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愁傷

「余は……認めぬ!」


 怒鳴る様にかけられた声に驚き、ミルドレットとニールは振り向いた。


「ヒュリムトン王太子妃はアリテミラでなければならぬ!!」


 煌々と輝く月の下。墓碑へと続く路地の砂利を踏みしめながら、アーヴィングがそう言って怨念めいた恨みを込めた瞳を向け、二人の側へとゆっくりと近づいて来た。

 契約の魔術を結んでいるニールの居場所がアーヴィングには筒抜けであるため、魔法に隠されたこの場所も容易に見つける事が出来るのだろう。


「お父様……」と呟く様にミルドレットは言ってすぅっと青ざめた。

 何故、父であるはずのこの男は、自分を姉の身代わりとして送っておきながら、今更それを無かった事にすると言い出すのか。


「ミルドレット、私の後ろへ」


 ニールはアーヴィングから庇うようにミルドレットを自分の後ろへと隠すと、ダークグリーンの瞳でじっと見据えた。


「他国の王である貴方に、王太子妃の決定についてとやかく言われる筋合いは無いはずですが? ましてや、本来であればミルドレットの不戦勝となるところを、わざわざ投票でアリテミラと戦わせたのですからこの上ない計らいだったはず」


「これではアリテミラが、ヒュリムトン王太子に見捨てられた姫というレッテルが貼られてしまうではないか!」


 ズキリとミルドレットの背が痛んだ。困惑しながらも唇を噛みしめる。

 縋る様にニールの背を見つめた。ミルドレットを守ろうと、自らを盾にしてアーヴィングの前に立ちはだかる姿が痛々しく思えた。


——どうしよう。ニールは、お父様には逆らえないのに……!


「勝手なことを! 彼女を巻き込んだのは貴方です!!」


 ニールの言葉に、アーヴィングは声を荒げた。


「だまれ! 傷物は、『()()』だけで十分だ!!」


 アーヴィングの言葉を聞き、凄まじい痛みがミルドレットの背を襲った。


——『()()』。あたしはお父様にとって、名前を呼ばれる価値すらもない……!

 王太子妃になる為にどれ程に努力したって無駄だった。

 どんなに便利でも結局は捨てられてしまうゴミでしかない。あたしは、お父様にとって無価値だ!!


 悲鳴を上げて蹲るミルドレットを見つめたニールは、驚愕した。


 彼女の背に深い傷が浮き出し、じわりと滲んだ血液が純白のドレスを汚しているのだ。


「ミルドレット。一体、何故……」

「動くな、化け物。契約の魔術でお前が余に手出しできぬ事はわかっておる。お前相手では兵を何人連れて来ようとも無駄だということもな」


 アーヴィングがすらりと剣を構えた。


「『()()』が居なければ、全てが丸く収まるのだ!! いつもいつも目障りでしかない厄介者め!!」


 ミルドレットが再び悲鳴を上げた。


 更に深い傷が彼女の背に刻み込まれ、夥しい量の血が流れ出た。

 ニールは青ざめてその光景を見つめた。


——一体、何が起こっているのだ……? ミルドレットとアーヴィングの間には、契約の魔術も結ばれていないはずだというのに……。


『いいか、よく胸に刻んでおけよ? 古傷ってのは、開くもんなんだぜ?』


 ニールの脳裏に、突如グォドレイの言った言葉が浮かび上がった。


——古傷、だと?


『あいつの心の傷を抉りやがって。二度目だ。お前さんにだけは見られたくねぇと、俺様に痕を消してくれと泣き付いてきた!』


 すぅっと、ニールは血の気が引く思いでミルドレットを見つめた。


 ニールの脳裏には、疲れ切っていたグォドレイの様子や、片腕を無くした姿などが浮かびあがり、バラバラだったパズルのピースが一つずつはまっていった。


 ミルドレットの言った言葉が浮かぶ。


『古傷を治療するのは難しいの。お師匠様は、寿命が縮むって言ってた』


——グォドレイは、ミルドレットの傷を癒す為に、自分の寿命を削ったというのか……?


 片腕を失ったのは、その代償か……?


