第十八話 『地下の断罪、悪夢は南方を睨む』
「何用だ」
「お前に聞いた面白いやつに、会ってきた」
みすぼらしい格好をした男は、鼻を鳴らしてイーブルを招き入れた。
「で、どうだった?」
「名も明かさぬ……肝心なことは我らに教える気はないらしいが」
「そりゃあそうだろうな。むしろ、奴が真正面に出てきたことの方が驚きだ」
「その口ぶりを見ると、お前は名前を知っているのか?」
「知るわけがないだろう」
あまりにも尊大に言うので、イーブルは開いた口がふさがらなくなってしまった。
「お前が会ってみろと言ったんだろう。オリヴァー」
「そうだったっけ?」
底意地の悪い笑みは、イーブルが人を見下すときにする笑みによく似ている。だが、山奥で暮らす世捨て人のオリヴァーの笑みは、イーブルのそれと違って大した意図はない。本心から、イーブルをからかっているのだった。
「まあ、世も捨てたもんじゃないとは思ったがな。あのローブの男、何やらすごい力を持っているらしい」
「ほう、実際に会ってみてそれがわかったか」
「“カリスマ”だな」
「ああ、それは厄介だ」
一体誰の目線でオリヴァーは喋っているのだろうか。おそらく、自分の目線で喋っているのだろうと言うことはイーブルにもわかるが、オリヴァーはもっと別の視点を持っているように感じられた。
「それで、イーブル? お前、他にも何か隠しているな」
「さすがにお前にはかなわん。あたりだ」
「言ってみろ」
「随分と、面白いやつがドミニオンにいた。おまけに、あのナイトメア直属の部下だそうだ」
オリヴァーの目の色が変わった。耳もやや赤くなっている。
「つけられてはいないだろうな!?」
「当たり前だ。そんなことがあれば斬っている」
その言葉を聞いて、少しオリヴァーは安心したらしい。
「……ナイトメアの部下で、面白いって?」
「人間だった。それに、俺の南方での活動を“黙殺”する、と」
オリヴァーは目を丸くして驚いた後、大口をたたいて笑い始めた。
「そりゃたまげた。大ホラ吹きになったもんだなお前も」
「嘘じゃない。嘘だと思うなら、お前の情報網で調べりゃわかる話だ。名をアーロン・アッヘンヴァルといった」
どうやら、イーブルの話は真剣な話らしい。笑いの熱も冷めてしまった。
真実だとしたら、ナイトメアの下に人間がいるのがわからない、という様子で、オリヴァーはずっと思案し続けた。そして、「わかったぞ!」という風に手柄顔を浮かべ、口角を上げながら口を開く。
「可哀想にな。そのアーロンさん、殺されるぜ」
「殺される?」
「まあ、簡単な話だわな。ナイトメアが“電撃部隊”なんていうくっさい名前の部隊を率いだしたのは知ってたが、それを良く思わん連中がドミニオンにいるんだろ。それが誰かはわからんが、まあ少なくともその“人間”をナイトメアの下で働かせて、あわよくば死んでもらいたいんだろうぜ。管理責任を取らされるのは隊長のナイトメアだからな」
オリヴァーの推測に根拠はない。だが、それを否定できる要素もまたない。そして、こういう時のオリヴァーの推測は、大体当たるのだ。
「まあ、事故死ならまだいいわな。軟弱な“人間”ならそういうこともあるだろう。だが、なかなか死ななかったら? 事故に見せかけて殺すか、あるいはナイトメアと対立してナイトメア本人に殺される、かもな。後者の方がドミニオンの上の奴らが描きそうな狡猾なシナリオだ。そっちの方がナイトメアを“処理”しやすい」
「……惜しいな。お前とは、アルバートの下でもう一度足を並べて戦いたいものだ」
オリヴァーはフンと鼻を鳴らした。どうやら今度は、否定の意味らしい。
「やだね。お前みたいな博打うちと一緒にいたら、命がいくつあっても足らん。それに、お前と違って、俺には守らなきゃいけないもんがあるんだよ」
イーブルの首から下げられたロケットをしげしげと見つめながら、オリヴァーは言った。
「……俺に、守るものがないとでも?」
「実際そうだろうが。運よく拾った命だ。大切にせにゃならんと俺は思ってる。お前はそうじゃないから、ドミニオンに喧嘩を売るなんて大博打が打てるんだ」
オリヴァーの口調はとげとげしいが、言っていること自体は事実に他ならない。イーブルも、何も言い返すことができなかった。
「大体、お前に情報を逐一与えてやってるだけでもありがたいと思え。ドミニオンの動きも最近あわただしい。いつ何時俺がしょっぴかれるのかわからねえんだぞ?」
「……」
イーブルの顔が暗くなり、何も答えなくなってしまった。こういう時、普通なら謝るのだが、オリヴァーはそのようなそぶりを一切見せない。
体感でいえば、ずいぶんと長い時間がたったような気がしたが、イーブルが何もしゃべってこないので、しびれを切らしてオリヴァーが口を開いた。
