち。私は幸せを手に入れたわ。
ふと仁に目を向けると、彼も蜜葉乃を見つめていた。
まるで黒曜石のような、凛としてそれでいて優しい仁の瞳。
「今度、蜜葉乃さまの育った場所を訪れてみましょうか?」
「生まれ育った巣に?」
どのようなところだったのか、思い出そうとした。ぼんやりと、ばあやの顔が浮かんだが、婚姻飛行より前の記憶はすでに曖昧だ。
「外の世界も見てみたいわね。いつか女王を引退したら、一緒に見て回れるかしら......」
「もちろん。貴方の望むままに」
仁が耳元でそっと囁いた。
まだまだ蟻人の巣は始まったばかり。
神域には蜜葉乃の巣しかない。
女王を産み育てて、別の巣を増やすことも必要だ。
引退までの道のりは、まだまだ遠い。
「まずは神域を豊かな場所にしたいわ」
「クモ族の作る家具や雑貨は素晴らしいですね。是非、手に入れたいものです」
「まずは、相互に交流を持つことが必要ですね。定期的に交易の計画はどうでしょうか?」
そう言って守弦は蜜葉乃と仁を、ある部屋に案内した。
そこはクモの役所だった。
「交易の希望は、昨日の会議でクモの方からも出たのです。ちょうどお話しようと思っていたのですよ」
案内された部屋には、一葉も呼ばれていた。
担当者らしき、小型のクモが勢いよく立ち上がり、目を潤ませて挨拶を始めた。
「はじめまして。再びこの地で蟻人の皆さんとお会いできた事を、嬉しく思います。私は、交易担当の糸月と申します」
『はじめまして』なのに『再び』? 蜜葉乃と仁、一葉はそろって不思議そうな顔をした。
守弦が説明をしてくれた。
「古き夜弦の時代、蟻人とクモは良き盟友だったと言い伝えられているのです。作られたばかりの神域を、共に発展させた、中心となる種族だったと」
蟻人たちが納得して頷き、蜜葉乃が口を開いた。
「私も、保管庫の資料にそう記録されていたことは、仁や双葉から聞きました。今代も手を取り合って、神様にお仕えできる事を願います」
それを聞いた糸月は嬉しそうに何度も首を縦に振りながら言った。
「良かった!では早速、蟻人たちの巣を案内しましょう!」
それを聞いた守弦が慌てた。
「先走りすぎだ!蟻人の皆さんは、まだ何も事情をご存知じゃない!」
蜜葉乃と仁は顔を見合わせた。