 感謝祭で、ミルドレットがグォドレイに従順過ぎる程に大人しかったのは、それを引け目に感じていたからだというのか。


 そうまでして消した傷でも、心の傷が修復されない限り、精神的ダメージを受けると再び開いてしまうというのか……?


 こんなものは、治療とは言えない。王太子妃選抜で勝ち抜く為に、傷痕を隠しただけに過ぎないではないか!

 何故そこまでする、グォドレイ!!


 スラリと、ニールは剣を抜いて、アーヴィングの前に立ちはだかった。


 アーヴィングは不敵な笑みをニールへと向けた。


「無駄なことだ。余は契約の魔術というものを熟知しておる。お前も目を覚ますがいい。『()()』には、何の価値も無いのだからな!! ヒュリムトンにとっても疫病神を抱えただけだということが何故分からぬ? グォドレイに、いつぞ報復されるかと怯える羽目になるのだからな!!」


「グォドレイにはそんな気などありません!! 貴方が勝手に怯えているだけに過ぎない!!」


「何故そう言い切れる? 全てを容易く手に入れる事が出来る力を持っている男を恐れるのは、当然のことだろう!!」


 ニールはつっと冷や汗を流し、蹲るミルドレットへと視線を向けた。余りにも痛みが激しいのだろう、ふるふると小刻みに震える様子が痛々しい。

 早く医者に見せなければと焦り、目の前に居るアーヴィングを退ける為にぎゅっと剣の柄を握った。


 だが、自分には母ユーリが結んだ契約の魔術が残っている。アーヴィングを殺すわけにはいかない……。


 いや、グォドレイと約束をした。


 アーヴィングを、決して殺すなと。


 あの男がああも口を酸っぱくして言うからには、何かしら理由があるに違いない。心の傷と肉体につけられた傷とが深く結びついているのならば、恐らくそれを癒す為には元凶となったトラウマを乗り越える必要があるのだろう。


「ミルドレット、よく訊いてください。この男の言葉に、貴方を傷つける価値などありません」


 静かに諭す様に言ったニールの言葉に耳を傾けながら、ミルドレットは耐えがたい恐怖や痛みと戦っていた。


——痛い……怖い……!


 そんな時、いつも手を差し伸べてくれる、アメジストの様な瞳をした男を思い浮かべた。


——助けて、お師匠さ………


 唇を噛みしめ、ミルドレットはぎゅっと震える拳を握り締めて瞳を閉じた。


——駄目! お師匠様を頼ったりしないって決めた! 

 しっかりしなきゃ。あたしの為に、あの優しい人をこれ以上傷つけさせちゃ駄目。

 折角()()()()()()()()お師匠様を、またあたしが縛ったら絶対に駄目!! お父様に何を言われても、気にする必要なんかないって言ってた。

 あれはこの事だったんだ。


 あたしは、独りじゃない。ニールがついてる。


 古傷を癒さない事には、いつまでたってもルーデンベルンを恐れる事になってしまう。それだとヒュリムトン王太子妃としては役に立たないもの。


 そんなあたしは、ニールの側に居る権利が無い。

 だから、古傷を癒すには、あたしが頑張らなきゃいけないんだ……!!


 そうすることで、きっとお師匠様の失った腕も戻るはず……。


「ミルドレット。私の言葉を聞いてください。私の言葉のみを。二人であの男の呪縛から解き放たれるのです。私にとっても、ミルドレットにとっても、あの男は取るに足らない何の意味も無い者なのです」


 励ます様に言ったニールの言葉に小さく頷くと、ミルドレットはサファイアの様な瞳をアーヴィングへと向けた。


「お……父様こそ……!」


 ミルドレットは掠れた声を絞り出す様にして叫んだ。


「お父様こそ、あたしの世界には要らないっ!! あたしにとって、あんたなんか何の価値も無いっ!!」


——お師匠様の想いを、無駄になんか絶対にさせない!

 あたしはどんな試練でも乗り越えて、お師匠様の腕を取り戻さなきゃいけないから。

 そして、堂々とした姿を見せて、お師匠様に自慢の弟子だと言わせてみせる!


