第三話 『氷書の嘲笑、聖戦は告げられる』
第三話『氷書の嘲笑、聖戦は告げられる』です。
北方自治区メテオとの衝突は、もはや避けられないものとなっていきます。
一通の書状によって揺らぐ王国の威信。
それを前に、ナイトメア、エース、マックス、そしてファングがどのような決断を下すのか。
静かな侮辱が、やがて大きな戦の火種となる回です。
ぜひ最後まで読んでいただけると嬉しいです。
北方自治区メテオの大門を背に、本国軍は雪のちらつく街道を南へ下っていた。軍靴が凍った土を踏みしめる音だけが、沈黙の中に連なっている。
その沈黙を裂くように、ナイトメアの怒声が響いた。
「ふざけるな……ふざけるなふざけるなふざけるな!! あの北の理想主義者ども、どこまで我らを愚弄すれば気が済む!? あの程度の自治区風情が、本国の軍を門前で追い返しただと!? 虫けらが王にでもなったつもりか!」
「落ち着け、ナイトメア」
隣を歩くマックスが、低い声で諭す。
だが、ナイトメアの激情は収まらない。黒いローブの裾が風に揺れるたび、その周囲の空気がわずかに軋んだ。感情の高ぶりに呼応するように、彼の身体を構成する暗黒物質が、輪郭の奥で不吉に蠢いている。
「落ち着けだと? マックス、貴様はあれを見ていなかったのか? 奴らは我らを拒んだ。陛下の命を拒んだ。本国の武威を、あの門の前で踏みにじったんだぞ。メテオなど、所詮は身の程を知らぬ雑種どもの巣だ。平等だの権利だのと耳障りのいい言葉を並べ、王の庇護の下で息をしてきた分際で、今さら牙を剥くなど笑わせる」
「言葉を選びなさい、ナイトメア」
エースの声が、静かに割って入った。
その声音は穏やかだった。だが、普段よりもわずかに冷たい。
「ここには兵もいます。あなたの怒りは理解しますが、指揮官が感情のまま叫べば、軍全体が揺らぎます」
「知ったことか。揺らぐような兵なら捨て置け。俺は今すぐ引き返して、あの門ごとメテオを闇に沈める」
「それをしては、こちらが先に手を出したことになります」
「だから何だ?」
ナイトメアが振り向いた。
仮面の奥に目は見えない。だが、そこに宿る憎悪だけは、雪の中でもはっきりと感じられた。
「どうせ奴らは反逆者だ。反逆者に礼儀など不要だろう」
「それを決めるのは、我々ではありません」
エースはそう言って、手に持っていた書状へと視線を落とした。
イーブルが最後に差し出した、アルバートからの見舞いの手紙。
「まずは、これを確認します」
エースが封を切る。
マックスも無言で近づいた。ナイトメアは苛立たしげに舌打ちしながらも、その場に立ち止まる。
広げられた羊皮紙には、整った筆跡でこう記されていた。
『ファング・アレクサンドラ王へ
このたび、陛下におかれましては御高熱により御身を患われている由、北方自治区メテオを預かる者として、深くお見舞い申し上げます。
もし御身を苛む熱がなお激しく、御苦痛に堪えぬものであるならば、私アルバート・クレイジスタの有する氷の力にて、その御身をお冷やし申し上げることも可能にございます。
古き協定の精神とは、困難の折にこそ互いを助け合うことにあると、私は心得ております。
どうか御身を大切になされませ。必要とあらば、いつなりとも北天の氷をご用命ください。
北方自治区メテオ頭領
アルバート・クレイジスタ』
読み終えた瞬間、空気が止まった。
先に反応したのは、ナイトメアではなかった。
「……なるほどな」
マックスの声が、低く沈んだ。
普段の彼は、怒りを表に出す男ではない。武人としての礼節を重んじ、感情を力に変える術を知っている。だが今、その拳は静かに握り込まれ、革手袋の内側で骨が軋む音がした。
「これは……見舞いではないな」
「ええ」
エースの眉間に皺が寄る。
「見舞いの体裁を取った、侮辱です」
「陛下の病を嘲ったか」
マックスの声が、さらに低くなる。
「アルバート・クレイジスタ……どうやら我々は少々見くびっていたらしい」
その一言は称賛ではない。怒りを抑えるため、あえて冷静な言葉を選んでいるだけだった。
だが、ナイトメアにはそれすら無理だった。
「もういい」
ナイトメアが、静かに言った。
先ほどまでの怒声とは違う。冷え切った声だった。
「もういい。俺が行く」
「ナイトメア」
「止めるな、エース。俺一人で十分だ。門を破り、兵を潰し、イーブルの薄汚い首を引き千切って、アルバートの角をへし折ってやる。あの氷の力とやらも、俺の暗黒空間で腐らせてやる」
言うが早いか、ナイトメアは踵を返した。
その背を、エースの手が掴む。
「行かせません」
「離せ」
「離しません」
ナイトメアの肩が震えた。
「エース。俺を誰だと思っている?」
「私の部下です」
その即答に、ナイトメアの空気が変わった。
暗黒物質が膨れ上がる。黒い影が雪の上へ広がり、兵たちがざわめいた。マックスが一歩、前に出る。
「ナイトメア、やめろ」
「黙っていろ!」
ナイトメアはエースの手を力尽くで振り払おうとした。
その瞬間だった。
「――控えなさい」
エースの声が、戦場を圧した。
柔らかな響きは消えていた。そこにあったのは、熾天使としての威光そのものだった。
彼女の背後に、白銀と黄金の光が一瞬だけ開く。翼が完全に現れたわけではない。剣を抜いたわけでもない。
ただそれだけで、雪が止まったように見えた。
兵たちは息を呑み、マックスでさえ目を見開いた。
ナイトメアの影が、わずかに縮む。
「ナイトメア・フリッツ」
