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サイドストーリー2 アリテミラの行方—前編—

 感謝祭のパーティー会場で、王太子妃を決定する投票が開票されるまで、アリテミラは落ち着かない心の内を見せまいと気丈に装っていた。

 チラリと壇上へと視線を向けると、漆黒のウィッグと白銀の仮面を身に付けたニールが、訪れる者達相手に品の良く対応している様子が伺える。


 彼の姿を見るだけで、アリテミラの心は強く高鳴った。


 ルーデンベルンの王城で、赤みがかった栗色の髪をサラリと靡かせながら、温厚そうな笑みを浮かべていたニールは、普段の甘いマスクからは想像もつかない程に強く、父であるアーヴィングにも気に入られていた。


 彼はアリテミラにとって地獄の様な王城から救い出してくれる、唯一の希望であったのだから、恋に落ちないはずはなかった。


 母であるオーレリアが亡くなって一月後の事だろうか。

 明け方に何者かが突如私室へと入って来る物音で、アリテミラは目を覚ました。

 酒臭い息を吐く父の姿にゾッとしていると、力任せに手首を押さえつけられて余りの恐怖に悲鳴を上げた。


「お父様!! 乱暴はお止めください!!」


 気を失う程に強く頬を打たれて、脳が揺さぶられる苦痛に歯を食いしばって耐えていると、更なる痛みがアリテミラを襲った。


 それは、通常その歳の少女が父から受けるはずの無い痛みだった。


 成熟していない少女の身体では受け入れられるはずもなく、彼女は悲鳴を上げる間もなく気を失った。


 父からの凌辱はその一度きりではあったものの、既にヒュリムトン王太子の婚約者として決定していたアリテミラは、ヒュリムトン王太子妃の掟である処女ではなくなってしまっていたのだ。


