第十三話 『白麗の併呑、電撃は凶報に沈む』
ハシナ領主、キースの内心は穏やかではなかった。檄文を発したはいいものの、メテオはやたら早くドミニオンと休戦を結んでしまったからである。
当然、メテオが休戦をしたために、檄文は意味をなさなくなってしまった。協力をしてくれる地方領主が現れる前に、キースは敵を失ってしまったのだ。
おまけに、休戦協定では、ハシナ領について何も触れられていない。ハシナ領は一気に、丸裸の領地になってしまっていた。
「キース様、落ち着いてください」
「これが落ち着いていられるか。我が領地は一転してドミニオンの圧力を受ける可能性があるのだぞ!? イーブルめ。我らを見捨てる気か?」
執事のルーカスになだめられても、キースの焦りは収まらない。ルーカスは返す言葉を失った。ここまで取り乱した主を見るのは、初めてだった。
「見捨てる気などありません」
「!?」
突然、キースらの耳に声が聞こえた。声の主を探しても見当たらない。幻聴かと思ったがどうやらそうではないらしかった。窓の外を飛んでいるカラスが、じっとこちらを見つめている。
「まさか、このカラスが?」
ルーカスが窓を開けると、縁にカラスが止まり、一礼する。知恵のある鳥だとはいえ、ここまで賢い行動をとるカラスは見たことがない。
「イーブルか?」
「その通りでございます。公式に訪問すると、ドミニオン側にばれる恐れがありますから、こういう形を取らせてもらいます。突然のことで、申し訳ありません」
「謝るなら、今の無礼よりも我らを巻き込んだことを謝ってもらいたいものだな。貴殿らだけでも勝てただろうに」
「いえ、あなたの協力あればこそです」
カラスがやたらと丁寧な口調で喋っているのが、キースにはなんだか不気味に感じられた。
「見捨てる気がない、と申したな。具体的にどうするつもりなのだ」
「……私が公式訪問を避けた理由がそこにあります。キース卿、我が主アルバートに臣下の礼を取る気はありませんか?」
「冗談を申しているのか?」
「いえ、冗談ではありません。ただ、今協定が生きている以上、メテオ領であればドミニオンから攻められることはありません。逆に考えれば、メテオの傘下に入れば、キース卿の命だけでなく、この領地の安全まで保障されます」
「貴様はこれが狙いだったのか……あの時から、ずっと……」
イーブルはそれに対して、何も答えなかった。
ルーカスは黙って聞いていたが、これ以上イーブルに好き勝手言わせておくわけにはいかない。キースが言いくるめられている様子を見てはいられなかった。
「よせ。ルーカス」
「しかし、キース様……」
「これは私とイーブルの話だ。聞いていられないようなら部屋を出て行ってもらって構わん」
イーブルではなくキースに止められてしまっては、引き下がるしかない。だが、部屋を立ち去りたくもない。ルーカスは、黙っているしかなかった。
「急いだほうがよろしいかと。ドミニオンに庇護を求めるのも無駄でしょう。今我が主・アルバートに忠誠を誓えば、ハシナ領主という肩書はそのままに、ただ主を鞍替えするだけにすぎません」
「……」
「今、自分の置かれうる立場として、最も賢い選択は、メテオに庇護を求めることだとは思いませんか?」
「……領地の安全は保障されるのだろうな?」
「もちろんでございます。アルバートは義理堅い男故、卿の地位は一層安定し、ますますの発展を成し遂げられるでしょう」
今喋っているこの男に、義理堅さのかけらも感じられない。しかし、イーブルの言う通り、アルバートは確かに義理堅い男なのである。
それに、キースにとってもはや打つ手が残されていないのも明白だった。メテオに味方した時点で、いや、あの時イーブルを招き入れた時点で、キースの運命は決していた。
領内の安定を維持するためにも、自分の命を守るためにも、アルバートを主として迎えることが、最良の判断であった。
「私の負けだ……イーブル・クロック。ハシナ領はこれから、メテオ領に付き従うことにしよう」
「キース様!」
ルーカスが悲鳴のような声を上げたが、イーブルはそれを歯牙にもかけない。カラスの目がやや細まる。
「ご安心ください。あなたの高位は約束されます」
カラスは言い終わると飛び去った。落ちた黒い羽根を拾って、キースはつぶやく。
「大した男だ。血を一滴も流さずに領土を拡大するとは」