「もう二度とあたしの前に現れないで!!」


 サファイアの様な瞳を真っ直ぐとアーヴィングに向けて言い放つミルドレットの姿は、気高く美しかった。


 ニールは力強く頷くと、ダークグリーンの瞳でアーヴィングを見つめた。


「この国にとっても、貴方の存在は不要です。お引き取り下さい」


 その言葉を聞き、アーヴィングは鼻でせせら笑った。


「グォドレイも知らぬことだがな。オーレリアを殺したのは、『()()』ぞ?」


 眉を寄せるニールの後ろで、ミルドレットは瞳を見開いた。


「……え?」


 アーヴィングは鼻で笑うと、つらつらと言葉を並べた。


「『()()』を修道院に入れる条件として、オーレリアは余と契約の魔術を交わしたのだ」


 ミルドレットの瞳に涙が溢れた。


——契約の魔術……?

 お母様は、病で亡くなったんじゃなく、ひょっとして……?


「お母様と、一体どんな契約を結んだの……?」


 アーヴィングは剣先と共に狂気の眼差しをミルドレットへと向けた。


「もしも貴様が修道院から逃げ出したのなら、オーレリアの命が潰えるという契約だ。貴様は、自分の自由と引き換えに母親の命を捧げた悪魔だ。悪魔は周りに居る者を巻き込み不幸にする!! 自覚があるはずだ。貴様は何人不幸にした?」


 凄まじい痛みがミルドレットの胸を襲った。


——あたしが、お母様を殺した……?

 修道院から逃げ出さなきゃ、お母様は死ななかった……?


「ミルドレット、貴方を修道院から逃がしたのは私です! 貴方に責任はありません!!」

「違う……。そうじゃないの、ニール!!」


 必死に説得するニールを呆然と見つめながら、ミルドレットは悲鳴を上げた。


——お父様の言う通りだ。お師匠様の事も、あたしは不幸にした……。


 ニールも、あたしと一緒にいたら不幸になっちゃう……?

 違う、もう……不幸にしてるんだ。あたしが、ニールを……!!


 ミルドレットの背が引き裂かれ、パッと闇夜に鮮血が飛び散った。ニールはその様子を驚愕しながら見つめ、アーヴィングに振り返った。


「辻褄の合わない事を言うな、アーヴィング!! ミルドレットが修道院から逃げ出した日は、オーレリア妃の国葬が執り行われた日だったはず。オーレリア妃の死は、ミルドレットとは関係が無い!!」


 このままではミルドレットの命が危ういと察したニールは、怒鳴りつける様に言った。だが、アーヴィングはフンと鼻を鳴らし、小ばかにする様に剣先を軽く振り下ろした。


「言っただろう? 余は契約の魔術を熟知していると。『()()』は、お前が修道院を訪れるその前から、既に逃げ出す為の準備を終えていたのだ!」


 アーヴィングの言葉を聞きながら、ミルドレットは想像を絶する痛みに朦朧としていた。


——お父様の言う通りだ。あたしは、修道院から逃げ出す為に、シスターから鍵を盗んでいた。

 ニールにも会えなくなって、もう、お父様の鞭打ちにあれ以上耐えられなかったから……!

 あのシスターもきっと、罰を受けたはず……。


 あたしがあの時、あのまま一人で死んでいれば、お母様もお師匠様もニールも誰も不幸にならずに済んだ。


 あたしが、皆を不幸にした……!!


「止めろ、アーヴィング!! 例え何が起きようとも、私はアリテミラを妻に迎える気などありません!!」

「ほう? お前の意思こそ関係の無い事だ。お前が嫌ならば影武者が王太子となれば良いのだからな。元より真の王太子はそうなのだろう。ドワイトも望むはずだ!! 『()()』が死ねば全てが丸く収まるのだ!!」