「……気の毒だとは思っちゃいるんだがな。なんせ、あの事件じゃ……」
「その話はよそう。レイに少し、挨拶をしてから帰りたいんだが」
「レイなら今寝ているさ。起こすのも悪いだろ?」
「そうか。じゃあ、また何かあったら連絡する」
イーブルは、小さな山小屋を後にした。
その姿が完全に見えなくなると、オリヴァーは「ふう」と小さなため息を吐いた。
「よかったの? 私もイーブルさんと久しぶりに話したかったし、こんな山奥でくすぶっていたっていいことは何もないわよ」
奥のふすまを開けて、美しい少女が声をかける。みすぼらしい格好のオリヴァーとは比べ物にならない。
「……あいつが、成長したお前を見て何と思うか。それを考えると、な……俺はお前を一人にはしておけん……」
「ねえ、一体何があったの? 昔、兄さんとイーブルさん、アルバートさんと……」
「それだけは絶対に言えん。レイ、悪いことは言わん。知らん方がいいこともあるんだ」
レイは、今年で20歳になる。もう、十分に大人と言える年齢だったので、兄が隠している秘密を知れるかも、と思っていたのだが、その兄のあまりのすごみ方に何も言えなくなってしまった。
「そう……わかった。おやすみなさい兄さん」
「ああ、おやすみ」
ふっと灯が消えた山小屋を、遠目でイーブルは眺めていた。ロケットを開きながら、ぽつりとつぶやく。
「いつか……再び我らと……」
そのつぶやきは風に乗り、はるか彼方へと飛び去って行った。
◇
「……とのことです」
「ふざけるな!!!」
王城ヴァルメイアの地下に、ナイトメアの怒号が響き渡った。
分厚い石壁に囲まれた地下書斎。その怒声は幾重にも反響し、壁に掛けられた燭台の火がびくりと揺れる。部屋の隅に控えていた兵士たちは肩を震わせ、誰一人として顔を上げようとはしなかった。
薄明かりの中、ナイトメアを中心に、黒い靄が石床へ滲み出していく。
暗黒物質が、石床を這うようにゆっくりと広がっていった。
「アーロンを連れて来い。今すぐにだ!」
「は、はっ!」
隊員は跳ねるように一礼し、逃げるように地下書斎を飛び出していった。
ほどなくして、アーロンが姿を現す。
地下書斎へ足を踏み入れた瞬間、床一面に広がる黒い靄が視界へ飛び込んだ。それでも表情一つ変えず、ナイトメアの前で片膝をつき、深く頭を垂れる。
「電撃部隊副長アーロン・アッヘンヴァル、お呼び立てに応じ参上いたしました」
いつもと変わらぬ落ち着いた声音。
その態度が、ナイトメアの怒りにさらに火を注いだ。
「釈明してみろ! 電撃部隊の副長が監視対象と接触しながら、その報告を怠り、なぜ何食わぬ顔でここにいる!」
アーロンは頭を下げたまま、淡々と口を開いた。
「イーブル殿は、南方の親戚に会っていただけでした。少なくとも私が同行した範囲では、不審な接触、密談、物資の受け渡し等は確認できませんでした」
「ほざけ!!!」
床を這っていた暗黒物質が一斉に跳ね上がる。
黒い靄は蛇のようにアーロンの足元へ絡みつき、部屋全体の温度が一気に下がった。兵士たちは思わず息を呑み、無意識に一歩後ずさる。
「貴様は奴を監視していたつもりか?」
「はい」
ナイトメアの右手へ暗黒物質が集まり、漆黒の鎌を形作る。
刃先から漂う禍々しい気配に、周囲の兵士たちは鎧を鳴らしながらさらに距離を取る。しかしアーロンだけは、その場を微動だにしなかった。
「本当にそのつもりなら貴様はとんだ無能だ。アルバートの懐刀であるイーブル・クロックが南方で動いていることを認識しながら、親戚に会っただけなどという言葉を真に受ける馬鹿は、この部隊に相応しくない」
ナイトメアはアーロンの眼前まで歩み寄る。
「イーブル殿は、ついてくれば分かると言っていました。私は自分の意思でその言葉を信じ、監視を続行しました」
「では兵を返し、お前一人でついて行ったのはなぜだ?」
「親戚に会うのに兵は邪魔だと彼は言いました。私も兵を連れていけば刺激すると判断しました。仮に戦闘力が未知数であるイーブル殿と交戦になった場合、兵士たちが全滅する恐れもあります。私一人が残り、集められるだけの情報を持ち帰るのが最適解と判断したまでです」
ナイトメアは鎌の柄をアーロンの顎へ押し当て、強引に顔を上げさせた。
「貴様は所詮、俺の部下だ。俺に情報を上げる立場だ。その貴様が独断で動いた結果、監視対象に主導権を握られ、ろくな情報も持ち帰れなかった。これは単なる失敗ではない。部隊全体への侮辱だ」
冷たい刃が首筋へ触れる。
地下書斎から音が消えた。
誰も呼吸すら乱さない。刃先がわずかに動けば首が飛ぶ。その事実を、その場にいた全員が理解していた。
「申し開きはあるか」
「はい」
「言ってみろ。遺言になるかもしれんがな」
仮面の奥の赤い眼光が、アーロンを覗き込む。