 だが、父はつまらなそうに恐ろしい事を宣った。


「なに、本物の王太子でなければ問題無かろう」


 数年後、シハイル王太子の訃報に自らが代替えとなるとして、ルーデンベルンの王城からニールが帰郷することとなった。


 アリテミラは心が躍った。


 決して成就することはないと思っていた恋が、叶うのだから。

 本物のシハイル王太子の訃報に心を痛めはしたものの、大して交流が深いわけでもない相手の生死にそこまで感情移入をすることは難しい。


 この身が汚れていようとも、ニールもまた、両手を血で染めているのだ。ルーデンベルンの王城の闇を知る者として似合いの組み合わせではないか。


「よぉ、お前さん、ミリーの姉さんだろう?」


 突如掛けられた声にハッとして、アリテミラは目の前に立つ男性を見つめた。

 深い紫色の髪に、アメジストの様な瞳をした整った顔立ちのその男は、紫焔の魔導士と名高いグォドレイだった。


「お初にお目にかかります。グォドレイ様」

「おっと、小声で頼むぜ? 令嬢達を次々と紹介されてうんざりしてんだ。姿隠しの魔術を使っているんでな」


 優雅に膝を折るアリテミラに、グォドレイもまた品よく胸に手を当てて頭を下げた。

 魔導士という存在はあまり人間の礼を重んじないというが、アリテミラに対しては完璧なまでに礼を返したところを見ると、敵意は無い様に思えた。

 右耳のピアスがシャラリと心地の良い音を発して、端正な顔に僅かに口元に笑みを浮かべる様子が、思わず赤面する程の色気を(もたら)している。

 恐らく彼に口説かれて落ちない女性は居ないのではと思える程、魅力的な男だった。


「それで? お前さん、どうしてここに? アーヴィングの野郎に呼びつけられたのか?」


 美しい見た目に釣り合わない言葉遣いで、グォドレイは片眉を下げて言った。

 意図を汲み取ろうと考えていると、アリテミラの言葉を待たずにグォドレイは更に言葉を放った。


「……参ったな、女性を傷つけるのは不本意なんだが」

「どういった意味でしょう?」


 不安気なアリテミラの問いかけに、グォドレイは安心させるかの様に優しく微笑んで「そのままさ」と言った後、ごにょごにょと口ごもる様に言った。


「……うーん、そうだなぁ。ユジェイの第三王子、あいつがいいか」


 よく聞き取れずに小首を傾げたアリテミラに、グォドレイはニッカリと笑った。


「ニコニコ仮面は諦めな? あいつはおっかねぇからお前さんには似合わねぇさ。もっと優しい奴の方が合ってると思うぜ」


 グォドレイの言うニコニコ仮面とは、ニールの事だろうかと考えて、アリテミラはクスクスと笑った。


「ニール様は、お優しい方ですわ」

「……どうかなぁ」


 腕を組み、思いきり首を傾げて言う様子が嫌に愛嬌がある。大きくため息を吐いた後、グォドレイは長い睫毛を揺らしてしぱしぱと瞬きをした。


「少なくとも、ミリーはお前さんが不幸になることを望んじゃいない。あいつに泣かれっと、俺様弱いんだよなぁ……」

「泣くとはどういうことでしょう」


 そう言った後、アリテミラはハッとして眉を寄せた。


「グォドレイ様がミルドレットを娶るのではないのですか?」


 アリテミラの言葉に、グォドレイは意外そうに眉を寄せた。


「……なるほどな。お前さんはそういう風にアーヴィングにそそのかされたってことか」

「え……? まさか……」


 『そそのかされた』という言葉の真意を考える事が、直感的に恐ろしく感じてアリテミラは口を噤んだ。


 僅かに震える彼女を見つめて、グォドレイがため息を吐く。


「解った。俺様がなんとかしてやる」


 そう言い残すと、パチリと指を打ち鳴らし、姿を消してしまった。


 不安になり、壇上へと視線を向けると、白銀の仮面を身に付けたニールがどこかをずっと見つめている様子が目に入った。

 彼の視線を辿って行くと、銀髪にサファイアの様な瞳をしたミルドレットが、黒髪の女性らと会話している様子へと辿り着いた。


——ニール……様?

 何故ミルドレットを……?


 眉を寄せ、周囲へと視線を走らせる。

 ルーデンベルンの第一王女であり、美しいと誰もが称賛するはずの自分の周囲には沢山の貴族達が居るというのに、話しかけてくる者の数の少ない事。

 それに対し、ミルドレットは元王太子妃候補の女性と話している為か、皆遠慮しながらもチラチラと視線を向けて話しかけるタイミングを見計らっている。


 ぶわりと背に汗を垂らしながら、アリテミラは俯いた。


——私が、負ける……?


 体中に鳥肌を立てて、思わず数歩後ずさった。


——そんなことになったら、お父様は決して私を許さないわ。

 どんな悍ましい仕打ちをされることか!!


 王太子妃決定のファンファーレが鳴り響き、アリテミラは悲鳴を上げそうになった。


◇◇


 心ここにあらずといった様子で、ニールと踊るミルドレットをアリテミラは見つめていた。


 王太子妃としてミルドレットの名が呼ばれた時、何かの間違いではと我が耳を疑ったアリテミラの前で、ニールは颯爽とミルドレットの手を取ったのだ。


 まるで、ずっとその瞬間を待ち焦がれていたかの様に……。


 ガラガラと音を立てて割れたガラスの様に自分の心が砕け散った気がした。


 この後、一体どんな恐ろしい事が待ち受けているのかと考えると逃げ出したくて堪らないが、自分にはどこにも逃げ場が無い。

 他国であるこのヒュリムトンは疎か、ルーデンベルンに於いても、居場所を失ったのだ。


 それでも、はにかむように笑うミルドレットの姿が妬ましくは思えず、妙に誇らしくさえ思えた。


——気品もしっかりと身に付けて、美しさは勿論の事、ダンスも完璧。

 あの子、いつの間にあんなにも素敵なレディーになったのかしら……?

 お父様からの折檻をたった独りで耐えて来たのだから、幸せになる権利は十分にあるわ。


 ……けれど、どうしてニール様なの?


 これは私への罰だというの? 貴方が苦しい時に、手を差し伸べる事が出来なかった私への……!


