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サイドストーリー7 グォドレイの旅立ち

 ヒュリムトンの国境付近にあるランセン地域の森の奥深くは、紫焔の魔導士グォドレイが住処としているとまことしやかに噂されていた。


 人は自らの願いを叶える為に彼を求め、森へと足を踏み入れる。


 貴重な魔法薬を求めて。或いは、高名な魔導士への願いを抱いて。

 何人もの人々がその森へと足を踏み入れたが、彼に出会えた者は極わずかだった。


 森には魔獣が住み着き、異界の者達が惑わせる。

 生命の保証はできない事は解り切っている程、危険な場所であった。


 それでも奇跡を求めて森へと向かう人々は後を絶たなかった。


◇◇◇◇


 煙管をぷかぷかとふかしながら、グォドレイは屋根の上に寝そべり空を見上げていた。

 晴れ渡る空は木々の葉に遮られているものの、チラチラと降り注ぐ木漏れ日が心地よく、深い紫色の髪を朝露に輝く桔梗の様に色鮮やかに照らしていた。


 風もなく、煙管の煙がふわりと浮いて暫くの間留まる様子を眺めながら、グォドレイは物思いに耽っていた。


——もうそろそろ、潮時だろう……。


「お師匠」


 ふいに声を掛けられて、グォドレイは溜息をついた。


「なんだよ、リアン。昼寝の邪魔すんな」


 そう言って屋根の上から見下ろすと、葵色の髪の少年が不満気に唇をへの字に曲げた。大きな紫紺の瞳があどけなく、瞬きをする度に揺れる睫毛が可愛らしい。

 グォドレイ譲りの端正な顔立ちに少年らしさが見え隠れし、あと十年もすれば立派な美青年へと育つ事だろうと伺い知れた。


 少年の名はマクシミリアン。グォドレイは彼を『リアン』と呼んでいた。


「僕も邪魔をしたいわけではありませんが、母上が師を呼べと言うので従ったまでです」


 マクシミリアンは子供とは思えないやたらと固い話し方をする。恐らく実の父親であるニール譲りなのだろう。

 とはいえ、淡々としながらも感情豊かな一面も覗かせる為、そこは母親に似たのだろうと伺い知れたが、このところそういった子供らしい様子をグォドレイに見せる回数が極端に減った様に思えた。


「ミリーが俺を呼んでるだって? なんだよ、リアンを使わずに直接呼びに来たらいいじゃねぇか」

「僕に言われても困ります。では、要件が済みましたのでこれで」


 冷たく言い放って、くるりと踵を返したマクシミリアンの背を見つめながら、グォドレイは頭を掻いた。


——あいつ、あの育ち方で合ってんのか……? まだ9歳かそこらだよな?


「おい、リアン」


 声を掛けると、マクシミリアンは足を止めて面倒そうに少しだけ顔をこちらへと向けた。


——可愛げねぇ……。


「魔術の練習は済んだのか?」

「当然でしょう。僕が怠けるとでもお思いですか?」


 マクシミリアンには午前中に一月分の薪を魔術で割っておく様にと言い渡していたはずだが、とチラリと訝し気に見つめた。


 そろりと気づかれない様にゆっくりと、マクシミリアンが袖の裾で何かを隠したのを察知し、グォドレイは残念そうに眉を寄せた。


「……お前さん、本当にそいつは魔術を使ったんだろうな?」

「……」


 つ、とあからさまに視線を逸らしたリアンに、グォドレイは溜息を吐いた。

 袖口にギラリと光る刃が見え隠れしている。


 昔からあまり素直に言う事を聞くタイプではなかったとはいえ、ここのところ顕著に反抗するようになってきた。言葉を交わす頻度も減り、目を合わせることも極力避けられるようになった。