 戯れの様に切りかかるアーヴィングの剣を、ニールは剣で弾き返した。


「父上もこれ以上は望んでいません。まして、ミルドレットの死など! だから彼女を選び、投票したのです!!」


 ヒュリムトン王族は、満場一致でミルドレットへと投票したのだ。

 ユーリも、グォドレイ自らがミルドレットを送り届けたという事実に、その意志を尊重したのだ。


「おのれドワイト!! 謀りおって!!」


 アリテミラを呼び出すように指示したのは、ドワイトによる自分への復讐だったのだと気づき、アーヴィングは憎々し気に声を放った。


 ドワイトは、アーヴィングから二人の娘を奪い去ろうと画策していたのだ。

 それは恐らく、ユーリの為だろう。彼女の親友であるオーレリアの忘れ形見を、アーヴィングから奪う事が目的だったのだ。


「アーヴィング。もうこれ以上、ミルドレットを傷つける必要などないのです!」

「いいや、『()()』がこの世に存在する限り! 余の汚点は消えぬ!! 全ての元凶は()()なのだ!!」


 ミルドレットが悲鳴を上げた。剣を使わずとも、アーヴィングの言葉で傷が抉られていくのだ。


「ドワイトの思惑通りになるものか! 余は『()()』の死を望むのみよ!!」


——このままでは彼女の命すら奪われかねない!


 ニールはそう判断すると、殺気の籠ったダークグリーンの瞳でアーヴィングを睨みつけた。


 だが、突如凄まじい痛みがニールの脳を揺さぶるかの如く沸き起こった。


『いいか? お前さん、アーヴィングの野郎には絶対に手を出すんじゃねぇぞ? 絶対にだ。ミリーの為を思うなら……いや、あいつを愛しているならな』


 人間であるニールには、魔導士の契約反故の報復は発動しないはずだ。恐らくあの時、グォドレイはなんらかの魔術をニールに施したに違いない。


 激しく痛む頭部に朦朧としながらも、意識を保とうと必死に歯を食いしばった。


——例え、自分が死のうとも構わない。彼女を守ると決めた。心の傷など、抱えたままでも構わない。ミルドレットが死んでしまえば全てが終わりなのだから。

 

 アーヴィングをこの世から葬り去らなければならない。


 ミルドレットの為にならば、自分の命など惜しくはない……!


「終わりです。アーヴィング」


 想像を絶する痛みにも、ニールのミルドレットを救わんとする心が勝った。


 ダークグリーンの瞳を細めて素早く剣を握り直し、アーヴィングの心臓を寸分の狂いも無く貫いた。




————奇妙なことが起こった。




 ゆっくりと大地へと崩れ落ちるアーヴィングと共に、自分の心臓も止まるものだと思っていたニールは、何事も起こらなかった我が身を不思議に思い、胸に手を当てた。


 死ぬどころか、無傷である自分の胸を擦り、訝しく思いながら振り返った。


 そこには、微動だにしなくなったミルドレットの姿があったのだ。


「……ミルドレット?」


 握りしめていた剣をカラリと落とし、ニールはミルドレットの側に赴き、膝をついた。


「貴方を脅かす元凶は、この世から消えました。もう、恐れるものなどありません」


 彼女をそっと抱き上げたが、固く閉じた瞳が開いてはくれない。


「ミルドレット。どうしたのです? 傷が痛むのですか? 直ぐに医師を。いえ、アレッサに協力を求めましょう」


 ミルドレットの胸は、剣で貫かれたかの様に夥しい血液で濡れていた。

 彼女の生命は全て流れ出てしまったかのように、ピクリとも動かない様子に戦慄が走る。


「ああ……何故です……? ミルドレット……どうして、こんな……!!」


 契約の魔術が、忠実に発動されたのだ。


『アーヴィングの命を奪ったのならば、ニールにとってその時最も尊く大切にしている命も潰える』


 それは、ミルドレットの命の事だった。

 ニールにとって最も尊く大切にしている命とは、ミルドレット以外無いのだから。


「……私が、貴方を殺してしまったのですか?」


 ニールの瞳から、涙が溢れ、ぽたりとミルドレットの頬へと零れ落ちた。


「貴方を守りたかったのに。貴方さえ生きていてくれることを、貴方の幸せのみを望んでいたというのに! どうして、こんな……!!」


 今まで一度たりとも流した事の無かった涙を、ニールは幾筋も零した。ミルドレットの死により、偽りの笑顔の仮面が砕け散り、ニールは心を取り戻したのだ。


 泣き叫ぶニールの声が、静寂の闇に響き渡った。

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