第三話
BBは焦っていた。
いつまでもこうしているわけにはいかない。いつもなら奥の部屋には部長がいるはずだったが、あいにく今日は裁判所に呼び出されている。他にも刑事がいるが、午前中の早い時間に隣町のサイフォークへ聞き込みに出かけていて、戻る予定は夜遅くになっていた。今日はシフトにあたっている制服警官も他にも何人かいるはずなのだが、ちょうどこの男が入ってきたときにはドアの外へ出ていて今はドアレバーロックに締め出された格好だ。そのうちの誰かがこの事態に気づいてドアの外で騒いでくれたら、男の気がそちらへそれるかもしれない、という淡い期待をBBは持っていた。
だが、五分経っても十分経っても一向にその気配すらない。ドアの右側の壁はガラス張りになっている。そこに立ちさえすれば中が覗けてるはずだが、そもそも二階にあがってこないことにはどうにもならない。普段ならうるさいほどに人の出入りがあるというのに。今日に限っては、連行される強盗殺人犯も、隣人が人殺しだと金切り声で騒ぐばあさんもいない。
きわめつけにいつもなら鳴りっぱなしの署内電話すら、うんともすんとも言わないのだ。
「あいつら、真面目に仕事してやがんのか。クリスマスだからってうかれすぎだろ?」
BBは胸の中で悪態をついた。
もちろん、制服警官は他にも仕事がある。彼らの机も下の詰め所にあるのだから、BBに責められる筋合いはこれっぽっちもない。かといって、エリックが自らおとりとなって男の気を引いてくれる、というわけにもいかなそうだった。
BBがちらりとエリックのほうをうかがっても、彼は少し蒼ざめた硬い表情でじっと男のほうをみつめたきりでアイコンタクトもとれない。
しかたがない、自分でなんとかするしかなさそうだ。
「なぁ、あんた。レニーに何の用があるんだよ?」
まずBBは男にそう尋ねた。ふふん、と男は鼻で笑った。
「奴は俺の大事な弟をぱくりやがった。奴のせいで俺の可愛い弟はムショに入れられたんだよ」
こりゃまたずいぶん聞き飽きた、しごくありきたりな理由だ。BBは心の中でため息をつく。
「俺たちは刑事だ。ぱくるのは仕事なんだぜ? 弟は無実だったとでもいいたいのか」
噛み付くようなBBの言葉に、男の眉がつり上がった。
「確かに、おまえたちゃぱくる。おれたちゃ盗む。それが仕事ってもんだ。だがな、俺のたった一人の弟は、クリスマスだってのにムショで死んじまったんだよ。なぁ、そういうのはさ。許せるとかそういうことじゃないだろう? これは。俺の身内は奴だけだったのに・・・・・・。違うか? でかいの」
「ムショで死んだ? お前、コーツの兄貴か?」
少し前にレニーが言っていたことがある。殺人課へ異動になる前に強盗で逮捕した男が、刑務所の中で刃傷沙汰に巻き込まれたと。だが、それはレニーのせいではない。コーツの弟は、縄張り争いの喧嘩に自分から加わって刺されたのだ。
「それがレニーのせいかよ、コーツ」
苦々しげなBBの声にコーツが低い笑い声をあげた。
「奴のせいさ、レニー・クラウン。俺はあいつを殺るまで諦めねぇぜ。ここで奴を待つ。あいつはもうすぐここへ来るはずだ。そうだろ?」
BBの目が細められた。
「なんでそう思うんだ、コーツ。レニーは非番だぞ」
コーツはくくっと笑い声をあげた。
「違うね。奴の出は今日だ。下でこいつに出退勤を確認させた。システム内ではすでに出勤扱いになってたぜ?」
抜け目のない野郎だ、とBBは舌打ちした。そんな様子のBBにはおかまいなしに、コーツは舌なめずりして夢見るような調子で続ける。
「奴が戻ってきたら、まずは中へ入ってもらうかな。 女みてぇな顔ってやつをじっくり拝ましてもらう。それから謝ってもらおう、俺と弟に。そしたら俺からのクリスマスプレゼントだ」
コーツは、マリアに突きつけていた銃がよく見えるように身体全体を少しだけBBのほうへ向けた。ハイヒールのマリアがよろめくが、男の腕は案外強く、彼女の身体を離そうとはしない。