「キース様、よろしかったのですか?」
「仕方あるまい。我らはドミニオンに刃を向けた身だ。強いものに巻かれることでしか、我らは生きていけん」
「しかし、あのイーブルを信用なさるのですか?」
「……イーブルを信用するわけではないが、上に立つ者として甘すぎるアルバートを補佐する者として、彼は適任だろう」
キースは悔しさをにじませながらも、むしろ晴れやかな顔をしているようにルーカスには映っていた。
◇
今日、白麗城アステリオンに雪は積もっていなかった。春の訪れを感じさせるが、相変わらず城主・アルバートは狭い部屋で本を読んでいる。
「陛下、上奏いたします」
「よせイーブル。我らは形式上、まだドミニオン王国の属領主にすぎん」
やけに恭しく礼をしたイーブルを、アルバートはたしなめる。イーブルはにやりと笑って、いつもの口調に戻った。
「いずれは独立するものを……今更ドミニオンの属国であり続ける意味などないのだぞ?」
「しかし、結局は私の言う通り、独立条項を盛り込まなくてよかっただろう?」
「結果的には、だ」
イーブルはひねくれた返事をした。外交手腕で、アルバートに自分の上をいかれたことが悔しかったらしい。
「イーブル、これからどうするつもりだ?」
「まずは北方領域の足場固めだな。ドミニオンに走られては困る」
「具体的には?」
「具体的にも何もあるか。今まで通り、お前の治世を続ければいい。それが、領民に認められんわけがないからな」
アルバートはポリポリと頭をかいた。白い肌が少し赤くなっている。照れているようであった。
「キースはどうするつもりだ」
「監視はつけるが、裏切ることはないだろう。俺に恨みは抱いているかもしれんが」
アルバートはふっと笑った。
「しかしまあ、よく私抜きでドミニオンの侵攻を防げたものだ」
「……それだけ舐められていたということだ」
イーブルの顔が途端に険しくなる。ハシナ領を併合したとはいえ、ドミニオンとの戦力差は未だ歴然だった。
「まあ、それはいい。とりあえず今必要なのは、あの大門を開けっ放しにすることだ」
「開けっ放し?」
「正確には、交易商の通行をもっと流動的にすることだ。ドミニオンがしばらく攻めてこない今こそ好機だ」
「なるほどな……ドミニオンの支配に不満を持つ民衆をメテオ領に囲い込むため、というわけか」
さすがだな、とつぶやいて、イーブルは満足げな顔を浮かべた。
「それに、通商もしやすくなろう。とにかく今は戦よりも国の安定が最優先だ。ハシナ領も併合したことだしな」
イーブルはさらに付け加えたが、それ以上は言わずしてもアルバートは理解しているようだった。
「イーブル」
「どうした急に改まって」
「お前がいてくれてよかった」
「は?」
急に、アルバートからそんなことを言われて、イーブルは返答に詰まった。長年アルバートと一緒にいるが、そんなことを言われたのは初めてである。
「それは、部下としてか?」
2度3度と頭を振って、イーブルは随分とひねくれたことを聞き返したが、アルバートは苦笑するだけである。
「そんなわけがなかろう」
「ではなんだと?」
「それはな……」
アルバートはそこで言葉を止め、窓の外を見た。白麗城の外壁を撫でる風は、もう冬のものではなかった。雪解けの水が、石畳の隙間を細く流れている。
「いや、聞かぬ」
「いいのか?」
「構わん。言いたくないんだろう」
「すまんなイーブル」
謝る必要はない、と言い残してイーブルは部屋を後にする。いつものように、扉の前で聞き耳を立てるイーブルだったが、今日は何も聞こえてこなかった。
◇
王城ヴァルメイアの北棟。かつて諜報記録の保管に使われていた小会議室に、三名の将校が呼び出されていた。
ナイトメアは部屋の奥に立っている。椅子はあったが、座らなかった。
「アルフレッド・バイオレット、参りました」
最初に口を開いたのは、細身の男だった。声は静かで、目だけがよく動く。部屋の温度や沈黙の長さまで、その瞳で測っているような男だった。
「アーノルド・フォン・ジャックザール。命により出頭した」
次に名乗った男は、軍靴を鳴らし、背筋を伸ばした。礼儀正しい。だが、その目には礼儀では隠しきれない選別の色があった。
「アーロン・アッヘンヴァルです。兵站局より出向を命じられました。副官として、貴殿を補佐いたします」
「人間ごときが俺の副官を?」
