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サイドストーリー3 アリテミラの行方—後編—

 ルーデンベルン王アーヴィングと、その娘ミルドレットの訃報により、ヒュリムトンの王城は混乱に陥っていた。


「すまぬが、お前をこの城に置いておく事はできぬ」


 人払いされた王の書斎で、疲れ切った様子でドワイトはアリテミラに対してそう言った。


 賓客として訪れていた他国の王とその娘である第二王女が死亡したのだ。ただでさえその後始末に追われていたというのに、ルーデンベルンの国そのものが消えて無くなってしまったとあれば、対策を講じなければならない事は山の様にある。


 調査を進めて行く上で分かった事といえば、グォドレイは8年の歳月をかけて手早く用意周到にルーデンベルンという国を滅ぼす準備を行っていた為、他国とのやり取りを行う上での必要な手続きは殆ど終えていたという事だった。


 それは、誰にも知られる事の無い様にと念入りに進められていたのだ。

 ミルドレットがどんな生き方を選択しようとも、彼女を縛るものが無き様にと……。


 アーヴィングへの信頼など、ルーデンベルン国内の貴族達は微塵も持ち合わせていなかった。領地を守る為にならば、差し出された手を取る事は容易いのだから。

 圧倒的な財力と権力、そして驚異的な力を持っていたグォドレイには、交渉もさほど難しい事ではなかったに違いない。


「陛下には、ご迷惑をお掛けして申し訳なく思っておりますわ」


 国を失った姫であるというのに、アリテミラは毅然とした様子でそう言った。


「覚悟は出来ております」


 アリテミラの言葉に、ドワイトは眉を寄せた。

 艶やかな銀色の髪にサファイアの様な瞳をした彼女の容姿は美しかったが、ミルドレットとは随分と異なっていた。

 ミルドレットは母であるオーレリアと瓜二つであったが、アリテミラは父であるアーヴィングの面影が強いのだ。


「そなたは、死ぬ覚悟も出来ていると?」


 ドワイトの問いかけにアリテミラが「はい」ときっぱりと答えて頭を下げた。

 恐らく蝶よ花よと育てられていたであろう姫君が、これほどに潔い事を不審に思い、ドワイトはダークグリーンの瞳でじっと見据えた。


「全く死など恐れぬといった振る舞いに見えるが、そなたは王太子妃になる野心を持ってこのヒュリムトンに来たのではないのか?」


「私は、ニール様をお慕いしておりました。ただそれだけです」


 その発言に驚き、ドワイトは口を噤んだ。アリテミラが更に言葉を続ける。


「ですが、ミルドレットが死んだからといって、私があの方との婚姻を叶えられるなどと思っておりません。ですから、覚悟ができていると申し上げたのです」

「……自分の命を諦めているのか? たかが恋が叶わぬ程度のことでか?」

「私にとっては重要な事なのです」


 あの地獄から。唯一、ニールだけが救世主となりえる者だったのだから。


 毎日縋る様に想い焦がれ、ニールだけが生きる希望だったのだ。

 それはまるで、恋というよりも崇拝に近いものだった。


『ニール様。どうか、私をこの地獄からお救いください!』


 何度、そう祈ったことか知れない。

 だが、その願いは最早潰えた。


 彼は、ミルドレットのみを救う為に存在していたのだ。アリテミラに手を差し伸べようだなどと、一度たりとも考えすらしなかった事だろう。


 唯一縋っていた心の拠り所を失い、世間も知らないアリテミラが生きるには、幸福の道が完全に閉ざされてしまったのだ。


 アリテミラは瞳を閉じて頭を垂れた。


「ルーデンベルンの王族として、この地で全ての恥を引き受けて死にます」


 『亡国の姫君』と、アリテミラはヒュリムトン中の者達から揶揄されていた。その行く末すらもをあれこれと想像されて、娼館送りだなどと愚弄され、この王城の兵士達からすらも「妾になるか」などと誘われる始末だった。