「銀色のプレゼントだぜ? なかなか悪くないだろ?」
「あとはどうするんだ。逃げられるわけがないだろう。ここをどこだと思ってるんだよ、え? コーツよ」
コーツは含み笑いをしながら、BBとエリックを等分に眺めた。
「なぁ、でかいの。俺が銃とナイフだけでここに来たとは思ってないよな?」
「なにっ?」
慌てたBBの声に、くくくっとコーツは嫌な笑いを漏らした。
「ここの廊下にな、紙袋が置いてある。中にはC-4が入ってるんだ」
「なんだと? プラスチック爆弾か!」
「時限装置もついてるぜ? ヘタに触ると爆発するしな。電話をしろよ、でかいの。誰でもいい。さっさとクラウンを探してこないとえらいことになるってな。もちろんしゃがむなよ? お前のスマホじゃなくて署内電話を使え」
コーツは顎でBBに署内電話を示した。何を考えてるんだ、こいつ。BBはコーツの真意を測りきれず眉をひそめた。
レニーは走っていた。
「助けて! お願い、誰かー。引ったくりよ! あのサンタクロースを捕まえてーーーーーっ!」
デパートとは反対側の通りで、太った女性が金切り声で叫んでいる。彼女の指差す先には、一人のサンタクロースが走っていた。
おなじみの赤い上着に赤いズボン、ご丁寧に白いファーのついた赤い帽子まできっちり深くかぶっている。手には白い袋ではなく、女性から奪ったらしき大きな革製のハンドバッグ。
他にも何人もの人が歩いているが、みんな恐ろしそうに道をあけて避けるだけで、誰も追いかけようとも捕まえようともしていない。安全なところからスマートフォンで動画を撮ってる奴までいる。デパート前よりも人通りが少ないので、人の間を縫うように走るのも引ったくり犯にとっては楽勝だ。引ったくりサンタクロースはそのまま通りを走り抜け、逃げおおせるかのように見えた。
もちろん、それをレニーが見逃すはずはない。最初の悲鳴を聞いた時点で、レニーはすでにその方向へ向かっていた。赤い服が視界から逃げ切る前に、レニーはその男のすぐ後ろまで迫っていた。だが、いくら脚が早くても斜めに公園を突っ切ってきたレニーには、男を追うのが精一杯で、あと一歩で捕まえることはできない。
「絶対に逃がさないぞ、罰当りの偽サンタめ!」
レニーは人にぶつかるのを避け、舗道ではなく車道を走っている。
まもなくサンタクロースがレニーの目の前を横切り、道路の向かい側からまっすぐ奥に向かって伸びる細い路地に飛び込むのが見えた。そこから先の路地には人通りも監視カメラもない。
だが、レニーはにやりと笑った。
「しめた! 間抜け野郎め」
あそこの先は小さな広場になっているが、出口は今入ったあの道だけだ。路地の両側はビルの壁になっている。入り込めそうな窓も裏口もない。奥の広場は、それぞれレンガ造りの建物が四方に建っていて中庭のようになっている。前はそこへいたる扉がそれぞれの建物についていたのだが、何年か前、少年ギャングと麻薬密売人たちの溜まり場になってしまい、頭に来た管理人が全部の戸口を封じてしまったのだ。路地にはないが、広場には監視カメラもついているはずだ。
だから、その先はどこにも抜けようがないはずだった。レニーは意気揚揚と、引ったくり犯のあとから広場に走りこんだ。細い暗い路地を抜けたところで、急に視界が明るくそしてにぎやかになる。そこで見たものに、レニーは呆然として足を止めた。
「なんだよ、これ」
狭い広場の中にいたのは、たったひとりの引ったくり犯だけではなかった。何十人ものサンタクロースと何十人もの子供たちと何十人もの老人たち。つまり広場は、サンタクロースと子供と老人であふれかえっていたのだった。
BBは困惑していた。