「私は、イーブル殿を完全に信用したわけではありません。むしろ、彼がこちらを誘導している可能性が高いと理解していました」
「ほう。ならば何故すぐに報告しなかった」
「確認を優先したためです」
「報告は義務だ。なぜ命令違反を犯したのか。その釈明ができないのなら、このまま首を落とす」
「命令違反ではございません」
空気が凍り付いた。
ナイトメアの赤い眼光が細まり、鎌がさらに首筋へ食い込む。皮膚が浅く裂け、一筋の血がゆっくりと首元を伝った。
「……もう一度言ってみろ」
「私は、イーブル殿の追跡と監視を命じられました。彼の動向を逐一報告せよ、という命令は受けておりません」
「貴様……」
暗黒物質が机の脚を這い上がり、壁際まで広がっていく。
書棚の影は不自然に膨れ、地下書斎全体が黒い闇に呑まれていくようだった。
「人間族風情が、俺の言葉尻を取るか!」
「言葉尻ではありません。命令系統の確認です」
「どちらにせよ報告は義務だ。お前はそれを怠った。それに対して釈明できないのだな?」
「いえ」
アーロンは真っ直ぐナイトメアを見据えた。
首元から血を流しながらも、その瞳は少しも揺らがない。
「当時は緊急性がないと判断し、追跡を優先しました。最終的には詳細な報告書を提出しております。ナイトメア様は、その内容がご自身の期待されている情報ではなかったから、お怒りなのではないでしょうか」
「な、んだと……」
「私は事実を報告したまでです。それとも隊長は、嘘でも自分の納得できる情報をお望みだったのでしょうか」
「貴様ァ!!!」
ナイトメアは鎌を大きく振りかぶり、一気に振り下ろした。
その瞬間、地下書斎を覆っていた暗黒物質が一斉に逆巻く。机上の報告書が宙へ舞い、燭台の炎が大きく揺れた。
「――ッ!?」
歪な軌道を描いた刃は、アーロンへ届かなかった。
拳が、黒い刃を真正面から受け止めていた。
鈍い衝撃が地下書斎へ響き、舞い上がった書類が二人の間を舞い落ちる。
「落ち着け、ナイトメア。先のことを考えろ」
いつの間にか、マックスがそこに立っていた。
「俺は落ち着いている!」
「俺に気付かなかったのに、か?」
ナイトメアは刃を収めない。
マックスも拳を引かない。
地下書斎には二人の放つ圧だけが満ち、兵士たちは誰一人として動くことができなかった。
「……なぜここにいるのだ」
「お前の部下が来た時、ちょうど俺とアーロンで南部の情勢について話していたところだった」
「貴様……謀ったな!!!」
ナイトメアはアーロンを睨みつける。
「とりあえず一度刃を収めろ。話はそれからだ」
「いや、こいつはこの部隊を……いや、ドミニオン王国軍を侮辱したのだ! 罰を与えなくてはならない!」
「一度話し合った後でも遅くはない。今ここでアーロンを殺せば、独断で部下を殺害したということになる。お前は電撃部隊の指揮権を剥奪されるだろう」
しばしの沈黙。
やがてナイトメアはゆっくりと距離を取り、鎌を闇の中へ沈めた。
部屋を覆っていた圧迫感が僅かに和らぎ、兵士たちはようやく浅く息を吐く。
「よし、それでいい」
マックスは小さく頷いた。
しかしナイトメアの瞳から怒りは消えていない。
「お前も理解しているだろうが、アーロンはお前が電撃部隊を私軍化しないよう、歯止め役として副長を務めている側面が大きい。もし今殺せば、隊長としての処分ではなく、私兵の主が気に入らない者を排除したのだと捉えられる」
ナイトメアはアーロンを睨み据えた。
「今回の件、許したわけではない。イーブル・クロックに関する情報は、今後すべて俺に上げろ。貴様の判断で削るな。奴の一挙手一投足を俺に報告しろ」
「承知いたしました」
「それと、貴様も監視対象に加える」
アーロンは血の滲む首元を押さえながら立ち上がる。
一礼すると、静かに地下書斎を後にした。
「お前の気持ちは分からんでもない。イーブルに接触して三日も連絡を絶っていたにしては、報告の中身はあまりにも少ない」
「ああ。奴に何か仕込まれたに違いない」
ナイトメアは机へ歩み寄り、大陸地図を広げた。
視線が南方へ落ちる。
「それに、出先はシュライド領。葬式、戴冠式と随分ふざけた真似をしたカムイの管轄だ」
暗黒物質が地図の上を這う。
まるで墨を流したように、南方シュライド領一帯がゆっくりと黒へ染まっていった。
「ジャックザール! バイオレット! 今すぐ地下に来い!」
何かを思いついたように、思念交信を飛ばすナイトメア。
「メテオもシュライドも、まとめて根絶やしにしてくれる」
低く吐き捨てるように言い放ち、ナイトメアは一人、地下書斎の奥へ歩き去っていった。
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