 それに見かねてドワイトは彼女を城から出す事にしたのである。


「低俗な者らの妾になるくらいならば、死を選ぶと申すか」


 ドワイトは溜息を吐くと、封書をアリテミラへと差し出した。

 恐らくそこには自分の運命の行く末が書かれていることだろうと思うと、アリテミラは躊躇う気持ちを押し殺しつつ、礼儀正しく受け取った。


 震える指先を押えながら封書を開く。


 ヒュリムトン王ドワイトが狡猾で冷酷無慈悲な男であるという噂は、アリテミラの耳にも届いていた。

 大国の王としての責務を全うするには、ただ優しいだけでは難しい。


 どんなにか恐ろしい宣告が記されていることかと覚悟しつつも、怯える心全てを押し殺す事は難しかった。


 亡国の姫の命を、どの様に利用すればヒュリムトンにとって好都合であるかを、ドワイトは最もよく知っているはずなのだから。

 まして、ルーデンベルン王とその第二王女がヒュリムトン王城内で亡くなったという大事件が起こった後なのだ。全ての責任をアリテミラに押し付ける事が最も簡単な始末の付け方だろう。


 呼吸すらも震えた。


 ゆっくりと深呼吸しながら揺れる視線を正して読み進めた後、アリテミラはハッとして顔を上げた。


「陛下、これは……」


 震える声を発したアリテミラに、ドワイトはつまらなそうに肩を竦めて言った。


「うむ。ユジェイからの書状だ。そなたを第三王子の妃にとな」


 アリテミラの脳裏に、艶やかな黒髪に浅黒い肌の、すっと通った鼻筋が印象的な琥珀色の瞳をした男が浮かび上がった。


「ヴィンセント殿下が……?」


——そんなはずがないわ。私は、あの方にこの身が穢れていると話したのですもの……。


 彼はアリテミラと一曲を踊り終えた後、直ぐに姿を消してしまったと聞く。

 恐らくグォドレイが無理矢理連れて来た挙句、無理矢理連れ帰ったのだろう。


「……全く、どこまでもお人好しな男だ」


 ドワイトが呆れた様に言った。

 それは、ヴィンセントだけではなくグォドレイに対しても放った言葉だった。

 二人の考える事が同じであると推測されたからだ。


『ミルドレットに、涙を流して欲しくはない』


 決して、ヴィンセントはアリテミラを心から求めた訳では無いはずだ。


「陛下、私にはこの申し出を受ける資格などございません」

「だが、断る資格も無い」


 きっぱりとドワイトは言い切ると、鋭い視線を和らげて口元に僅かに笑みを浮かべた。


「……ルーデンベルンは無くなったのだ。誰も、呪縛に囚われる必要はない。……余も含めてな」


 小国が生き残る為に、ルーデンベルン王アーヴィングの行った事は強かだった。


 狡猾で冷酷無慈悲と言われるドワイトの弱点を、アーヴィングは掌握していた。

 人の心を巧みに操り、ドワイトの子であるニールに、契約の魔術という厄介な枷をつけていたのだから。


 だが、敵があまりにも強大過ぎた。


 紫焔の魔導士グォドレイがそれを許さなかったからだ。


 恐らくグォドレイの介入が無ければ、アーヴィングは大国ヒュリムトンすらをも利用してしまう程の力を得て、混沌たる世界へと堕ちてしまっていた可能性すらあったのだから。


◇◇◇◇


 ユジェイの王城の客間へと通されたアリテミラは、目の前でソファに掛けながら優雅に茶を飲むヴィンセントに、謝罪でもするかのように頭を垂れていた。


「いい加減顔を上げてくれ。私は今でもミリーを愛しているし、そなたはニール殿を愛している。王族とは政略結婚が通常なのだから、気に止む必要などない。ユジェイの茶は絶品なのだから、冷める前にそなたも味わえ」


「ですが、ヴィンセント様。私はもう王族ではございませんわ」


 ヴィンセントは琥珀色の瞳を細めると、困った様に微笑んだ。


「誤解させてすまぬが、私は打算的な男だ」


 ため息を吐くと、寂しげに俯いた。琥珀色の瞳が心なしか潤んでいる様に見える。


「たかだか第三王子という身分でしかない私は、自分の意志で結婚相手を選ぶ事など許されぬ。だが、そなたを娶ることで紫焔の魔導士と名高いグォドレイ殿の後ろ盾を得られるならば、ユジェイにとってそれ以上のことなどない。ヒュリムトンに残る妹アレッサの事もある。私は、そなたを利用したのだ」


「それは、利用などとは言いません」


 アリテミラはそう言うと、サファイアの様な瞳をヴィンセントに向けた。


「ヴィンセント様は、本当にお優しくございます。私も、そうなれればと憧れを抱く程に」


 ヴィンセントの脳裏にミルドレットの言葉が響いた。


『ヴィンスって、凄いな……。アレッサだってそう。いつもあたしを気遣ってくれて優しくしてくれる。本当にいつも有難う。二人を見てると、あたしもそうなりたいなって思うんだ』