ナイトメアは鼻で笑った。
「不満があれば、エース様かタチャンカ殿にでもおっしゃればよいでしょう」
「フン……」
不満があっても、ナイトメアに言えるわけがないことをわかってアーロンは言っている。おそらく、アーロンはエースが選んだナイトメアの“監視者”だろう。ナイトメアが何を言ったところで、アーロンだけは外せない。
俺が選んだわけじゃない。喉元まで出かかった言葉を、ナイトメアは飲み込んだ。本当なら、自分の手足だけで固めたかった。命令を待たず、許可を問わず、地方に巣食う裏切り者どもを好きに狩れる刃が欲しかった。だが、エースもタチャンカも、そこまで甘くはない。
「不満そうな顔ですね、ナイトメア様」
バイオレットが、わずかに笑った。
「貴様にはそう見えるか」
「ええ。少なくとも、歓迎の場には見えません」
「賢いな。嫌いではない」
ジャックザールが鼻で笑った。
「俺はむしろ安心した。上に媚びて笑う隊長より、気に入らぬ者を気に入らぬ顔で見る隊長の方が信用できる」
「口が過ぎるぞ、ジャックザール」
「失礼。ですが、俺はこの部隊に期待しております。王国の内側には、まだ腐った枝が多すぎる」
その言葉には熱があった。ナイトメアの中にある暗い欲望と、どこか似た匂いがする。排除し、切断し、純度を上げようとする匂いだ。
「腐った枝を切るだけなら、斧で足りる」
「では、我々は何になるのです?」
「雷だ」
短い言葉に、彼らの目が変わった。
「本隊の動きは遅い。地方領主の裏切り、檄文の流布、諜報網の穴、民衆の扇動。火種は小さいうちに摘む。敵が城を構えてから攻めるのではない。敵が旗を立てる前に、旗竿ごと折る」
アーロンが静かに手を挙げた。
「速さは必要ですが、それを理由に手続きを捨てれば、この部隊はあなたの私兵になります」
空気が冷えた。ジャックザールの目が鋭くなる。ナイトメアは怒らなかったが、内心では舌打ちしていた。やはり、そのための男か。
「だから貴様が呼ばれたのだろう」
「その通りです」
「俺を縛ってみろ。貴様にできるのならな」
アーロンは少しだけ目を見開いた。
「よろしいのですか」
「構わん。鎖を引きずったままでも、俺は走れる」
バイオレットが小さく息を吐いた。感心したのか、呆れたのかは分からない。
「では、私は情報ですね」
「そうだ。噂、金の流れ、領主同士の密談。お前はそれを掴め。剣を抜く前に、誰を斬るべきかを決める」
「承知しました。血を流す前の仕事は、嫌いではありません」
「ジャックザール。貴様は実働隊を作れ。数はいらん。速く、迷わず、命令で止まれる者を選べ」
「命令で止まれる、ですか。攻める者ではなく」
「止まれぬ刃は、いずれ味方を斬る。俺の部隊に、野犬はいらん」
ジャックザールは一瞬だけ不満げに目を細めたが、すぐに胸に手を当てた。
「了解した。獣ではなく、猟犬を揃えます」
ナイトメアは机上の編成表に闇手を置いた。まだ空欄だらけの紙だった。だが、その空白が、これから何かに塗り潰されていくことだけは全員が理解していた。
「分遣隊などという曖昧な名は捨てる」
一瞬、息が止まったかのような静寂が訪れた。
「今この時より、我らは王国の遅れを焼き切る雷となる。敵が動く前に動き、火が広がる前に断ち、王国の影に潜む病巣を撃ち抜く。名は――電撃部隊」
その名が落ちた瞬間、小会議室の空気が変わった。
バイオレットは深く一礼した。ジャックザールは口元を歪め、どこか楽しげに敬礼した。アーロンだけは、まだ迷いを残した顔で、それでも礼を取った。
「初任務は近い。半日で編成案を出せ。忠誠より能力を見ろ。だが、命令を聞けぬ者はいらん。俺たちは速く動く。だが、勝手には動くな。いいな」
その直後だった。
廊下の奥から、慌ただしい足音が近づいてきた。扉が乱暴に開き、伝令兵が膝をつく。顔は青ざめ、息が乱れている。
「ナイトメア様……至急、王城中央へお戻りください」
「何があった」
伝令兵は一度だけ喉を鳴らし、声を絞り出した。
「ファング・アレクサンドラ陛下の容体が、急変されました」
誰も動かなかった。
生まれたばかりの電撃部隊の名は、まだ王城のどこにも刻まれていない。だが、その産声が響くより早く、王国の中心から、重い影が落ちてきた。
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