——完全に嫌われちまったようだな……。


 自分がマクシミリアンに嫌われる理由には思い当たる節が有り余っている。

 ミルドレットとニールの子である彼は、類まれなる魔力を持って生まれてきたが為に、赤子のうちから両親と引き離され、魔導士であるグォドレイに預けられていたのだから。


 成長し、魔力をある程度自分でコントロールできるようになった今、彼にとって家族外の者がすぐ側に住んでいる事を気に入らなく思うのは当然だろう。


 唯一家族水入らずの時間を過ごす事できるはずの食事ですら、いつも余所者が食卓にも混じるのだから。

 マクシミリアンにとってグォドレイは自分と家族とを分けへ立つ、厄介者でしかないのだ。


 無論、グォドレイはこの生活を自分で望んだわけでは無い。マクシミリアンの両親の頼みでこうして身を置いているのだ。


 だが、それも潮時だろう。


 森に迷い込み魔獣に襲われていた人間を、迂闊にも救ってしまった事をきっかけに、たちまちに紫焔の魔導士がこの森に棲んでいるという噂が流れた。


 静かに暮らす事を望んでいたこの家族にとって、自分は災いの種でしかない。

 ……いや、そもそも人間にとって魔導士という存在は、相容れないのだ。姿かたちは似ていても、その能力や寿命に差があり過ぎるのだから。


 もう、これ以上この地にグォドレイが留まる事に、利点が無い。


「いいか? 何度も言ってるが、俺はお前さんの魔術の師としてここにいるんだ。剣や斧の物理修行をしたいってなら、父親を頼れ。あいつの方がその辺の扱いは慣れてるだろうからな」


 マクシミリアンは類まれなる魔術の才能と共に、父親譲りの剣術の才能も兼ね備えていた。人間が魔術を使えるというだけで希少だというのに、父親であるニールの人間離れした身体能力まで受け継いだマクシミリアンは、完全に人の領域を超えているのだ。


「そんなに怒らなくたっていいじゃないですか。言いつけ通り、薪割は終わったんですし」


 マクシミリアンは不服そうに言いながら、掘っ立て小屋のすぐ下まで戻って来た。


「怒ってるわけじゃねぇさ。ただ、お前さんが俺を不要だってなら、出て行くまでさ」


 その言葉に、マクシミリアンは驚いた様に紫紺の瞳を見開き、グォドレイを見つめた。


「僕は……その……」


 言いづらそうに口ごもり、俯いた。

 だが、マクシミリアンの言いたい事をグォドレイ理解していた。


 もう、魔術の師など要らない。ここから出て行けと、この先家族を守る長男としての役割を果たそうとしているのだ。

 だが、心根の優しい彼はそれを言い出せないでいる。それならば、言わせる様に誘導してやるしかない。


 グォドレイが自分から出て行く事を、恐らくミルドレットは良しとしない。それはつまり、契約の魔術を結んだニールも赦さないということだ。


 だが、自分の息子からの提案であれば、親として受け入れざるを得ないだろう。


「気に止むことはねぇさ。そいつが自然の流れっつーもんだ」


 グォドレイはそう言いながら、自分は全く動じていないというふりをした。

 マクシミリアンが赤子の頃から世話を引き受けてきた彼にとって、この地を離れる事が後ろ髪引かれるのは当然の事だった。


 寂しさが顔に出ない様に、いつも通りの飄々とした様子で話すグォドレイを見上げて、マクシミリアンは唇を噛みしめた。


「お師匠、すみません。僕は……」


 そう言って、躊躇う様に口を噤んだマクシミリアンを見つめ、グォドレイは煙管をぷかぷかとふかした。

 ふぅっと吐いた煙が、風のないことで長く留まり、不愉快そうに眉を寄せる。


——別れの時だってのに、リアンの顔が見えねぇじゃねぇか。


 ぱたぱたと煩わしそうに手で煙を払いのけ、グォドレイは静かに言葉を吐いた。


「リアン。お前さんには選択する権利がある。俺がこの地を離れる事で、罪悪感を持つ必要なんかねぇんだ。むしろ立派にこの家を守る長男としての責任感が芽生えたって事なんだから、誇っていい」