 ヴィンセントの瞳から涙が零れ落ちた。


「すまぬ……そなたの面影が……」


 ミルドレットの訃報は、ユジェイにも届いていた。


 最愛の人を亡くし、ヴィンセントは直ぐにでもヒュリムトンに駆け付けたかったというのに、混乱の続く大国への入国は赦されず、悲しみに心が押しつぶされる思いで毎日を送っていた。

 それでも、アレッサや国の為になるならばと重い筆を取った。望んでもいない婚姻を結ぶ事で、少しでも誰かを救えるのならば……。


「私は、なんと無力なのだろうか……!」


 顔を背け、片手で覆い隠しながらも頬を伝う涙が零れ落ちる。


 アリテミラはその様子にズキリと胸が痛んだ。

 実の妹であるミルドレットの死に、自分は一度も涙を流していないという事実に、己の心の浅ましさを感じてならないのだ。


 腹立たしかった。


 自分が欲したもの全てを持って行きながらも死んでしまった妹が、憎らしくさえ思えた。

 目の前に居るこの優しい男もまた、ミルドレットを想い、涙を流しているのだから。


「……殿下、此度の婚姻の申し込みはお断りいたしますわ」


 アリテミラはそう言うと、封書を差し出した。僅かに光が発せられているそれは、恐らくなんらかの魔術が施されているものと伺い知れた。


「断って、そなたは何処に身を寄せるつもりなのだ? 行く当てがあるというのならば止めはせぬが……」


 ニコリと笑みを浮かべて、アリテミラは差し出した封書を受け取る様に促した。


 ため息をついて封書を受け取ると、宛名に目を通した瞬間ヴィンセントは慌てた様に封を切った。

 琴糸を弾いた様な微かな音が発せられる。恐らく、ヴィンセント以外が開く事のできない様にと掛けられていた魔術が解除されたのだ。


『親愛なるヴィンス兄様


 あたしの訃報を聞いて、驚いているだろうと思って急いで筆を取りました。

 この通り、なんとか……元気とは言えないけれど息を吹き返したよ。


 勿論、お師匠様のお陰。


 『お陰』なんて、本当は言いたくない。だって、あたしはお師匠様の命を奪って生き返ってしまったんだから。


 この世界には、あたしよりもお師匠様の方が必要なはずなのに。


 本当にごめんなさい。


 それでも、悲しむ事をお師匠様が望んでいないだろうから、色々なことを努力してみるよ。


 今はまだ頭の中が追い付かない。もっと気の利いた事を言えたら良かったんだけれど、あたしにはこれが精一杯なの。


 もう少しだけ、時間をください。


 必ずまた、笑顔でヴィンスとは会いたいから。


                              ミルドレット』



 ヴィンセントが無我夢中で手紙を何度も読み返している様を見つめながら、アリテミラは俯いた。


 グォドレイの死で、ヴィンセントにとってアリテミラとの婚姻に一切の利点が無くなった。こんな何も持たない穢れた身体の女を娶るよりも、彼にはもっと相応しい相手が星の数程居る事だろう。


 ヴィンセントが手紙を読み返しているうちに、静かに立ち上がりアリテミラは客間から出て行こうとした。


「待たれよ、アリテミラ姫」


 立ち去ろうとするアリテミラの背に声が掛けられた。

 足を止めたものの、振り返る事をせずにため息交じりに言った。


「私の役目は終わりました」

「この文を届ける事だけがそなたの役目であったと申すのか?」


 頷くアリテミラに、ヴィンセントは声を上げて笑った。

 不審に思って振り返ったアリテミラの瞳に、先ほどまでの壊れてしまいそうな程に悲し気な表情を一変させ、心から笑っているヴィンセントの顔が映った。


「すまぬ、私はやはり打算的な男なのだと思い知った」


 ヴィンセントは席から立つと、アリテミラの前へと赴いて片膝をついた。


「アリテミラ姫、私と結婚してはくれまいか?」


 絶句して、ヴィンセントを見下ろしながらアリテミラはやっとの事で口を開いた。


「……殿下になんの利点も無いというのにどうして?」

「グォドレイ殿が死ぬはずなどあるものか」


 ヴィンセントはそう言い切ると、アリテミラに対して手を差し伸べた。


「だが、ヒュリムトンとグォドレイ殿との縁は切れた。ならば、やはりそなたは私にとって利益を生む女性なのだ」

「ですが……グォドレイ様はお亡くなりになったと」

「いいや、断言できる。氏は生きておいでだ」


 そう言うと、ヴィンセントは琥珀色の瞳を細めた。


「私はかつて、グォドレイ殿の傷をユジェイの国秘を使って癒した事がある。あれには厄介な副作用があってな、僅かだが相手の感情が流れ込むのだ。氏は恐らくそれをご存知だったのだろう。魔術で防御されていたのだが、それが災いして感情の代わりに氏の魔力が流れ込んだのだ」