コーツがC-4爆弾だって? 何を企んでやがる、とBBは首をひねらざるを得ない。C-4爆弾なんて、そこらのドラッグストアやショッピングセンターで気軽に買えるようなものではない。闇のインターネットなら買えなくもないかもしれないが、それだってそんなに容易いとは思えない。しかも、コーツが普通のインターネットショッピングで買い物をしているところすらBBには想像できなかった。パソコンをいじくりまわしたりするよりは、どこかの裏口でゲンナマ取引をするほうがよっぽど似合っている。
だからといって、コーツが爆弾を自作できるようにも思えない。レニーに聞いたコーツの弟の生い立ちでは、兄が弟よりもいい生活をしていたはずはなく、教育が行き届いていたとは決していえなかった。こんなことをいえばレニーに偏見を持つなといわれそうだが。裏の世界に属している者の中には、特にその手のものに精通しているタイプも少なくない。学校に満足に行っていない者が賢くない、ということはないのだ。勉強が出来る奴と頭がいい奴は異なる、というのがレニーの持論だった。
BBは迷った。そのレニーの説を取るならば、コーツの兄に爆弾が扱えない、という思いこみは危険かもしれない。だが、なぜ奴は部屋の外に爆弾を置いてきたのか。この署自体をふっ飛ばすつもりなのか? いや、タイマー付きってことはレニーを殺したあと、逃げるために使おうというつもりかもしれない。それはいったいどこに? いや、そんなこと、いまここで考えても無駄だ。とりあえず、こいつをなんとかしなくては。何かでこいつの気を引いて、床の銃を拾わなくては。
暑くもないのに、BBの褐色の額をつうっと一筋汗が滴った。
マリアは仰天した。
C-4ってプラスチック爆弾? このタバコ臭い男はナイフと銃だけではなく、そんな危険なものまで持っていたのか。しかも、時限装置付きということは、時間がきたら否応なく爆発するということだ。
どうして? なんであたしは今日、ここにいなくちゃいけなかったの? マリアは泣きたくなった。
イアン! お願い助けて! ホープの馬鹿がなんと言おうとも、もう絶対クリスマスにシフトなんて入れないわ。
神様、お願いよ。この男をなんとかして。
お願い、BB。
早くこんな馬鹿、いつもみたいに軽くやっつけちゃって。
お願い、エリック。
あんただって刑事じゃないの。新米だっていっても、もう一年になるのよ。なんとかしなさいよ。
お願い、レニー。
これにはあなたの責任もあんのよ。早く来てなんとかしてよ。
お願い! 神様、あたしに勇気をください。
エリックは動揺していた。
爆弾? ここで? この場所で爆発が起きるのか?
見たことがある、爆弾で吹き飛ばされた男を。誰かが――あとで妻の愛人だとわかったが――、彼の車にエンジンをかけたら爆発するような爆弾を仕掛けたのだ。目撃者からの通報で現場に着いたとき、エリックはまだ駆け出しの制服警官だった。残骸と化した車に辿りつく前に、自分の足元に赤黒い塊を見つけてエリックはたまらず植え込みの影で吐いた。
ひどい死体だった。顔に面影すら残らない。真っ黒に燃えてしまった部分と吹き飛ばされてただの塊と化した……。再びエリックを吐き気が襲った。二度とあんな死体を見るのはごめんだ。もちろん、自分が『あれ』になるのもごめんだった。エリックは少し涙目になりながら男をみつめた。
ちくしょう! 絶対こいつの思い通りになんかさせないぞ。
ちくしょう! とコーツも思っていた。
せっかくここまで来たのに、クラウンの野郎がいねぇなんて思ってなかったぜ。奴がシフトの日だということは前から知っていた。事件で署にいないかもしれないということも考えて、念の為に制服警官に銃を突きつけて、わざわざ出退勤システムまで確認までさせたってのに。刑事や警官が少ない日、ということで今日を選んだのは正解だったが、奴が席をはずしているというのは予定外だった。早くしないと時限装置が作動してしまう。奴を撃って爆発した隙に逃げる、そういう計画だったのだが。
早く戻って来い、レニー・クラウン。お前にプレゼントをくれてやる。楽しいクリスマスのプレゼントを……。