「ですが、お師匠……」

「安心しろって、立つ鳥跡を濁さずってな。俺の住処だって噂も一緒にどこかに持って行くさ。お前さん達に迷惑をかけるつもりはねぇよ」


 促す様に話すグォドレイは、愛弟子を見守る優しい眼差しを向けていた。


——本当は、もっと早くに出て行く予定だった。

 そいつをあと少しあと少しと繰り返し、随分と長く居座っちまった。居心地が良すぎたんだ。


「有意義な時間をありがとな、リアン。お前さんの目を見張る程の成長を見ているのが楽しかったぜ」

「お師匠……」


 別れを観念し、優しい眼差しをグォドレイはマクシミリアンに向けた。


 マクシミリアンは言いづらそうに口をもごつかせ、寂しげに長い睫毛を伏せた後、意を決した様に紫紺の瞳を向けた。


 子の成長というものはあっという間だ。特に、永遠とも言える程に永く生きる魔導士にとって、この平和で楽しいひと時は一瞬の様にすら感じる。


 そう思える程に、グォドレイはここでの生活が幸福だったのだ。

 マクシミリアンを見つめるグォドレイの瞳は隠し切れない寂しさが浮かんでいたことだろう。


——だが——。


「僕は、お師匠に何処にも行って欲しくないんです!! ずっと、僕と一緒に居てくださいっ!!」


 マクシミリアンの発言に、グォドレイは屋根の上からずり落ちそうになって、慌てて飛び起きた。


「……は!?」


 唖然としているグォドレイの前で、マクシミリアンは泣きそうな顔をしながら小さな拳を握り締めた。


「その……魔術が上達し過ぎると、お師匠が出て行ってしまうと思ったのです……。でも、言いつけを守らなくてもお師匠は出て行ってしまうでしょう? だから仕方なく剣術を使って薪割をしました。ごめんなさい……」


「……」


「出て行くだなんて言わないでください! 僕、お師匠が居なくなっちゃったら……そしたら、どこまでも追いかけますからっ!! 痕跡を追う探求魔術は習得しましたし、瞬間移動は得意です。絶対に逃がしません!!」


「いや、えーと……」


 どう答えたら良いのか返答に困っていると、突如上空に現れた少女が、叫び声を上げながらグォドレイに抱き着いて来た。


「レイ様っ!! あたしと結婚してっ!!」

「だぁっ!! レオナっ!! やめ……っ!!」


 瞬間移動を繰り広げて抱き着く銀髪の少女に、グォドレイは首を絞めつけられながら喚いた。

 彼女はマクシミリアンの双子の妹であるレオノーラ。その腕力は、そんじょそこいらの大人よりも強く、一歩間違えれば首の骨をいとも簡単にへし折る程の力を持っている。


「レオナ、邪魔をしないでください! 今お師匠と話し中なんですから!」


 掘っ立て小屋の下から叫ぶマクシミリアンに、レオノーラは「煩いっ!」と一喝した。


「リアンは黙っててっ! 今日こそはレイ様に『はい』って言わせるんだからっ!!」


 マクシミリアンは慌てて掘っ立て小屋の屋根の上へと魔術で瞬間移動すると、ぐいぐいとグォドレイの腕を引っ張った。


「やめ……ぐるじ……」

「ちょっとリアン、ひっぱらないでよっ! レイ様は私のなんだからっ!」

「僕のです!」

「私の!!」


「ぐ……死……」


 顔色を青紫に変えながら、グォドレイは震える手でパチリと指を打ち鳴らした。


 マクシミリアンとレオノーラの手から脱出し、一瞬のうちに近くの木の上へと移動する。


「お前さんら! 俺様を一体何だと思ってやがんだ!?」


 悲鳴の様に発したグォドレイの言葉に、二人は顔を見合わせてそれぞれの想いを同時に発した。


「面白い方の父上」

「未来の旦那様」


「俺はお前さんらの親父じゃねぇし、ロリコンでもねぇっ!!」


 喚く様に言ったグォドレイに、双子の二人は顔を見合わせた後、揃って不満気にまくし立てた。


「何故ですか!? お師匠は実の父上よりも僕の世話をし育ててくれたじゃありませんか! 物心ついた時にはお師匠と二人で楽しい時間を満喫してきたというのに、今更どうしてそんな事を仰るのです!?」

「レイ様は長生きなんだから、あたしがレディになるまで待てるでしょ!? とびきりの美女になるんだから待っててくれたっていいじゃないっ!!」


 双子の二人は銘々の想いを吐き出した後、今度は言い合いが始まった。


「レオナがお師匠にそんな事を言い出すから出て行こうだなんてするんですよっ!!」

「リアンこそ、魔術の修行もしないで剣術ばっかりやってるからじゃないっ!!」

「お師匠がレオナみたいなちんちくりんを相手にするはずが無いでしょう!」

「あと十年もしたら美女になるもん! リアンのサボり魔っ!!」


「待て待て! 落ち着け!! 一旦お前さんらの両親と話そう! な!?」


 慌てて両手をパタパタと振って二人を止めると、グォドレイはうんざりした様にため息を吐いた。


——リアンの奴、反抗期だったんじゃねぇのかよ!?