 パチリと指を打ち鳴らすと、ヴィンセントの手の上に一輪の薔薇が現れた。


「無論、大したことはできぬが、この程度の魔術ならば使用できるようになった」


 差し出された薔薇を受け取ったアリテミラの手を、ヴィンセントは優しく握って引き寄せた。ほのかに香木の香りがアリテミラの鼻をくすぐる。


「無礼を許せ。ここからは国内といえど極秘事項なのだ」


 そう言って声を潜めると、安心させる為にか笑みを浮かべた。


「癒しの魔術の使用には上限がある。癒した相手の傷が癒える事で、再び次の相手を癒す事ができるという仕組みだ。氏の魔術も同等の方式であるとするならば、もしも本当に氏が亡くなったのなら、私の身体からも魔力が消えているはずではないか。そして、ミリーも恐らく生きながらえはしなかっただろう。だからこそ確信できるのだ。氏は、必ず帰って来ると」


 ミルドレットの傷が癒えたのなら……。


 ヴィンセントの話した事は、確かにユジェイの国秘に関する機密事項だ。つまり、それをアリテミラに話したということは、彼女を娶らざるを得ないと自分に課したということなのだ。


「ですが……殿下。私は穢れています……!」


 震える声を発し涙を零したアリテミラを見て、ヴィンセントは慌てて立ち上がりそっとハンカチを差し出した。


「『穢れてなどいない』と言う事は簡単だが、自身が納得できぬ以上は無意味な言葉なのだろう。だから、敢えて『それでも構わぬ』と言おう。私にそなたの心の傷を癒す役目を与えてはくれないだろうか」


 そして、ヴィンセントは困った様に眉を下げて言葉を続けた。


「……すまぬ。女性を口説くのは苦手な上に、私は自他共に認めるシスコンで色恋沙汰に疎い。だが、情というものは共に居れば自ずと湧くものだと聞き及ぶ。無論、無理にとは言わぬ。それともそなたが、私という男を一切受け付けぬというのなら他の方法を考えるが……」


 ヴィンセントのその発言に、アリテミラはキョトンとした。穢れている自分とは違い、清廉な上に自分を『打算的だ』などとすまなそうに言う、優しく清浄な彼を、一体誰が嫌うというのか。


「本当に、私で宜しいのですか?」

「無論だ。そなたでなければならぬ」


 即答したヴィンセントはすまなそうに頷いた。


「私とて、何の覚悟もなしに女性を我が国に呼び入れる程馬鹿ではない。そなたもそうだろう? 何の覚悟も無しにユジェイに来たわけではないはずだ」


 ユジェイならば。色白の女は物珍しく、娼館でも容易に売れるだろうと考えていた。


「すまぬ。これ以上どう口説けば良いのか分からぬ……」


 ため息をついて項垂れるヴィンセントが可愛らしく、アリテミラはクスクスと笑いながらハンカチを受け取った。


「もう、十分ですわ。殿下」


 そう言ってさらりと優雅に完璧なカーテシーをした。


 ヴィンセントはアリテミラの所作に思わず見惚れた。感謝祭の夜会でのダンスも見事だと思ったが、指先の動きや視線に至るまで、これほどまでに美しく完璧な淑女は見た事が無いと思った。


「殿下は私には余りに惜しい方にございますが、傲慢にもお受けさせて頂きます」


 琥珀色の瞳を細め、ヴィンセントは少年の様に無邪気に微笑んだ。


「そうか! ありがとう、アリテミラ姫!」


 亡国の姫君である彼女だが、幼少期より叩きこまれた王女としての教育が功を奏し、ユジェイの政治で活躍する事を、この時ヴィンセント以外の誰も予想がつかなかった。


 だが、紫焔の魔導士グォドレイの後ろ盾を得た功績が認められ、第三王子でありながらユジェイの国王にと担ぎ上げられる事までは、ヴィンセント自身にも予想がつかなかったことだろう。

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