エースは彼の名を呼んだ。
「あなたの怒りは正しい。侮辱されたのは、陛下だけではありません。我々全員です。ですが、ここであなたが単独で動けば、メテオを討つ大義は曇ります。あなたは陛下の刃であって、感情に任せて暴れる獣ではないはずです」
「……」
「それとも、あなたはイーブル・クロックの挑発に乗せられたまま、敵の望む通りに動くのですか?」
その言葉に、ナイトメアの身体が止まった。
怒りは消えていない。むしろ、さらに深く燃えている。
しかし、エースの圧は、それを上から押さえ込んでいた。
普段、彼女は怒らない。穏やかに諭し、慈悲をもって接し、ナイトメアの暴走すら柔らかく受け止める。
だからこそ、その一瞬の高圧的な態度は、異様だった。
マックスが小さく息を吐く。
「……お前がそこまで怒るのは、珍しいな」
「ええ……」
エースの語気は、普段通りに戻っていた。
ナイトメアもまた、しばらく沈黙した後、乱暴にエースの手を振りほどいた。だが、今度はメテオへ向かおうとはしなかった。
「……ならば、どうする」
「王城へ戻ります。この書状を陛下に提出します」
「陛下に?」
「ええ。これはもはや、私たちの判断で処理できる侮辱ではありません。メテオが本国の命令を拒み、さらに王へこのような書状を送りつけた。陛下がどう判断されるか、その裁可を仰ぎます」
ナイトメアはしばらく黙っていた。
やがて、仮面の奥から低い声が漏れる。
「……いいだろう。だが、陛下が討てと言えば、俺は真っ先に行く」
「陛下の命であるならば、その時は止めません」
マックスがゆっくりとうなずく。
「俺も異論はない。これは報告すべき案件だ」
三人の間に、冷たい沈黙が落ちた。
雪はその強さを増し、辺り一面を白く染め上げていった。
王都オルドレアへ帰還した本国軍は、そのまま王城ヴァルメイアへと入った。
玉座の間には、重い空気が満ちていた。
ファング・アレクサンドラは、病によって万全ではない。だが、少し前よりかはいくらか回復したようで、玉座に姿を見せていた。王としての威圧が消えたわけではなかった。
エースは膝をつき、書状を差し出した。
「陛下。北方自治区メテオより、書状が届いております」
「……読め」
短い命令だった。
エースは一礼し、書状の内容を読み上げた。
玉座の間に、アルバートの言葉が静かに響き渡る。
高熱を案じる文面。
氷の力で冷やすという申し出。
助け合いの精神。
北天の氷。
読み終えた瞬間、玉座の肘掛けが砕けた。
「……アルバートォ……!」
ファングの声が、低く響いた。血管が今にも破裂しそうなほどに浮き上がり、その目は燃え上がったかのように充血している。病の熱ではなく、迸る怒りによってファングの体が灼熱に包まれていた。
「我が命を拒み、我が軍を退け、挙げ句の果てにこの書状か。北の氷竜め……随分と余を侮ってくれる」
玉座の間にいた臣下たちは、誰一人として声を発しなかった。
ファングは立ち上がった。よろける動作を微塵も見せず、さながら全盛期の姿を取り戻したかのような覇気に、空気が震える。
「自治区メテオは、もはや自治区にあらず。王命に背き、王威を嘲り、本国軍を拒んだ反逆者の集団である」
その言葉に、エースの表情がわずかに強張った。
ナイトメアは口元を歪める。
マックスは黙って王を見据えていた。
「よって、余の名において命ずる。北方自治区メテオを解体せよ。アルバート・クレイジスタ以下、王命に背く者どもを討ち、北方を再び王国の直轄地とする」
ファングは剣を抜いた。
病床に伏していた王とは思えぬ覇気が、玉座の間を満たす。
「これは鎮圧ではない」
王の声が、響く。
「聖戦である」
その一言で、場の空気が変わった。
「“狂神”を出せ」
「陛下……それでは……」
「不満があるか、エース」
言い切る前に、エースは口を閉ざされた。
「メテオの土地が荒れ野原にならんといいが」
「そんな希望的観測は捨ておけマックス。余の武威をコケにしたメテオの土地など、もはや残す価値もない」
「陛下は、本当に殲滅なさるおつもりなのですね」
エースの声には、わずかな恐れが含まれていた。
だが、ナイトメアは笑った。
先ほどまでの怒りとは違う。深く、暗く、愉悦に満ちた笑みだった。
「当然だ。ようやく大義名分ができた。あの理想主義者どもを叩き潰す、正式な理由がな」
マックスもまた、静かに拳を握った。
「王命とあらば、従うまでだ」
ファングは剣を掲げた。
「北天に巣食う反逆者どもへ、王国の怒りを示せ。氷の理想を掲げるならば、その氷ごと砕いてやれ」
玉座の間に、将たちの声が重なる。
「御意」
こうして、北方自治区メテオへの出征が決定された。
国家が国家を潰すための、聖なる戦の始まりだった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
第三話では、メテオからの書状をきっかけに、ドミニオン王国がいよいよ本格的に動き出す流れを描きました。
ナイトメアの怒り、エースの理性、マックスの忠義、そしてファングの王としての決断。
それぞれの立場が少しずつ噛み合いながら、物語は戦へ向かって進んでいきます。
次回は、ドミニオン軍の出陣と、戦場へ向かう者たちの姿を描く予定です。
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今後とも『LASTDAY』をよろしくお願いいたします。