「もう、リアンったら。お師匠様を呼んでって言ったのにまだ?」


 ぷっくりと頬を膨らませながら、ミルドレットがツリーハウスの窓から顔を出した。


「すみません、母上。お師匠が勘違いをされておりまして」


 慌てた様に答えたマクシミリアンを見つめ、ミルドレットが「勘違い?」と、小首を傾げた後、歌う様な詠唱をしてグォドレイの直ぐ側まで瞬時に移動した。


 ミルドレットの耳で竜の羽根のピアスがシャラリと音を発する。

 9歳の子の親とは思えない程に若々しく、以前と全く変わらない様子から、魔道具の効果は間違いなく発揮されている様だった。

 銀髪がサラリと肩から零れ、サファイアの様な美しい瞳をグォドレイに向ける。


「お師匠様。勘違いって? まさかここから出て行こうだなんてしてないよね?」


 詰め寄られる様に問われて、グォドレイは片眉を吊り上げて唇をへの字に曲げた。


「あのなぁ、リアンもとっくに魔術制御ができるようになった。それなら俺様が何処へ行こうと自由なはずだろ?」

「それはそうだけど……」


 ミルドレットはいじけた様に唇を窄めると、グォドレイの服の裾を掴んだ。


「ひょっとして、居心地悪いの?」


 心配そうに見つめるミルドレットから、つっと視線を外しグォドレイは苦笑いを浮かべた。


「いや、そういうわけじゃねぇけど……」


——居心地が良すぎて困るんだっつーの!


「グォドレイ」

「!!!!!!!!」


 突如背後に現れたニールに驚いて、グォドレイは声にならない悲鳴を上げた。


「お前さん、その背後にそっと忍び寄る癖止めろってのっ!!」

「出て行く事は赦しませんからね?」

「なんでだよっ!?」


 咄嗟に返したグォドレイに、ニールは笑顔を浮かべたまま凄んだ。


「契約の魔術をお忘れでは?」


 グォドレイのがこの地に留まるか否かについては、ニールに決定権があるという契約だ。


「わ、忘れてねぇよ!? でもな……!?」

「お師匠様がどうしても嫌だっていうなら強要はできないけれど」


 ミルドレットが潤んだ瞳をグォドレイに向け、落ち込んだ様にため息を吐いた。


「あたしも皆も、お師匠様と一緒の生活が普通になっちゃってるの。居なくなっちゃったら寂しいよ。だから、まだここに居て? お願い。ね?」


 半べそを掻いた様に言うミルドレットの様子に、思わず「お……おう」と返事をすると、彼女は嬉しそうに笑顔を向けた。


——くそ可愛い……。


「良かった。さあ、食事の準備が出来たからツリーハウスに来て」

「ん? 飯の時間には早くねぇか?」

「お祝いだよ。今日は特別な日だもの」


 サファイアの様な瞳を細めて言うミルドレットに、グォドレイは小首を傾げた。


——何だ? リアンやレオナの誕生日でもねーし……。


「紫焔」


 ツリーハウスの中からひょっこりと顔を出して、ハリエットがうんざりした様に肩を竦めた。


「まだか? 遅いぞ」

「……お前さん一番部外者の癖に一番偉そうだぞ」


 ミルドレットが微笑むと、グォドレイの手を取った。


「お師匠様がここに帰って来てくれて、八年経ったでしょう? あたしとお師匠様が洞窟の掘っ立て小屋で過ごした期間も八年だったから、いい節目かなって思って」

「節目?」


 ニールが頷くと晴れ晴れとした様に言った。


「世話係としての任務は完了です。これからは家族の一員として再スタートしましょう」


 その言葉に、グォドレイはアメジストの様な瞳を見開いた。


「……家族」


 呟く様に言ったグォドレイに、皆が頷いた。


「本当は、もっと早くそうしたかったんだけれど、いいタイミングが見つからなくて」


 ミルドレットがそう言ってすまなそうに微笑んだ。


「さあ、早く行こうよ。お料理が冷めちゃう」

「レイ様、あたしと一緒に行きましょう?」

「お師匠は僕と一緒に行くんですっ!」

「さあほら、皆で共に行きましょう」


 皆に促されて、グォドレイは眉を下げ、ふ、と微笑んだ。


「ああ、行こう!」


 晴れ渡る空が、門出を祝うかの様に澄み切っており、サワサワと微かに発するこすれ合う木々の葉の音が心地よかった。


——やれやれ、まいったなぁ……。

成長し、性格最悪男に育ったマクシミリアンが、グォドレイと共に嫁探しの旅に出かける続編について執筆中です。

面白かったらブクマ頂けますと執筆の励みになりますので、宜しくお願い致します。

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