「失礼、そなたがアリテミラ姫か?」


 掛けられた声に、アリテミラは顔を背けた。


「申し訳ございませんが、今は誰とも踊る気分ではございませんわ」


——足がすくんで、踊るどころか転んでしまうもの……。


「いや、そのように仰るのは確かだろう。だが、私も依頼された身でな。人助けと思って受けてはくれぬか?」


 食い下がる男に苛立って、アリテミラはチラリと視線を向けた。


 浅黒い肌に琥珀色の瞳をしたその男は、艶やかな黒髪を肩に垂らし、すっと鼻筋の通った美しい顔立ちをしていた。

 彼は少し困った様な素振りで手を差し伸べており、頼むから手を取ってくれとでも言わんばかりに視線を向けていた。


「申し遅れたが、私はユジェイの第三王子。ヴィンセント・ハメス・ユジェイだ。突然紫焔の魔導士グォドレイ殿に拉致され、このヒュリムトンの王城へ連れて来られた上、そなたにダンスを申し込む様に依頼されたという現状だ」


「……グォドレイ様が、ですか?」


「うむ……しかも、そなたと踊らねば国に帰してくれぬというのだ。助けると思って一曲踊ってはくれぬだろうか」


 ダンスの音楽が次へと変わるタイミングとなり、アリテミラはもっとヴィンセントの話を聞きたいと、その手を取った。


 優しく、包み込むようだが控えめに握るヴィンセントの手の感触をグローブ越しに感じながら、チラリと視線をニールへと向けた。

 ミルドレットと踊る事に夢中でアリテミラの事も勿論、周囲の事など最早視界になど入っていない様子だ。


「アリテミラ姫」


 囁く様な声を掛けられて、ハッとしてヴィンセントに視線を戻すと、彼はニコリと微笑んだ。


「よそ見をしていては危ない。一曲だけ我慢してくれるとありがたい」

「申し訳ございません」


 優雅にステップを踏みながら、アリテミラはヴィンセントのエスコートの巧みさに目を見張った。

 幼少の頃から講師として城に訪れていたどの者よりもその技量は高く、加えて丁寧な物腰から、彼の気遣いや優しい人柄がにじみ出ているのだ。


「驚きましたわ。ヴィンセント殿下は随分とダンスがお上手なのですね」


 感嘆の声を上げたアリテミラに、ヴィンセントは琥珀色の瞳を照れた様に細めた。


「ミリーのダンスも私が教えたのだが、どうだろうか?」


 頬を染めながらも寂しげに言うその様子から、彼がミルドレットを想う気持ちが伝わる。


「……殿下も、ミルドレットを?」


 アリテミラの問いかけに、ヴィンセントはあっさりと頷いた。


「この想いが叶わぬ事は承知している。だが、彼女が泣かぬ様に力になれるならば、協力は惜しまぬつもりだ」

「グォドレイ様も同じような事を仰っていましたわ」


 正直なところ、あのまま独りきりで壁の花となっていては、あまりにも惨めで人目もはばからず泣きだしてしまいそうだった。

 そんな醜態を晒してしまっては、ミルドレットにも随分と迷惑を掛けたことだろう。


「私、何が間違っていたのかしら。王女としての教養も身に付け、努力していたつもりですのに。それなのに、誰からも愛されないのですもの」

「それは違うな」


 ふわりと優雅にステップを踏みながら、ヴィンセントがきっぱりと言い放った。


「そなたはまだ、そういう相手と出会っていないだけに過ぎぬ」

「でも、私はニール様を……」

「あの男は止めておけ!」


 僅かに声のトーンが上がり、ヴィンセントは慌てて「失礼」と言って咳払いをした。

 グォドレイとの戦闘で瀕死の重傷を負ったニールの姿を目の当たりにしていたヴィンセントは、その人智を凌駕する戦闘能力の高さに、とてもではないが普通の女性では伴侶になることは難しい事がよく解っていた。


 アリテミラはクスクスと笑うと、「グォドレイ様と同じ事を仰るのですね」と微笑んだ。

 僅かばかりだが緊張が解れた彼女の笑顔は、流石絶世の美女であると称されるほど美しく、魅力的だった。


「ふむ、流石はミリーの姉上だ。そなたの笑顔も眩い程に美しい。ならば、何も自ら進んで不幸になる必要などないだろう。良い相手と巡り会うまで、さほど時間はかかるまい」


 アリテミラは微笑むと、寂しげにヴィンセントを見つめた。


「いいえ。貴族男性は皆()()を求めますもの」


 アリテミラの言った言葉を、ヴィンセントは直ぐに理解できなかった。

 脳内で反芻したのちにハッとした様に視線を向けると、アリテミラはその視線から逃げる様に目を逸らした。


「アリ……」

「私などと踊ってくださり、ありがとうございましたヴィンセント殿下。これでお役目は全うできたのですから、国に帰れましょう」


 ふわりと優雅にお辞儀をすると、ヴィンセントと一曲を踊り終えたアリテミラはその場から立ち去ってしまった。

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